深夜消息
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べたべたと身体にまとわりつく夏布団を蹴飛ばして、俺は目を覚ます。暑い。そろそろ布団を干さないと気持ちが悪い。でも、布団を干すのは面倒くさい。きっと、またしばらくはこのままなのだろう。
眼鏡をかけて壁の時計を見ると、三時を回っていた。電気を点けっぱなしにして寝たものだから、夜中なのか昼間なのか一瞬迷う。
寝転がったままぼんやりと天井を見上げ、夜中だ、と口の中で呟いた。夜中の三時すぎ。窓の外は暗い。
冷蔵庫を開けても、練りからし以外には何も入っていなかった。固形物はおろか、飲み物すらない。何もないとなると、急に腹が減ったような気がして、コンビニ、また口の中で呟く。
よれよれのティーシャツにトランクス姿だった俺は、とりあえずジーパンを穿く。財布を尻ポケットに突っ込んでビーサンを素足につっかけ、アパートを出た。
歩くたび、ペソンペソンと音を立てながらビーサンは俺の足の裏にくっついたり離れたりする。
ペソンペソン、ペソンペソン。
あ、と思った。ああ、と呟きがもれる。
死にたい。
頭がきゅうっと締め付けられるような心地になる。
死にたい死にたい死にたい死にたい。
叫びたい気持ちを抑え、俺はコンビニの灯りを目指す。
時々こうなる。日曜日の深夜にはだいたいこうなる。明日、大学へ行って、フィールドワークで歩き回れば、こういうのは治る。することがあると、大丈夫なのだ。することがないと、こういうふうになる。
ああ、とまた呟きがもれた。死にたいよう。
そういえば、昨日から誰とも会話をしていない。死にたい。
コンビニで弁当と二リットルの水を買う。時間が時間なので、いい弁当が残っていなかった。なんだかよくわからない横文字のパスタを買う。
コンビニのビニール袋をガサガサ言わせながら、来た道を戻る。ペソンペソンとビーサンが音を立てる。帰ったらパスタを食べて、シャワーを浴びて、それからまた少し寝よう。明日は二コマ目から授業だ。
アパートに着くと、ちょうど階段を上るひとがいた。その後ろ姿を見ながら、このひとが突然俺に刃物で襲いかかってこないかな、なんてことを考えてみる。ちょっとこわい。死にたいけど、痛いのは嫌だ。
ペソン、と階段に片足をかけたところで、気配を感じたのか、前のひとが振り返った。
同世代だ、と、その顔を見て思う。学生が多いアパートなので、別段珍しくもない。
髪の毛の色が茶色く、両耳の青いガラス玉のピアスが階段上の蛍光灯の光を受けてキラキラしている。目の色は青いような緑のような不思議な色をしていた。カラーコンタクトだろうか。
チャラい。リアルが充実していそうな感じ。遊んでそう。苦手なタイプ。俺の頭は、目の前の人物に対して、そんな印象を打ち出した。
俺は顔を伏せ、そのひとを避けて階段を上がろうと、またペソンと足を踏み出した。
「なあ」
声をかけられ、俺はわかりやすくびびって顔を上げる。
「あんた、同じ大学だよな」
目の前のチャラ男は言った。そう言われても、俺は目の前の男のことを全く知らない。見かけたことがあったとしても、全く記憶にない。
「西都大学だろ?」
そう問われ、俺はやっと頷いた。
「ここに住んでんの?」
また問われ無言で頷いた後、もしかしたら、これは今日初めての人との会話になるのかもしれないと思い、
「はい」
声を出してみる。
「船橋レオン、経済学部。おれ、今年の春から201に住んでんの」
礼儀の「礼」に恩義の「恩」で「れおん」な、とチャラ男は自分の名前を説明した。それぞれの字の意味はとてもいいと思うが、どうしてもキラキラ感が拭えない名前だ。しかし、「レオン」という日本人離れした名前は、目の前の男にぴったりと似合っていた。
「俺は202です。隣ですね」
答えながら、そういえば今年に入って隣の部屋が度々ガチャガチャうるさかった。騒いでたのはおまえだったんだな、と心の中でこっそりと思い出し怒りをしてしまう。
「あんた、あれだ。民俗学の内田祐一郎だろ」
「え」
名前を当てられ、俺はぽかんと船橋を見る。
「有名だもん」
船橋礼恩は言う。どういうことだろう、と思っていると、船橋は、
「じゃあな、うっちー。今度遊ぼうぜ」
手をヒラヒラと振り、201号室へ入って行った。
ちょっと待て。うっちーってなんだ?
