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「おおっ」
「さすがは聖女様だ」
「これが聖女様の力なのか、すごいな」
初めて見る聖女の力に皆呆けていたが、リンガルから喝が入れられる。
「油断するんじゃねえ!体制を立て直せ!」
散らばっていた騎士達が慌てて再度円陣を組み、その内側で里菜は池を睨み、祓いの力をすぐ発動できるように構えた。
「これは本当に魔王なのか?」
ヴァイツェンがポツリと呟いた。
「殿下、それは一体どういう事で?」
「うん、昔と違うんだ。五年前のあの日はこんなものじゃなかったからね、正直生温い、敵が仕掛けてきて皆が無事なんて事はありえないくらいに」
二人の会話に耳を傾けていた里菜は、その時、突然足元に不穏な気配を感じ見下ろした。
「リリエナどうし……」
『もう人は殺さないってリナと約束したからね、だからリナも約束守ってね、行こうね』
「へっ」
里菜の足に小動物くらいの黒い塊がしがみついて、それが喋ったのだ。
焦りながら祓いの力を発動しようとしたが、それより早くそれは里菜の足を掴み池の方へ飛んだ。
「あっ」
「リリエナっ!」
「聖女殿!」
ヴァイツェンが氷の矢を打とうとしたが、標的が小さく里菜に当たるのを恐れ踏みとどまった。
抵抗する間もなく、ドボンと池中へ消えて行くのを見送ってしまいヴァイツェンは歯噛みした。
「くそっ、やられた!リリエナっ、リリエナ!」
追いかけて池に入ろうとしたが、水面の揺らぎと共にまたしても魔獣がぞろぞろと這い出てきた。
「殿下、なりません。ひとまず様子を」
「しかし!」
「まずは目の前の敵を倒してからです!」
「くっ、リリエナ!必ず行くから待っていてくれ!」
ヴァイツェンは向かってくる複数の魔獣を睨みつけた。
気付けば暗闇の中で立っていた、目を閉じているのか開いているのかわからない程の真っ暗の中で泣き声が聞こえる。
どうしたの?
誰も僕のことを知らない
そう
皆僕のことがきらい
そうなの?
誰も僕のそばにいてくれない
「今はここに私がいるわ」
「やっと来てくれた」
右手に小さな手が触れてギュッと握ってきた。
ドキッとしたが危険な感じはしない、けれど暗闇で何も見えず誰がいるのかわからないことが里菜の心を揺らす。
「あなたは誰?」
「あ、そっか。人間はこれじゃ見えないんだった、よし、これで見える?」
それは暗闇の中にぼんやり浮かび上がり、やがて形を現した。
「え、カワウソ?」
そこにいたのは黒の短い毛に小さな耳と短い手足、つぶらな瞳で見上げながら後ろ足で立つカワウソだった。
真っ暗なのに自分の姿もその動物も何故かハッキリと見えているなんて、此処は一体どこなのかしら。
子供の手じゃなくカワウソの手だったのね、か、可愛い。
え、けど待って。私って魔王に引きづり込まれたのよね、このカワウソが魔王なのかしら。
まさかと思わずしゃがみ込んで目線を合わせてしまう。
「あなたが魔王なの?」
「かつて魔王と呼ばれていたものだよ」
肯定の返事に里菜は胃がキュッと縮んだ気がした。
やっぱりこのカワウソが魔王だったのね、何故その姿なのか聞きたいところではあるけれど、先に聞かなければならない事があるわ!
