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魔王で蟲の王  作者: カナリヤ
蟲の森編
14/49

礎の歪み

 意思とは、定型及びカタチでは表せないモノである。そして、往々にして意思の根底は感情である。その強度は時間と共に形を変え、場合によっては崩壊もする。


 ミーネの復讐という意思は、夫を殺された恨み、憎しみ、悲しみ、怒りが根底を成している。クトセインへの恐怖がそれらを上回ったが、それは一時的なモノである。

 ミーネの復讐心はどういった形であれ、大きいのだから……


「どうして、こんな事を……?」


 変わってしまった親指を動かし、涙を流しながら何とも思ってなさそうなクトセインに聞く。幾つか手段をあった上でのこの選択、人を人と思わぬ所業だ。

 せめて、納得のできる言い訳(りゆう)が欲しかった。


「必要だからやっただけだ。袋蜘蛛の牙1つで、人どころかほとんどの魔物を殺せるからな」


 しかし、返ってきた答えは納得できなくもないが、肝心の身体を虫にして、虫を体に入れた理由には思えるモノではなかった。


「納得いかん? だが、エルフから離れてもらわなければ少し都合が悪い。

 言っただろう。エルフが人間を襲っているとまずいと」


 エルフからかけ離れた姿になってもらう。ミーネには、そう宣告された気がした。

 エルフと人間の明確な差は―――エルフの方がほっそりとし、容姿が全体的に整っているのを除けば―――髪と耳だけだ。なのに、最初に手を加えられたのは指。

 それだけで、どうしようもない暗い未来が想像できてしまう。


(顔色が悪いな。まあ、嫌な未来を想像してしまったのだろう)


 虫への変化などクトセインにとっては当たり前なので、ミーネの心境がイマイチ解らなかったが望まぬ方向に傾いている事は理解がてきた。


「安心しろ。虫の体を付けるのは無関係な虫に出血を強いる行為だ。やらないに越した事はない。

 必要が無ければ、それ以上に虫の体を増やさん」


 笑顔で、起こり得ない希望的未来をクトセインは言った。

 ミーネが蟲の森を駆け抜け、インセニアにたどり着けるようになるのは並大抵の努力では不可能。ソレを解っていたから、ミーネはクトセインに縋ってでもなるべく早くに復讐できるように成ろうとしたのだ。


 しかし、そう成れる代償は復讐以外の全て。復讐したいが為に、感情に身を任せての選択の代償は重く大き過ぎるモノであった。


 それが見えていないミーネはクトセインの言葉に僅かな希望を見い出す。強力な袋蜘蛛の牙を手に入れたのだ。クトセインが言ったように殆どの魔物を殺せる力なのだから、見つけた端から狩っていけば直ぐにでも蟲の森を駆け抜けられるようになれると……


「それじゃあ、あの2匹を殺せ」


 親指が指す後ろには、羽化洞窟から追い出された魔吸潜蜂の幼虫と袋蜘蛛がそのまま待機していた。クトセインがそうするように命令していたからだ。逃がしてもよかったが、そうしてもあまり意味がないのだ。


 魔吸潜蜂の幼虫は宿主が動きまわらないように麻痺毒を注入しており、それは魔力を吸い尽すその日までやめることはない。幼虫の間は親の作った安全な場所で安穏な日々を過ごすのが続く為に、幼虫時代は非常に脆弱なのだ。無駄を省いていく進化の過程でその体は安全を前提とし、幼虫時代は第2の卵時代とも言える程なのだ。


 それなら、最初から卵から成虫の姿に一足跳びで行けば良さそうなものだが、産み落とせる栄養と魔力に限界がある。仮に、幼虫時代を無くしたら魔吸潜蜂は今よりもっと弱くなってしまうだろう。

 幼虫時代は言わば準備期間なのだ。親が用意した生き餌を喰らって成長し、最後には殺してその餌の魔力を我がモノとしてより強靭な成虫になるための……


 そんな魔吸潜蜂の幼虫は自身では碌に動けない。魔力を吸い、お返しに麻痺毒を注入する為にストローのような口を持っているが、動かせるのはそれくらいである。必要の無い移動手段をもっていないのだ。

 放り出さそうものなら、麻痺毒で動けない袋蜘蛛と一緒に肉食昆虫の餌食になるのは明白である。逃がしたところですぐに喰われてしまうなら、利用しようと考えたからだ。


「……」


 生唾を飲み込んで、ミーネは真正面から2匹を見る。鮮度を少しでも保つ為に生きたまま捌くなんてよくやっていたが、明らかに自分より強い魔物を殺すなど初めてだ。武器は親指の牙と日常で使う程度の魔法のみ。


(大丈夫、牙には相手の体をドロドロに溶かす毒があ……)