月曜日、学食でうどん定食を食べていると、誰かが隣に座った。
「うわあ、炭水化物ばっか」
そう言われ、顔を上げる。船橋礼恩だった。
「なにそれ。うどんとかやくごはん?」
俺は無言で頷く。
「もっと肉とか野菜とか食わんとダメだって」
そう言う船橋のトレイにはとんかつ定食がのっている。とんかつと千切りキャベツ。確かに肉とか野菜だ。俺は納得して、うどんをすする。
「なんだよ、レオン。おまえもっさり王子と仲良かったんか?」
そんな声がして顔を上げると、船橋の傍らに明らかに船橋と同じタイプの男が立っている。茶髪に左耳にだけシルバーの輪っかのピアス。見るからにチャラい。首にも腕にもなにやらチャラチャラとシルバーの装飾品がぶら下がっている。重くはないのだろうか。というか、邪魔にはならないのだろうか。そんなことを考えていたら、
「昨日、仲良くなったんだよ。な、うっちー」
と船橋が俺の肩に馴れ馴れしく手を回してきたので、もっさり王子というのが自分を指していたことに気付く。ぎょっとして俺は瞬きを繰り返した。もっさり王子ってなんだ。というか、仲良くなった覚えはない。
船橋の友人らしいチャラ男が立ち去ってから、
「もっさり王子って、なんですか」
と聞いてみる。船橋は青緑色の目で俺を見て、言う。
「顔は悪くないのに、てかむしろ美形なのに、でっかい変テコ眼鏡かけてて、髪も服装も全然気にしてないっつーか、全体的になんかダサいっつーか、とにかくもっさりしてて、アタシがなんとかしてあげたい! って女が大勢いんのに、自分が話しかけられてることにすら気付かないニブちんなもんだから話しかけても相手にしてくれない、天然女泣かせのもっさり王子、それがおまえだ」
船橋はニヤリと笑った。影でそんなことを言われていたなんて知らなかった。
「あの」
とりあえず気になったことを確認してみる。
「俺は、美形なんですか?」
船橋は、きょとんとした表情で俺を見た。
「そういうのって逆にイヤミだよ、うっちー」
船橋はひゃはっと笑う。今度は俺がきょとんと船橋を見る。青緑色の目が、くるりと動いた。
「もしかして本気で言ってんの?」
俺はやはり黙って頷く。
「はーっ」
船橋は歓声に似た声を上げた。
「うっちーすげー。マジで自覚ないんだ」
船橋はまた、ひゃはっと笑う。
「かわいいね、うっちー」
なんだかわからないけれど恥ずかしくなった俺は、残りのかやくごはんを口にかき込んだ。
深夜二時ごろ、壁からどむどむと音がする。船橋が騒いでいるのだろうと放っておいたら、少ししたらまたどむどむと壁が鳴る。うるさいですよ、という意味を込めて、俺も拳でごんごんと壁を叩いた。すると、それきり音がしなくなった。
朝、ゴミ出しで顔を合わせた船橋は、
「隣に友だちがいるのっていいな」
と青緑色の目を細めて笑った。あの壁の音はコミュニケーションの一種だったのか、と納得する。それよりも、
「俺と船橋は友だちなんですか?」
そう尋ねると、船橋はなんとも微妙な表情をした。
「友だちじゃんかよう」
船橋は不満そうに唇をとがらせて言った。そうだったのか、と俺は一応納得してみる。きっと船橋系のやつらは、一言二言ことばを交わせばもう友だちなのだろう。
学食でラーメン定食を食べていると、また船橋が寄ってきた。
「うっちー、また炭水化物ばっか」
船橋は昨日と同じことを言い、俺の隣の席に座る。
「なんでそんなんで太んないわけ? 野菜と肉も食えって」
俺はラーメンのネギともやしを指して言う。
「野菜」
それから、チャーシューを指す。
「肉」
船橋はゆっくりとまばたきをし、
「うっちー、いまのって冗談? 本気?」
と尋ねてきた。普通に冗談だったのだが、そう尋ねられると冗談だと言うのが恥ずかしくなってしまった。俺は黙ってラーメンをすする。
「こんなに大勢いるのに、船橋はよく俺を見つけられますね」
話題を変えたくて俺は言った。
「うん?」
と船橋は笑う。
