13
里菜は寝室に入るとベッドへ重力に任せてうつ伏せに倒れ込む、ふと自分の汗の臭いが気になった。
あ、お風呂をお願いすれば良かった。
ここは王族の住まう城だけに浴室には湯船が備えられていて、希望すればお湯を入れて貰えるのだが、今から運んで貰うのも気が引けるので朝になってからお願いすることにした。
ため息と共に目を閉じ、余程疲れていたのだろう次に開けた時には朝になっていた。
一度オーガストが夕食をどうするか確認の為ノックをしたが応答が無かったそうで、いつもより少し多めの朝食を用意してくれた。十分な睡眠のせいか空腹でぺろりと完食してしまった。
お風呂に入りたいと言うと、いつでも頼めば用意してくれるらしく素直にお願いをした。
汗を流して、香油で保湿をしたら完璧、良い香りで気分も良い。
よし、私が出来る事、やらなければいけない事をやっていこう!
気持ちを新たに魔導模擬室に入った。
「ん?おや、顔付きが変わったな。昨日の事件のせいか?襲われて魔物退治に本気になったのか」
ソニアスが揶揄い気味に言ってきた。
言葉遣いも講義を重ねるにつれ砕けてきている、こっちが素なのだろう。
この人の場合丁寧に話されると冷たく感じるので里菜としては今の方が親近感が湧いて付き合いやすいと感じる。
「そう、ですね。私がぐずぐずしたせいで誰かが罰せられるのを見たくないんです。魔物退治がしたい訳ではないんですけど。防げる筈のものを見逃したく無い、自己満足かもしれませんが」
首を絞められて怖かった、あの子のした事は許せる事ではない。
でも、黒いのが見えたときに祓ってれば、まだまだ若いあの子の人生も違っていたと考えずにはいられない。
騎士団の人に連れて行かれる時、あの子はさほど抵抗もせずただ泣いていたのだ。
「ふぅん、ま、いいんじゃないかそれで。何のために戦うかなんて人それぞれだ」
「はい」
「大義名分なんて俺にもないし」
「そうなんですか?以前は国の為にみたいな事を言ってたような」
「この国の平和を守る事が、大事な奴を守る事に繋がるってだけだ。守りたいのは国そのものじゃない。何だその顔は」
愛の告白を聞いた気がして頬を染めた里菜を見て、ソニアスが首を傾げる。
「い、いえ、大事な方がいらっしゃるんですね」
「ああ、……悪いか」
「とんでもない、素敵だと思います」
「ふん、口が滑った。忘れてくれ」
プイと他所を向いてしまったソニアスを不覚にも可愛いと思う里菜だった。
ソニアスさんのお相手ってどんな人なんだろう、やっぱり魔導師?魔女っ子とか……ないか、この人貴族だっけ、だったらどこかの令嬢なのかな、ちょっと興味あるわ。
不躾な里菜の視線に不機嫌そうな顔をしたソニアスが向き直る。
「訓練を始めるぞ」
「は、はい」
訓練は擬似アームを祓う事から始まる。
床には何匹かの黒いモゾモゾしたものが蠢いていて気持ち悪い。
いつものように呪文を唱えようとして止められた。
「大事なのは想像力と思い込みだ、具体的に想像すればする程いい。俺達のように魔力が多い者は媒介がいらなかったりするからな」
「媒介?魔法陣とかですか?」
「そうだ、呪文や魔法陣は魔力を効率良く働かせる役割がある。魔力量が少ない者はそれらを使うのが基本だが、リナは呪文なしでも使えるはずだ」
呪文なしでどうやったら発動するの?想像?イマジネーションか。
英語教育番組の赤いモフモフを思い出すわね、自由に想像すればいいって事かしら。
床にいるアーム達は最初は固まっていたが、だんだんと方々に散らばろうと移動を始めていた。
「う、うぅッ」
駄目だ、気持ち悪い、あちこちに行かないでよ。
自宅であの黒い奴が出た時を思い出す、あの時は思わずゴミ箱をひっくり返して閉じ込めたっけ、でもその後どうにも出来ずしばらく放置してしまうという黒歴史だったが。
早くしないとアームはどんどん散乱してゆく。
ひぇ、いや、とりあえず閉じ込めたい!と強く念じた。
その時、蠢くアームを囲むように床に白い光が現れ、次第にドーム型に膨れ上がってやがてそれらを閉じ込めた。
「ほう」
ソニアスは感心したように目を瞬かせた。
ゴミ箱は隙間を開けるのが怖かったけど、これなら、魔法ならこのまま。
里菜がアーム達を浄化するのを想像すると、ドームの中が発光し、黒いものは散霧しながら消えていった。
「で、できた?」
「もう一度」
それから何度か同じ事を繰り返して今日の訓練は終わった。
「よくやった。今日はここまでにしよう」
あれ、もう?と思ったが、設置されている時計を見るとお昼を指していた。
時間が経つのが早いと感じるのは、能動的に魔法を使い充実感を得られ楽しかったからだ。
「これで満足するなよ、実戦では想像する時間なんて待ってはくれないからな」
「わかってます」
それが分かってるから訓練してるのよ!と言い返したいのをぐっと堪えているとポンポンと頭頂部に何かが軽く当たった。
「え」
ソニアスに頭ポンポンされていた。
「そんな顔するな、頑張ってくれているのはわかってる」
その美人な顔で申し訳ないような照れたような表情を浮かべている。
何だろう、この負けた感。
ぽけっと美麗な顔に見惚れていると、背後から低音の力強い声が掛けられた。
