37 孤児のトビー
シャンテルたち一行は子どもたちを連れて徒歩で孤児院を目指した。
“歩いて孤児院を目指す”と言い出したシャンテルにカールは勿論、第二騎士団のみんなは驚いた。だが、それがシャンテルであるとすぐに意図を分かってくれて、すんなりと受け入れられた。
孤児院までは歩きで30分の道のりだ。少し時間は掛かってしまうが、子どもたちに警戒されているので信用を得るためには仕方ない。
シャンテルは男の子と手を繋いで歩きながら彼の話を聞いた。名前はトビーと言うらしい。年齢は曖昧だが、見た目からして8歳前後のように見える。もしかするともう少し、上かもしれない。
トビーの家族は数年前の流行り病で亡くなっていた。身寄りもなく家賃を払うことができず、家主から家を追い出されて身一つで街を転々としていたようだ。口振りからして、トビーは考えも随分としっかりしていた子だから、ご両親は彼を大切に育てたいたのだろう。
話を聞いていて、なるほど。とシャンテルは思う。
身寄りの無くなった子どもを行政機関が把握して、施設で保護する仕組みを作らなければいけないようね。
「あんた、王女なんだろ?」
トビーから唐突に言われて、思考を巡らせていたシャンテルは「へ?」と声をあげる。
「城から来たって。………それに、さっき“王女”って呼ばれてた……」
トビーが言うように、シャンテルが騎士たちに「歩いて孤児院に行く」と伝えたとき、やり取りの中で何度か“王女”と呼ばれた。
この子、本当に意外と鋭い子だわ。
子どもだからと誤魔化すのもあまり良くない気がして、シャンテルは潔く認める。
「そうよ。私はこの国の第一王女、シャンテルよ」
「え? シャンテル……?」
不思議そうに聞き返すトビーに「えぇ。そうよ」と頷く。
「それ、本当か? シャンテル王女と言えば、ギルシア王国の野蛮な王女の名前だろ?」
「おい」
途端に、アルツールの低い声がトビーに向けられる。
「黙って聞いていれば、随分と失礼なガキだな?」
アルツールからギロリと睨まれてトビーが怖じ気づいたように顔を強張らせた。
「なっ、何だよ!?」
「お前、シャンテルが王女だと分かったなら部を弁えたらどうだ?」
「そっ、そう言うお前こそ!! 王女を呼び捨てにしてるのはどうなんだよ!?」
負けじと言い返すトビーに、アルツールは意地の悪い笑みを口元に浮かべる。
「ほう? この俺に口答えするか」
これ以上はまずいと察して「まぁまぁ」とシャンテルはやんわりと止めに入る。
「アルツール王子、私は別に何といわれようと構いません。慣れていますから」
「王子?」
シャンテルの言葉にトビーがまたもや反応した。
ハッと口元に手を当てたシャンテルだがもう遅い。
「っ! アルツールって、ギルシア王国の!?」
サァッとトビーが顔を青くした。どうやらギルシア王国の王子の名前を知っているらしい。
「なっ! お、お前、偽物じゃないのか!? ギルシアの王子がこの国にいるわけない!!」
声を張り上げながら疑うトビーにアルツールは「残念ながら本物だ」と答える。
トビーは手を繋いでいない方の手でシャンテルの騎士服の裾を掴むと、少しでも左側を歩くアルツールと距離を取る。
「シャンテル王女を妻として連れて帰るために俺はルベリオ王国に来た。よかったな、ガキ。シャンテルがいなかったら、俺に生意気な口調で散々不敬を働いたお前は今頃どうなっていたか分からんぞ」
そんな言葉を聞いて、「くくっ」と右側からエドマンドが笑いを堪える声がする。それを見たトビーはアルツールと動揺にルベリオ王国の騎士服を着ていないエドマンドの事も何者なのかと警戒しはじめた。これではトビーにまた警戒を強められてしまうと、シャンテルは口を開く。
「アルツール王子、トビーが怖がっています。それから、エドマンド皇子も笑っていないでアルツール王子を止めてください」
「お、おうじ!? こ、こいつもおうじなのか!? まさか、ギルシアの第二王子!?」
もはやトビーに今さら隠しても一緒だろと思って、シャンテルはエドマンドの身分を明かした。驚くトビーだが、流石にデリア帝国の皇子の名前までは知らないようだ。
「小さな子ども相手に本気で脅しているアルツール王子が可笑しくてつい魔が差した」
胡散臭い笑顔でエドマンドがアルツールを挑発する。
「何だと?」
ああもう! どうしてこの2人はすぐに争うのかしら!?
