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夕食を終え屋敷中が寝静まった頃、里菜は寝付けずにいた。
この先の不安が緊張となり眠りを妨げていたのだ。
ベッドから降り、外の空気を吸おうと音を立てないようそっと窓を開け、暗い空を見上げながら思い切り息を吸い込む。
身体全体を使い、今度は息を大きく吐いた。
ふわりと少し冷たいが心地良い風が入って、どんよりした里菜の気持ちを少しばかり癒してくれる。
それが天に伝わったのか今度は空を覆っていた雲が去り、月光を里菜まで届ける。
この世界の空も同じなのね。自分の世界との共通点を見つけ自然と笑みを浮かべていた。
「リリエナ?」
ふいに名前を呼ばれピクリと肩を揺らす。
「驚かせてすまない、私だ、ヴァイツェンだ」
里菜の部屋は二階にあり、声の主はその窓の下の植え込みに居た。
月の柔らかい光が彼の麗しい姿を照らす。
「ヴァイツェン殿下ですか?どうしてそんな所に」
「うん、君が窓から顔を出さないか願っていたんだ、そしたら叶った。私は運がいい」
え、ストーカーみたいなんですけど。大丈夫かなこの人。
「眠れないかい?」
優しく問われる。
「はい、うまく寝付けなくて」
「王都に行くのは不安?」
正直に言っていいのかな、王子様に向かって失礼にならないかしら。
「本音を言ってくれリリエナ、私は君を守ると約束する。不安を取り除く努力もしよう。だが君が何を感じているのか分からなければ私は無力だ」
王子様が恥ずかしい台詞を言っているわ。
里菜は頬が紅く染まるのを自覚しながら、今が夜の薄明かりであることを感謝した。
「あの、不安です。でも王都だからとかではなく、漠然とこれからの事が分からなくて不安になります」
あれ、私すんなり本音言っちゃった。この人の事あまり知らないのに、どうして。
言われ慣れない言葉に流されたかしら。
「良かった」
「え?」
「王都が嫌ではないのだな、それに私の事も。であればその不安、私に預けてくれないか。リリエナ、貴女の剣と盾になると誓おう。私に付いてきて欲しい」
何やら恥ずかしい誓いのセリフを聞かされた気がしたが、何となく少しは信用してもいいのかな、なんて思った。
ま、まあ、どうせ行くしかなさそうだしね。
「分かりました。王都に行きます」
「ありがとう、さあ、もう寝た方がいい。風邪を引いてしまうよ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
窓を閉めベッドに潜ると、既に冷え切っていて身体がブルッと震えたが、心は不思議と軽かった。
翌朝、里菜は清々しい気分で朝を迎えていた。
昨夜あれからすぐ眠れたようで、寝覚めは良く、頭はスッキリしている。
午前中に出発するのよね、荷造りって言うか着替えとかどうしたらいいのだろう。
身ひとつで異世界に来てしまった里菜は当然無一文でもあった。
今更だけど、聞かなきゃいけない事柄は色々あったのにいっぱいいっぱいで、頭が回っていなかった。
呆然とする里菜だったが、朝の支度の為訪れたアリーに聞くと、準備は出来ていると言われた。
着替えも身の回りの日用品等も既に荷造り済みで、里菜は何もしなくても良いと言う。
そ、そうなんだ。いいのかな、こんなに至れり尽くせりな状態。
お礼を言うと、それが当然ですと言われた。
朝食も昼食も家族のみで食べ、出発の時間になると皆で見送ってくれた。
アリー達や厨房の人達も全員で、コックさん達から両手に乗るくらいの包みを渡された、クッキーらしい。嬉しい。
「殿下が無理を言うなら手紙を遣しなさい、いつでも迎えに行こう」
「可愛いリリエナ、身体に気をつけてね」
「はい、行ってきます」
エドワイドさんに見つけて貰って五年前の私はラッキーだったのね、本当の両親のように見送ってくれるのが擽ったくもあり、嬉しくもあった。
玄関前には馬車が停められており、荷物も既に載せられている。
そうよね、中世ヨーロッパみたいな世界観のここだと馬よね。
