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ふくらはぎのこわばりと太もものの痛みで目が覚めた。カーテン越しにも朝日が眩しい。体が自分のものではなく鉄の鎧をつけた中世の騎士のようだ。少しでも動かすと重くて痛い。あと3日もつだろうか。


今日は右回りで行こう。自転車を漕ぎだすと不思議と筋肉の痛みが少しずつ和らいでいった。昼過ぎからしばらく登りが続いた。なだらかな傾斜だが登りが長く続くと息も上がってくる。峠に差し掛かりトンネルに入った。


短いトンネルは先の景色を切り取って見せる。トンネルを抜けると開けた下り坂が救ってくれた。自動走行で疲れた足を休ませる。海岸と道路を隔てる雑木林が続く。私は浜辺を歩くことにした。自転車を降りて道のない雑木林の中を海に向かって進んだ。林を通り抜けると海が広がる。波の音が全身に響く。浜辺を裸足になって自転車を引きずった。


左手の海は変わらず、右手の雑木林は濃くなって道路が見えなくなった。海沿いを歩くほどに木々は森のようになり山のようになった。


根拠も理由もなく記憶の映写機が回り始め、現実の映像と僅かな誤差をもって重なる。二重に映し出される画像は線がひとつにならないが、ここを歩いたような気がする。どこも同じような光景だがここは少し違う。来たことがある。確信にならない不明瞭な感覚がある。


行く先に目を凝らすと、木の影の隙間に白い壁が切れ切れに見える。何かある。心は急かすのに足はその歩を緩める。少しずつ近づく。白い建物の前に人がいる。


一歩ずつ近づくごとに輪郭は鮮明になる。白いワンピースを着た少女が箒を持って立っている。


白い壁、水色の窓枠、十字架、あの教会だ。記憶の映像の線が、目の前の教会の壁に屋根に窓に重なって一本の線になっていく。遠い昔に訪れた教会が目の前にある。こちらに気づかない少女は箒で玄関前の階段を掃いている。


私は足を止めて立ち尽くした。黒い長い髪、白い肌、小柄な少女。小夜?


私はもうすぐ50だ。小夜が少女のはずがない。日本人は年を取らないのか。ここは地球上の確たる場所なのか。この世ほど不確かなところはない。少女に見つめられたら私は蛙になるかもしれない。


少女が私の視線に気づいた。小首を上げた瞳は小夜の瞳と同じ形をしている。私はお伽話のページを繰ることにした。少女が煙となって消えてしまわないように私はゆっくりと近づいた。少女の瞳は今まで見たことのない色をしている。淡いグレーと茶と緑が混ざったような透明だ。


「あの、すみません。」


私は恐る恐る小夜に声を掛けた。私は蛙になるか20歳に戻るかもしれない。


「道に迷われましたか?あの細い道を真っ直ぐに行けば大きな通りに出られますよ。」


小夜のはずがない。どう見ても20代の女性だ。小夜はもう50近い。私は小夜に瓜二つの女性に聞いてみることにした。


「あ、いいえ、そうじゃなくて・・・鳴瀬小夜さんはいらっしゃいますか?」

「・・・え?」

「あの・・小夜さんのお嬢さんですか?」

「あ、ええ・・はい。」


やはりそうだ。似すぎている。小夜に娘がいたのだ。私の・・・私と小夜の娘なのだろうか。素性を明かすべきか迷った。言葉が舌の上で止まっている。


「驚かしてしまってすみません。あの・・・スペインからきました。・・その・・取材で・・・まりあさんですか?」

「はい・・映画の取材ですか?」

「はい、突然すみません。連絡先がわからなくて直接来てしまいました。」

「そうですか・・何もお答えすることはないですけど。」


まりあの表情が硬くなったのを見逃さなかった。警戒させてしまったかもしれない。


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