「おい、何色気振り撒いてんだ。ニア」
振り向くと扉から厳つい顔の男が覗いていた。
里菜を見守るように壁際に立っていたオーガストが一礼をしたので怪しい人ではなさそうだ。
「そんな事してない、何言ってるんだ。何か用か?」
「もう終わったんだろ。時間が出来たんだメシ行こうぜ」
ソニアスを昼食に誘いに来たようだが、里菜は会った事がない人物だった。
「騎士団のリンガル団長ですよ、そう言えばまだ会っていませんでしたね」
オーガストがコソッと教えてくれる。
扉が全開になり全身を見せたリンガルの体躯は鍛え込んだ筋肉と二メートルはありそうな長身で迫力があったが、その顔は漢気があるものの犬歯を見せて笑えば人懐こい好青年にも見えた。
「団長、リリエナ様です」
「お初にお目にかかります、騎士団団長のリンガルと申します。以後お見知り置きを」
「リリエナです、こちらこそよろしくお願いします」
「講義は終了とお見受けしたが、魔導師長をお借りしてもよろしいかな」
「はい、ど、どうぞ」
「では失礼する。ニア、行こうぜ」
「あ、おいっ、引っ張るな。リナ、今日はゆっくり休んでくれ」
そのまま強引にソニアスは連れ去られてしまった。
「ソニアスさんと騎士団長さんは仲が良さそうですね」
ちょっと意外だ、勝手なイメージだが騎士と魔導師って不仲だと思っていた。
「ああ……、そうですね。仲は良いです」
何やら含みがあるように聞こえたが、まあいいか、私もお腹が空いた。
「オーガストさん、戻りましょうか」
「はい、リリエナ様」
部屋へ戻り昼食を用意して貰った。
ここの食事は美味しいので困ることは無いが、時折和食が恋しくなる。
米があるのは最初におにぎりが出たので分かったが、ここで用意される食事に和食は出て来ない。
米を希望すれば出してくれるけど、ごはんのお供的なものは期待できそうにない。
材料があれば自分で作るのだが、厨房に入る事が許されるのか分からないし、目立つ行動に許可が出るとは思えないし早々に諦めることにした。
さて、午後から予定が何も無い。
ソニアスさんからゆっくりしろと言われたものの、暇なのも困りものだ。
魔法の訓練を模擬室以外でしちゃいけないのよね、あ、魔法についての本とかあるのかしら。
昼食を終えて戻ってきたオーガストに尋ねると。
「それでは図書室に行かれては」
と、すぐに案内してくれた。
図書室には本棚が沢山あり、全体が見渡せない程に広い。
司書らしき人が魔法についての本がある棚まで連れて行ってくれた。
ずらりと並んだ本の背表紙を眺めて、そこで初めて気付いた。
本当に今更だけど、この世界に来て文字を目にする事が無かったのが不思議なのだけど。
「え、何語?文字が読めない。って、日本語が浮かんできた!」
本当の本当に今更だけど、書かれてる文字は日本語では無かった。当然読めない。
いや、結果的には読めている。読もうとすると全部日本語に変換されるのだ。
と言う事は当然ながら交わされる言語も日本語では無いはずだ。
「え?でも普通に会話出来てる?え、私今何語で喋ってるの?」
「リリエナは召喚された聖女だからね、今流暢にこの国の言葉を話しているよ、どうしたの?」
「殿下!いつこちらへ?」
里菜の独り言のような問いに答えたのは、優しく微笑む金髪の王子様だった。
本棚に片手を添えて少し首を傾げる姿が様になっていて、何だか眩しい。
「リリエナが図書室に行くと聞いて、何に興味があるのかに興味が湧いたんだ。どんな本を探しているんだい?」
「えと、魔法についての本を見てみたいと思って」
「そうか、リリエナは勉強に熱心なんだな。では私が」
と言ってヴァイツェンは数冊の本を棚から抜き出しオーガストに預けた。
「読みやすいものを選んである、それが読めたらまた次を選んであげよう」
「ありがとうございます」
「しかし、やはり文字は読めるのだな。昔から聖女は言語に困らないと伝えられている、またそれが聖女の証にもなる」
聖女特典!なるほどね、ありがたや。会話が出来ていたから気にもしなかったわ。
国が違う、ましてや世界が違うのだから言語も違うわよね。そりゃそうだ。
「分からない言葉があればいつでも聞いて欲しい。それと……無理はしてないかい?」
ヴァイツェンは里菜に近づき覗き込んできた。
そうやって優しく心配されると背筋がムズムズするのは何でだろう。
「はい、大丈夫です。結局自分や誰かを守るには自分を鍛えるしかないかなと思いまして、私が出来るのは魔法しかありませんし。今はとにかく魔法について知りたいんです」
誰かを守れる力があるのに使い方を知らないからと何もしないのは違うと思うから。
ヴァイツェンがはっとした顔をしてから眩しそうに破顔した。
「そうか、私に出来る事なら何でも協力するよ。君は本当に……素敵だ」
ヴァイツェンは流れるような仕草で里菜の手を取り指先に口付ける。
「あッ」
不意をつかれ思わず声を上げてしまった。
「まだ慣れない?可愛いね」
と、もう一度唇を寄せ、今度はチュッとリップ音付きだ。
「で、殿下ッ」
クスッと笑ってヴァイツェンは去って行く。
それを見送る里菜は耳を染めつつも、もう誰もいなくなった空間を恨めしげに見ていた。