 牙を見ながら最大の武器を思い返すと同時に、肝心の使い方が判らない事に気付く。牙から毒が出ると知ってはいたが、どうやればそれが出るかまでは知らなかった。


「言い忘れていたが、毒は使うなよ。お前が食えなくなるからな」


 コレを食べなければならない? その衝撃の事実にミーネは頭が真っ白になった。虫は森では―――特に蟲の森では―――貴重なタンパク源なのだが、あまり多く食べなくても牛や豚と比べれば軍配は牛や豚に上がる。


「食べなければいけないのでしょうか……?」


 正直、ミーネは虫を食べたくなかった。彼女の価値感からすれば、虫など獣の餌であるので、自分が食べる物などではない。


「無理に食わせるつもりはないが、不便な事にお前等は食事をしなければなんだろう。虫以外はこの蟲の森に食えそうな物はないのだが、一体どうするつもりだ?」


 衣食住。人が最低限必要とする三要素だ。生き死に関しては、環境を度外視さえすれば食だけでもいい。つまり、どの様な状況でも食だけは何として手に入れなければならない。


「それは……」


 ミーネにはどうしようもなかった。自分だけの力で食べ物を調達するなど、生まれてこのかたなかった事だ。

 当然、食べられる野草の知識など持っていない。尤も、例え持っていても役には立たず、食べていたら他の場所よりも強い毒性で腹を壊すなどしていただろう。


「流石に、生き死に直結する食事を取らないのはどうかと思うが……

 飲まず食わずで魔力だけで生きれるようにはできるが、より難易度の高い生け捕りをしなければならんぞ?

 今のお前には、無理だろうがな」


 魔吸潜蜂のように魔力を栄養に変換できるようにするのは可能だ。しかし、魔吸潜蜂は幼虫、成虫共に麻痺毒によって獲物の動きを止めてから魔力を吸うので、今のミーネには無理な手段だ。


 できるようになる為には、最低でも魔力を吸う口。確実にできるようにするなら、麻痺毒を生成する器官とその麻痺毒を注入する牙や針も必要だ。


「それか半殺してから吸うとい手段もあるが、これも無理だな。素が弱過ぎるし、袋蜘蛛の牙では強すぎる」


 クトセインの与えた力は絶対的すぎた。溶解液はほぼ確実に相手を死に至らしめて、加減ができない。溶けるのを遅くする為に量の調節をしたとしても、虫が相手ではほぼ無意味。短い時間であれば死んだ後も動くその生命力は、虫であればほとんどがもっており、死に体でも不用意に近付けば思わぬ反撃を受ける事もある。魔物なら尚更である。


 食事には、どういった形であれ苦労が付きまとってしまうのだ。


「袋蜘蛛は食うには硬すぎるかもしれんが……。まあ、騙されたと思って魔吸潜蜂の幼虫を食ってみろ。

 その事を念頭において殺せよ」


 言うべき事は言ったクトセインは、あくびをしながらミーネを見守る。

 殺せとは言ったものの、別に、殺せるとは思っていない。どの魔物にも言える事だが、強力な力の基礎には強靭な肉体がある。例外もいるにはいるが、袋蜘蛛はその例外ではない。


 それでも、大きさの割には外骨格は全体的に軟らかく、傷を付ける事自体は簡単な方である。だが、その巨躯から大剣でもなければ付けられる傷は体と比べれば小さくなり、決め手となるには数が必要となる。


 初めて魔物を狩るミーネがその数を稼げるとも、急所を突けるとも思えない。ましてや、使う武器は袋蜘蛛の牙である。刺す事に特化しているその牙は反っており、抉り込むようにしなければ非常に刺しにくい。形状から刺突しかできないので、目に見える傷は小さくなりがちになる。


 その傷の小ささはミーネの気力を削ぐであろう。


 袋蜘蛛は動かないので、やろうと思えば死ぬまで刺す事はできる。問題は、その時までミーネの気力が続くかである。頭をめった刺しにでもすれば労力は最低で済むかもしれないが、それは口のすぐ傍に近付くという事だ。

 もし、動いたら……。そう考えたら、近付くのは最も躊躇う場所だ。そもそも、動いたらと考えたら近付くのは頭の付近でなくとも腰が引けてしまうものだ。


 覆しようの無い体格差は、致命的な一撃を繰り出すのには十分すぎる。人間よりも魔物が近くにいる生活をしているエルフなら、その恐ろしさを十分に知っている。いきなり牙だけで魔物を殺すなど普通は無理だ。


