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かなり更新が滞ってしまい、申し訳ないです。ストーリーの展開に悩んでいたんですが、ぼちぼち進む先が定まってきたので、更新を再開します。
「それは…できない」
感情を感じさせない無機質な声で言うザッシュは、しかし目は気持ちを物語るようで、メアリーの機嫌をうかがうようにチラチラと忙しく目線を寄越す。
「どうして?私を魔界に連れていくくらい、簡単でしょ?」
事も無げに言うメアリーに、ザッシュはわずかに眉をひそめた。
「魔界は危険。今は 特に危険」
「今はって…何でなの?」
魔界が 人間にとって危険なのは、メアリーもわかっている。伊達に学院にいたわけではない。メアリーは、いつでも両親を迎えに行けるように、魔界についての知識は蓄えていたのだ。
「前に…人間では、数年前か…魔界の王子が魔界から消えた」
数年前?魔界の王子が消えた?それはメアリーには初耳だった。人間界では そんな情報は入ってきていない。確かに、ここ数年で魔族が以前に増して人間界に姿を現し、干渉するようになったと教師は言っていた。そのせいで魔族による被害も増え、人間は頭を悩ませていた。政府機関が調査、研究に乗り出したが、その現因の解明には至っていなかった。
「でも、王子が消えたからって、どうして魔界が前より危険になるの?」
メアリーは首を傾げながら、ザッシュに問う。
「今の魔王が限界が近い。王子が魔王を継ぐ。だが王子はいない。魔族は王子を探し、殺気立っている」
「王子を探しに…?だから、魔族たちは人間界に頻繁に姿を現すようになったの?」
弾かれたように顔をあげたメアリー。ザッシュは相変わらず無表情だが、頷いてメアリーに返事をした。
メアリーはザッシュの瞳をじっと見つめるが、その目にはメアリーの言葉を拒否する色が見てとれた。
「でも…でも、行きたいのよ」
自らの声が震えている事には、気づいていた。握り締めた掌でさえ、力を込めすぎて白くなり、震えていた。
危険なんて、百も承知の上だ。魔界に行く。両親を迎えに行くと決めたその日から、メアリーは捨て身の覚悟だった。もとより、別れて悲しむ友などいない。求めるのは、温かな両親の笑顔、それだけだった。その唯一を奪われたメアリーには、恐怖などを感じている暇はない。あの笑顔を取り戻したい。その一念だけがメアリーの全てになっていたのだ。
「魔界なんて、魔族なんて怖くないわ。それに…」
決意を込めてザッシュを見上げるメアリーだったが、怒気を込めた瞳を ゆるりと和らげ、
「――――ザッシュが、私を助けてくれるんでしょう?」
(まあ、当然よね。あんたは私の使い魔だもの)という言葉は内に秘めて、メアリーはザッシュに微笑んだ。
「ぶっ……」
間近でメアリーの微笑みを直視したザッシュは、幾つか瞬きをした後、ぷしっ、と鼻から血液を吹き出した。筋の通った鼻は血の通りも良いらしく、止めどなく鮮血が滝の様に溢れ出る。
「魔族も、血は赤いのね…」
母の言いつけの、「女はおねだり上手であれ」を初めて実践してみたメアリーだったが、あまりに効きすぎたようで多少罪悪感を感じた。なので、ポケットにしまってあった白いハンカチをザッシュに差し出す。
「拭いて?」
差し出されたハンカチを見つめたまま、ザッシュは受けとる事もせず、止まる気配のない鼻血を流し続ける。
「どうしたの?」
一向に手を伸ばさないザッシュを不思議に思い、無理矢理手に持たせようか、それとも直接ねじ込んでやろうか、とメアリーが思案していると。
「いい…汚すのが、勿体ない」
鼻血を垂れ流したまま微動だにしなかったザッシュが、やっと口を開いた。どうやら、魔族の癖に些細なことを気にしていたらしい。
「何言ってるの。汚したって構わないわよ。なんだったら、そのハンカチはザッシュにあげる。だから遠慮なく使って?」
仕方ない、とため息混じりにメアリーが言うと、ザッシュは目を輝かせた。
「くれる…のか?」
「うん、あげるわ」
そっとハンカチを受け取り、今にも頬擦りしそうに うっとりと それを見つめるザッシュに、メアリーは ドン引きだったが、ハンカチに夢中なザッシュは、気づいていなかった。
