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「という訳で、私を魔界に連れていきなさい」
腰に手を当てて、ふんぞり返るメアリー。母が以前から口を酸っぱくして言い聞かせてきた言葉、「男の躾は最初が肝心。ナメられたら終わりよ」を 踏まえて、彼女なりに威張ってみた次第である。
とは言っても、犬のザッシュは先程自分でぶん投げてしまったため、メアリーは大人しくお座りをしていた毛玉に向かって、ふんぞり返っていた。
当の毛玉は、偉そうに上から見下ろすメアリーを キラキラした目で見つめると。ほう…と感嘆の溜め息を漏らした。
“わあ…っ、そんなメアリーも素敵だね!命令口調って、女王様みたいで ぞくぞくしちゃう!ねえねえ、もう一回言って?”
興奮のために、毛玉の尻尾が高速に振られて、わずかにメアリーの髪をなびかせる。どうしてこうも、毛玉たちは 自分をイラつかせることが上手なのか。怒りをにじませた目で ジロリと毛玉を見下ろすと。
ぽん、という可愛い音と共に白い空間から飛び出してきたのは、またしても毛玉。しかし、この毛玉は そこにいる毛玉とは種類が違うらしい。
“ああ、堪りませんねえ。その氷のような冷たい目、その可憐な唇から発せられる有無を言わせぬ言葉。全てを拒絶する様な排他的な雰囲気!!やはりメアリーは素晴らしい女王様です。もっと、もっと僕をののしって下さい…”
あの男は、姿は見えないが やはりメアリーを見ているようだ。そして、新しいメアリーの一面を知り、どうにも辛抱堪らなくなったらしく、また新たな毛玉を生み出した様である。
(また、毛玉が…)
メアリーは、ちら、と新しい毛玉を見下ろす。この毛玉、メアリーが言いもしないのに伏せの体勢でメアリーを見つめている。その姿はまるで、主人に忠実に従う名犬のよう。
(でもこの毛玉…変態に違いないわね。残念ながら どうしようもない駄犬だわ…)
ハッハッハッ、と獣特有の呼吸は、興奮のせいかやたらと荒い。
“メアリー。貴方のその眼差しは、僕を魅了して離してくれません…どうか僕を踏んづけて、この犬畜生、とののしっていただけませんか?”
(勘弁してよね、もう)
高速の尻尾が二つに増えたせいで、帽子も吹き飛ぶ程に吹き付けてくる強い風は、やはりメアリーの神経を逆撫でさせた。
「ザッシュ!!人間の方!居るんでしょう?姿を現しなさい!」
正確には人間ではなく魔族だが、姿形が犬でなければ、もう何でも良い。メアリーは やけっぱちになっている自分を自覚はしていたが、もう毛玉はたくさんだった。人間と話がしたい。先程から、話が少しも進んでいないのだ。
きょろきょろと人間のザッシュを探すメアリーの後ろに、突然気配が生まれた。反射的に振り返ろうとしたメアリーを、誰かが後ろから抱きすくめた。
「わっ」
色気もなにもない声が漏れたが、後ろの人物…ザッシュは、ふっ、と微かに笑った。
「ザッシュなの?」
相手の顔を見ようと、腕の中でメアリーが頭を上げようとすると。
「…振り返るな」
手のひらで目隠しをされてしまった。低い、けれど美声とされるだろう その声は、メアリーの耳には馴染みがない声だった。
また新キャラか。と思案するが、この腕の感覚は覚えている。恐らく、この後ろにいる人物はザッシュのはずだが…?と疑問が浮かんだが、ふと メアリーは気付いた。
(そういえば、ザッシュ本人の声をちゃんと聞いたのは、初めてかも)
召喚の時、メアリーの呼び掛けに応えたのは こんな声だった気もするが。あの時は 色々と他の事に夢中で、どんな声だったか記憶が怪しい。そして最初に会った廃墟では、犬のザッシュが終始話をしていた。人間のザッシュが何か行動をすると、それに合わせて犬のザッシュが同時に話していた。まるで通訳の様だ、とメアリーは密かに思っていた。
その通訳無しで、やっと話せているらしい。こうなるまでに、どれ程の時間と気力を消費したのか。
またしても ふつふつと怒りが込み上げてくるメアリーだったが、ここは抑えなければ、と拳を握り締めて、何とか耐える。
「ザッシュ、しばらく私に毛玉は見せないように。あと、毛玉を通して私と会話するのは禁止します!」
強い口調で、ザッシュを威圧する様に言うと、メアリーを抱き締めていた腕が微かに震えた。
「形代が なければ…上手く、話せない」
なんだ、この魔族はコミュニケーションが苦手なのか。と考えながら、そういえば。と記憶を手繰り寄せる。いつだったか授業で魔族は群れるのを好まない、と教えれたか。他者との交わりが少ない故に、コミュニケーション能力が低いのかもしれない。
また面倒な、とメアリーは眉を寄せる。これから先、両親を探すために しばらくは行動を共にしなければならないのに。
ならば、先程の毛玉云々の発言を撤回しようか、とメアリーは思ったが。その瞬間、“もっと僕をののしって下さい!”という幻聴が聞こえた気がして、口をつぐんだ。
喧しい毛玉軍団を取るか、この会話能力が乏しいらしい男を取るか。
しばし考えていると。未だにメアリーの目をふさいだままだった手が するりとほどけて、メアリーの髪を一撫でした。
「…まあ、悩むまでもないかな」
どちらも面倒な事には変わりない。ならば、その面倒な相手が少ない方が良いに決まっている。
メアリーは、毛先で遊んでいる男の手を取り――手を取った瞬間、後ろで息を飲んだ様な音が聞こえたが、聞かなかったふりをして――異論は認めない、と言う意思を込め、強く手を握って。
「私を、魔界に連れて行きなさい」
最初の躾が肝心。その言葉を胸に、メアリーは、この駄犬を忠犬に躾なければ、と決意した。




