復讐への礎
「私に、力を下さい」
殺されたフィルの妻、ミーネが跪いて震え声で言ったのはクトセインがやらないように懇願された事であった。
「俺に頼む意味が解らんが? エルフなら人間を殺せるくらいの力は持っているだろう」
なぜ頼むのかを解っていながら、あえてクトセインはそれで十分だろうと突き放す。
「足りません! 私の足と魔法では、遺跡に来るのだけでも命懸けなのです!
蟲の森を越え、インセニアまで行く実力が私にはありません!」
エルフの里から遺跡は直線距離にして約800メートル。それだけの距離でも、狩人として訓練して実際に魔物を狩った事の無いエルフには綱渡りなのだ。森の中の駆け抜け方や魔物への正しい対処は、狩人にならなければ特に必要がなく、ミーネが学ぶ機会などなかった。
エルフが森と共に生きると言っても、居を構える場所が森の中だというだけであった。狩人以外は限られた生活圏から出る事も無く、平穏に長く生きてきたのだ。放出魔法が得意だが、使う魔法は日常生活で必要になるのだけしかない。
「で?」
「で、とは……」
なぜ聞き返えされたか解らないミーネも聞き返してしまった。
「だから、なぜ俺に頼む? 今は足りずとも、真っ当な方法で越えられる実力をつけられもするだろ」
「そ、それはそうですが…ダメなんです。私は今直ぐフィルの仇を討ちたいんです!!」
自身の憎悪が薄れないうちにミーネは仇を討ちたいのだ。感情が一時のモノと理解しており、今ほど激しい憎悪によって殺意が湧き立てられる事は今後一切ないとも理解している。
そんなのは許せない。最愛の人を殺され、泣き寝入り同然でその人にどう顔向けできようか。
「しかし、な……エルフが人間を襲っているなどなれば、エルフがインセニアに出入りし辛くなる。お前1人の我が儘でそうするのか?」
「……」
全体で見れば復讐などミーネの我が儘にすぎない。ミーネに同調するフィルの親友もいるだろうが、ミーネ程思い詰めている者はいない。ミーネにフィルが居たように、ほとんどのエルフには守るべき家族がいるのだ。その家族に不自由を強いることになりかねない行動は避けたいところであろう。
「まあ、エルフが人間を襲っていればだが……」
思わせぶりなクトセインの言葉に、ミーネの瞳に希望が宿る。
「復讐以外の全部を捨てる覚悟はあるか?」
「あります!! ですから、私に力を下さい!!!」
本来なら昨晩受け取る筈だった、フィルの口の中から発見された指輪を撫でながら懇願する。なぜ口の中にあったかは、これだけは奪われまいと、咄嗟に隠したのだとは想像に難くない。
その眼に狂気と希望を見てクトセインは笑うと、跪いていたミーネの肩を掴んで立ち上がらせる。
「よし、良いだろう! その復讐、遂げさせてやろう!!」
嗤いながら、堕落への第一歩をクトセインはミーネに踏み出させるのだった。
――――――
「あの、何処に向かっているんですか?」
復讐には準備が必要との事で、ミーネはなぜかベッドを担いだクトセインに先導されて蟲の森を移動していた。
「羽化洞窟」
残念ながら行き先を告げられても、ミーネにはそこがどこかなどわからなかった。蟲の森での行動範囲がエルフの里内に限定されていた事と、羽化洞窟はクトセインが勝手にそう呼んでいるからだろう。
「これからお前には確実に蟲の森を越えられ、なお且つ復讐を遂げられるくらいに強くなってもらうわけだ。そこに疑問はないな?」
そろそろ確認させてやってもいいだろうと口を開く。
「はい…」
「俺の支配下の虫を殺させて魔力量を上げさせるという手段があるが、そんな方法は取らん」
「なぜです!? 私は今すぐにでも…」
「そう焦るな。別にお前が殺すのを禁止する訳ではない。
ただ、お前にそのまま力をくれてやると騒ぐ奴はいる。そうならないように殺し合える程度には強化してやるし、今日から5日間は暇だから面倒を見てやれる」
武具が完成するまでの5日間でミーネを形にするつもりであった。
「そんなに日数を使うのかと思ったか? だが、犯人探しもあるから更に日数を必要とする。
まあ、安心しろ。犯人探しは思っているようなやつだったら、存外簡単に見つかる」
ミーネの復讐に心配事があるとすれば、ミーネが冷徹に犯人を殺せるかである。単純な力であれば底上げなど簡単にでき、犯人探しも予想している犯人像と合致していればすぐに見つけられる。例え合致していなくても、怪しい人物を探す事くらいなら今の段階なら可能だ。
だが、ミーネのエルフとしての性質、温厚で争いを好まないところはどうしようもない。今は最愛の人を奪われた悲しみは黒々とした怒りや憎しみとなり、復讐心として纏まって殺意を沸き立たせられている。
しかし、時間によってその復讐心は薄れていくであろう。そうならないように、復讐以外の全てを捨てさせ、これから歪ませるのだが。
「その間を何処で過ごすかが問題になるわけだが……そこでたった今着いたこの羽化洞窟がお前の家になるわけだ。このベッドは寝難そうだから餞別としてくれてやる」
「あの、里にある私物は……」
少しでも遺跡に着ける可能性を上げる為に、荷物になるモノは一切持たずにほぼ着の身着のままなのだ。櫛のような髪などの手入れに使う小物を持ち出したいと思うのは、女としては当然だろう。
「諦めろ。復讐するのには邪魔なモノばかり。ましてや、さっき捨てると宣言しただろうが。1人で取りに行くなら、止めやしないがな」
