11
これからどうしようか。
メアリーは膝に顎をつけて、ぼんやりと宙を見つめた。召喚には成功したらしい。それはこの手のひらのアザと変態と(偽)犬が証明してくれている。
おそらくこの召喚の代償として、学院は廃墟になってしまったけれど…。これは賠償しなきゃいるけないのだろうか、やはり。メアリーに学院を建て直すなど、到底無理なことだ。…もう考えるのはよそう。メアリーは現実逃避した。
学院はなくなったが、召喚はうまくいったのだ。当初の予定通り、あの変態には両親を探しだす手伝いをしてもらう。ゲートの向こうから両親の気配を探ってもらって、見つけ出したい。なんなら、自分がゲートの向こうに行ってもかまわない。一応メアリーは召喚主なのだ。あの男には主を守る義務がある。
しかし、両親を探すにしても、問題があった。
「あの男、どれくらいの力を持っているのかな…それに今一番問題なのは、あの興奮状態をどうやって鎮めるか、よね…」
男がどれほどの力を持っているのか、それはかなり大きな問題だ。メアリーの両親を無事に見つけ出せるかは、悔しいがあの男に全てかかっているのだ。そして仮に見つけ出せたとしても、人間二人を連れ出せる程のサイズと安定したゲートを作れる自信が、まだメアリーにはなかった。
だから、あの男の力を借りてこちらまで連れてきてほしいのだ。二人を無事に、こちらの世界まで。
目的は決まっている。ただ、手段がわからない。どうすれば自分の言うことを聞いてくれるのか。
(教科書には、召喚したものは主に忠実である、って書いてあったのに…全然忠実じゃないじゃない。忠実どころか、貞操の危機を感じさせられたわっ!!)
ザッシュのアレは確実にメアリーにトラウマを植え付けた。思い出すだけでも背筋がぞわぞわする。
だいたい、召喚されたものは召喚したものに逆らえないはずだ。召喚主の意向に従い、召喚主の意に反することはしない。…はずなのだ。
ところが、あれはどういうことだ。メアリーが嫌がっても、ぶん殴っても、それに従う様子はない。むしろメアリーが嫌がる度に興奮が増していた気もする。
何か事故があって、召喚が確実に成されなかったのか…?メアリーは長い溜め息をついた。今日だけで、どれほどの幸せが彼女から逃げていっただろうか。
ともかく。
「あの変態コンビ、私の言うこと聞いてくれるのかな…」
先行きが不安すぎる。そもそも、自分で召喚したものに追い回されて逃げ回っているなんて、なんて阿呆なんだろう。メアリーはこうして逃げて隠れている時間が果てしなく無駄に感じた。怒りさえわいてくる。
そうだ。私は召喚主なのだ。主が下手に出ていてどうする。あれらが自分に反抗するなら、反抗する気力がなくなるくらいぶちのめしてやればいい。
メアリーはけっこう短気で無茶をする。こうと思ったら突き進んでしまうのだ。よく母親に諭されていたが、メアリーを止める母親はここ何年も不在だった。そのせいか、メアリーの猪突猛進な性格に更に拍車がかかってしまっていた。学院で落ちこぼれと貶されてきたメアリーには、それをたしなめる友達も、教師もいなかった。
メアリーは自らがつくったバリケードを拳一突きで破壊し、まさに猪のような勢いで瓦礫の山から飛び出し、叫んだ。
「ザッシュー!!出てきなさい!!出てこないと(ピー)ちょんぎってやるー!」
メアリーの叫びが廃墟に響きわたった。拳を握りしめて、仁王立ちで周囲を見渡しても、動くものはない。
(どこに行ったの!?)
半ば血走った目でキョロキョロと変態コンビを探すが、見当たらない。こちらからわざわざ姿を現したのに…なぜいない。メアリーとしては、既に自分は見つかっていて、変態コンビは外から様子をうかがっているとみていた。仮にも契約したもの同士なのだから、召喚されたものは主の気配を常に察知していなければおかしい。
「ザッシュ…」
(あれだけ私を追いかけ回しておきながら、なんでちゃんと見つけてくれないの)
身勝手な言い分だと分かっていても、ついそんなことを考えてしまい、メアリーは頭をぶんぶんと左右に振る。
(私ったら、何変なこと考えているの!それじゃあまるで、ザッシュに見つけて欲しかったって言っているようなものじゃない)
ザッシュ(犬)にトラウマを植え付けられたばかりなのに、何を馬鹿なことを。メアリーは恥ずかしいやら何やらで、頬を真っ赤に染めた。なんだか無性に、自分で自分をぶん殴ってやりたくなった。そんなこと、痛いからやらないけれど。
メアリーがまだ赤く熱を持った頬を両手で押さえていると、突然ぎゅう、と後ろから抱き締められた。
やっときたか、と溜め息をつきながら、メアリーは身体にまわされた腕にギリギリと爪をたててやった。
“わがきみ さみしかった?”
