6 夜会の始まりは、波乱の始まり
夜会当日。城の中は準備で大忙しだった。
午前中に騎士団の訓練を行なったシャンテルは、訓練終わりに騎士たちと夜会警護の最終確認と指示を行って解散した。
その後は急いで湯浴みを行い、夜会のための準備に取り掛かる。
シャンテル付きの侍女はの三人だ。その中でも、サリーはシャンテルが幼い頃から仕えてくれている。
元々、ギルシアの血を引く王女に使えたい人間が少なかったこともあるが、王宮で働く使用人はバーバラとジョアンヌ付きの侍女を除いて、シャンテルが王女として頑張っていることを理解している。
そのため、少なからずシャンテル付きの侍女を希望する者もいた。だが、ここ数年はシャンテル付きになる前にそれが発覚すると、バーバラが即座に解雇してしまうのだ。
王宮で働きたければ、シャンテルに不用意に近付いてはいけない。
そんな暗黙のルールが生まれていた。
侍女たちに手伝ってもらいながら、エドマンドとお茶を共にした日よりも華やかなドレスへ着替えていく。それが終わると今度は化粧と髪だ。
侍女たちから化粧とヘアセットを受けている間、シャンテルは書類の山と対峙する。
3日前のエドマンドとのお茶会と、その後のロマーヴリフ公との歓談で、シャンテルは思うように公務の時間が取れなかった。それでも自分の分は終わったが、国王の分がまだ一部手付かずだった。本来であれば前もって片付けておくつもりだった書類だ。
「姫様、少し顔を上げて下さい」
サリーの言葉でシャンテルは書類から顔を上げる。目の前の鏡に映る自分の姿が、書類に目を通す前とは変化していた。
シャンテルが顔を上げているうちに、侍女たちは急いで手を動かす。
「こんな日まで姫様が書類仕事をしなければならないなんて」
サリーの呟きに「別にいいのよ」とシャンテルは答える。そして、国王陛下に任せたところで片付かないのだから。と心の中で付け足した。
「保留の書類も随分とあるのですね」
サリーが仕分けられた書類の山をちらりと一瞬捉えて口にする。
「えぇ。迂闊に進めると貴族間の派閥の溝を深める恐れがある案件よ。あと、お父様が嫌がりそうなものも保留にしているわ」
“保留”としているが、保留行きの書類が採用されることは殆どない。国王陛下が軽く目を通して、気に入ったものは稀に承認される。しかし、殆どが実質このまま非承認になるものばかりだ。
「今日の夜会、姫様にとっていい出会いがあると良いですね」
「……いい出会い、ね」
呟いてシャンテルは今日の参加者の名前を頭に浮かべる。
国内の貴族はともかく、問題は国賓だった。
ギルシアからは第一王子のアルツール。シャンテルの従兄ではあるが、一度しか会ったことがない。印象としては、無愛想で少し冷たかったことを朧気に覚えている。
ルベリオとギルシアは緊張状態でもあることから、出来れば関わりたくない相手である。
まぁ、そのようなことは無理なのだけど。
デリア帝国からは先日お会いした第二皇子のエドマンド。彼は何を考えているのか分からない。お茶の席で分かったことといえば、剣術好きということと、ルベリオの騎士団に興味を持っていることだ。
どこか胡散臭い作り物の笑顔の裏に、どんな顔を隠しているのか謎が多い人物でもある。それに、話し方に少し違和感がある。
一応、“花嫁を探している”と言っていたことを考慮すると、王配の座を手にしようとシャンテルかジョアンヌ、またはその両方に接触してくるはずだ。兎にも角にも、要注意人物だ。
ロマーヴリフ公国に関しては、元々ルベリオからの独立で同盟国だから、そこまで警戒しなくても良さそうに思える。
だが、ロマーヴリフ公の売り込み具合からして、シャンテルかジョアンヌのどちらかをジョセフの花嫁にと、望んでいることは明らかだ。
セオ国はルベリオ王国とは中立を保っている国だ。王子たちとは外交の場でシャンテルも何度か会った事がある。
もし、ロルフかホルストを王配として迎えることになれば、きっと両国は同盟を結び、友好を築く事だろう。
国賓の中では、ロマーヴリフ公国とセオ国の国賓が一番安心して話が出来そうだ。
兎にも角にも、要注意はギルシア王国とデリア帝国だわ。もしも私かジョアンヌが将来の花婿を探すのだとしたら、同盟国のロマーヴリフ公国の公子か、新たに同盟も組めてあまり問題が起こらなさそうなセオ国の王子が一番の優良物件ね。
今日はシャンテルにとって得意ではない夜会という社交の場だが、ルベリオ王国のためだ。
よし! と気合いを入れる。
4ヶ国の国賓たちと失礼の無いように接しながら、ロマーヴリフの公子とセオ国の王子と友好を築くわよ!!
