23
どれ程眠ったのだろうか、名前を呼ばれた気がして目が覚めた。
寝室の扉の向こうから大きな声が聞こえる。
「ここにいるのだろう!彼女は、リリエナは無事なのか、答えろ!」
この声はヴァイツェン殿下?
「大声を出さないで下さい、殿下。貴方も病み上がりでしょう、落ち着いて下さい」
淡々とレイニードが答えている。
「いいから答えろ!城の中のどこにもいない。ソニアスのところでもなかった。ここしか考えられない、リリエナに会わせてくれ」
城に戻って来たのね。
里菜はベッドから飛び降り、扉の前まで裸足で駆け寄る。
私も、私も会いたい、殿下の無事をこの目で確かめたい。
ドアノブに手を掛けようとしたが、レイニードの声が聞こえ手を止めた。
「落ち着かれよ、我が妹は眠っております。目覚めれば知らせますので、今はお引き取りを」
レイニードは王太子相手でも淡々としている。
「眠っている?どこか怪我でもしているのか?」
ヴァイツェンはなかなか引き下がらなかった。
扉ひとつ向こうで里菜が聞いているとは思ってはいないのだろう、普段は見せないオロオロした感情が声に出ている。
「ただの疲労です。ここに連れて来た時には疲れ切っておりましたので寝かせました。これ以上騒いで妹の休息を妨げないでいただきたい。リンガル騎士団長、早く殿下を連れて行ってください」
どうやらリンガル騎士団長も一緒にいるようだ。何度か押し問答をしたが結局諦めたのか、出直すと言っているのが聞こえた。
パタンと扉が閉まると、レイニードの大きなため息がひとつ。
「まったく、好きな女ひとり守れないとは。これではリナを任せられんな」
しみじみと、それは本心から妹を心配する兄の言葉のように聞こえた。
里菜は赤の他人で、しかも異世界人だ。形ばかりの妹なのに気に掛けてくれている。
そうだ、そうだった。レイニード兄さまはいつも優しくていつでも本当の家族のように接してくれていた。
この世界で自分はひとりだと感じていたけれど、戻ってきた思い出は温かいものだった。
里菜はドアノブに掛けた手に力を込めた。
王太子殿下を追い出しながら、こんな事なら最初から最大限の権限を使い妹を自分の手元に置けば良かったと、今更ながらレイニードは思う。
聖女に関しては王太子が指揮をとっている、そのヴァイツェン殿下は聖女であるリナを大事にしているからとレイニードは口出しをしなかったのだ。
全身全霊で守るだろうと思ったが、過信だったようだ。
盲目のあまり籠に閉じ込めようとし、そのせいでリナを危険に晒し、己の油断で自身も死にかけたところを逆にリナに助けられるとは愚の骨頂。
レイニードはソファに腰を落とすと怒りに任せ飲みかけのワインを呷った。
もう一杯飲もうとボトルに手を伸ばした時、里菜が奥の扉から顔を出した。
「あの、レイニードお兄様」
「リナ、起きていたのか。ああ、あの騒がしさでは仕方ないか、まったく殿下には困ったものだ。まだ時間はある、もう少し寝ていなさい」
微笑みながらベッドへ戻る事を促す。
「あ……」
「うん?」
何か言いたげにもじもじとする妹の顔をレイニードは覗き込む。
「あ、ありがとうございます。それと心配かけてごめんなさい」
レイニードはキョトンとした後、独り言を聞かれていたのだなと気付き苦笑する。
「妹を心配するのは当然だ。それよりお前はアレでいいのか?」
もちろんアレとはヴァイツェンの事だ。
里菜は顔を赤くし、あたふたとする。
「なんだ、いいのか」
その様子で満更でもないとレイニードも理解したが、危険にさらされた事については見逃せない。
縁あってドゥーベ家の一員となったのだから、自分にとっては可愛い妹だ。再び現れた時、王太子というやっかいな相手がいなければ自分が囲って甘やかしてやりたかった程だ。
「ひとつ聞いておきたい。魔王討伐に行けばもっと危険な目に遭うだろう。ただ、聖女であろうと危ない事から遠ざかる事は出来るはずだ。とやかく言う奴等もいるだろうが、逃げてもいいと僕は思っているし、その権利はお前にある。僕の元へ来るなら僕は全力で守るよ。どうだ?」
レイニードは真剣な眼差しで見つめる。
それを受け止め、里菜は目をぱちくりとさせ、ふふっと頬を緩ませた。
「心配してくれてありがとうございます。でも、今のままでいいんです。私に出来る事があるのにやらなかったら後悔すると思うんです。それは嫌だから」
こんな顔をする子だっただろうか、レイニードの記憶の中にいるリナは笑顔でどこかふわふわしていて、こんな強い意志を感じる事は無かった。
だが、目の前の金の瞳には強い光が揺らめいている。
変わったな……成長したというべきか。
「そうか、わかった。夜明けにはまだ早い、もう少し休みなさい。明日は殿下の元へ送り届けよう」
「はい、おやすみなさい」
里菜は寝室に戻って行った。
レイニードはソファに身体を沈ませ、右手で顔を覆うとククッと笑った。
「強い娘だ、僕が欲しいくらいに」
ボソリと呟いた。
酔いたい気分になりワインのボトルに手を伸ばし、いつもより多くグラスに注いだ。
翌朝、約束通りレイニードがヴァイツェンの部屋まで里菜を送り届けてくれた。
