36 視察開始
いよいよ、視察の日がやってきた。
エドマンドは護衛騎士としてシャンテルに付いて行くことを選んだ。ニックと相談した後、家臣たちにも確認して“国家機密に触れそうな場合は馬車で待機してもらう”ことを条件に国王陛下の名の元、エドマンドの同行許可が下りた。
その事を本人に説明すると、二つ返事で視察への同行が確定した。何となくそんな気がしていたシャンテルは“やっぱりそうか”と、何だか可笑しかった。
視察でシャンテルが暫く城を空けることをジョセフやロルフ、ホルストにも説明すると、「寂しくなりますね」と言いながら理解を示してくれた。とは言え、反対されたところとで公務なのでどうしようもないのだが。
こうして3人の国賓は10日間に及ぶシャンテルの不在を受け入れてくれた。更に、出発時にはシャンテルの見送りをしてくれるという。だが、問題はアルツールだった。
『何故、エドマンド皇子の同行は許されて俺は駄目なんだ』
『ですから、エドマンド皇子がルベリオ王国に滞在している間は、“私専属の護衛騎士であることが理由だ”と何度も言いましたよね?』
『俺はお前の従兄だ』
『それは関係ありません』
アルツールへの説明は個別に設けた時間だけでは本人が納得せず、昼食の席でも繰り広げられた。
『だったら、俺はギルシア王国から来ている国賓としてルベリオ王国を知るために視察の同行を希望する』
全く折れるつもりがないアルツールはそう宣言した。何を言っても埒が明かない為、シャンテルはため息を溢す。
そして昼食の数時間後、アルツールが書面にして届け出た視察の同行は国王陛下によって認められてしまった。
結果、シャンテルの視察にはエドマンドとアルツールが同行することとなった。
「国王陛下にお願いして視察への同行が許されるのであれば、我々も名乗りを上げれば良かったですね」
視察へ向かうシャンテルを見送りにきてくれたホルストが残念そうに呟いた。
「ホルスト、無理を言ってはいけない。シャンテル王女は旅行ではなく公務で各地をめぐられるのですから。我々まで同行してはお邪魔になります」
「分かっていますよ、兄上。言ってみただけです。何でもアルツール王子は、シャンテル王女の説得に粘られたとお聞きしたものですから」
ちらりと、ホルストの視線がシャンテルの斜め後ろに並んでいるアルツールへ向けられた。
ふんと、鼻をならしたアルツールは顔を背けてホルストの視線に知らんぷりをしている。
「シャンテル王女、道中お気をつけ下さい」
「ジョセフ公子、ありがとうございます」
こうして、シャンテルたちは馬車に乗り込んで出発した。シャンテルの馬車にはエドマンドとアルツールの2人が同乗していた。他の馬車には侍女のサリーやエドマンドとアルツールの従者、そして視察の補佐役として官僚が2名同行している。
馬車の護衛は第二騎士団が務めている。副団長のカールは3人が乗った馬車のすぐ側を馬で並走して着いてきていた。
アルツールとエドマンドが道場しているシャンテルの馬車は言わずもがな、雰囲気が大変よろしくないことになっていた。
敵意と沈黙に満ちた馬車の中で、最初に口を開いたのはチッと舌打ちをしたアルツールだった。
「エドマンド皇子、シャンテルの護衛騎士として同行されているのなら、馬車の護衛として彼のように馬に乗られてはどうだ?」
そう言って、窓の外に見えるカールの姿顎で示す。
「俺はシャンテル王女の側での護衛を任されている。そういうアルツール王子こそ、国賓として別の馬車を用意して頂いたのに、何故断られたのだ?」
「ハッ、それはエドマンド皇子には関係ない」
「今からでも馬車を移られては? 広~く快適に過ごせますよ?」
見るからに不機嫌なアルツールと、お馴染みの胡散臭い笑顔を向けるエドマンド。
バチバチと火花を散らす二人の様子にシャンテルは肩身の狭い思いがして身を縮める。
と、言ってもエドマンドとアルツールが並んで座っているため、シャンテルが小さくなっても馬車のスペースは変わらないので意味はない。
まだ出発してそれほど経っていないのに、もうこの有り様だ。
カールは初めからエドマンドを馬車に乗せるつもりをしていた。それはエドマンドがシャンテルの護衛騎士である以前にデリア帝国皇子だからだ。
さすがに国賓である他国の皇子にその様なマネをさせるわけにはいかない。それに、エドマンドはシャンテルと同じ馬車に乗たがるだろうと考えていた。だが、それはアルツールの同行によって、波乱の種となってしまった。アルツールがシャンテルと同じ馬車にエドマンドが乗るのを見過ごすわけがなかったのだ。
シャンテルにとって、こんなに騒がしい視察の旅は始めてだった。いつもは一人で馬車に揺られて目的地に向かっている。
雰囲気は最悪だったが、馬車の中で会話がなされるこの状況が不思議と嫌ではなかった。
体を小さくさせたまま、シャンテルは「ふふっ」と笑みを溢した。その様子に、睨み合っていた筈のエドマンドとアルツールの視線がシャンテルに注がれる。
「え……あ、いや、これは……」
二人の視線にハッと気付いたシャンテルは目を泳がせる。
「視察に向かう馬車の中が賑やかなのが新鮮で、とても楽しそうだな、と思っただけです……」
自分で言っておいて、はて、楽しそう? と頭に疑問が浮かぶ。
「シャンテル。どこをどう見たらこれが楽しそうに見える」
