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理由。一週間日本滞在の理由。
次回作の調査ということにしよう。来週珍しい祭りがあるとか、どうしても来週行かなければいけないというのはどうだろう。何とかなりそうだ。一人でなくてはならない理由はどうするか。急だから飛行機が満席だとか、仕事だから一人で集中したいとか、いくつか候補をぶらさげて、ラウラの反応によって臨機応変に対策を講じるのはどうだろうか。
なんとかなりそうだ。少し心もとないが、鏡に向かって普通の顔を練習しラウラの帰りを待つことにした。
しかしどうして私は日本での若き日の出来事をラウラに隠そうとしているのだ。ラウラだけでなく誰からも隠そうとしている。後ろめたい思い出ではなく楽しい日々だったのに。振られたことが恥ずかしいのか、映画にまだ見ぬ我が子が登場したことでうろたえているのか、自分の過去が大きなスクリーンに映し出された衝撃で殴られた頬を押さえるしかない。
夜中一時過ぎてもラウラは帰ってこない。私はいちいち電話して妻の居場所を確認する種類の夫ではない。彼女を愛しているし、彼女は私を愛しているからそんな確認は不要だ。
ラウラは美しいが簡単に恋に落ちて彷徨うような女ではない。その度に靡いていたら身が持たないほど誘いはあるだろうが。若い妻に嫉妬する年老いた夫というのも見苦しい。私はただ自らの体裁を保とうとしているだけかもしれない。私は年老いてはいないが、ラウラとは20違う。
ベッドに滑り込み寝たふりをしてみる。瞼が痙攣する。読みかけの本を読む。内容が入ってこない。嘘をつくのが本当に下手な人間だとため息をつく。
「ただいま、まだ起きていたの?」
ご機嫌な赤いドレスで寝室の空間が一変する。
「ああ、お帰り。今寝るところだよ。」
「ねえ、聞いて、ダフネがすごいチャンスをくれたの。あのカスティーヨ監督の作品よ!もう撮影が始まってるんだけど準主役が急に降板になってダフネが私を推薦してくれたの。それで監督が気に入って、来週オーディションに来てくれって。そこで決まればすぐに撮影に入るって。ねえ、すごいでしょ!」
「え、ああ、辞めたんじゃないの?女優。」
私はラウラの勢いに押されつつ素朴な疑問をぶつけてみた。
「うん・・なんかいい役こないし、才能ないのかなあと思って。あなたとの結婚生活のほうが大事だったし。一時停止みたいな感じかしら。こんなすごい役がくるなんて。人生諦めたときのほうがチャンスがやってくるのね。ねえ、いい?いいでしょ?ちょっと家を空ける時間が増えるけど。」
「ああ、構わないよ。やりたいことをやったほうがいいよ。せっかくのチャンスなんだから。」
「ありがとう!やっぱりいい旦那様だわ。嬉しい。」
ラウラは私に飛びついて吸い付くようなキスをする。カクテルの香りと煙草の香りが混ざって私をバーに置き去りにする。言いそびれてしまった。ここは自然に切り出すべきだ。シャワーに向かうラウラの背中に話しかけた。
「僕も来週仕事なんだ。」
至って自然だ。声の調子も抑揚もしらじらしくない。しかしラウラがベッドに向かって歩いてくる。表情が悪かったのか。何か気づかれたのか。内心たじろぐ私の前で後ろ向きに立って、
「そう、ごめんなさい、私、マラガに行かないといけないのよ。」
と髪を持ち上げながら言う。私は慌てて赤いドレスのチャックを腰まで下げてやる。危ない。条件反射すら忘れそうだった。
「そうか、僕は日本に行かなきゃいけないんだ。一週間だけだけど。リサーチで。なんか珍しい祭りがあるとかで。次回作のヒントにならないかなと。滅多にない祭りらしくて。どうかわからないんだけど・・そう、あのいい小説になるかどうかって・・そういう・・」
私のしどろもどろは半裸でシャワーに向かうラウラの背中に追いついたのか自信がない。後悔した。なんという台詞回しだろう。作家としてあるまじき流れだ。
「そうなの、ちょうどよかった。あなたも外出なら気が楽だわ。今度の役に集中したいし。何かお土産買ってきてね。」
全く私の素人劇など気にも留めずラウラはピアスを外しながら私に微笑んでバスルームのドアを閉めた。心ここにあらずということか、今のラウラは私の出張より自分の好機に気がいっている。私の話などほとんど頭上を掠めていったようだ。
これで関門は突破されたと考えていいだろう。あんなに心配したことが馬鹿らしくなった。お互いの時間がこんなにうまく折り重なって 長崎への道が私の前に真っ直ぐに開かれた。この偶然の織り模様に私は母の宝石箱を開けると踊り出すバレリーナを思い出した。私は踊っているようで踊らされているのかもしれない。