「だって、うっちー目立つしね。すぐわかるよ」
船橋は言って、
「はい。あーん」
自分のオムライスセットのサラダのトマトをフォークに刺してこちらに差し出してきた。俺はトマトと船橋を交互に見る。
「野菜食え」
船橋は言う。そういうことか、と俺は口を開ける。船橋が俺の口にトマトを突っ込む。
「えらいぞ、うっちー」
船橋は言った。
「あの」
俺は、さっきから引っ掛かっていたことを尋ねる。
「俺が目立つって、どういうことですか?」
「うーん」
と船橋は笑う。
「うっちーはダセーから、こういうちょっとおしゃれな若者が大勢いる空間にいたら、そりゃ目立つでしょ」
なんて歯に絹着せぬ物言いだ! と俺は少なからずショックを受ける。
「でも、そういうの全く気にしてないってとこが、うっちーのすげーとこだよ。おれは、いいと思うな」
船橋は青緑色の目で俺を見る。
「その目は、カラーコンタクトですか?」
俺はまた話題を変えるつもりで質問を重ねた。
「自前だよ」
船橋はすっと表情を消し、そう答えた。それから、無言でオムライスを食べ始める。目のことは聞かれたくなかったのだろうか。
俺も無言で立ち上がり、トレイを片付ける。
「うっちー、なんでフォローしてこないの?」
深夜一時すぎ、船橋が俺の部屋に乗り込んできて、言った。
「フォロー?」
聞き返すと、
「普通さ、相手が怒ったかなって思ったらフォロー入れるだろ」
俺の目の前で胡坐をかいている船橋は、そんなことを言う。
「ああ、そうなんですか」
コミュニケーション能力が低いという自覚のある俺は、おざなりに応える。
「うっちー、なんで怒ったおれを放っとくんだよ。食べ終わったら自分だけさっさと片付けて行っちゃうし。もうちょっと、おれのこと気にしたほうがいいよ」
船橋は、怒っているのか拗ねているのか、どちらともつかない口調で俺を責める。
「面倒くさかったので」
俺は言う。
「へ?」
船橋は気の抜けたような声を上げ、青緑色の目を見開く。
「こっちがよくわからないことで勝手に不機嫌になられても、俺の知ったことではありません」
船橋は呆気に取られたように、ぱくぱくと口を動かした後、
「なんか悪いこと聞いちゃったみたいでごめんねー、くらい言うもんじゃないのか」
少し声のトーンを落として言った。
「俺が、そういうふうに取り繕う理由がわかりません。むしろ、船橋のほうが、自分はこれこれこういう理由で不機嫌になってしまうから次から目のことは言わないでね、くらい言うべきです」
「うっちー、自己中! 自分勝手!」
船橋は立ち上がって、同じ意味の言葉を二回叫んだ。
「そんなの、お互いさまです」
俺は、座ったまま船橋を見上げて言う。船橋は、唇を尖らせ、再び座る。
「おれのこの目、隔世遺伝なんだよ」
船橋はうつむいて、ぽつりと言った。
「じいさんが、イギリスのひとでさ。小さいころは周りから結構からかわれてたから」
そう言って、船橋は上目づかいに俺を見る。
「からかわれんのとか嫌だったし。気にしてんの。そんだけ」
「はあ」
俺は気の抜けたような返事をする。そして、そうか気にしていたのか、と思う。
船橋の目を、改めて見る。不思議な色だ。両耳の青いガラス玉のピアスよりも、よっぽどきれいだとも思った。
「俺は、きれいな目だと思います」
思わず口走ってしまい、とっさに口許に手をやる。船橋から目をそらし、こっそり息を吐く。横目で盗み見た船橋の顔は、自分がどういう表情をしたらいいのか検討している最中のように見えた。
沈黙が下りる。船橋が口を開かないものだから、俺も黙っている。しかし、そろそろ眠たくなってきた。船橋は、この沈黙の中、まだこの部屋に居座るつもりだろうか。早く帰ってくれないかな、と思う。しかし、船橋は立ち上がる様子さえ見せない。
「どうします? 仲直りします?」
船橋が勝手に怒っていただけなので、仲直りもなにもないのだが、俺はそう提案してみた。早く、この妙な時間を終わらせたかった。