「それに関してはアルツール王子に同感だ」
アルツールの言葉に頷くエドマンド。
二人は対立するばかりかと思っていたシャンテルだったが、どうやら意見が合うこともあるらしい。
口には出さなかったが、やっぱり二人は楽しそうだわ。とシャンテルは思った。
城を出発して30分ほど馬車に揺られると、早速通り道にある王都の街の視察場所を見て回った。
華やかで賑やかな街の雰囲気を見て回るのは勿論だが、裏路地などの場所にはこの国の“裏側”が現れやすい。少し賑やかやな通りを幾つか曲がっていけば、身寄りのない人たちが数名ほど路上に座り込んでいるのが現状だった。
男性もいるが、女性や子ども……特に子どもの割合が多いわね。
高くなる税金に苦しみ、仕事も見つけられず路頭に迷う者。食いぶちを減らすため、遠方の街に出掛けて子どもを置き去りにする者がいる。
また家族からの暴力に耐えかねて、子どもを連れて家を出た女性が行く当てもなく、大きな街なら仕事があるだろうと逃げてくるのだ。だが職にありつけず、こうして路頭に迷ってしまうのだ。
貧富の差は大小はあれど、こういった問題はどの国でも存在するだろう。だけど、シャンテルは王女としてそこから目を背ける訳にはいかない。
第三騎士団の副団長のが記した報告内容よりも、増えている困窮者の現状にシャンテルは胸が痛んだ。
シャンテルがこの場で行うことはただ一つ。
大人や子連れの女性には、行く当てがない人を受け入れてくれる教会や住み込みで働ける屋敷が存在することを案内する。そして、子どもたちには孤児院と言う場所があることを教える。
今回の視察の目的地の二件目が孤児院であることから、子どもたちにはシャンテルたちに着いてくることを提案した。
貧困者の増加を確認して、対策を進めるようにぬってから第二騎士団は毎回このような活動をおこなっている。だが、勿論シャンテルたちの言葉を信用して貰えない事の方が多い。時には怪しがられ、罵声を浴びせられることもある。
「そんなの信じられる分けないだろ!!」
どうやら今回もその様で、威勢がよさそうな男の子がシャンテルを睨み付けた。
彼らに少しでも信用して貰うために、シャンテルは騎士服で視察するようにしている。この方が動きやすいこともあって、メリットが大きいのだ。
「みんな騙されるな!! 部屋があってベッドで眠れるとか、暖かいご飯が食べられるとか、そんなのは嘘だ!! 甘い誘いに乗って、悪い人に着いてっちゃ駄目だ!!」
その言葉で周りにいた他の子どもたちに動揺が走る。シャンテルや視察を手伝ってくれていた騎士たちを警戒し始めた。
その様子に、シャンテルは叫び声をあげた男の子の前に出ると、彼と視線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「私たちは城からきたの。その証拠に王家の紋様が入った騎士服を着ているでしょう?」
シャンテルは胸元の王家の紋様を指差す。
「お、王家? 王族が俺たちに何してくれるっていうんだ!?」
王家と聞いて男の子が一瞬ひるんだが、すぐにキッとシャンテル睨み付ける。
「前にここへ来た王女とか言う奴は、俺たちみたいなのは、『ドレスが汚れるから近付くな!』って言ってたぞ! 綺麗なドレスにキラキラの宝石いっぱい付けてよ!!」
それを聞いてシャンテルは思わず、こめかみを押さえた。
この子が言っているのはジョアンヌの事だわ……
「それは……ごめんなさい。代わりに私から謝罪するわ」
「フン! 王族はどうせ、俺たち国民から搾り取った税金で楽しく暮らしてるんだろ!? 大人たちだってみーんな言ってる! 王家に雇われてるお前たちも同じなんだろ!?」
「このガキ、随分生意気だな?」
シャンテルに付いてきていたアルツールが男の子の発言に何故か苛立ちを露にして、睨み付ける。
あまりの形相とアルツールが見に纏う殺気に、男の子がビクリと体を震わせた。
シャンテルは「アルツール王子」と呼びそうになって、グッと堪える。こんな場所に他国の王子がいると明かすわけにはいかないからだ。
「っ、落ち着いて下さい。まだ、子どもなんですから」
「例え子どもでも、俺も護衛騎士として、こちらに歯向かうつもりなら容赦しない」
エドマンドが胡散臭い笑みで男の子を見た。
この二人に視線を向けられるなど、中々の迫力だろう。その証拠に目の前の男の子は狼狽えている。
そんな男にシャンテルは優しく微笑み掛ける。
「私はこの国を良くしたいと思ってここにいます。すぐに信じて貰うことは難しいと思うけれど、王国騎士団として、あなたたちをこのまま放っておくことは出来ない。信用できないならそれでも構わないわ。だから、歩いて孤児院へ向かう道中で貴方の事を教えてくれないかしら?」
シャンテルが手を差しのべる。男の子は警戒しつつも、終わりの見えない路上での生活は空腹を凌ぐのも容易いことではない。
食事にありつけるかもしれない。柔らかなベッドで安心して眠れるかもしれない。そんな甘い誘惑に負けてたまるか! という思いと同じぐらい、早くこの生活から抜け出したい、という思いを持ち合わせていた。
柔らかな微笑みを向けるシャンテルに、まぁ歩きながら話すだけなら……と、つい少し気を許してしまったらしい。
男の子はおずおずとシャンテルの手を取った。




