18
大きな窓から差し込む陽の光で目を覚ました里菜は、思いの外充分な睡眠が取れた事に昨夜の緊張はどこへやら、自分の図太さを実感していた。
「年の功かしらね」
起き上がり着替えを探そうとクローゼットを開けると見覚えのあるドレスが並んでいる。
いつの間にか里菜の衣類や服飾品が収納されており、ゴソゴソと探っていると侍女長のレスリがノックと共に入って来る。
「おはようございます、お目覚めでしたか。朝食をお持ちしておりますが、準備をしてもよろしいでしょうか」
「は、はい。お願いします」
「着替えは後ほどお手伝い致しますので、どうぞそのままこちらの部屋へお越し下さい」
いつもは着替えてから朝食を食べていたので首を傾げながら部屋を移動すると、いつもより豪華な朝食が待っていた。
「リリエナ様はこの度の討伐で大変な目に遭われたと伺いました。本日はゆるりとお過ごし頂くよう仰せつかっております、ご要望がございましたら遠慮なくおっしゃって下さいませ」
どうやら誘拐事件のせいで、色々と気を使われているらしい。
お昼まではゆっくり過ごして午後に殿下に会えないか確認をお願いするとティータイムの頃に訪ねてくれると返事があった。午後になり、レスリがティーセットをテーブルに並べ終わる頃に殿下はやって来た。
「あの、オーガストさんの怪我は酷いのでしょうか」
オーガストの名前を出した途端にヴァイツェンの眉間に不機嫌な色が出る。
「まだ意識が戻っていない、気になるのか?」
「オーガストさんはあの時、逃してくれたんです。だから、その悪い人と思えなくて。少し話がしたかったのですが、まだ意識が戻らないんですね」
「ならん!」
「殿下?」
ヴァイツェンの表情がさらに険しくなっている。
「私に会いたいと言ったのはあの罪人の事を聞く為か?」
いつもより低い声で、明らかに怒気を含んだそれは里菜を震え上がらせるに十分だった。
「あれはこの国の宝である聖女を拐かした罪人だ。その聖女であるリリエナが許してはいけない、面会するなどありえない話だ。この先会うとしたら首輪の解除の時のみ、もちろん会話は許されない」
「え……」
ギリッとヴァイツェンの端正な顔の唇が歪む。
「そんなにあの男が気になるか。あの小屋で愛を囁かれてその気になったのか」
「そんな、違います」
里菜とてオーガストのした事を許すつもりはない、ただ話がしたかっただけ。
それがこんなにもヴァイツェンを怒らせるとは思いもしなかったのだ。
「話がそれだけなら私は戻る。あの男が目覚めたら首輪の解除をさせる、それまではこの部屋で大人しく過ごすといい。聖女の力が使えないのであれば出来る事はないだろう」
突然突き放されたような言い方に里菜の心の奥にチクリと棘が刺さり、ヴァイツェンが去った後もズキズキと痛んだ。
聖女の力が無ければ要らないと言われた気がした。
分かってはいる、聖女として召喚されたのだからこの国に必要なのは私個人ではなく聖女。
でも、殿下は違うと思っていた。
いつも優しく瞳を向けてくれていた、だからこそオーガストと話がしたかった、何より知りたかったのはヴァイツェンの事なのだから。
『殿下は貴女を利用しているのです』
ふいにオーガストの言葉を思い出し、泣きそうになる。
疑いも無く殿下を信頼出来ていた、それが今揺らいでしまいどうすればいいか分からなくなってしまった。
散歩をする気にもなれず、その日はソファに深く沈んで悶々と過ごした。
ヴァイツェンもその日は嫉妬のあまり里菜に当たってしまった自分を恥じたのか、戒めるかのように執務室に籠り仕事に没頭していた。
その夕刻、騎士団長が執務室を訪れた。
「オーガストが目を覚ましました」
「そうか、行こう」
オーガストは地下の薄暗く狭い牢屋に木工の簡易に作られたベッドの上で目覚めた。
視界も意識もぼんやりしていたが、牢屋番の呼び掛けに返事を返すと徐々にはっきりとしてくる。
「俺は……」
起き上がろうとして四肢に激痛が走り力を入れる事ができずに仰向けのまま呆然とする。
肋骨も折れているかもしれない、呼吸を浅くして痛みをやり過ごした後、少し落ち着いた所で自分が生きている事に途方に暮れてしまった。
あの影と心中するつもりの攻撃をしたはずなのに、逝けなかったのか。
