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「あぁ、誰も手が出せない場所に隠しておきたい、と思うのは私の我儘だろうか」
ヴァイツェンのしみじみとした呟きに、リンガル騎士団長は冷ややかな表情で咳払いをした。
「殿下」
「分かっている。そうだな、改めて我々には聖女が必要だと思い知らされた。リリエナ、聖女として魔王討伐に同行し後方支援をお願いしたい、もちろん護衛はつける。怪我人の治療をして欲しい、どうだろうか」
躊躇いがちなその願いに、里菜は心の中でため息をついた。
この人は、まだ分かっていなかったのね。
「それはお断りします」
「聖女殿!」
「え、そっ、そうか、分かった。君の意思は尊重する、安全な場所を用意しよう、そこで……」
「何を言ってるんですか、ヴァイツェン殿下。私は後方支援はお断りと言ったんです」
あ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、きっとこんな顔なのねと思いながら里菜は心に決めていた覚悟を吐き出した。
「殿下の隣で戦いたい、と言ったのをもうお忘れですか?」
「忘れてはいない、が、ダッ、ダメだ!それは、ダメだ。同じ轍は踏みたくない、きっと君はまた全身全霊で私たちを護ろうとするだろう。しかし、今度はさせない、二度も君を失えない。お願いだ、リリエナ」
ブルーグリーンの瞳が哀痛に歪み、彼の心の傷の大きさを物語った。
こんなに辛い顔をさせてしまっている、過去の私はこんなにも彼を苦しませていた。
ヴァイツェン殿下が、閉じ込めてまで私の安全を優先する理由は過去の私だったのかと、今更ながら里菜は己の迂闊さを痛感した。
全て思い出してはいない。でも、あの時は自分の事より大切な人を助ける事しか考えてなかった気がする。
今なら、今も同じ状況になったらそう思うのかしら。
この人の気持ちが楽になるなら意に添いたいと思う、けどそれじゃ駄目。
「私の意思を尊重して下さると仰ったではありませんか。それに、魔王の影は私を直接狙ってきました。魔王は私を見つけられるということでしょう?後方にいれば、そこにいる皆さんが危険です。だったら、もう最初から殿下と共に戦います。以前の私とは違います、無茶はしません。それに今の私って結構戦力になると思うので、どうぞ殿下は私の隣で安心して戦ってください!」
腕を組みドヤ顔で胸を張ってみせた。
ヴァイツェンは瞳を大きく開き、里菜を見つめる。薄く開いた口がはくはくと小さく動いたかと思ったら、体を小刻みに揺らした。
「プッ、クク。ふはっ、あはははは」
ヴァイツェンは目尻に涙を溜めて笑い、子供のような健やかな破顔を見せた。
「そうか、そう言うんだね」
そして、少し淋しそうな表情をする。
「以前とは違う……か。そうだな、あの頃のリリエナとは違うと私も感じてはいたんだ。今の君は私の為に無茶はしないということか」
ん?何かニュアンスが違う?
ヴァイツェンが小さく息を吐き、何か吹っ切れたような顔をした。
「こうなったら何としてもリリエナの記憶を取り戻したい」
「え?」
「成程、一緒に戦った方が道は早そうだ。では聖女様、魔王討伐の同行をお願いしよう。貴女のことは命のある限り私がお守りする」
ヴァイツェンが右手を差し出したので、里菜が思わずその手に自分の手を重ねると、そのまま指先にやわらかな唇が落とされた。
「ただ、これだけは約束して欲しい。危険だと感じたら引くこと、これだけは譲れない」
「わかりました、お約束します」
「ありがとう。明日、討伐に向けて対策を立てる、リリエナも参加してくれないか。君の意見も聞いておきたい」
里菜は唇を引き締め、頷いた。
「もちろんです」
それから、やはりそこが一番警護しやすいと王太子の部屋の隣へ戻され、ベッドに横になったものの、目が冴えてしまい寝返りを何度もしていた。
『以前とは違う……か』
そう呟くヴァイツェンを思い出す。
中身は四十歳のいい大人だもの、彼が知ってる頃の子供の私とは違う。
里菜はそういう意味で言ったつもりだったけれど、ヴァイツェンは違う意味で受け取ったようだった。
『今の君は私の為に無茶はしないということか』
そんなこと……。
殿下の事は好き、だと思う。そんなことないとその場で言いたかったけど、十六歳の時の気持ちと今の気持ちが一緒かどうか、記憶が欠けている里菜には自信がない、軽々しく言葉には出来なかった。
