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澱んだ沼の奥に洞窟が見えている。
とうとうここまで来た、と里菜は仄暗い入口を見据えた。
予定では二日で着くはずが、自分が同行した事でヴァイツェン殿下が休憩を増やしてしまい四日かかってしまったのだ。
正直ありがたかったけど、足手まといになるのは嫌だ。
殿下の気遣いに甘えてはいけないわ、自分の事は自分でなんとかしなきゃね。
洞窟に入るには沼を周回し、入口の上まで行って脇を下るしかないが、見た所、そこまで高さはなさそうだし、これならひとりでも降りられる。
これ以上迷惑をかけちゃいけないわ。
「よし、大丈夫」
こういう事もあろうかと、今の里菜の服装はドレスではなく、隊服を女性用にアレンジしたパンツスタイルだ。
いざ、と騎士達に続いて斜面を下ろうとしたところ、背中と膝裏に何かがぶつかって、そのまま足が地面から浮き上がり、いつの間にかヴァイツェンにお姫様抱っこをされていた。
「まったく君は。こういう時は私に頼って欲しいものだね」
「ふぇっ、えっ」
見上げると、麗しいヴァイツェンの顔が近くに、本当に近くにあった。
驚いた里菜の顔を見たヴァイツェンがクスリと笑い、眉尻を下げた。
「動かないで」
囁くように言うと風魔法で体を浮かせ、ゆっくりと洞窟の入口まで移動し、静かに着地した。
力強く抱き上げられた里菜は、嬉しさと恥ずかしさで心の中で身悶える。
お、お姫様抱っこだなんて!正真正銘の王子様にお姫様抱っこされているなんて!
憧れはあったけど、こんなに恥ずかしいものだったのね。護衛の為に囲むように立っている騎士達が興味津々な目で見ているわ、あぁ、恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
すぐにその腕から降りようと四肢をバタつかせたが、逃れられない。離す気がないのかびくともしない。
「あの、ヴァイツェン殿下?」
「うん?」
「お、降ろして下さい!」
「うん、そうだね。ただ、その前に約束して欲しい。どうも君は誰かに頼るという事を知らないようだ、今みたいな時とか些細な事でもいい、私を頼ってほしい。この先は何があるかわからない、このままじゃ危なっかしくてこの腕を離せないよ」
そう言う彼は笑顔だが、目が笑っていない。
こ、これは約束するまで離して貰えないってことかしら。
頼れない。それは、里菜も自覚のある事だった。
四十歳まで独身、彼氏もなく、一人暮らしも長い。
若い頃なら少しは周りを頼っていたかもしれないが、気がつけば周りは年下ばかり、次第に誰かに頼るという事が出来なくなっていった。
自分でなんとかしなきゃと思っていると、案外出来てしまうのだから尚更誰かを頼ろうなど思う事すらなくなった。いや、頼ってはいけないんじゃないかと思っていた。
それは見た目が若返った今も変わらないけど、ヴァイツェン殿下に言われると、そうしてもいいのかもしれないと思えてくるから不思議ね。
「わ、わかりましたから降ろして下さい殿下」
「本当に?約束してくれる?」
「はいっ」
ゆっくりと自分の足が地面に降ろされた。
なんだか洞窟に入る前にトラップに引っかかった気分だわ、なぜ目の前の王子様はスッキリした表情をしているのかしら。
「さて、魔王はこの先にいると思うかい?」
今さっきまでの柔らかい雰囲気は消し去り、洞窟の奥を睨みつけながらヴァイツェンは聞いてきた。
里菜も気を取り直し、気配を探る。
「本体かどうかわかりませんが、濃い魔力を感じます」
いや、きっといる、私を待っている。
「そうか。リリエナ、君は……」
「行きますよ、殿下」
とにかく今は前進あるのみ。
「リリエナ、約束してくれ。無茶はしないと」
数歩踏み出した里菜の背中から、ヴァイツェンが静かに問いかけた。
「……はい」
微妙な返事になってしまったが、それ以上何も言ってこなかった。
「殿下方は私から離れぬように。居残り班も油断するなよ!朝になっても誰も出て来なかったら城へ戻れ。では出発する」
数人を残し、リンガル騎士団長の号令で慎重に隊列が動き出した。
洞窟内は奥へ行くほど狭く、高さはあるが幅はどんどん細くなり、とうとう人ひとり分の幅しかなくなった。
洞窟内は静かで、沼の汚泥のような臭いが充満しているが、魔物もアームすら現れない事が不気味である。
「簡単すぎる、まるで誘い込まれているようだ」
ヴァイツェンの言葉に隊列の足も止まる。
「森の中ですら邪魔になるような魔物がいなかった事を考えると、恐らくは」
リンガルが頷く。
そういえば、ここまで灰の森を通って来たのに弱い魔物しか現れなかったんだわ。
私は馬車に乗っていたから実感はなかったけど、本来この森は討伐隊が組まれる程危険な場所のはず、こんなにサクサク進んでいる訳がないのよ。
「殿下、御命令を」
リンガルが前進するかヴァイツェンに尋ねた。
「分かりやすくここにいる、と言っているのなら行こう。一度戻って策を練り直す方がいいのかもしれないが、敵の出方が読めないなら一緒だろう。それに、この狭い場所で背中を向けてはいけない気がする」
里菜も同感だった、この一番狭い所を抜けたら、いる、気がする。もう油断出来ない所まで来てしまっているのだ。
心配そうに振り返ったヴァイツェンに、力強く頷いてみせた。
「は、では」
再びリンガルを先頭に足を進めると、横穴などない一本道の奥に開けた場所があった。
リンガルは腕を上げて合図を出し、一度足を止めると、魔法で小さな炎をいくつか出して浮遊させ辺りを照らす。
広い空洞の更に奥には水面が見えたが、先に続く洞窟はなかった。
「我々が誘い込まれていた目的地は、恐らくここでしょう。探らせるので少しお待ちを」
リンガルが護衛対象二人を背後に隠すように立ったが、里菜には見えていた。
いる、水に見えているけどあそこに魔王はいるわ。
体に緊張が走り、唇をギュッと結ぶ。
「リリエナ?」
そんな彼女の様子がおかしいと感じたヴァイツェンが呼びかけたが、里菜はもうそれどころではなかった。
「私が行きます」
「聖女殿?」
「リリエナ!」
私は何かを約束してしまっている、敵の目的は確実に私なのよ、こんな事になったのも私のせいかもしれないじゃない、皆を危険に目に合わせたくないの、だったらもう自分が行くしかないわ。
怖い、怖くて仕方がない、けれども誰かの背に隠れて救いの手を求めるような自分はもういない。
長くおひとり様をしてしまった弊害かもしれないけど、今更だわ、ええいままよ!
