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これは……元の世界に戻される直前かしら、もう声も出せず指一本動かせなかったあの時だ。
完全には倒せなかったんだっけ、けれど魔王も動けなくなっていてホッとしたんだわ。
でも同時にこれで死ぬのかもと悲しい気持ちになった。
死ぬ事が悲しいのではなく、もう会えなくなると思ったらすごく辛かった事を思い出した。
ああ、そうか、この時には殿下に対して特別な感情があったのね。
そして今も。
「私、殿下の事好きなんだ」
今の里菜の感情と、あの時の里菜の感情が記憶と共に繋がり自然と口から漏れていた。
オーガストはそれを聞き逃さず、パッと里菜に振り向き、意外なことに微笑んだ。
「ようやくお認めになりましたね」
「え、わ、私口に出してた?」
「はい。私には分かっておりましたが、どうかそのお気持ちを殿下に伝えてください」
オーガストは爽やかにそう言った。
「は、え?」
つ、伝えるっ?て好きって事を?いや、そんなっ、無理っ。
恥ずかしそうに俯く里菜をオーガストは眩しそうに見つめ軽くため息をつく。
「リリエナ様の御心が殿下にあるのは承知しておりました。殿下もリリエナ様を大切に想われておられます、籠に閉じ込める程に。お気持ちを知れば殿下も安心されるでしょう」
オーガストは恭しく跪くと里菜のドレスの裾を手に取り唇を寄せた。
「もうお会いする事はないでしょう、幸せを願っております」
それだけ言うと立ち上がり、刹那苦しげな表情で里菜を見つめ身を翻して窓があったであろう所から外へと姿を消した。
「あ、オーガストさんッ」
声を掛けたが止まってくれず、外を覗き込んだがもうどこにもその姿はなかった。
たとえ立ち止まってくれたとしても里菜には掛ける言葉はなかったが、別離の言葉くらい交わしたかったと思うのだった。
オーガストが姿を消してすぐに扉の外からバタバタと靴音が近付き、部屋の前で止まった。
「リナ!……リナいるのか!無……事か!」
ドンドンと扉を叩きながらソニアスが呼びかけてきたが、その声はいつもと違い覇気がなかった。
「ソニアス様、ご無理は……」
もう一人別の声がソニアスを気遣っている。
ソニアスにも何かが起こったのだろうが、自分を心配して来てくれたようだ。
無事を知らせようと扉へ向かおうとした時、ゾクンッと背筋が震えて足が止められた。
何、急に嫌な感じが……。
気付くと目の前をヴァイツェンの魔力のカケラが浮遊し点滅している。
「殿下?」
確信がある訳ではなかったが、ヴァイツェンの身に危険が迫っていると里菜は直感的に感じた。
「殿下!何があったの。どうしたら、どこにいるの!」
里菜は焦りでオロオロするだけだった。
危険だけ察知出来ても対処法が分からなければ意味がない、自分の不甲斐なさに落胆していると、返事がない事に焦れたソニアスがいつの間にか入って来ていた。
後ろに魔導師が数人見える。
「落ち着、け……はぁ。魔力の気配を追え」
「え」
「殿下の魔力の気配を辿れと言ってるんだ……ぅ」
顔を歪め、よろめきながらも助言をするソニアスを魔導師達が慌てて身体を支える。
「リナの魔力量なら、そのまま、飛べるはずだ。……俺が、サポートする。行け」
ぶわっとソニアスから魔力を浴びせられて一瞬怯んだが、すぐに体勢を立て直し集中する。
魔力を辿る……、そのやり方は既に思い出していた、里菜は目の前の点滅を続ける魔力のカケラに願う。
「お願い、私を殿下の所に連れてって」
ヴァイツェンの残した魔力が里菜の周りで渦巻き、彼女ごと消えた。
王都と城の結界はソニアス一人の魔力で保っており、常に繋がっている。
破られた衝撃を受け意識を保つのもやっとの状態だが、里菜に対して責任を感じているソニアスは守らねばならないと、意地だけでここまでやって来ていたのだ。
そして里菜が転移魔法で姿を消したのを見届け、ソニアスはギリギリで保っていた意識を手放した。
少し時を遡り、ヴァイツェン率いる討伐隊は東の森を出て帰路についていた。
リンガルはヴァイツェンの横を馬の頭ひとつ分後ろを警戒しながら進んでおり、このまま無事に城に到着するのをただただ願っていた。
だが、それは叶わなかった。
騎乗しているヴァイツェンの身体が不自然に揺れ出し、ぐらりと崩れたのだ。
「殿下!」
リンガルは咄嗟に馬を飛び降り、すんでの所でその身体を受け止める事に成功したが、抱き留めたヴァイツェンの顔を覗き込んだ途端青褪めた。
その顔は青白く、頬の傷は漆黒色になっており既に意識は無かった。
「ヴァイツェン殿下ッ!クソ!」