シャンテルは密かに決意を固めた。
◆◆◆◆◆
夜会が開かれる王宮のホールは人で溢れていた。
シャンテルはルベリオ王国の第一王女として、護衛騎士のカールにエスコートをお願いして入場する。
「見て、シャンテル王女よ」
「先日、ジョアンヌ王女がデリア帝国のエドマンド皇子の前で惨めな思いをさせられたそうですわ」
「ジョアンヌ様が可哀想」
「妹君を虐めて、王族として恥ずかしくないのかしら?」
そんな風にシャンテルを貶める声が聞こえてくる。
ジョアンヌがエドマンドの前で惨めな思いをしたのだとしたら、自分でそういった設定を口にしたのだから自業自得だ。気にしていてはきりがない、と割り切る。
その他にもルベリオ王国の貴族たちからは、ギルシアの血を引く野蛮な王女として陰口を叩かれる。だがそれも気にしない。
「シャンテル王女」
名前を呼ばれて振り向くと、ロマーヴリフ公爵とジョセフの姿がある。
「ロマーヴリフ公、ご機嫌よう」
サッとカーテシーを披露するシャンテルに公爵とジョセフも恭しく一礼する。カールは城の警護に着くため、それをきっかけにシャンテルたちに一礼すると持ち場に向かっていく。
「今日のシャンテル王女は一段とお美しいですな」
「ありがとうございます」
「シャンテル王女の美しさを前にしてジョセフは声も出ないようだ」
そんな大袈裟なと、シャンテルは思ったが、ジョセフは顔を赤くしてシャンテルをぽかんと見つめている。
「ジョセフ様?」
シャンテルが声をかけるとジョセフがハッとした。
「申し訳ありません。その、……先日お会いした時よりもお美しい姿に、見惚れてしまいました」
「っ……」
ロマーヴリフ公爵から言われた“美しい”という言葉は社交辞令として受け流したシャンテル。だが、目の前のジョセフのそれは社交辞令として受け流すには彼の顔が赤い。それを目の当たりにして、シャンテルも意識してしまう。
「私はストレーフマ侯爵と話してくるよ。シャンテル王女、また後ほど」
「え、えぇ」
ジョセフに気を利かせて、ロマーヴリフ公が場を離れる。だがこんな時、シャンテルはどうすればよいのか知らない。戸惑いを隠すようにキュッと指先を握り込む。
「……シャンテル王女、何か飲み物はいかがですか?」
気を利かせたジョセフの言葉に「いただくわ」と返事をする。
ジョセフは給仕を捕まえると、二人分のワインを受け取って、その一つをシャンテルに差し出した。
お礼を言って受け取ったシャンテルはまずワインの香りを楽しみ、それから一口飲み込む。
鼻から抜ける香り高い味わいのお陰で、少し気持ちが落ち着いた。そこへジョセフとは違う声が「シャンテル王女」と彼女を呼ぶ。
「エドマンド皇子、ご機嫌よう」
シャンテルはワイングラスを片手に、空いている方の手でドレスの裾をつまむ。
「先日は無理を言ってお茶の席を設けて頂き、ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそありがとうございました。せっかくでしたのに、途中で抜けることになってしまい申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にするシャンテルに「構わないよ」と笑みを見せるエドマンド。そして、慣れた手付きでシャンテルの空いていた手を掬うと、手の甲に唇を寄せた。反射的にピクリと手が反応して、引っ込めたくなるのをシャンテルは我慢する。
「本日は受け入れてくれるのですね」
唇をシャンテルの手から離したエドマンドが、伺うように覗き込んでくる。その視線がどこか色香を含んでいるように見えて、内心どきどきしたシャンテル。だが平然を装って言葉を紡ぐ。
「先日は驚いてしまっただけですから。妹が言っていたように、私は社交の場が得意ではないので、こういったご挨拶には慣れていません」
エドマンドは「なるほど」と呟くと、掬ったままだったシャンテルの手を彼女の視線の高さまで持ち上げる。
「シャンテル王女とはぜひ剣術で手合わせしてみたいものだ。そちらの方が得意そうだとお見受けした」
エドマンドの指先がシャンテルの掌や指先の感触を確かめるように滑っていく。
「!」
剣を握っているシャンテルの手はそうでないご令嬢に比べると少し硬めだ。おまけに剣を握って出来た豆も出来ている。エドマンドがシャンテルの手の豆を見逃すはずもなく、先程からそこを指の腹で撫でてくる。
彼はシャンテルの手の感触を確かめる前から、それがわかっていたような口ぶりだった。
もしかして、お茶会の時に……?
あの時もエドマンドはシャンテルの手に触れている。ヒヤリとしたものがシャンテルの背筋を這う。
エドマンドは少しの情報から物事を理解するのが上手いのかもしれない。
こんなことなら、手袋をしてくるべきだったわ。油断も隙もない皇子様ね。
警戒するシャンテルをよそに、漸くエドマンドがジョセフの存在に気が付く。
「そちらは?」
エドマンドの声にジョセフが一礼する。
「お初にお目にかかります。ロマーヴリフ公国から参りましたジョセフ・S・フロストです。貴殿はデリア帝国の第二皇子、エドマンド皇子とお見受けしました。以後、お見知りおきを」
丁寧なジョセフの挨拶。だが、エドマンドは「そうか、ルベリオの……。よろしく頼む」と短く返した。
ロマーヴリフ公国はルベリオから独立した国だ。口ぶりからして、エドマンドには“ルベリオ王国の傘下にある国”といった程度に認識されているのだろう。
どちらにせよ、デリア帝国はロマーヴリフ公国をかなり格下に見ているのは明らかだ。
ぎゅっとジョセフが拳を強く握る姿をシャンテルは見た。
なんだかあまり良くない雰囲気だわ。
早めにここを離れたいわね。
シャンテルがそんな風に考えていると、少し遠くから「どけっ、道を開けろ」と、何やら不穏な声が聞こえて来る。




