18 アルツール王子と交換条件
ニックに火消しを頼んだが、エドマンドがシャンテルの護衛騎士になったらしいという噂は翌日になっても鎮火しなかった。それどころか、噂は勢いを増して広がっている。
城を訪ねてくる貴族たちが何処からかその情報を聞きつけて、官僚たちに尋ね回っているらしい。察するに城内だけでなく、社交界にも噂は広がっているようだ。
今朝はそれを聞き付けたアルツールが執務室まで乗り込んできた。
「おい! エドマンド皇子がお前の護衛騎士になったとはどういうことだ!?」
「……約束もなしに尋ねられては困ります。……アルツール王子」
ドンドンと執務室のドアを叩いて「開けろ」と訴えかけるので、仕方なくシャンテルが出て行くと、開口一番に問い詰められた。
「質問の答えになっていない。どういう事かと聞いている」
「そう言われましても、私はエドマンド皇子の申し出はお断りしましたので、事実ではありません」
「では何故アイツはルベリオの騎士団入団試験を受けていた? お前が調整したと聞いたぞ」
シャンテルは「う……」と、声に出そうになるのをぐっと堪える。
「その件についてはお話できません。もうよろしいでしょうか? 公務が溜まっておりますので。失礼します」
告げて、シャンテルはサッと扉を閉めると強制的に会話を終了する。エドマンドとの件を話したくないこともそうだが、アルツールとは二日前にギルシアとルベリオの国境付近での小競り合いの件で言い合いをして別れて、それきりなのだ。
アルツールを許せない気持ちもありつつ、少し気まずさもあって、シャンテルは彼と話したくなかった。
「あ! おい! 待て!! 話は終わっていないぞ!!」
そう訴えかける声を無視して、逃げるように公務に戻る。
暫くアルツールは執務室の前に居たようだが、次第に執務室の前が静かになった。漸く諦めて帰ったらしい。
彼に付き纏われる心配は無さそうだと、胸を撫で下ろしてシャンテルは書類整理に向き合う。
午後からは騎士団の訓練がある。入団試験後、初めての訓練だ。新人もいるから、暫くは基礎を中心に訓練を行おうとシャンテルは決めていた。
暫くして書類整理が一段落した頃、午後の訓練に備えて、昼食を取ろうとシャンテルは執務室を出る。だが、執務室の扉を開けてすぐに「え?」と、一文字を発して固まった。
目の前には、つい先日のように執務室の扉を開けた先で壁に凭れて本を読むアルツールの姿があったからだ。
「やっと出てきたか」
扉が開く音で顔を上げたアルツールは一言呟いた。その声は少々不機嫌だ。彼は本を閉じると従者にそれを預ける。
「まさか、……ずっとこちらに?」
「お前が出てこないのだから、仕方ないだろう」
スッと目を細めたアルツールは、不満を表情に出して訴えかけてくる。
「私はちゃんと公務が溜まっているとお伝えしましたよ」
「ははは……」と乾いた笑い声を漏らしながらシャンテルは執務室を施錠する。
「何故エドマンドに騎士団の入団試験を受けさせた?」
「ですから、その件はお話できません」
答えながら、シャンテルはアルツールの方を向く。
「申し訳ありませんが、私はこれから昼食でして。これにて失礼します」
スッとドレスの裾を持ち上げると、広間へ向かう。
「待て。昼食なら俺もまだだ。丁度いい。話しながら食事を共にしようじゃないか」
シャンテルの後を着いてくるアルツールの言葉に「え……」と固まる。
アルツールと二人で食事など、たまったものではない。落ち着かないのは明白だ。
「この前の返事も聞きたいからな」
アルツールが言うこの前の返事とは、シャンテルがギルシア王国へ彼の将来の妃として向かう件のことだろう。
「アルツール王子、そのことでしたら承知できません」
シャンテルがキッパリ言い切ると、「何故だ?」とアルツールが尋ねる。
「私はルベリオ王国の王女です。祖国が危険な目に遭うかも知れないと分かっていて、貴方に着いて行くはずがありません」
「だからお前が一緒に来てくれれば、俺も国王陛下に頼んでやると言っているだろう?」
「信用できません」
「何故だ?」
今まで進行方向に視線を向けていたシャンテルはアルツールを見る。
「アルツール王子が国境付近のルベリオの民を恐怖に陥れていたからです」
それを聞いたアルツールは呆れたように「まだ言っているのか」と、ため息を溢す。
「何度でも言います」
シャンテルは強めに言ってフンッと顔を逸らすと、怒っていることを示した。
「では、どうすればお前は俺を許す?」
「……へ?」
まさか許しを請われるとは思ってもみなかったシャンテルは驚いて、瞬時にアルツールへ顔を戻した。
プライドの高そうなアルツールのことだ。「もういい! 話にならん!!」とでも言って、諦めると思っていたのだ。
「……」
黙り込むシャンテルにアルツールが小首を傾げる。
「何だ。何も出てこないのか?」
「だ、だって、……アルツール王子からそのようなことを言われると思っていなかったものですから……」
「お前は俺を何だと思っている?」
暴君です。などと言えるわけがないシャンテルは一瞬、言葉に詰まる。
