9 エドマンド皇子が求めるもの
気持ちを落ち着かせるために、バルコニーへ出たシャンテル。だが一人になった途端、他国の王子たちから受けた求婚話や国王が新しく王妃を迎える件が、頭の中をかき乱す。
ギィッとバルコニーの扉を開く音がして振り返ると、離れてきたはずのエドマンドがシャンテルの方へ向かってくる。
「エドマンド皇子? ……どうしてこちらに?」
「婚約を申し込みたいと考えている王女が一人で外にいれば、心配にもなりますよ」
「……」
胡散臭い笑みを浮かべるこの話し方は、以前までのエドマンド皇子だ。
「もう猫を被るのはやめられたのだと思っていました」
バルコニーの手すりに腕を預けて感想をぶつけると、「おや?」と面白そうな声がする。
「シャンテル王女はこっちの俺が気に入ったか?」
「気に入ったとか、そういうのではありません。ただ、そちらのほうが“しっくりくる”と感じただけです」
「ははっ! なんだそれは」
エドマンドが可笑しそうに笑う。
「少なくとも胡散臭い笑みを向けられるより、話しやすいですね」
素直に思ったことを告げると、「シャンテル王女?」とエドマンドが呼ぶ。
シャンテルが振り向くと同時に、エドマンドがシャンテルを閉じ込めるように手すりに手を置いた。あまりの近さに「えっ?」と驚くシャンテルに、口の端を持ち上げたエドマンドが面白がるような目をして口を開く。
「俺がデリア帝国の皇子だってこと、忘れてないか?」
「っ!」
彼は怒っているのかしら? そうね、いくらなんでも、気安く話しすぎたかもしれないわ。
「不愉快にさせてしまい、申し訳ありません」
シャンテルは顔が近すぎるエドマンドを直視出来ず、視線をそらして謝罪を口にする。
「俺がいつ不愉快になったと言った?」
「え? 違うのですか?」
じゃあ何だというの?
シャンテルが首を傾げると、「やはり面白い王女だな」とエドマンドは笑った。
「面白い? 私がですか?」
「あぁ、そうだ。デリア帝国の皇子と聞けば、大体の人間は媚を売るか、畏れ敬うかのニ種類に分かれる。だが、シャンテル王女はそのどちらでもない。弁えるところは弁えようと努めながらも堂々としている」
「そうですか?」
シャンテルは自分ではそんな風に思ったことがなかった。
これは褒められているのかしら? と、疑問を浮かべているとエドマンドが言葉を続ける。
「だが、だからこそ、がっかりもしている」
「がっかり? それは、どういう意味です?」
「お前が一番良くわかっているんじゃないか? アルツールにも言われていただろう」
指摘されて、シャンテルはきゅっと唇を強く結ぶ。
エドマンドは会って間もないシャンテルの現状をほぼ正確に理解しているようだった。
「お前を蔑む国なんぞ、さっさと捨てちまえばいい。そうだろう?」
全く、痛いところを突いてくる皇子様だ。
「家族や民を見捨てられないわ」
「お前の家族が、お前を利用している奴らでもか?」
「……そうね。でも、私のことを想ってくれる優しい人もいるんですよ?」
シャンテルは離れて暮らす弟のレオやここまで宮廷官僚として支えてくれたニック、それから護衛騎士カールや侍女のサリーたちを思い浮かべる。
「おめでたいやつだな」
呆れたような言葉が降ってきた。思わず抗議しようとしたシャンテルの唇をエドマンドの人差し指が抑え込んだ。
「っ!?」
「お前がその気になれば、ルベリオに残るにしてもやり方は幾らでもある」
呟いてエドマンドがシャンテルの唇から指を離す。
「どういう意味ですか?」
「つまり、お前が現国王を退けて、この国の王になるんだ」
「え?」
私がお父様を退けて王に?
今まで考えすらしなかった。父が天に召されるその日まで、シャンテルは父が国王であることを当たり前だと思っていたからだ。
「シャンテル」と呼んだエドマンドが真剣な眼差しで向き合う。
「こんな国、一度ぶっ潰してしまえばいい。俺と手を組まないか?」
“ぶっ潰す”という物騒な物言いが気になったが、シャンテルにはもっと気になった言葉があった。
「手を組む?」
「そうだ。お前が望むなら女王になるために手を貸してやると言っている」
「な……!!」
デリア帝国の第二皇子から、そんな言葉が飛び出してくるとは思いもしなかった。
私が女王になる……
シャンテルは自分が王女になれるかどうかも分からないし、仮にそんな日が来るとしても、まだまだ先だと思っていた。
エドマンドがとんでもない取り引きを持ち掛けていることは分かる。だけど、シャンテルが王女になることでエドマンドに利益があるとは思えない。
彼の望みは、シャンテルがルベリオ王国の女王になったその先に、きっとある。
「エドマンド皇子は、見返りに何を要求されるのです?」
シャンテルが緊張しながら尋ねると、エドマンドが面白そうに再び口の端を持ち上げた。
「俺はお前の婚約者に立候補しているんだ。ここまで言えば分かるだろう?」
……!! では、やはり!