足元でザッシュがくうん、と喉をならしながら上目遣いにこちらをのぞきこんでいる。興奮状態から脱したらしい。普通の犬になっている。
唐突に現れるザッシュと男に、メアリーはこいつら自由だなあ、と思った。前触れもなく、まるで最初からそこに居たかのように現れる。これも魔術か何かなのだろうか。それか、空間を渡っているとか。
男の腕に爪をたてながら、メアリーは先程までの怒りが霧散していったことに気がついた。あんなに自分の言うことを聞かないこの変態コンビにイラついていたというのに。迫り来る変態に恐怖したというのに。
この腕に抱き締められたら、そんな気持ちがふっとどこかに行ってしまった。なぜだか、暖かい気持ちになるのだ。そう言えば、召喚の度にこの暖かい何かを感じていた。召喚の際の緊張感とは真逆のその暖かさを、メアリーは違和感として感じていた。そして複数の気配を感じ、召喚は必ず失敗していた。
今、メアリーを抱き締めているこの腕にも同じ暖かさを感じる。まさか、この変態コンビがその召喚失敗に関係が…?
「ザッシュ、私、いつも召喚を失敗していたの。」
ザッシュの目をみながら語りかけると、ザッシュはじっとメアリーを見つめ返してきた。
言葉はなくとも、続きを促されているようで、メアリーは再び口を開く。
「ゲートを開くことはできるの。でもそのあとで、なぜかいつも失敗してしまうの。ゲートの向こうに、たくさん魔物の気配を感じているし、ゲートを通り抜けようとしたのか、爪とかヒゲとかはこちら側に来るの。でも、肝心の本体というか…魔物自体をこちらに喚べたことはないのよ。ねえ、どうしてだと思う?ザッシュは何かしらな…」
言いながら、メアリーは気づいた。ザッシュがキョロキョロと視線をさ迷わせ、もじもじして、どことなく恥ずかしげな様子なのだ。それに、この話が始まってから、いまだにメアリーを抱き締めていた男の腕が、ごくわずかにピクリと震えた。
(…おかしい)
明らかに動揺している。この変態コンビ、メアリーの召喚失敗について何か知っていそうである。
(もう少しつついてみよう)
メアリーは男とザッシュに注意を払いながら、更に話を続ける。
「そう言えば、こちらに落ちてきた爪とかヒゲって、ザッシュのに似ているのよね。サイズは全然違うけど、色とかそっくり」
ザッシュが目を泳がせて、しっぽをくるんと丸めた。メアリーの目には、実際には見えないはずのザッシュの額に浮かんだ、脂汗が見える気がする。男の方は、やはり理性があるせいか動揺を感じさせず、身動きもしない。
(あと一押しかな…?)
どうやら、何か知っているが、しらばっくれるつもりらしい。現に、要らないことまでしゃべり倒すザッシュが、口を縫い付けたようにだんまりを決め込んでいる。
このままカマをかけ続けても、話が進まないような気がする。そこでメアリーは一つ、賭けに出ることにした。
「あ、一回だけあったかも、成功したこと」
いかにも、今思い出したという体でメアリーは呟く。
その瞬間、ザッシュは目をぱちくりさせ、口をポカンと開けてメアリーを凝視している。そんなまさか、と言わんばかりのリアクション。男の方も驚いたのか、抱き締める腕に力が増した。痛いから止めて欲しいのだが。
「初めて成功したから嬉しくって。つい、抱き付いて…キスしちゃったんだ」
メアリーは自分の嘘にダメージを受けた。召喚が成功してもキスまではしないだろう。感動して抱きつくことはあるかもしれないが。それに、キスという単語を口にした時、自分のファーストキスの相手が犬という事実を思い出し、けっこうへこんだ。大ダメージだった。
しかし、身を削った作戦が功を奏したのか、変態コンビは動揺を隠せないようだ。
“そんな…ぬけがけ するやつは みんな けしたのに! !”
ザッシュは鼻にシワを寄せながら、耳をぴんと立て、毛を逆立てて低く唸り声を上げた。牙も剥き出しになっている。かなりご立腹のようだ。
それは少し置いておくとして、問題はこの男だ。メアリーを抱き締める腕が痛い。もはや締め上げるレベルだ。同時に後ろから首に吸い付いている。怖すぎる。
そして今、なぜか押し倒されてしまった。後ろ向きに抱き締められていたはずなのに、気づいたら一瞬で向かい合わせにされ、地面に横たわっていた。しかも毛布のようなふわふわしたものが下に敷いてある。これも魔術なのだろうか。一瞬すぎて、何が起こったのかわからず、固まってしまった。
その隙を逃さず、男がメアリーに覆い被さってくる。首筋にいくつもキスを落とし、吸い付く。
(まるで、マーキングだわ…)
自分にされていることを他人事のように思ってしまう。あまりの展開に頭がついていかない。
メアリーが正気を取り戻したのは、自分の胸元にまで唇が下りてきた時だった。
(これはまずい!どうしようっ)
男の頭を掴んで、嫌といっても、口付けが止むことはない。メアリーは何度めかの貞操の危機を感じた。しかも今回は本当にやばいことになってしまいそうだ。頼みの馬鹿力も、びくともしない。
メアリーは涙が溢れてきた。なんでこんなことになってしまったのだろう。なんとか服を脱がされないように抵抗してはいても、はだけた胸元は既に男がつけた印がいくつも散らばっている。
誰か、助けて。
メアリーはぎゅう、と固くまぶたを閉じて、助けを求めた。
その時、両方の手のひらが熱くなった。
(なに…?)
