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体調を回復した後も結局そのまま小夜の家に世話になった。その代わり自分にできることで女所帯の手伝いをした。大工仕事から掃除でも買い物でもなんでもやった。数日のようにしか感じられないが、私は夏休みが終わるまでひと月余り海辺の人魚と過ごした。
当然のように恋に落ちた。暑さのせいではない。小夜の繊細な心が新しかった。複雑ではなく、ひとつひとつの雪の結晶のように様々の形があるのだ。二つとして同じ形がない。毎日、毎瞬違う顔を見せる。
私は惹かれていくのをどうすることもできなかった。抵抗する必要もなかったし、抵抗したくなかった。自ら落ちていった。雪の結晶を見せてもらうには心の扉を開けなければならない。
私がそれまで付き合った女の子たちはみな扉が初めから開いていた。扉がなかったのだろう。挨拶をして目があえば奥の間にある本さえ読めた。小夜には扉があって門前払いされ続け、扉の鎧戸の隙間から漏れてくる数粒の結晶を見つけたときは嬉しかった。やがて少しずつ扉が開かれて一粒一粒光の異なる輝きをもった結晶が私に降り注いだ。小夜といると幸せだった。
『「沙羅は天真爛漫を絵に描いたような子だったのよ。活発で物怖じしなくて賢くて利発な子だった。主人が亡くなってからこの教会の仕事をいただいて二人で生きてきたの。私のために感情を出さない静かな子になって・・」
「五歳の時だったって聞きました。」
「沙羅が話したの?」
「はい。」
「珍しいわね。絶対に人には話さないのに・・・私がいけなかったんですよ。子供がいるのに落ち込んでしまってなかなか立ち直ることができなくて。あの子には可哀そうな思いをさせてしまった。私がもっとしっかりしていれば。私が悲しむせいであの子はちゃんと悲しむことができなかったの。沙羅は私を支えようと五歳なのに必死になって。それからずっと・・沙羅には悪いことをしてしまった。あの子の子供時代を奪ってしまったような気がして。」』
薄暗い狭い台所の明かりの下にあった小夜の母親との会話が記憶の断片と結ばれてフィルムのコマを繋げていく。彼女は皿を洗う手を止めずに話していた。
自分が夫を亡くした後、精神を病んでしばらく入院していたことさえ私に打ち明けてくれた。きっと誰かに話したかったのだろう。懺悔するより何を知られてもいずれ異国に帰っていく不信心な若者に洗いざらいぶちまけるほうが楽になれたのかもしれない。
私は若かったが彼女の気持ちの重さに圧倒された。妻として母として、夫への愛と娘への愛を持ち切れずに背負ったまま必死に生きているようだった。彼女の背中をさすったことを思い出す。まだ浮遊していた夕飯のタラの煮つけの香りが低い電燈に照らされていた。母親の背中は小夜のように小さかった。




