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翌週、ラウラはラピスラズリのドレスでマラガに旅立った。


蛹から蝶が出てくるように、柔らかい羽は徐々に固くなり黒に縁どられた青が張りを増して飛んで行った。美しくも力強い羽ばたきに見惚れた。


若い妻を持った不安や動揺はもうない。失うことには慣れているし覚悟もできている。私の場合は人生のすべてが文字になり血になるから、どこかで大衆の喜ぶ波乱を期待している商人がいるのかもしれない。算段なしの喜怒哀楽で生きていた頃への郷愁はある。半世紀生きてしまった悲しみだろうか。


一週間分のスーツケースを転がし、私は30年ぶりの日本へ向かった。携帯電話という賢い文明と信用できないアナログの記憶を持って搭乗する。忘れ物はないが目的は持ってきただろうか。何のために私は日本に行くのか。真実を知りたい。映画の内容は本当のことなのか。私に娘がいるのか。いや、小夜に会いたい。小夜に会いたい思いが飛行機に乗っている。30年前に行けなかった私がやっと今飛行機に乗っている。


ヒースローで乗り継いで長崎に飛んだ。どれくらい眠っただろうか。目覚めると飛行機はすでに着陸態勢に入っている。高度は下がり小さな窓にはもう海面も陸地も見えている。


日本か。


長崎空港は海の上にある。海面にバスマットを浮かべたようだ。飛行機の外に出た瞬間から熱い空気に入っていかなければならない。荷物を受け取り、長崎空港からは飛行機で五島列島に行くことにした。


30年ぶりの長崎は変わらず日差しが強いが、海のせいか風が心地よい。淡々と目的地に向かう自分が平常心であることにどこか安心している。作家としてリサーチのために訪れたのだ。私の想いはこれまで築いてきた経歴を纏って知識人らしく上陸する。


島へ行く飛行機は40席しかないプロペラ機だ。空席が多く半分も埋まっていない。私は窓側に座り外を覗く。汗が止まらない。緊張ではない。暑いからだ。上空から見る海は波もなく穏やかで私は島に引き寄せられていく。プロペラ機の音が頭の中を占領してつまらぬ考えを寄せ付けなくしてくれる。


私は小夜に会いに来たのか。小夜に会いたいのか。問われるたびにプロペラが掻き出していってくれる。小夜は二十時間も私を飛行機に乗せ東シナ海の上空に連れ出したのか。


五島福江空港はマドリードの駅より小さい。この空港は海の上ではなく陸地にある。ここからフェリーで奈留島へ渡る。奈留島は福江島よりさらに小さい。小夜の住んでいた島だ。


港までスーツケースを引きずり時刻表を確認してチケットを買う。日本語が話せなくても何とかなる。いざとなれば翻訳アプリという神の手がある。30年前とは別世界だ。


一日数本しかないフェリーの出航時間まで2時間近くある。私はこのまま港で時間を潰すことにした。そう言えばもう丸一日何も食べていない。腹が減っていることにこんなところで気づいた。私は機内食を食べない。飲み物だけで過ごす。一日食べていないことに気づくと腹が減り出す。人間は胃ではなくて脳で食べているのだ。


フェリーに乗れば何かあるだろう。日陰で海を眺めて潰す時間は贅沢だ。私と同じように出航を待っている老夫婦と男の子が港の端にいる。孫だろうか。


マドリードを歩いていると私に気づいて話しかけてくる人もいる。テレビ番組に出ることもあるので作家として顔を知られているからだ。ヨーロッパを出るとそういう視線から逃れられるが、ここは違う。30年前と変わらず西洋人であるだけで有名人である。


子供の視線に気づかない振りをして高い鼻も隠さず海を見るとはなしに見ていると子供が少しずつ近づいてくる。5歳くらいだろうか。私が目をやるとさっと祖父母のほうに駆けていく。安全地帯に戻るとまた私のほうへできるだけ近づく危険を冒す。数回繰り返すうちにおかしくなって私が噴き出すと子供は大きな笑顔を私に向けた。


「Hi!こんにちは。」


下手くそな日本語で声を掛けてみる。


「こんにちは。」


と返事する言葉が終わらないうちに子供は安全地帯に帰って行った。


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