メアリーが驚いて目を見開くと、頭に、いくつもの声が響いてきた。
“あー!!いっけないんだ!メアリー泣かせてる!!”
“ちゅーしてるよ!羨ましすぎて殺したくなるね!、”
“抜け駆け禁止って言ったのに!”
“メアリー助けて、って言ってるよ!助けなきゃ!”
“うぅっ、我もメアリーをなめまわしたいっ…!”
“あわわ、メアリーの胸元、首筋…(じゅるり)。ともかく皆!”
““メアリーを助けろ。!!””
こんな時に空耳か?とメアリーが不思議に思っていると、空に虹色のゲートが出現した。場所は、メアリーと男がいるところの真上。
(あわわ、こんなところになんでゲートが!?)
慌てるメアリーに対し、今まで口付けを止めなかった男は後ろも見ずに舌打ちをして、メアリーを抱き込むと、そのまま横抱きにして跳びのいた。
その瞬間、どどどどどーーっ!!!とものすごい勢いで、大量の黒い毛玉がゲートから落ちてきた。
「わわ、何これ?何ごと!?」
毛玉が大量すぎて、メアリーの周囲は一気に黒い毛玉でいっぱいになってしまう。驚いたメアリーは、とっさに男の服の胸元をわしづかみ、顔を寄せた。
10や20ではきかない、100程の黒い毛玉に囲まれて、呆然とするメアリー。ちゃっかり男にお姫様抱っこされているのだが、毛玉に気をとられて全く気づいていない。
やがて、メアリーから一番近い位置にあった毛玉が、もぞもぞと動き始めた。
これに面食らったのはメアリーである。よもや、毛玉が生きているとは。
毛玉はもぞもぞと動き、ぽんっと可愛らしい音をたてたかと思うと、顔・耳・鼻・目・口・手足と毛玉から次々に体の一部が跳びだし、毛玉が変身していく。すると周りの毛玉も、もぞもぞとし始め、あっという間に、黒い毛並みの立派な犬に早変わりしてしまった。しかし、その犬はまるで…
「えっ、ええ?ザッシュ!?」
なんと、ゲートから落ちてきた毛玉が、瞬く間にザッシュになってしまったのだ。
メアリーはポカンと口を開けて、大量のザッシュを眺めた。なぜこんなにザッシュ。いや、ザッシュなのか?
全部目の前で起こったことなのに、メアリーは自分の目が信じられなかった。脳の処理能力を越えそうだ。
若干頭痛を感じたメアリーがこめかみを手で押さえると、男がメアリーの頭を撫でてきた。先程までの乱暴な行為が嘘だったかのように、優しい手つきだった。
何を今さら、とその手を払おうとすると、
“こら!その手を離せ!!”
怒りを含んだ声が男に浴びせられた。
(えっ?今、この毛玉ザッシュしゃべったの?やっぱり、ザッシュなの…?)
邪魔されたことに腹が立ったのか、苛立ちを隠さない目で男が毛玉ザッシュを睨む。
対する毛玉ザッシュは、そんなの屁でもないと言わんばかりに舌を出し、メアリーをそのつぶらな目で見つめた。
“メアリー、助けにきたよ!”
“メアリー、ずっとメアリーに会いたかったんだ!”
“実物可愛すぎるよ!なめまわしたいよ!”
“びっくりした顔もやっぱり可愛い!!”
“ねえ、大好きだよメアリー!”
“こっちみて!!今日のために毛並みを整えてたの!!”
怒濤のように押し寄せてくる毛玉ザッシュたち。しかも皆なぜか自分を知っていて、熱烈な愛の言葉を投げ掛けてくる。
メアリー、メアリー、と自分に押し寄せる毛玉ザッシュ。それを魔術をつかって片っ端から吹き飛ばす男。
メアリーは、脳内処理の限界を悟った。
“あ、メアリー!”
“気絶…し…た”
“ど…か…運ん…”
遠ざかる毛玉ザッシュたちの声を聞きながら、目が覚めたら変態コンビを召喚する前に戻りたい。と切実に願うメアリーだった。