「する」
船橋は真剣な表情で、深く頷いた。
「はい。じゃあ、なっかなっおりっ」
言いながら俺は、船橋の右手を自分の右手で握り、軽く上下に振る。
「うっちー」
船橋がほのかに笑う。
「じゃあ、俺は眠いので寝ます。もう帰ってください」
船橋は、呆気に取られたように俺を見て、
「自己中! 自分勝手!」
また、同じ意味の言葉を二回言い放つ。
「だから、お互いさまですって」
「うっちーのそういうところは、おれ、よくないと思う」
船橋は言う。
「もう、眠いんです」
俺は言う。
「うっちー」
船橋は弱り切ったような表情で俺を見た。そして、諦めたように息を吐くと、
「わかった。また明日な」
と部屋を出て行った。
その週、日曜日の深夜。いつもの「死にたい」がやってこなかった。俺は、頭痛にも、叫びたい衝動に駆られることもなく、不思議と穏やかな気持ちで月曜日を迎えることができたのだ。船橋が、隣の部屋から壁をどむどむと叩くので、それに応戦しているうちに、死にたい気持ちを忘れてしまったのかもしれない。
「ねえ、うっちー」
学食でラーメン定食を食べていると、隣に船橋が座った。
「おれ、うっちーがうどんかラーメン食べてるとこしか見たことないんだけど」
「パスタも食べますよ」
「どのみち炭水化物じゃん。野菜も食べろって」
船橋は、自分のしょうが焼き定食のキャベツの千切りを、箸でつまんで俺のほうに差し出した。
「はい。あーん」
俺は素直に口を開ける。
「いい子だね。かわいいな、うっちー」
船橋が笑う。なんだか恥ずかしくなってしまい、俺は船橋から目をそらし、キャベツを咀嚼する。
「ところで、そんないい子なうっちーにお願いがあるんだけど」
船橋が、どこか困ったような声で言った。
「なんですか」
ろくなことではなさそうだ、と思いながらも、一応尋ねる。
「うっちー。今晩、おれといっしょに合コン行かない?」
「行きません」
本当にろくなことじゃなかった。そう思いながら、きっぱりと断る。
「でも、おれ、うっちー連れて行くって言っちゃったんだよ」
自己中。自分勝手。先日、船橋が俺に言った言葉をそっくりそのまま言ってやりたくなった。
「行きたくありません」
「どうして?」
「どうしても」
面倒くさい。このままではいたちごっこになってしまいそうだ。
「俺は知らないひとと話すのが苦痛なので、そういった集会へは参加したくないんです」
「だったら、うっちーはずっとおれの隣に座ってなよ。おれは知らないひとじゃないから安心だろ?」
ちょっと前まで全く知らないひとだった船橋が、自信満々に言うものだから、俺は少し笑ってしまった。
「てか、うっちー、集会ってなによ」
船橋も笑う。笑いながら、ポケットからスマートフォンを取り出し素早く操作した船橋は、
「内田祐一郎おっけーだ」
そのスマートフォンを耳に当てて明るく言った。幹事か誰かに電話をかけたらしい。
「行くとは言ってない!」
俺は慌てて抗議する。
「だめ。もう行くって言っちゃったし」
船橋の青緑色の目を睨みつけると、船橋は少しだけ申し訳なさそうに目を細めた。
「自己中。自分勝手」
俺が言うと、
「お互いさまだろ」
船橋は、ひゃはっと笑ってそう言った。
「本当に内田くんだ!」
船橋に連れられて行った居酒屋で、開口一番そう言われた。こぢんまりとした座敷には、女の子が三人と船橋と同じタイプの男がひとりいた。なぜ、ここにいる知らない女の子たちが自分のことを知っているのか、わけがわからない。少し怖い。船橋が、俺のことを有名だと言っていたのを冗談半分に聞き流していたけれど、本当だったらしい。
「おー、来たか、もっさり王子」
そう言って握手を求めてきたのは、よく見るといつか学食で会った、シルバー装飾品男だ。相変わらず、重そうなシルバーアクセサリーが耳や首にぶら下がっている。
みんなが笑顔なので、どうやら歓迎されているようだ、と安心して、俺は船橋の右隣の席に座る。