リンガルが騎士達に探索を指示する前に、里菜の足は動いていた。
だが、その踏み出した右足が地面に着く前に背後から腕が回され、その勢いで蹈鞴を踏んだ。
「え、わっ」
「リリエナ、約束を破るなんて悪い子だね」
耳元で低い声が囁いた。
「ひぃ」
ヴァイツェンの左手は、背後から囲うように里菜の両肩に渡るようにして右肩をがっちり掴んでおり、右腕はお腹にまわされウエストあたりで締められている。
つまり、まったく逃げられない状態である。
「ね、リリエナ。君にとって私との約束は簡単に反故できる程度の価値しかないのかな?」
「そっ、そんな事は……」
怒ってる!
でも、不謹慎かもしれないけど、嬉しいとも思う。
元の世界でも、ちょっと大変な作業をしないといけなかった時に「手伝おうか」「無理しないで」と優しい言葉はかけられた事はあるけど、いざひとりでやってても誰も見ぬふりで、それ以上声をかけてくることはなかった。
もちろん命がかかるような職業でもなかったし、重みは違うかもしれない。
でも、本気で怒ってくれていることが、こんなにも胸をときめかせるなんて。
振り返りヴァイツェンの顔を覗くと、声とは真逆の心配そうな表情をしていた。
「ごめんなさい、そうね、約束したわ。もうしません」
そう言うと、ほっとしたような顔をした。
「うん、そうしてくれ」
腕が解かれ、飛び出そうとした理由を聞かれたので奥にある池から魔王の気配がする事を伝えると、また怒った表情になった。
騎士達が探索したが他に何もなかったので、ヴァイツェンと里菜を中心に外向きに円陣を組んだ状態で池に近づいてみる事にした。
そして前触れもなくその声は響いた。
『リナ以外はいらない。そいつらと遊んだら帰っていいよ、生きてたらね』
「えっ」
この声は魔王!どこにいるの!
聞き覚えのある声が聞こえ、里菜は左右を見渡し目を凝らしてみたが何もいなかった、ヴァイツェンや騎士達も同様で首を動かし辺りを警戒したが声の主は見当たらないようだ。
いや、何もいなかったはずだが、目指している池から黒い何かが次から次へと這い出てきていた。
「うわっ、団長!後ろにも現れました!」
後方を見ていた騎士が、先程自分達が通ってきた狭い通路からも同じようなものがこちらを見ている不気味なものを視界にとらえた。
「焦るな!陣を乱さず全力で戦え‼︎」
リンガルが号令をかけると同時に、敵も動き出し襲いかかってくる。それらを騎士達は剣を抜き薙ぎ払ってゆく。
「聖女殿は殿下と私の間から出られませんように」
「リリエナ、私の後ろから動かないように」
それぞれ言い聞かせるかのように言うと、飛びかかってくる黒いものを剣で斬り払った。
それは四つ足の狼や猪のような真っ黒いもやもやをまとった魔獣で、斬られても地面には倒れるが、首や足の一本がなくてもゆっくりと立ち上がってくる。
生き返ったの?いえ、違うわね、生き物じゃないから死なないんだわ。
皆が必死で戦っているのに敵の数は永遠に減らない、第三騎士隊の魔導師が防御と攻撃のサポートをしているけど、このままじゃ体力が削られていずれ……。ダメよ、そんな事させない!
「殿下っ、私にっ」
「リリエナ」
「はいっ」
肩越しに振り返ったヴァイツェンの澄んだブルーグリーンの瞳がふと緩んだ。
「君の力を借りたい、頼めるか。私の魔法では皆を巻き込んでしまうんだ」
「はいっ、任せて下さい」
ああ、わかってくれていたんだわ、一緒に戦うってことを。
胸に手を当て願う、この空間に行き渡る強い光を、私をちゃんと隣で歩かせてくれる大切なこの人を守りたい、ここで一生懸命戦っている人達を守りたい。
里菜を中心に白い光が四方に走り、唸る魔獣達を包み込むとそれらは泡のように消えていった。