魔王の影が放ったものは毒か闇の呪いか、とにかくヴァイツェンの身体の深い所まで入り込んでしまっているように見えた。
リンガルはすぐに同行していた魔導師の一人を呼んだ。
「これは……、闇の毒が身体を巡っているようです。聖女殿のようにはいきませんが、ともかくやってみましょう」
今回の討伐には魔導師は少なからず癒しの魔法が使える者を選別している、呼ばれた魔導師はその中でも一番の使い手であったが、ヴァイツェンの顔にいくばかりか赤みが戻っただけで、闇を祓うところまでいかなかった。
「やはり難しいですね、私の力では悪化を防ぐ事しか出来そうにありません。やはり聖女様に……」
リンガルはそんな事は分かっているとばかりに苛立ちを隠さずに返事を返した。
「ああ、そうだな」
こうなったら自分が殿下を抱えて城まで馬を走らせるしかないか。
考えてる時間はないと、ヴァイツェンを抱き上げようと腕に力を込めたその時、心地良い風と共に辺りを照らすような光がリンガルの目の前に現れた。
咄嗟に身構えたが、光の中から現れたのが聖女だと気付いた。
光に包まれた彼女に、その場の一同は尊い存在を見たと言わんばかりに眩しそうな顔をし、膝を折った。
「聖女……殿」
リンガルでさえ頭を垂れてしまいそうになる程に神々しく登場した里菜だったが、 本人はそんなつもりは露ほども無く、仰々しい出迎えにギョッとする。
が、ぐったりとしたヴァイツェンを見つけると慌てて駆け寄った。
「でっ、殿下!な、何が……どうして」
傍に膝をつきヴァイツェンの顔を覗き込んでから、説明を求めるようにリンガルに顔を向けた。
リンガルはその華奢な首から魔力封じの首輪がなくなっているのに気付いた。
首輪さえ外れていれば何とかなると踏んでいたのだが、まさか転移魔法でこの場に聖女が来るとは。思った以上の成果であり、己の考えが間違っていなかったと証明され安堵する。
「何があったんですか?」
里菜の問いかけに驚いたままのリンガルはハッとし、苦々しい顔をする。
「は、森の奥の沼に魔王の影が現れ、討伐の際に反撃で傷を受けました。毒があったようで……かすり傷と油断しておりこのような事に。聖女殿、どうかお力をお貸しください」
リンガルは騎士として己の油断を恥ながらもがっしりとした体躯を折り曲げ、頭を垂れた。
毒と聞いて里菜の顔がこわばった。
ヴァイツェンの顔の傷から禍々しい気配が漂っており、その頬は血の気が感じられない程蒼白している。
そっと包み込むように両手をそえるとひやりと冷たささえ感じる程に体温が低く、危険な状態だとわかる。
このままだと死んでしまう!
嫌だわ、あんな顔も見ずに別れたまま、それっきりなんて。
「駄目よ、絶対死なせないわ!」
ヴァイツェンの頭を膝に乗せ、魔力が身体の奥から溢れ出るのを感じると、祈りを込めてその魔力を緩やかに流し続けた。
身体の奥深い所まで毒がまわっているわ……でも大丈夫、私の癒しの魔法ならきっと助けられる、今ここでそれが出来なければ聖女など意味が無いわ。
殿下、戻ってきて。
約束したんだから時間を作るって、あなたが言ったのにまだ何も話せていないのよ。
優しいブルーグリーンの瞳を思い浮かべ、もう一度見たいと願う。
里菜の魔力が優しい光となってヴァイツェンを包み込んでいくのを騎士達が見守る中、頬の傷が綺麗に消えていきヴァイツェンの瞼がふと揺れた。
「殿下?……ヴァイツェン殿下」
里菜の呼びかけに答えるようにゆっくり開眼し、現れた美しいブルーグリーンに光が灯る。
ワァッとどよめきが広がり、騎士達は喜び合っている。
ヴァイツェンは状況が分かっていないのか、ぼんやりと不思議そうに里菜を見つめ、また瞼を閉じてしまった。だけど血色が戻り問題は無さそうだ。規則正しい寝息が見て取れた。
「良かった、もう大丈夫ね」
闇の毒はもう感じられない、後は体力回復の為に休めばいい、そう確信すると安心して身体の力が抜けそうになった。
が、城をそのままにして来てしまったのが気になる、戻った方が良いかしら。
どうやって帰ろうかと考えたが、今度は行き先がはっきりしているせいか一人ででも転移魔法で帰れそうだと思った。
破壊された執務室も気になるが、ソニアスの事も気になる。
しかし、ここから離れがたい気持ちが里菜の次の行動を鈍らせていた。
「聖女殿、殿下を助けていただき感謝いたします。このまま殿下と共に城までお送りいたします」
いつまでもヴァイツェンを抱えたまま動かない里菜にリンガルが帰城を促す。
里菜は首を振り、城に魔王の影が現れたからと告げ、風と共に消えた。
結界が破られたと知ったリンガルは素早くヴァイツェンを抱え馬に跨がると、騎士達を急かし帰路についた。