「えー、内田くんそこに座るの?」
「こっちに座りなよ。あたしの隣」
女の子たちが口々に言う。どう返事をしたらいいのかわからず戸惑っていると、
「うっちーは、おれの隣」
船橋が、やんわりと、しかしきっぱりとした口調で言ってくれた。たすかる。うっかり感謝しそうになったが、もとはと言えばこいつのせいだ、と気付き、俺は唇を引き結ぶ。
「な、うっちー。うっちーはおれの隣がいいんだもんな」
船橋は、そんなことはこれっぽっちも気にしていないようで、屈託のない笑顔で同意を求めてきた。仕方なく、
「はい」
小さく頷くと、女の子たちがきょとんと俺を見た。そして、その中のひとりから発せられた、
「なーんか、内田くんかわいいね」
の一言に、居たたまれない気持ちになった。
「だろ?」
と、なぜか船橋が得意げな顔をする。意味がわからない。
軽く自己紹介をして始まった合コンは、一回生の時に民俗学部でやったクラスコンパとそう変わらなかった。ただ、しゃべりながら食べて飲むだけだ。俺は、アルコールが入るとすぐに眠たくなるので、コーラばかりを飲んでいた。知らないひとだらけの場所で油断をしてはいけない。
「レオンちゃんのその目ってカラコン? もしかして自前?」
ふいに、船橋の左隣に座っていた女の子が発した一言に、俺はぴくりと反応してしまう。船橋が不機嫌になるんじゃないかと心配になる。せっかくみんな楽しそうなのに、ここで船橋が怒ると空気が悪くなってしまう。チラチラと左を盗み見ていると、船橋は笑顔を崩さず、
「自前だよ。かっこいいでしょ。惚れた?」
と明るい口調で受け答えをしていた。
「やだー、もう。レオンちゃん軽ーい」
と女の子も明るく笑う。楽しそうだ。船橋が不機嫌にならず、ほっとしたのと同時に、なんだか胸の真ん中あたりがもやっとした。その「もやっ」は次第に俺の全身を覆い尽くすように拡がっていく。きゅうきゅうと頭が締め付けられるような痛みを感じる。トイレで頭を冷やそうと立ち上がると、
「うっちー、どこ行くの」
船橋に腕を掴まれた。
「トイレです」
そう言って、俺は船橋の手を振り払うようにしてトイレに向かう。
顔を洗い、備え付けのペーパータオルで水を拭う。死にたい、と思う。今日は日曜日じゃないのに、どうして死にたい気持ちになってしまったのか。
船橋は、女の子に目のことを言われても怒らなかった。俺の時は怒ったのに。そう思うと、やっぱりもやもやして、頭がきゅうっと締め付けられた。
この現象は、なんだ。なんなんだ。わけがわからず泣きそうになり、俺はもう一度顔を洗う。
座敷に戻ると、船橋がテーブルに突っ伏していた。しかし、眠っているわけではないようで、へらへらと笑っている。
「王子がトイレ行ってから、つぶれちった」
シルバーくんが俺に報告するように言う。
「レオンちゃん、あたし膝枕してあげよっか」
船橋の左隣の女の子が言った。
「ありがとー。でも、おれ、うっちーにしてもらうからだいじょーぶだよ」
相変わらずへらへらしながら船橋は俺の腕を掴んだ。
「な、うっちー」
言いながら、俺の答えを聞く前に船橋はもう俺の膝に頭を置いていた。俺は残りのコーラを飲みながら、ひとの頭って結構重いんだな、と思う。そんなに動く用事があるわけではないのだが、身動きが取りづらく、だんだん面倒くさくなってきた。
「重いんで、誰か代わってくれませんか」
そう提案すると、
「えー、でもレオンちゃん気持ちよさそうに寝てるし、移動させるのかわいそうだよ」
と返事があった。膝に重量物を乗せられている俺のほうがかわいそうだ。しかし、相手は知らないひとなので、強く反論することができない。
「レオン潰れちったし、もうおひらきにすっか」
シルバーくんが言い、
「王子、今日は来てくれてありがとう」
と握手を求められる。
「王子はやめてください」
「じゃあ、うっちー」