「早く拭きなさいよ…」
受け取っておきながら、ハンカチを眺め続けるだけのザッシュに メアリーが耐えられなくなり、早く その血をどうにかしろ、と促すと。
「そうだったな」
と言うと、ザッシュは鼻に掌を サッとかざした。その手を下ろした後には、滝の様だった血は一瞬で止まり、ザッシュの衣服や地面に水溜まりをつくっていた おびただしい量の血は消えていた。
まるで、超凄腕のマジックを見せられたようで メアリーは目を見開いた。
「…便利ね」
それ以外に何も言葉が見つからなかった。しかし、ザッシュが 大切そうにハンカチを胸元に仕舞うのを見て、ハッと気づく。
「それ、使わなかったなら返して…もらわなくていいや。ザッシュにあげる…」
あげると言ったけれど、未使用なら返してもらおうか、と思って声をかけた。しかし、ザッシュがハンカチを仕舞い込んだ胸元を両手で掻き抱き、捨て犬の様な目でメアリーを見つめてきたので、メアリーは やはり ハンカチをあげることにした。
見た目二十代の美形な成人男性の乙女なポーズは、メアリーの 精神力を少し削いだ。
「…で?どうなの?魔界に連れていってくれるの?」
ハンカチを眺めて、匂いをかいで、やっぱり頬擦りして。思うがままにハンカチ(メアリーの私物)を堪能していたザッシュにメアリーが飛び蹴りを食らわせて。
正座を強いられたザッシュに、メアリーは上から睨みつけながら問う。
ザッシュは まだメアリーを魔界に連れて行くか否か考え込んでいる様子だったが、メアリーが退く気はない、と強気な態度でいると。
「…行っても、良い」
「本当?!」
やっと了承の返事が聞けた。と喜ぶと。
「しかし条件が、ある」
「条件?」
思いがけない言葉に、メアリーの表情が曇る。
「我の側を、離れるな」
ザッシュの真剣な眼差しに、メアリーは 無意識に息を飲んだ。これから自分が行こうとしているのは、人間の道理が通じない、全くの未知なる世界。常に危険を孕んでいるのだと、ザッシュの目が そう語っている。
メアリーは、ザッシュの頬に そっと手を伸ばした。突然のメアリーの行動に驚いたらしく、ザッシュは、わずかに体を硬くした。
「ザッシュ」
優しく名前を呼び、ザッシュの頬を両手で挟み込むように添える。その優しげな手にザッシュは安堵し、体の力を抜いて メアリーに身を任せた。
その瞬間。
「――――――――…っ?!!」
ザッシュの力が抜ける隙を狙っていたメアリーは、ザッシュの頬を思いっきり左右に引っ張った。声にならない悲鳴をあげたザッシュは、ヒリヒリと痛む頬をいたわるように撫でながら、メアリーを見上げた。
「ザッシュ、わかってる?あんたは私の使い魔なの。そして私はあんたのご主人様」
言葉の途中で、ザッシュと己を交互に指差しながら、メアリーは まるで子どもに言い聞かせるように ゆっくりと話す。
「だから、ね?側を離れるな じゃないでしょ?――――あんたが 私に ずっと付いて回ればいいの。離れる隙もないくらい、私の後ろに付き従っていなさい!」
びしっ、と指を突き付けられ、ザッシュは身を震わせた。恐怖からではない。歓喜から来る震えだった。
――――やはり メアリーは 素晴らしい。我が心を貫き、熱く震わせるのは、貴女だけだ。愛しき、我が君よ――――
ザッシュは、メアリーに方膝をつき、頭を垂れた。
「メアリーの思い、確かに 受け取った。君の、思うがままに…」
騎士の誓いのようなザッシュの言動に驚いたのは、他ならぬメアリーだった。離れるな、という言葉に、決意表明の つもりで啖呵を切ったのだ。ところが、予想外に ザッシュの反応が良すぎたため、どうして良いか分からなくなってしまった。
「う、うん。わかってもらえれば、いいの…」
ひきつった笑顔を浮かべるのが精一杯だったメアリーは、ザッシュが この上なく浮かれていることに気づいていなかった。
ザッシュの脳内では、メアリーの啖呵は、「私から離れないで。ずっとそばにいて」という 逆プロポーズに変換されていた。彼は今 幸せの絶頂にいた。メアリーの知らぬところで、未だに毛玉は量産され続けている。
後に この行き違いが元で、魔界のトラブルに 大いに巻き込まれていくことになるのを、メアリーは まだ知らなかった。