「じゃあ、何の約束をしたのか教えてくれるのよね」
見た目のせいか、緊張が解れ気安く話しかけてしまう。
「そうだっけ、でも、そんなのもうどうでもいい事だよね。だってリナはここにいる、ここにずっといるんだもん」
まるで小さな子供と話している気分ね、でも油断してはいけないわ。手を引こうとしても小さな柔らかな手に強く握られ振り払えないんだもの。
ここに来る事で約束を守ったというなら、それが約束だったのだろうか。
「いいえ、これで約束を守ったことになるのなら、もう私は帰るわ。手を離して」
「だめだよ!外はだめ!怖いことや嫌な事ばっかり。ここにいるのがいいよ」
さらに両手で握りしめてくる。
『あいつのせいで俺は……引き摺り下ろしてやる』
『やめて、あの人に近づかないで、あの女酷い目にあわせてやる』
『騙しやがって、憎い憎い憎い』
『消えてしまえばいいわ』
急に色んな憎悪の声が頭に響いてきて、思わず空いてる手で片耳を塞いだ。不快でたまらない。
「聞こえたでしょ、人間なんてくだらないよね。あ、でもリナは違うよ、君は特別だからここにいていいよ」
今のは一体何?恨みつらみの負の感情が渦巻いているようで、それは自分の指を掴んでいる小さな手から流れてきているように感じたのだけど。
戸惑うこちらの事などお構いなしにカワウソは喋り続ける。
「リナが思い出をくれたから、少しは人を信じてみてもいいと思ったんだ。だから、リナが戻るまでの間は大人しくしてたよ。でも、人間は変わらない。口では良い人のように言っても、本心では妬み、嫉み、僻みだらけだったよ。どんどん溢れたから制御しきれなかったくらい。でも、リナは違う。思い出の中にそんなものなかった、リナはキレイだ。君がいてくれるなら外の世界には何もしないよ、というかどうでもいいんだ。ここで二人でいようよ、ね!」
思い出をくれた、と言った。友人のような関係であったはずはない、としたらどういう意味なのかしら。
小さな手に、まるで縋るように力が入った。
「リナしかいらない。聞きたくない、もうイヤなんだ」
小さく呟かれた言葉にハッとした。
『もういや、みんな私に早く魔物を倒して魔王を殺せっていうの、私だって頑張ってるのに、そんなのもう聞きたくないよ』
ふと思い出した女の子の声、周りからのプレッシャーに耐えられなくなった時の私だ。
このカワウソ魔王は、その時の私みたいに苦しんでいるように見えるわ。
見た目だけはションボリしたカワウソだけれど、これは魔王なのよね。いえ、魔王と呼ばれていたと言っていた。
想像していた敵とは少し違うけど、すぐに逃げるべきなのかもしれないけど、ここで手を振り払って戻ってはいけない気がするの。
あの時、私は城を飛び出したんだっけ、それで、どこに?ダメだわ思い出せない。
どうやって城に帰ったのかしら。
やはり記憶を取り戻さないといけないわ、五年前に何があったのか。
何故記憶がないのか、何故魔王の影を倒したら少しずつ思い出すのか?
「ねえ、もしかして私の記憶、あなたが持っているのかしら?」
カワウソはキョトンと見上げてきた。
可愛い……。
「それも忘れちゃったの?ふうん、でも僕のせいじゃないよ、リナがしたことだもの」
「私が?」
「そうだよ。ああ、そういうことか。思い出と約束を忘れちゃったから、リナはここから出ようとするんだね。う~ん、でも返し方なんてわかんないや」
首を傾げるカワウソ魔王、可愛いいがすぎる。しかし、それで誤魔化されてはいけない、方法がわからないのであれば、やはり祓ってみるしかないのかな。
記憶は奪われたのではなく自分が渡したかもしれないなんて、でも、浄化させて欲しいって言ったらさせてくれるのかしら。
「あのね、ちょっと試したい事があるのだけど、やってみてもいい?」
「リナのお願いなら聞いてあげてもいいけど、ここにずっといてくれるのならいいよ」
やっぱりそうくるか、嘘をつく事はできないし、濁すのも危険な気がする。
今は、このカワウソ魔王からは危険を感じないけれど、この空間から出るまでは油断できない。
賭けになるけど、こうなったら一気に実力行使ね。
繋がれた手に祓いの力を集中させた。
「リナ?」
黒い世界が一瞬で白色に染まり、浄化されようとしたその時、カワウソの姿が揺らぎ真っ黒に染まった。
握られていた手がパッと離れ、それは大きく膨らみさっきの姿が嘘のように禍々しさを放っていた。
しまった、失敗した!
里菜は焦ったが、祓いの力が途中で止まらないようグッと堪える。
「ひどいよ、僕を消そうとするなんて‼︎」
光に抵抗するように腕が伸びて再び里菜を捕らえようと迫る。
この空間に逃げ場があるかわからないが、距離を取ろうと走り出したものの足首を掴まれ転んでしまった。
「あっ」
逃げられないと思った瞬間、ヴァイツェンの顔が脳裏に浮かんだ。
そっか、私、自分でどうにかしなきゃと強がってたけど、本心ではもう頼ってた。
こんな時に顔を思い出すなんて、もう認めてもいいのかもしれない、いや、もう認めよう。
「ヴァイツェン殿下!助けて!」
全身で叫んだ、届け、と願いながら。もう一度祓いの魔法に集中する。
世界が白く光り目を瞑った時、それは聞こえた。
「リリエナッ‼︎」
どこからともなく伸びてきた手に二の腕を掴まれ引っ張られた。
目を開けると先ほどの洞窟に戻っていた。勢いで地面に転がって、気付けばヴァイツェンの腕の中に抱き込まれていた。