思ったよりかは大きいので、ゆったり過ごせるのを期待して馬車に向かう。
スッとヴァイツェンが左手を差し出してきたが、エスコートなんてされた事がない里菜は困惑し固まる。
「お手をどうぞ」
チラッと顔を見ると、楽しそうな笑顔を向けられた。
戸惑いながら右手を乗せると、馬車の扉まで導かれ、そのまま乗るよう誘導される。
ヴァイツェンは里菜を乗せ終えると、エドワイドに向き直り目線だけでお辞儀をした。
「ヴァイツェン・アークツルス・ピルスナの名に誓い、リリエナ・ドゥーベ嬢を必ずお守りする。しばしお預かりする、では」
宣誓し、馬車に乗り込むとすぐに動き出した。
「リリエナ、窓から見えるよ」
促されて窓に近づき覗き込むと、皆がこちらを見ていた。
たった一日だったのに、後ろ髪引かれる気持ちになるのは不思議だなと思う。
ここを出たらリリエナと名乗らないといけないのね、親しい人に愛称としてリナと呼ばせるのは大丈夫らしいけど、仲良くなれる人なんて出来るのかな。
小さくなっていくこの世界の私の家族。
もう一度小さく「行ってきます」と呟いた。
馬車の中は広い箱型で向かい合うように椅子があり、膝を突き合わせてもぶつかる事はなく、天井の高さも十分あって意外と居心地は良かった。
とはいえ、個室に男性と二人きりなんてと思っていたらオーガストさんも乗っていた。
いや、美形二人なんて緊張するけど……。
「王都まで二日あれば着く予定だ、窮屈な思いをさせるが我慢して欲しい。親密ではない者が二人きりだと良しとしない風潮があるのでな、むさ苦しいがオーガストを同席させる事を許して欲しい」
「あ、いえ、思ったより広いですし、椅子の座り心地も良いので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
むしろ目の保養だと思う、でも緊張はする。
気になるのは二日かかるって事かな、椅子はベルベット地で覆われクッションも良いけど馬車は馬車、道路事情でガタガタと揺れて長時間持ちそうに無いわ。
「そう言って貰うと助かるが、慣れないと酔ってしまうから気分が悪くなったら言うんだよ、途中休憩も取るから安心してくれ」
ヴァイツェンの気遣いに感動を覚え、職場の後輩女子に爪の垢を飲ませてやりたいわと思う里菜だった。
それまで微笑んでいたヴァイツェンが真顔になり姿勢を正した。
「リリエナ、これからの事だが。王都に着き次第、王城で国王に会って貰いたい。そしてそのまま城に留まってくれないか、部屋はもう用意してある」
意思の確認は取ってくれてるけど、今の私に頼れるのは目の前のこの人だけ。
この王子様はそれを踏まえて聞いてきてるのよね、返事は肯定しか出せないって分かって言ってる、ずるい。
「はい、お世話になります」
ヴァイツェンは返事に満足すると王都の様子だったり、城にある庭園が素晴らしい等色々話始めたので退屈しなかった。
王都アルナイルは大きな街で市場も広く、流通も盛んな為だいたいの物は手に入るらしい。
流行っている食べ物があり、薄く焼いた小麦粉生地にジャムやフルーツなどを包んだ物だそうで手軽さが平民に受けているそうだ。
クレープみたいな物かな?美味しそうと呟くと、時間が取れたら連れて行ってくれると約束してくれた。
会話が少し途切れたところでウトウトと眠気が訪れる。
「オーガスト、カーテンを」
それまで微動だにしなかったオーガストが窓のカーテンで車内を隠してくれた。
「おやすみ、リリエナ」
馬車の振動より睡魔が勝ち、素直に意識を深みに沈めた。
どの位経ったのか名前を呼ぶ声に覚醒を促され、身体の片側に何故か温もりを感じることに気付いた。
「目覚めたかい?休憩の時間だ、今お茶の準備をさせている」
ん?すぐ横から声が聞こえる、それに良い匂いがするのはなんでだろう。
ぼんやりとしながら目を開けて、それに気付いた瞬間全身の筋肉が動きを止めた。
ギギギと首を回し温もりの正体を見ると、笑顔のヴァイツェンと視線が合う。
「あ、あの」
「立てるかい?外に出よう、おいで」