リリエナ様の護衛として付き添っていた、彼女を命に代えても守ると誓った、なのに気付くと彼女の細い首に到底似合うとは思えない無機質な首輪を嵌め込んでいた。
駄目だ、と思っていても身体が言う事を聞かず、己の中にあってはならない欲望を叶えるべく行動していた。
騎士として鍛錬を忘れた事はない、精神面でも弱くはないはずだ。
それが。
「くそっ!」
彼女が欲しい、その欲に抗えなかった。
ヴァイツェン殿下の愛を受け入れるのは時間の問題だと感じていたが、それが彼女の幸せならその幸せがつつがなく訪れるよう見守るのが騎士としての己の幸せだと思っていた。
そう思っていたはずが、突然誰にも渡したくない気持ちが湧き上がり、殿下の傍から引き離さねばという焦燥感に苛まれ、愚行に走ってしまった。
今思えば、あれが闇に取り憑かれるという事だったのだ。
あの首輪の魔道具は常に持っている物ではない、いつから自分は取り憑かれていたのか。
騎士の誓いを裏切ってしまった、何よりリリエナ様の信頼を踏みにじった自分が許せない。
魔法を封じられこんな動けない身体では自害すらままならない。
自分の命が途切れれば彼女の首輪は外れる、いっそ早く処刑してくれ……。
オーガストは絶望の中にいた。
その時、やけに響いた靴音が近づいてオーガストの所で止まった。
「言い訳はあるか」
淡々としているが周りを凍りつかせるような怒気を含んだヴァイツェンの声だった。
リンガル騎士団長を従えて牢屋の前に立っている。
「ありませんよ、殿下」
「貴様……」
イラつくヴァイツェンを遮り、リンガルが口を挟んだ。
「オーガスト、真面目に答えろ」
「闇に引きずられていたとは言え、元は俺の欲望ですよ。言い訳しようがありません」
「お前なぁ」
「何があったか全て話せ」
変わらずヴァイツェンは淡々とした口調で促した。
「欲望のままリリエナ様を攫い小屋に入った所で魔王の影が現れ、そこで正気に戻り、リリエナ様を逃した後自分ごと消滅しようとしました」
オーガストもまた、取り繕う事無く淡々と述べた。
どう言おうとその事実は変わらない、無様に命乞いのような真似はしたくなかった。
リンガルはそういうオーガストの潔さを買っていたが故に今回の事は残念でならない、それはヴァイツェンとて同じであったが、今やるべきはリリエナの安全の為の情報を得る事だ。
その為に、この男の身体をあえて死なない程度まで魔導師に回復させてあるのだ。
「その影、魔王の影に間違いないのか?」
「俺は五年前にも見てますから、間違いありません。それにリリエナ様に狙いを定めていた様子でした。……申し訳ありません」
城から出た時点で聖女の所在が魔王に知られる可能性はあったが、それをオーガストが結果として手助けしてしまった。
謝罪など意味はないが、言わずにはおれず口に出した。
ヴァイツェンはそれに反応は見せず、今にも殺さんとばかりにオーガストを睨みつける。
「聖女を誘拐し、魔王にその存在を明らかにしてしまった罪は重い。すぐ死ねるなど思うな。追って沙汰を出す、自決は許さん」
冷たく言い放ちヴァイツェンは去って行った。
リンガルはまだその場に残り、何とも言えない表情でオーガストを見下ろしている。
「はぁ、お前何だってこんな事に……」
大きなため息と共に漏れた台詞にはどうしようもない部下への情が滲んでいた。
ヴァイツェンと同じように罪人として扱って当然なのに、リンガルはそうは出来ない、捨てきれない人だ。
騎士団長としていかがなものかと思うが、だからこそ騎士達はリンガルを慕っている。
罪人の願いなど本来口にしてはならない、しかし相手がリンガルだから言ってしまう。
思いの外、自分はこの団長に懐いていたらしい。
「団長、リリエナ様の首輪を外させて下さい」
ヴァイツェンから首輪の件について何も言われなかったのが不自然に思える程、オーガストとしては自決が許されないのであれば真っ先にしておかなければいけない事案だった。
リンガルはまたひとつため息を吐いた。
「もう何も言うな、お前は待ってればいい」
それだけ言うと足取り重たげに去って行った。
待てと言うなら待つだけだ、とオーガストは目を閉じた。