「殺せば、いいんですね……?」


 しかし、ミーネは緊張で喉をカラカラに乾燥させても一歩を踏み出せた。

 目の前の袋蜘蛛より、クトセインの方が恐ろしいと自分に言い聞かせて恐怖の矛先をなんとか逸らしていた。

 一歩進むごとに、本能が逆に退けと危険信号を発する。


 当然だ。動かないと知っていると同時に、どれだけ危険かも知っている。この状況は、眠っている猛獣に近付くのに近い恐怖感モノがあった。

 感情を映さない無機質にも思える八つの目が、自分を写している。その表情は怯えきったものでみっともない。恐怖の矛先を逸らしても、恐怖がなくなった訳ではない。ただ少し、目を逸らしただけにすぎない。


 手を伸ばせば届くとこまでいけば、目を逸らすだけでは足りないと目をつぶる。そして牙を突き出した。

 しかし、牙は刺さる事はなかった。


「嘘……」


 その結果に絶句して、ミーネは目を開いてしまった。

 至近距離で見た袋蜘蛛の外骨格は大きさと太さから棘にも見える毛に覆われており、それによって軌道を微妙にずらされたと解った。尤もそれが無くとも、ミーネの腕力と闇雲にただ突き出した牙ではそう簡単には刺さらなかったであろう。


「まったく、てんで駄目だな」


 その結果を予想していたクトセインは長引かせるのもつまらないので、助力すべく後ろから牙に手を添える。


「袋蜘蛛の牙は鋭利だが、しっかりと狙わなければ刺さらん。目を瞑るなど言語道断だ。

 そして、狙うならここだ」


 牙をゆっくりと袋蜘蛛の複眼に導いて貫かせた。


「眼ならほとんどの奴の弱点だ。その上に完全にガードするのは不可能だから、的が小さい事に目を瞑れば良い狙い目ってな」


 牙から伝わる感触はこれまでにないモノで、ミーネは話を聞けていなかった。まるで、粘液が詰まった薄いガラスの筒を次々に折っていくかの様な感触。


 感触通りの物なら、美醜は置いておくにしても、なんと繊細な芸術品であろうか。ソレを自らの手で壊していくのは、まるでワインを嗜むように心地よいではないか。


「フ…フフ」


 笑った。壊すことに陶酔を憶えたミーネは掻き混ぜる。境界を壊して蹂躙する。

 そんな破壊的な行為は、ミーネの精神では酔わなければやってられなかった。酔って正常な判断ができなくならなければ、耐えられない。この時、間違いなくミーネは歪んだ。


「いつまで同じ場所を掻き回している。殺すのなら、一番手っ取り早い場所があるだろうが」


 ミーネの変化にクトセインは深く笑みを浮かべながら、袋蜘蛛の脳がある場所を指差す。その意図を汲み取ったミーネは躊躇わずに牙を突き立てる。


 外骨格と比べればゼリーのような脳をクチュクチュと簡単に掻き回す。脳に触れるなど未知への恐怖でやろうとすら思い付かず、実行など頭の中身と考えればまともにできない。


 酷い酔いで、嫌悪感などどこかに置き忘れたミーネは強くなる酔いにうっとりと目を細めて一旦牙を抜く。


「殺せたようだな」


「はい」


 獲物はもう一匹いる。恍惚とした笑みを浮かべるミーネは同じ方法で、新しい獲物を愉しみ始めるのだった。


――――――


「ゲホッ、ゲホッ…ゥ…」


 魔吸潜蜂の幼虫も殺して、酔いから醒めたミーネの精神と体調はすこぶる悪かった。思い返せばなぜ魔物相手でもあんなことができたと自己嫌悪し、確かに快楽を感じていた事実が更に自己嫌悪を増幅させていた。更に、心のどこかでまた愉しみたいと思っている自分が居るのも気持ちが悪かった。


 少なくとも、今迄の自分にそんな面は無かった。

 そんな精神面での負荷が体調にもダイレクトに影響を及ぼし、胃の中が空になるまで吐く程に悪くなった。


「そろそろ落ち着いたか?」


 言葉こそ心配しているようであったが、袋蜘蛛の足を生のままかじっているクトセインの纏う雰囲気はのんきなものであった。この程度を乗り越えられなければ、魔物よりずっと自分に近い人間を殺すなど無理というのもあるが、所詮は他人事だ。


「はい…なんとか……」


 フラフラと揺れて今にも倒れそうであったが、やらなければならない事は食事しか残っていない。今にも倒れそうでも問題無いだろうと判断して、クトセインは指摘しなかった。


「まあ、そう言うのならそういうことにしておこう。

 辛いだろうが、幼虫だけでも食っておけよ。じゃなければ、明日は力がでないだろうからな」


 魔吸潜蜂の幼虫は、成虫になる為に栄養を貯め込んでいるので栄養満点である。しかも、そのほとんどが体液としてあるので食べる際にはそれほど労力をしない。

 今のミーネにはピッタリな食事であった。

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