里の方向すら判らず、更に蟲の森を駆け抜けるのには実力不足のミーネでは不可能。既に引き返せないところまできている。
「まずは寝床を整える。というか、住人を追い出してやるから少し待ってろ」
羽化洞窟の住人、魔吸潜蜂はエメラルドグーリンの外骨格を持つ珍しい魔物である。硬く煌びやかな外骨格は宝石のように装飾品として重宝されている。
魔吸潜蜂が珍しいとされているのは、宝石のような外骨格を持つ事ではない。その生態によってだ。魔吸潜蜂は捕食寄生という形態をとっているが、宿主の肉を食うのではなく、魔力を吸って幼虫は成長して成虫になるのだ。成虫でも魔力が主食なのは変わらず、消化器官などがないので見た目から予想できないほど俊敏である。
「残念ながら住人は1匹、いや、2匹だけだな。宿主が袋蜘蛛なのは丁度良いいがな」
背中に巨大な幼虫を乗せた袋蜘蛛を引き連れて、洞窟からクトセインは出てくる。両方に動くなと命令すると、無造作に袋蜘蛛から鋏角(牙)の部分を千切り取る。指よりも太いそれを持ったままミーネに近付き、右手を手にとったかと思えば、親指の指先を爪の根元辺りから削り取った。
「あっ!!!?」
痛みより先に驚愕が頭を占め、遅れてきた痛みから逃れようと親指を守ろうとするが、クトセインがそれを許さない。鬱血する程強く手首を掴んで、動かさせないように固定する。
「痛いだろうが、すぐ済む」
にやにやと笑いながら、千切り取った鋏角と親指をくっ付ける。そのまま、自分の体をイメージしながら魔力を注いで体の治癒力を向上させて完全に繋げる。
碌に治療の心得のないクトセインであったが、自身の虫でも人でもある体をイメージする事によって、エルフの体に虫を付加させたのだ。
「どうだ、しっかりと動くか?」
「ヒィッ!!」
たった今付けられた物と、それをしたクトセインにわかり易い恐怖の表情を向けて尻もちをつくが、すぐに逃げようと四つん這いになって背を向ける。
「動かんようだな……」
視線は親指だけに注がれていた。袋蜘蛛の鋏角を移植して鉤爪の付いた指のようになったが、自分の意志で動いている様には見えない。自分の意志で動かせなければ長い指など邪魔なだけだ。
魔物を殺す以外の強化として、クトセインは虫の体の一部を移植するという誰もやった事の無さそうなことを実行したのだ。それが逆に邪魔になってしまったら本末転倒だ。
「流石に繋げれば動くとはならんか」
実験としての意味合いもあったのであっけらかんに言う。例え失敗しても、別の方法で動かせるようにする考えはあるのだ。それも失敗したら、打つ手無しで移植を諦めて、エルフと解らない格好をさせて復讐を果たさせる面倒が増えてしまうが。
目を瞑って意識を集中する。
イメージするは他人の体を動かす能力。
能力は直接触れていないと使えない。
宿主から栄養と魔力を掠め取って生きながらえる寄生虫。
形状は糸のように細長い体。
繁殖せず、個体が成長するだけで増えない。
魔力量を削って、新しい魔物を創造する。それは、体の一部を切り離して自立させるという荒技だとクトセインは認識している。
魔力は使用者のイメージで様々な形に変化するモノだ。あらゆる生き物が自然と持っているモノだ。それはクトセインが創造する魔物も、自然の摂理に従って持っている。
クトセインが魔物創造で魔力量が減るのは、魔力だけでは作れないからだ。肉体を作るだけなら馬鹿にならない魔力が必要とされるが、それでも魔力を一時的に消費するだけで済む。だが、魔力の元は魔力で作る事は出来ず、元から削ったりしなければならない。
それがクトセインの魔力量が減る原因だ。
「ふぅ……」
脂汗を流しながら、手の上に乗っている創造した虫を見る。イメージしたから当然であるが、本当に糸のように細く長い体を持っている。そもそも生き物かすらも疑わしい外見だ。
左腕をムカデに変えて、逃げるミーネの足を絡み付かせて引き寄せる。ズルズルと引き寄せられるミーネは顔面蒼白で生きた心地がしないようだが、そんな事に構わず指と鋏角の接合部のすぐ近くに傷を付けて虫を侵入させる。
「嫌っ!いやっ!イヤッ!」
体内に侵入する虫を見て半狂乱となって喚くが遅過ぎた。細長い身体を活かして、数秒で傷口から見えなくなってしまった。
「あああっ!!」
指を虫に変えられ、あまつさえ謎の生き物を身体に入れられたショックから茫然自失になってさめざめと涙を流す。
どうして?その疑問がミーネの頭を埋め尽くす。
彼女は甘かった。クトセインは種族不明であるが、人として同情なりして協力してくれたのだろうと思っていた。
エルフと違ってしがらみがなく、協力さえ取りつけてしまえば復讐を果たせる筈だったのだ。
たが、それは間違いであった。クトセインに感情はあるが、つい先ほどまで名前すら知らなかったミーネに向ける感情など持ち合わせていない。ただ無関心なだけだった。
それでも協力すると言ったのは、今後似たような事があっても、エルフ側から協力して欲しいと言われないようにする為だ。勿論、力は与えてやるし、目的も果たさせる。
ただし、後戻りなど出来なくする。目的の為に全て捨てるのだから、相応しい力と姿をくれてやるのだ。
そう、ミーネの惨劇は、まだ始まったばかりであった。
別に、エルフが嫌いな訳ではありませんから。