そんな確信に近いモノがシャンテルの思考を横切る。
「……王配の座、ですか?」
緊張しながら尋ねると「そうだな……」と、呟きながらエドマンドが顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「最終的にそうなるのかも知れないが、少し違う」
「違う? 何が違うというのです?」
「言っただろう。俺は花嫁を探していると。そして、シャンテル王女に婚約を申し込みたいと」
それを聞いて、シャンテルはお茶会でのやり取りと、少し前のホールでの出来事を思い出す。
確かにエドマンドは言っていた。
「だから、王配の座が欲しいということではないのですか? その、……デリア帝国がルベリオ王国を手に入れるために」
デリア帝国の第二皇子がルベリオ王国の王配になれば、実質、ルベリオ王国はデリア帝国のものだ。
シャンテルは意を決して、一歩踏み込んだ言葉を付け足した。それなのに、エドマンドか「ははっ」と笑う。
「まぁ、確かにそうだな。シャンテル王女もご存知の通り、俺はデリア帝国の第二皇子だ。帝国は兄上が皇太子として皇位を継ぐ。だから俺は皇帝や皇后から好きにしろと言われていてな? 花嫁は自分で探すことにした。つまり、俺の花嫁探しにデリア帝国は関係ない。ここまでは分かるか?」
エドマンドの問い掛けにシャンテルは、「は、はぁ?」と気の抜けた声で頷く。
「俺が花嫁に求める条件は三つ。一つは俺を相手にしても媚を売らずに堂々と話ができること。二つ、剣術で俺の相手が出来ること。そして最後に、俺が退屈しないように愉しませてくれることだ」
告げられた条件にシャンテルは瞬きを繰り返す。
「あの、どの条件にも私は該当しないように思えるのですが??」
「何を言う。全て当てはまっているじゃないか。お前は今、俺と堂々と会話をしているし、剣術もできる。おまけに見ていて面白い」
私が見ていて面白い? どこがです!?
エドマンドから繰り出される言葉にシャンテルは顔を引きつらせる。
「ご、御冗談を。私は最初からエドマンド皇子と会話する時は堂々と、どころか必死ですよ? 面白いかどうかに関しては分かりませんが、剣術に関しては、皇子と手合わせしたことがありませんので相手になるのか分かりません」
思っている事をなるべく失礼が無いように並べると、少し考えたエドマンドが「確かに、剣術に関してはそうだな」と頷く。
「ですから、私はエドマンド皇子の求める花嫁の条件には当てはまりません。よって……って、あれ? 何の話でしたっけ?」
シャンテルがエドマンドの求める花嫁の条件から外れていることを伝えるのに必死で、本題を忘れてしまった。
「お前がルベリオ王国の王女になる手助けをする代わりに、俺が求める見返りについてだ」
フッと笑うエドマンドに、シャンテルは恥ずかしさが込み上げてきて、誤魔化すように早口になる。
「あっ、あぁ!! そうでした! ですから、私は条件外ですので! そもそも見返りとしての価値がありません。お分かり頂けましたか?」
これでどうかしら? と言うように尋ねるシャンテル。だが、エドマンドは首を捻る。
「いや? 全く」
「えっ? 何故?」
きちんと理由を伝えたのに、全く伝わっていない。その事実にシャンテルは心が折れそうになる。
「だが、お前に遠回しな言い方が通用しないということは、今のでよく分かった」
「え?」
今の会話の何処に遠回しな言い方が? とシャンテルは考えて、見返りに関することか。と一人で納得する。
「シャンテル王女」
突然、ズイッと顔を近づけてきたエドマンドに、シャンテルは声を上ずらせながら「は、はいっ」と返事をする。
「俺が見返りに求めるのは、シャンテル王女の夫の座だ」
「へ……」
私の夫の座?? と、シャンテルの真っ白になった頭には、その言葉が駆け回っていた。
そんな彼女の頬をエドマンドの人差し指がツーッと撫でる。
「っ!? 何を……!」
「頬の傷は治ったのか?」
「っ!!」
シャンテルは反射的に撫でられた頬を押さえる。
エドマンドが言う傷とは、約一週間前にバーバラに扇子で打たれたときの傷だ。エドマンドとのお茶会の時はまだ傷が残っていたから、目立たないように化粧で隠していた。それなのに、傷があることに気付いていたらしい。
この皇子、どこまで鋭いの!?
シャンテルが返事出来ずにいると、まぁいいと言わんばかりにエドマンドが肩を竦める。
「剣術の件は、まぁ数日待て。直に分かる」
告げたエドマンドはバルコニーの手すりから手を離すと、ようやくシャンテルから離れた。
「随分と混乱しているようだから、今日のところはこれで失礼する。お前を女王にする手助けの件は考えておいてくれ」
その言葉にシャンテルは頷くことが出来なかった。だが、それを肯定と受け取ったのか、エドマンドはマントを翻して、去っていく。
シャンテルは暫くバルコニーから動くことが出来なかった。