「……アルツール王子こそ、どうして私に許してほしいのですか?」
「簡単な理由だ。妻にしたいほど好いた女に嫌われたままなのが、耐えられないからに決まっている」
「っ!?」
シャンテルは驚きで目を見張ると、隣を着いてくるアルツールをまじまじと見た。彼は表情こそ変わらない。だが、こころなしか耳が赤い気がした。
「かっ、からかわないで下さいっ!」
恥ずかしさから、熱くなった頬を誤魔化すように早口で返せば、「からかってなどいない」と言葉が返ってくる。
勿論、恋愛経験ゼロのシャンテルだって、耳を赤くしたアルツールが、からかってそんなことを言った訳では無いと分かっている。だが、他にどんな言葉を紡ぐべきか、分からなかったのだ。
「シャンテル」
アルツールは立ち止まると、落ち着いた声で呼ぶ。少しドキリとしながらシャンテルも立ち止まると、彼を振り返った。
「お前に俺の本気が伝わっていないなら、改めて言ってやる」
告げて、シャンテルとの距離を詰めると、その手を掬う。
「俺は6歳のあの日、お前に初めて会った瞬間に一目惚れした。あの時から今日まで、ずっとお前が好きだ」
「っ!」
アルツールから目を合わせて“好きだ”と言われて、シャンテルは顔が熱を持った。
顔を逸らそうとすると、アルツールの空いていた手がそれを阻止しする。シャンテルの顎に手を添えて、また視線を合わさせられた。
「お前をギルシアに連れて帰るのは、おばあ様たちに言われたからというのもあるが、一番は俺が前をそばに置きたいからだ。お前を正妃に望むのは俺の為であり、お前の為でもある」
「私の、為……?」
「そうだ。俺はルベリオ王国に都合良く使われているお前を助けたい」
アルツールの口から“助けたい”と言う言葉が出てきてシャンテルは驚く。
「お前はルベリオ国王の公務を押し付けられているだろう」
「っ、何のことでしょう?」
言い当てられて、シャンテルは一瞬ギクリと肩を揺らす。そして、それを悟られないようにアルツールの手をパッと払った。
「とぼけるな。こちらは毎月報告を受けている。お前が王女として公務を始めた頃から、“国王に公務を押し付けられている”と」
「毎月?」
「ルベリオに潜入させている部下からの報告だ。所謂、諜報活動をさせている。……何も珍しいことではないだろう。ルベリオもギルシアに諜報員を送り込んでいるのだから」
つまり、アルツールが言っているのは密偵のことだ。
「何も心配することは無い。ギルシアの国王陛下にルベリオに攻め込まないよう頼み込んだあとのこの国は、お前の弟にでも任せればいい」
「……!」
さらりと語られた弟の存在にシャンテルは目を見張る。
レオのことを国王は認めていない。だから、その存在を知るのは一部の人間だけだ。
シャンテルはカールにさえ弟の存在を教えたことがなかった。だからシャンテルの後を着いてきている彼はこの会話を耳にして、さぞ混乱していることだろう。
「何故知っているのか、と言いたげな顔だな?」
一言も言葉を発していないのに、アルツールはシャンテルの心中を正確に察していた。
「何年もルベリオに密偵を潜入させているんだ。そのくらいのこと、幼かったお前の跡を着けさせれば簡単に分かった。赤い瞳の持ち主は限られるからな」
シャンテルは何も言えなかった。下手に言葉を紡げばレオの本当の身分を肯定するも同然だからだ。とは言え、この場合は黙っていても肯定することになるのだが。
「このあと俺と昼食を共にするなら、一ついいことを教えてやろう」
不敵に笑うアルツール。彼はまだルベリオの“何か”を掴んでいるらしい。対策を打つためにも、アルツールの知っていることを話して貰う必要があると、シャンテルは即座に判断した。
「……何です?」
低めの声で聞き返したシャンテルの耳元に、アルツールは唇を寄せると語り出す。
「俺以外の国賓の中にも、お前の弟の存在を知る者がいる」
「え……」
小さく戸惑いの声を漏らしたシャンテルに、アルツールは耳元から顔を離すと自信満々に答える。
「ギルシアの諜報員が夜中にお前の跡をつけて城下に出る怪しげな影を目撃している。間違いない」
「っ! それは誰なの!?」
レオのことを知られるわけにはいかないシャンテルは焦りから詰め寄る。
「それはお前が俺の妻になると言ってくれなければ、教えられないな」
「っ……」
提示された交換条件にシャンテルは力なく黙り込む。
「……卑怯よ」
「それは悪かった」
「はははっ」とアルツールが楽しそうに笑う。
「ではそろそろ行くぞ」
「行くって何処に? 私はこれから昼食を──」
「何を言う。その昼食に行くんだろう」
「え……」
「先程、『このあと俺と昼食を共ににするなら、一ついいことを教えてやろう』と言っただろう? そしてお前はその条件を飲んだ」
アルツールの言う通り、シャンテルは彼の掴んだ条件を聞き出さなければと、その一心で尋ねた。
「やっぱり卑怯だわ」
「なんとでも言え。大体、それを受け入れたのはお前だ」
ポツリと呟くと、痺れを切らしたアルツールが何時までも立ち止まったままのシャンテルの手を掴んで歩き出した。




