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「リリエナ!見つけられて良かった、怪我などはしてないか」
「私は大丈夫です。で、殿下こそあの蜘蛛に」
ヴァイツェンの背中に腕を回しギュッと力を込めると、同じくらいの加減で抱き締められる。
「ああ、大丈夫だ。少し油断をしたがあれくらいでやられる程柔ではないよ。心配させてしまったようだ、すまない」
そっか、大丈夫だったんだ、良かった。
「それより君だ、本当に怪我などないのだね。オーガストはどこだ?奴がリリエナを」
「はっ、そうだ。小屋です!爆発して、中にオーガストさんがいるのに」
小屋に視線を向けた。
「あれか、話は後で聞かせてもらうよ。リリエナはここで待っていてくれ」
パッと温もりが離れ、名残惜しさを感じた自分に驚いた里菜は、恥ずかしくなり俯いた。
すぐに追いかけて来た騎士の一人に里菜に付くよう指示を出し、他全員を連れヴァイツェンは小屋に向かった。そこでオーガストを瀕死の状態で見つけた。
癒しの魔法をと駆け寄ろうとしたがヴァイツェンに止められ、それから会う事無く帰城となった。
気になっていたあの蜘蛛は何とか無事討伐が出来ていたらしい。
さすが騎士団、だったら聖女いらなかったんじゃ、というツッコミは里菜には出来ない。
それにしても過去の記憶が少しだけ戻ったのは何だろう。何故あのタイミング?
記憶の件はすぐにでもヴァイツェンに言いたかったが、肝心のヴァイツェンの事を思い出していない。
急に思い出した理由も分からないし全てを思い出す保証もない。そんな状態で告げても意味が無いような気がして、記憶の事は今は何も言わずにいると決めた。
城に戻った後、里菜は湯浴みと着替えを終え、人払いされたヴァイツェンの執務室でソファに座りお茶とお菓子をご馳走になっていた。つまり二人きり。
「急かしてすまない、あの時何があったか話して欲しい」
ヴァイツェンに促され、押し倒された事以外の全てを話した。
やましい事は無いけど、何もされて無いのだから言う必要はないはず。
聞き終わると項垂れながらヴァイツェンは大きな溜息をついた。
「オーガストを護衛に付けたのは私だ、怖い思いをさせてすまなかった。あの男がアームに憑かれるとは……。もう一つの魔王と思われる影の事も気になる」
「あの、オーガストさんは」
「奴は意識不明のまま牢の中に、もうリリエナには近づけさせないから安心して」
「そう……ですか。あの、それでこの首輪は」
「それは付けた者にしか外せないように術が組まれている魔力封じの首輪だ、オーガストが目覚めればすぐに外させよう。それまで我慢して欲しい」
「はい……」
横に座るヴァイツェンの顔が今までにない程厳しい。
「リリエナ」
「はい?」
「本当に何もされてない?」
「え?」
「君を攫ったのは君に恋慕する男だ」
つまりそういう事をされてないかと、目の前の男は聞いているのだ。
ベッドに押し倒された事が頭をよぎり、里菜が反射的に目を逸らしたのをヴァイツェンは見逃さない。
「リリエナ?まさか」
「ち、ち、違います!何もされてません」
「何も無いという反応ではないな、何をされた、言うんだ!」
「ほんとに何も、ちょっと押し倒されて、でも謎の黒いモヤモヤが現れたので何も無かったんです!本当です」
いつもの柔らかい雰囲気を壊し少し乱暴な口調で問い詰められ、頭と手をブンブンと振りながら全力で否定する。
「押し倒されてるではないか!どこか触られたか?」
「どこも触られてません!」
「本当か?」
「本当です!」
もう、しつこい!
とうとう里菜はプイと横を向いてこれ以上は嫌という意思表示をする。
羞恥と怒りで染めた頬がふと温かいもので包まれた。
「良かった、リリエナに何かあったらと心配した。あの男と二人きりだと思うと凄く嫌だった」
里菜の頬を包むヴァイツェンの手に力が入り顔の向きを直される、里菜も抵抗はしなかった。
ヴァイツェンの好ましい顔の少し憂いた表情から目を離せなかったから。
視線を繋げたまま沈黙の時間をしばらく過ごし、ヴァイツェンは手を下ろした。
「今日はもう休むといい、隣の部屋を使ってくれ。何かあってもすぐ駆け付けられる、今はそこが一番安全だ」
確かに今日は疲れた、睡魔もそこまで来ている気がする。
ヴァイツェンが呼び鈴を鳴らすと侍女長のレスリが入ってきた。
「リリエナ様、どうぞこちらへ」
隣の部屋?王太子の隣の部屋って、まさか。
案内されるまま部屋に入る。
「こちらは本来王太子妃様の部屋になりますが、殿下がお許しになりましたので本日よりこちらでお過ごし下さい」
やっぱりお妃様の部屋じゃない!
元々使っていた客間より広い、広すぎて落ち着かない。
寝室には王太子の部屋の方向に扉が一つある、更に落ち着かない。
安全の為とは言え王太子妃の部屋をあてがわれた庶民の里菜は、ベッドに入ったものの神経が昂っているせいかなかなか寝付けずにいた。
寝返りを何度か繰り返すうちに、ふと気になった。
オーガストさんは無事なのかしら、かなり重症のように見えたけど。
『普通の女性として生きて下さい』
『貴女をお慕いしているのです』
あの状況でなければ……心が揺らいだかもしれない。
でも聖女を辞めたいとは思っていないのよ、だからあの人と行こうとは思わなかった。
『昔の貴女は殿下に好意を寄せていた』
オーガストさんはそう言った。
私は、好きだったのかしら?
ヴァイツェン殿下は優しく大事にしてくれる。
突然知らない世界に召喚されて、不安な時にあんな美形に優しくされたら、十代の私なら惚れるかも、そりゃ、多分好きになってしまうだろうな。
今の私は見た目こそ二十歳過ぎだけど、中身は四十年の人生を経てる。そんな簡単には気持ちは動かない。悪い癖みたいなものだ。
簡単に他人に期待をしてはいけない、いつの間にかそう考えるようになってしまった。
大事にされるのは、……それはきっと聖女だから。
ツキンと胸の奥に波紋が広がるように痛んだ。