まあいいか、と思う。王子よりはましだ。
「二次会行くひと」
その場で会計を済ませたあと、念のためというふうにシルバーくんが言う。挙手する者は誰もいなかった。
「船橋」
俺は膝の上の船橋の頬を軽く叩く。
「船橋。帰りますよ」
船橋は、ううん、と小さく唸っただけで起きようとしない。面倒くさい。誰かこいつを連れて帰ってくれないだろうか、と顔を上げると、シルバーくんは女の子たちと連絡先を交換するのに忙しいようだった。話しかけるのも躊躇われ、俺はもう一度、船橋の頬を叩く。置いて帰ろうかとも思ったが、やはり隣に住んでいる俺が連れて帰るべきなのだろう。
船橋の頭を膝から落とし、「船橋」もう一度呼ぶ。
「うっちー?」
小さく返事があった。
「レオンちゃん、だいじょうぶ?」
女の子が言う。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
船橋は、全然大丈夫じゃなさそうな口調で言った。
「帰りましょう」
俺が言うと、
「おんぶ」
船橋は血迷ったことを言う。
「歩けない。うっちー、おんぶ」
もう大人なんだから自分で歩け。そう思わなくもなかったが、相手は酔っ払いだ。まともに相手をするのは面倒くさい。俺は素直に背中を差し出す。
「わーい」
ずしりと船橋の重みを背中に感じながら、俺は靴を履き、船橋の靴を拾い上げる。
「じゃあ、帰ります。今日はご迷惑をおかけしました」
軽く頭を下げると、
「内田くん。あたしたちじゃなくてレオンちゃんをお持ち帰るのね」
女の子たちは、そう言って笑いながら手を振ってくれた。
「うっちー、なんで怒ってんの?」
船橋をおぶって夜道を帰る。ふいに船橋が口を開いた。
「起きてるなら自分で歩いてください」
そう言うと、まるで、いやだ、とでも言うように船橋は俺の肩にしがみつく。俺は身体を揺らし、ずれてしまった船橋を背負い直す。
「おれが、無理矢理連れてったから怒ってるの?」
船橋は言う。
「怒ってないです」
「うそだ。トイレ行くとき、怒ってたし」
ああ、と納得する。俺が船橋の手を振り払ったことを気にしているのだ。
「ごめんね、うっちー」
船橋は蚊の鳴くような声で言い、俺の肩に顔を押し付けた。
「おれのこと、きらいになった?」
そう問われ、俺の頭の中には疑問符が無数に湧いてきた。きらいになった? ということは、俺は今まで船橋のことを好きだったのだろうか、と思ったのだ。そう尋ねるということは、少なくとも船橋は、自分が俺に好かれていると思っていたようだ。
「わかりません」
俺は答える。
「好きとかきらいとか、考えたこともなかったです」
「そっか」
船橋は言う。
「おれは、うっちーのこと好きだけど」
そう言って、船橋はまた俺の肩に顔を押し付けてきた。
「それは、どうも」
「うっちーも、たぶんおれのこと好きだと思うよ」
そう言われ、再び疑問符が湧く。
「なんで、そう思うんですか?」
「仲直りしてくれたから」
船橋は言った。
「きらいなやつとは、仲直りしないだろ」
「そういうもんですか」
「そういうもんだよ」
頭の中の疑問符が、少し減ったような気がした。
「うっちーさー、俺はこれこれこういう理由で怒ってますよって言ってくんなきゃ、おれだってわかんないんだよ」
そう呟いたあと、船橋はそのまま眠ってしまったようだった。俺は船橋を背負って、夜道を黙々と歩く。
沓脱に船橋の靴を放り投げて、自分の部屋に船橋を運び込む。夏の夜道を重い荷物を背負って歩くのは結構な重労働で、久々に汗だくになってしまった。もう二度としない。そう決意して、船橋を布団の上に転がす。そういえば未だに布団を干していなかったな、と思いながら、
「明日は何時に起きるんですか?」
と聞いてみる。返事がないので、船橋のことは放っておいて、俺はシャワーを浴びることにした。
さっぱりすると、今度は眠たくなったので、俺も寝ることにする。