3人の王族と並んで歩いていることに戸惑っているトビーと手を繋ぎながら、シャンテルは顔をひきつらせる。睨み合う2人をよそに、クイッと左手が引かれた。
そちらに顔を向けると、トビーが何やら眉を歪めて、目を泳がせている。
「どうしたの?」
シャンテルが尋ねると、トビーは最初は口をぱくぱくさせていたが、やがて遠慮がちに問いかけてくる。
「そ、その、シャンテルは……本当に王女、様なのか……?」
ぎこちない問いかけに「そうよ」と答える。
「……俺は、前に来た王女がシャンテル王女だと思ったいた。……ジョアンヌ王女と言えば、シャンテル王女から虐められてるって聞くし、俺たちみたいなのを見て、嫌そうな顔をしていたから……」
それを聞いて、シャンテルは短く「そうだったのね」と頷く。
「王族は豪華な服を着て、飾り立てているものだと思ってたんだ。だから、騎士服を着ているのに、王女って言われても信じられなくて。それも野蛮で傲慢だと有名なシャンテル王女だって信じられないくて」
自分のことを言われているのに、シャンテルは「ふふふっ」と笑みが漏れる。
「まぁ、仕方ないですね。私が騎士服を着ているのは、騎士服の方が何かと動きやすいからよ」
そこまで言って、裾を持ってトビーに騎士服を自慢する。
「この騎士服はね、私がデザインから拘って作って貰ったのよ? どう? 可愛くてかっこいいでしょう?」
シャンテルを見つめるトビーの瞳が揺れる。
「シャンテル……王女は、何で俺たちに構うの?」
トビーは王族であるシャンテルがこんなことをしているのが、信じられないようで、戸惑った表情をしていた。
「それは、ルベリオ王国が大切だからよ」
「だったらどうして、僕らのことは助けるのに、ジョアンヌ王女を虐めるの? そもそも、ジョアンヌ王女を虐めているのは本当なの?」
「……さぁ、それはどうかしら?」
シャンテルはジョアンヌを虐めてはいない。だが、答えたところで何かが変わるわけでもない。
だから質問にはぐらかして答えると、シャンテルの騎士服の裾を持つトビーの手がそれまでよりもぎゅっと握り締められた。
「シャンテル王女はどうして自分が悪く言われても言い返さないの?」
「……トビー」
何でだろう、とシャンテルは一瞬言葉に詰まった。でも、シャンテルがジョアンヌやバーバラに口答えしたところで、自分を取り巻く環境が変わるわけではない。それに、バーバラに何をされるかわかったものではない。
ジョアンヌが令嬢たちの前でシャンテルに非道な扱いを受けていると言えば、みんなジョアンヌを信じた。父である国王はシャンテルが何かを訴えても我関せず、で動こうとしないのだ。
いつの間にか、自分を取り巻く現状に何を言っても、何をしてもムダなのだと思っていた。
だから、せめて国のために頑張ろうと、公務に打ち込んできた。そうすればいつか国王陛下もシャンテルに関心を持ってくれるかもしれないと、幼いながらに思ったのかも知れない。
たぶん、私はずっと最初から諦めて目をそらして逃げている。だから、手を貸そうと持ちかけてくれたエドマンド皇子やセオ国の王子の提案に頷けないんだわ。
シャンテルがその気になれば、ジョアンヌやバーバラの仕打ちは大したことはない筈なのだ。だけど、どうにもできないのは、それが長い間、当たり前のこととして、習慣として身に付いてしまっているからだった。その事にシャンテル自身、薄々気付いてはいる。だけど、何かを変えるのが怖くて、気付かないフリをしている状態だった。
幼い子どもに現状を突き付けられて、ふぅっとシャンテルは息を吐く。
「トビー、着いたわ。あれが孤児院よ」
トビーの問いかけから逃れるように、シャンテルは目の前に見えてきた孤児院を指差した。