あれほどボロボロだった部屋がすっかり元通りになっていた事に驚き、ぽかんとしていた里菜はいつの間にか逞しい腕と胸にギュウギュウ抱きしめてられていた。
「無事だったか、良かった」
挨拶を交わす間も無くヴァイツェンの胸に引き寄せられ、その腕で肺が押し潰されそうなくらい容赦の無い力で締められてしまっていた。
身じろぐ事も出来ず、窒息寸前で喘ぐ。
「あ、あのっ。も……少し、ちか……らを」
やばい、本気で息が出来ない……。しかも、視界が暗くなって……。
「殿下!聖女殿を殺す気ですか⁉︎」
失神寸前でやっと里菜とヴァイツェンを引き剥がしてくれたのはリンガル騎士団長だ。
フラつく身体を支えられてソファに座った。
「すっ、すまない。やっと会えたと思ったら加減が出来なくなってしまった」
「はぁ、いっ、いえ。あの、お身体はもう大丈夫なのですか?」
「ああ、大丈夫だ。そうだ、まずその事で君には礼を言わなければ。毒に倒れ死の淵にいた所を助けられたと聞いた。ありがとう、君を守るつもりが逆になってしまった。本当に……すまない」
もしもヴァイツェンに耳と尻尾があれば間違いなくペチャッと垂れているだろう、意気消沈し肩を落としている。
初めて見るその様子に、里菜は胸にふわっと温かい何かが溢れ擽られるのを感じた。
可愛い……。
いつも優しくて、格好良い王子様な人がこんなあからさまに落ち込んでいるなんて。
格好良くて可愛いなんて……ずるい。
毒消しをした後、オーガストさんに会ってしまった事、壊れた執務室、大胆な自分の行動と色々相まって、後ろめたさで彼が目覚める前に城に帰ってしまったから本当に助けられたか少し自信が持てなかったけど。無事で、本当に良かった。
昨夜の訪問で元気そうな声は聞いていたが、こうやって動いている姿を実際に見て、やっと里菜は心から安心できた。
ほっとしながらぼんやりと他に怪我がないか視線を流していると、ヴァイツェンは跪き、綺麗なブルーグリーンの瞳を近づけてきた。
「リリエナ、君を守ると誓っておきながら私が不甲斐ないばかりに魔王を近づけてしまった。呆れてもいい、蔑んでくれてもいい。だが、此処に、私の傍に、頼りないと思うかもしれないが、どうかこれからも私に守らせて欲しい」
最後は祈るように告げられ、里菜の胸も苦しくなる。
私だって傍にいたい、でも先に遠ざけたのは貴方でしょ。
魔力を封じられたまま軟禁されるなんて、もう二度とごめんだわ。
里菜は怒っていた。
レイニードがオーガストの牢を開け、オーガストは危険を冒して首輪を外しに来た。
本当はヴァイツェンが出発する頃には意識はあったはず。それなのに、あえて首輪を外させなかったのだ、この王太子殿下は。
私の気持ちも聞かず、勝手に決めて、置いて行ったのよ。
それに気付いた時、悲しくて淋しくて腹が立った。
だから、それを分かって貰わないと、私だって……守りたいのよ。
膝の上で丸めた手にぎゅっと力を込める。
「約束……」
「うん?」
「約束して下さい。傍にいて、守ってくれると言うなら、もう置いて行かないで……。私は聖女です、守られるだけじゃない。殿下の隣で一緒に戦いたい、だから今度からは一緒に連れて行って、……欲しいです」
ヴァイツェンの目が大きく見開いた。
置いて行かないで、なんて子供みたいだと途中から恥ずかしくなって、語尾も弱くなってしまったが、この世界に来てこんな風に自分の意志を伝えたのは初めてだった。
俯いてしまった里菜の手に、ヴァイツェンの大きな手が包み込むように触れた。
「うん、わかった。そうだね、リリエナは私が思うより強かったんだな、今まですまない。君がそう言うなら、次は連れて行く。私の隣で一緒に戦ってくれるかい?」
「はい!」
朝食を一緒にどうかと聞かれ里菜が頷くと、ヴァイツェンは待っていてくれと言いながら部屋から出て行ってしまった。
執務室には護衛としてリンガル騎士団長が残り、長めの沈黙が続いている。
この人は少し苦手かも。
何がというと、初対面の時から嫌われているような気がして、態度というか、自分を見る視線が冷ややかなのだ。
もしや昔の私が何かしてしまったのかしら、と考えても心当たりなど思い付かない。
「……」
「……」
「……聖女殿」
「はっ、はい」
突然話しかけられて返事が裏返ってしまう。
「殿下の命を救って下さり、感謝申し上げる」
「え、いえ」
ちらりとリンガルの方を見ると、いつもより幾分か柔らかな瞳が自分を見ていた。
「貴女は本来の聖女の力を使えないのではと、無礼にもそう思っておりました」
抑揚の無い、低い声が告げる。
使えないって思われてたから見下されてたの?
「ですが、あの時眩い光に包まれた貴女は正しく聖女であられた。清浄な光で殿下を救う様はとても尊く、頼もしくもあった」
下げて上げられ、急な賛辞にリリエナは戸惑う。
「そ、そんな」
「そして先程、貴女は仰られた。殿下と共に戦うと、我らの希望の光になると」
そんな大層な事を言ったつもりは無かったが、否定できる雰囲気でもない。
「騎士団長リンガルの名において騎士団は貴女をお守りする。殿下と等しく、お守りする事をお約束しよう」
リンガルは右手を胸に当て、会釈程度に頭を下げた。




