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「そう、人魚の絵が入っていました。遺言にその絵を棺に入れてくれって書いてありまして。人魚の絵を胸に抱かせて、その上に手をのせてやりました。」


 人魚の絵を胸に抱えて私を見上げていた小夜の笑顔が思い出から現実になる。嬉しそうに目を細めて微笑む小夜が私にありがとうと言っている。もっと描いてやればよかった。もっと喜ばせてやればよかった。もっと一緒にいてやりたかった。


「あんな高いところから落ちたから全身がぼろぼろでとても人間の体にはみえませんでしたが、どういうわけか顔だけは傷一つなかったんですよ。本当に有り得ないことですが、きっと天主様のお優しさなのでしょう。」


 小夜の小さな体が粉々に崩れ散らばる様が岸壁の岩場に見える。人間はなんて儚い生き物なのだ。腕が千切れ、足が引き裂かれたら生きていけないのか。なんて脆い命なんだ。もう元の形には戻らない小夜の体を私の中でだけ戻してやる。小夜は月のように白く美しい人魚だ。私の愛した人魚はいつまでも私の中で美しく生き続けている。


「大丈夫ですか?こんなことを急に知らされて驚かれたでしょう。申し訳ない。」

「・・・ええ。でも謝らないでください。」

「スペインにはいつ帰られるんですか?」

「明日の朝の飛行機で・・・ありがとうございました、そろそろホテルに戻ります。」


 私は柔らかく沈む絨毯を足の裏で掴むように力を入れて立ち上がりながら返事をした。知るべき真実を知らされてもう言葉が出てこない。ここにいるべきではない。


「今、タクシーを呼びますから。」


 片山が部屋の奥に消えて電話で話す声だけが聞こえてくる。片山の姿が消えた途端に私を出迎えた部屋の物たちがみな私に向かって囁き出す。口々に私をなじる。居たたまれずに玄関に足を向け靴を履いていると片山の声が背後からやってきた。


「ちょうど近くにいたので五分ほどで来ますよ。」

「ありがとうございます。」


 私が靴の紐を結び終えて立ち上がると片山はテーブルから手紙の束を持ってきて私の手に握らせようとする。


「持って行ってください。」


 私は断ることもできず、手紙の束をどうしたらよいのか持て余した。しかし長い時間の束は確実に私の手に捉えられた。手紙として生を受けた時から、今この瞬間に私の手に届くように決められていたお伽話の切手が貼られていたかのように。


「ありがとうございました。」

と私は片山に無難な挨拶の礼を言った。辞書にある意味ではなく台本にある台詞として口から発した。


「いや、こちらこそ、ありがとう、どうかお元気で。」


 そして、片山は最後に頼むように言葉を続けた。


「灯台の手前の丘に小夜の墓があります。スペインに帰る前にちょっと寄ってやってくれませんか。」


 私は黙って頷いた。車のタイヤが小砂利を弾く音が聞こえ、私はもう一度片山に頷いて外に出た。既に日は落ちて暗くなりかけていた。


「灯台までお願いします。」


 タクシーの運転手に行先を告げ振り返ると片山が玄関の外に立って見送ってくれている。これまで一人で持ち続けた小夜の気持ちは重かっただろう。今、本来あるべき場所に受け渡して安堵しているように見えた。役目を終えたように舞台袖にはけていくのだろう。



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