12
目を開けると、メアリーの身体は白い空間の中でふわふわと浮かんでいた。
一度見たことのある景色。どうやら、またザッシュはメアリーに伝えたいことがあるらしい。前回のファーストキスの時のように、今度もまた過去のけしからん記憶を呼び起こされるのだろうか。メアリーは胃が痛くなってきた。
“めありー、われ は あやまらなければ いけない こと が ある”
ザッシュの、いつになく落ち込んだような声が響いた。姿は見えない。
「…私に何を謝るの?」
正直、謝ってほしいことがたくさんありすぎる。召喚時の校舎破壊から始まって、セカンドキスを奪われたことと、追いかけ回されたこと。貞操の危機を感じさせられたこと等…上げたら切りがない。
メアリーから漂う不穏な空気を感じたのか、なかなか次を語ろうとしないザッシュ。
そこに、何もなかった空間から突然、ぽんっ と可愛らしい音と共に、黒い毛玉が一つ飛び出してきた。
(わっ…これも見たことある。このあと手足が生えて、ザッシュになるのよね…)
果たしてその通りに、毛玉はザッシュになった。
“だめだよー、ちゃんと言わなきゃ!!”
毛玉はザッシュになるやいなや、子供のような口調でザッシュを責め立てた。ややこしいので、毛玉から生まれたザッシュは毛玉と呼ぶことにしよう、メアリーは密かにあだ名を付けた。
「あのね、ちょっとお姉さん聞きたいことがあるんだけど…?」
メアリーが毛玉の目線に合わせるようにしゃがみこむと、毛玉は尻尾を扇風機のように振り回しながら、目を輝かせた。
“なあに?メアリーとお話しできるなんて、夢みたい!!なんでも聞いて!!”
(この毛玉、可愛すぎて家に持ち帰りたいくらいだわ…じゃなくて)
ここまで純粋な好意を向けられたら、誰であっても嬉しくなってしまうものだ。メアリーは頬が緩むのを感じながら、毛玉に問いかける。
「あなた、ザッシュにそっくりだけど、それはどうしてなの?」
毛玉たちの登場シーンからずっと思っていたことを、率直に疑問をぶつけてみる。すると毛玉は少しガッカリしたような顔をした。
“なあんだぁ。僕のスリーサイズでもしっぽの長さでも何でも教えちゃうのに、聞きたいことってそんなことなの…?メアリーだったら、何でも教えてあげちゃうよ?僕の一番大好きなおやつの隠し場所だって、教えちゃうのに…”
ショボン、と耳を垂れてしっぽをパタッとなげだして、いかにも寂しいと言いたげな毛玉。
見てくれは可愛いが、中身は少し鬱陶しいかもしれない。
(お持ち帰りなんてしたら、一日中しゃべりそうね。やっぱり毛玉はいらないかな…)
ふう、と知らずに溜め息が漏れる。
メアリーの微笑みが消えたのを感じた毛玉は、若干焦りながらも、質問に答えてくれた。
“あのねあのね、僕がザッシュにそっくりなのは、僕たちも形代だからだよ!”
「君たちも?え、じゃあなに?毛玉は皆形代で、君たち皆こちらの世界で誰かに犬として飼われてるの?」
毛玉は、ううん、と首をふった。
“僕たち、犬の姿をした形代はね、皆メアリーのためにつくられたんだよ。だから、他の誰かに飼われるなんてあり得ないんだよ!殺したくなっちゃうからね!!”
にこやかに話す毛玉とは逆に、メアリーは混乱していた。何故自分のために形代がつくられたのか。それも、さっき見た限りでは相当な数の形代がつくられたようだ。
一体、何の為に…?
“なんで?って思うよね?”
メアリーは、ハッと毛玉を見つめる。考え込んで、うつ向いていたようだ。しかし、自分の考えを見透かされたようで少し驚いてしまった。
“僕たち、ずっとずっとメアリーに会いたかったの”
メアリーをじっと見つめる毛玉。動物特有の黒目がちな目が、メアリーを熱っぽい目で見つめる。口調の幼さとは反対に、目には艶が感じられた。
メアリーは、思わず息をのむ。犬なのに、かすかに色気が漂っているのだ。フェロモンとでも言うべきか。
“ねえねえ、形代って何でできてるか知ってる?”
おどけた様子で話す毛玉。フェロモンはどこかに散らしたようだ。楽しそうな犬の目に戻っている。メアリーは、安堵の息を吐いた。短い間に、自分の肺はどれだけ酷使されているのだろう。そんなことを考えながら、メアリーは口を開いた。
「魔力でできているんでしょ?ザッシュは、形代は魔力のかたまりで、分身みたいなものだって言ってたわ」
“だいたい正解なんだけどね?実はちょーっと違うんだ”
ふふ、と楽しげな毛玉に、メアリーは首をかしげる。
“他の魔族がつくった形代はそうかもしれないよ。でも僕たちはね、魔力というより、気持ちのかたまりなの”
「…気持ち?」
今度こそ、メアリーはわからなくなった。ザッシュ本人から魔力のかたまりと聞いたのだ。それなのに、同じ形代だと言うこの毛玉は、形代は気持ちのかたまりだと言う。
「…ごめんね、私バカで落ちこぼれだから、どういう意味なのか分からないの」
ふと思い付いて、さんざん嘲笑われたあだ名を言ってみる。自虐ネタもいいところだ。
しかしそれに過敏に反応したのは、今まで無口を貫いて存在が希薄になっていた、ザッシュ、その人だった。
“めありー は おちこぼれ などでは ない!!”
ザッシュは、メアリーの落ちこぼれという言葉によほどご立腹らしい。怒鳴り声で空気がビリビリと震えるほどに。
“あのね、そのことなんだけど~…”
器用に前足で鼻先をポリポリとかく仕草をする毛玉。まるで、人間が気まずい時にするそれのように。
“…まて まだ いっては…”
先程の怒鳴り声とはうってかわって、弱ったような声のザッシュ。まだ姿は現さず、依然として声だけが白い空間に響いている。
“だって、言わなくちゃ!!僕たちのせいでメアリーが落ちこぼれなんて言われてるんだよ!?それに、さっき謝るって決めたじゃんっ!”
毛玉の必死な訴えが届いたのか、ザッシュは少し沈黙した後に、スウッとメアリーの前に姿を現した。
“…わかった だが われが めありー に つたえ”
“メアリー、ごめんねっ!!”
「えぇっ?」
ザッシュの言葉を遮って、頭を地面に打ち付けてしまいそうな勢いで、毛玉はメアリーに謝った。
自分で説得した癖に、自分で良い場面をぶち壊した毛玉。ザッシュのこめかみがひくついている。犬でも頭に血が上ると、ひくつくらしい。
“われ が つたえる と いっている のに…!”
全身の毛を逆立てて、唸り声をあげるザッシュ。完全に怒り心頭の様子である。
毛玉はまだ頭を下げているため、隣のザッシュに気がついていない。
なんだかもう、面倒くさい。
メアリーは並んだ二匹の犬に拳を降り下ろし、正座をさせた。犬にも正座ができたことにメアリーも内心意外な気持ちだったが、今はそれはスルーでいく。
「さっきから、話が全然進んでないでしょう。ザッシュ、いちいち怒らない!毛玉、ザッシュが話そうとしたのを邪魔しない!それに、私がなんで謝られたのかさっぱりわからないから。理由を簡潔に述べなさいっ!」
地面に伸びた二匹は、目に涙を浮かべながら、ぽつぽつと話始めた。
その内容は、メアリーを驚かせるには十分な話だったのだ。