だけど一緒に戦う、それだけはもう決めてある。気持ちを少し置いてけぼりにして、里菜は腹を括っていた。
このタイミングで魔法に関する記憶が戻っているんだもの、何となく戦い方もわかる今、自分だけ逃げようとは思わない。
でも、戦いが終わったら、私はどうなるのだろう。また忘れて、元の世界に戻るのかしら。
それは、やだなぁ。
ついこの間までは戻りたくて仕方なかったのに、今ではそれが怖いと思う。
どうして自分が元の世界に戻っていたのか、なぜ記憶が消えているのかまだ分かっていない事が不安でたまらない。
そんな事ばかり考えているせいで眠気が一向にやって来ず、ため息ひとつ吐いて身体を起こした。
カーテンの隙間から乳白色の柔らかな光が差し込んでいる事に気付き、外の様子を見ようとベッドから降りてカーテンを開くと、大きな月が煌々と夜の闇を照らしていた。
「出ちゃいけないと言われてるけど、少しだけ」
そしてその月に誘われたかのようにバルコニーへ出る扉を開けた。
狙われやすいバルコニーには出ないようにとリンガル騎士団長から言われていたが、こちらの世界は空気が澄んでいるのか、月の光がとても清浄でバルコニーを優美に魅せており、その誘いには抗えなかった。
髪を揺らす夜風も心地よく、胸いっぱいに吸い込み夜空を見上げた。
そもそもヴァイツェン殿下と私はどんな間柄だったのかしら、十代だしその頃の私は恋だの愛だのなんて考えてなかった気がする。
「あの頃の私達って両想いだったのかしらね」
月に向かってため息と一緒に呟く。
「あの頃も今も片想いのままだよ」
「殿下?」
背後から聞こえた声に振り向くと、やはりヴァイツェンが片眉を上げて近づいて来た。
いつの間にそこにいたのかしら、このストーカーっぽい現れ方にはまだ慣れないわね。
「やっぱり出てきたね、部屋の中にいるようにと言わなかったかな?」
里菜の行動を読んでいたような言い方だが、毎回絶妙なタイミングで現れるのは何故だろうか。
「どうしてここに。あ、いえ、ごめんなさい」
「いや、君が夜空を好んでいるのは承知している。そしてそんな君を守るのは私の勤め、というのは言い訳で。ここにいたのは君に会えるかもしれないという下心からだ」
堂々とストーカー宣言しているわ、この王子様。
「何を言ってるんですか。殿下は、前の私と違う事にがっかりしたのでしょう?」
「私はずっとリリエナ、君を守りたい、守らなければと思っていた。大切だったが気持ちを伝えたことはなかったから、リリエナがどう思っていたかは分からない。今は、そうだな、会っていなかった間に君を強くしてしまった何かに嫉妬しているという感じだ」
「嫉妬?ですか」
「そう、離れていた五年の間に君はとても強く、そして美しくなった。その成長過程の中に私がいない事に憤りを感じているんだよ。ただ、私もあの頃のままではない、守るだけでは私に落ちてくれなさそうだから口説くことにしたよ」
ブルーグリーンの美しい瞳が熱っぽくしっかりと里菜を捉えている。
それは今はいない騎士を思い起こさせ、足が勝手に一歩下がってしまう。
「大丈夫、闇には染まっていないよ。けれどこれからは全力で君を手に入れに行く、それを伝えに来た。お願いだ、私を好きになって欲しい」
その真剣な眼差しに数秒間見つめ合ってしまった。
もう好きになってる!とは口に出せず、心臓が跳ね上がり腰が抜けそうになるのをグッと堪え踵を返した。
恋愛への免疫が皆無の里菜には、もうどうしたらいいのか分からない。
「へっ、部屋に戻ります!」
その瞬間、手を取られ足を止める。
気付いた時には指先に口付けされていた。
「おやすみ、良い夢を」
美麗な極上の笑みを残し、ヴァイツェンは魔法でどこかに飛んで行ってしまった。
「イケメン、ヤバい……」
里菜はとうとう崩れ落ちたのだった。
逃げるように自分の箱庭までやって来たヴァイツェンは、中央の噴水に腰掛け、フゥとため息を吐いた。
「少しは、この気持ち伝わっただろうか」
あんな風に熱く見つめ合ったのは、初めてかもしれない。
先程の情景を思い出すと、頬が熱くなるのを止められず、急に羞恥に悶えるヴァイツェンだったが、ふと我に返った。
里菜の部屋とこの箱庭はかなり離れているのだ。
「つい離れすぎたか、いや、だが、少し頭を冷やしてから戻ろう」
夜空を仰ぎ、瞼を閉じた。