船橋の身体を布団の端に押しやって、自分も布団に横になる。明日は三コマ目からだ。携帯のアラームをセットして、眼鏡を外して枕元に置き、俺は目を閉じる。船橋の授業が何コマ目からなのか知らないが、遅刻しようが休もうが俺には関係ないので、もう気にせず眠ってしまおうと思った。
うとうとしていると、何かが身体を這い回るような感触で現に引き戻された。目を開けると、船橋の青緑色の目がすぐそこにある。きれいだな、とぼんやり思う。
頭が働き始めるのに時間がかかった。自分の身体を這い回っているのが船橋の手だと気付くと同時に、下唇を舌でなぞるように舐められて一気に目が覚める。酒くさい。股間をやわやわと揉まれて、危機感よりも驚きのほうが先にきてしまい、身体が固まってしまった。
「うっちー、しよ?」
船橋の声は甘えたような響きを持っていた。
「いいでしょ。ね、しよ」
なにを? と薄々はわかっているがはっきりとは聞きたくない答えを、それでも一応確認しておこうとした瞬間に、着ているティーシャツを捲り上げられ、胸元を撫でるようにさわられた。まさか、本当に? そんな言葉が浮かぶ。まさかとは思うが、船橋は酔った勢いで俺を手籠めにでもするつもりなのだろうか。
そこでやっと身の危険を感じ、身体を起こす。目の前の船橋の顔は、なんだかせつなげに歪んでいる。
身体を起こしたことにより元に戻ってしまったティーシャツを再び捲り上げられる。船橋は俺の胸元に何度か強く吸いつき、さらには舌を這わせた。濡れた舌の感触が、ちょっと気持ち悪い。ナメクジが這っているみたいな感じだ。
「船橋」
呼んでみるが、船橋が正気に戻る気配はない。一生懸命な様子で俺の乳首をぬとぬとと唾液で濡らしている。やめてほしい。せっかくシャワーを浴びたのに。そんなことを思いながら、ぼんやりと船橋の茶色い頭のてっぺんを眺める。上目づかいにこちらを見る青緑色の目は、吸い込まれそうにきれいだ。だからなのだろうか、そんなに腹は立たない。ただ、眠たいな、と思う。眠たい。眠りたい。面倒くさい。抵抗すると、この時間は長引くのだろうか。船橋の好きにさせてやれば、すぐに終わるだろうか。血迷ってそんなことを考え始めてしまう。
「あ、あれ? 戻っちゃった」
焦ったような船橋の声で我に返る。いけない。大事なものを失ってしまうところだった。
「うそ。さっきまでちゃんと勃ってたのに」
船橋はいつの間に脱いだのか、何も身に着けていない自分の下半身を覗き込むようにして慌てたように手で握りこんだ。
「うそ。うそうそうそうそ」
船橋は自分のものを握った手をぐにぐにと上下に動かしている。そんなに焦っていては勃つものも勃たないだろう。ただでさえアルコールを摂取しすぎているのだから、勃起機能が低下しているのはあたりまえだ。冷静にそんなことを考えている自分が、なんだか馬鹿みたいに思えた。そもそもの原因は、俺が船橋と同じ男だからではないだろうか。船橋が同性相手に性的興奮を覚えるとは思いにくい。それとも、船橋は同性もいける感じなのだろうか。どうやら、さっきまではちゃんと勃起していたらしいし。ごちゃごちゃ考えてみたが、結局わけがわからないことに変わりはない。面倒くさくなって、
「船橋、今日はもう寝ましょう」
と提案すると、船橋は泣きそうな顔で俺を見た。
「せっかくの据え膳を目の前にして勃たないなんて……」
船橋は、そんなことを言う。
「俺は据え膳ではありません」
何か勘違いをしているようなので、否定しておく。どうぞ食べてください、なんて言った覚えはない。汗だくになってまで酔っぱらったおまえを背負ってここまで連れて帰ってやったのに、その仕打ちがこれか。腹が立つというよりも呆れてしまう。
「うっちー、呆れてるだろ」
船橋が拗ねたように言う。
「どうしてわかったんですか」
そう答えると、船橋は傷ついたような顔をした。
「おれのこと、きらいになった?」
俺は無言で首を横に振る。船橋はほっとしたように、
「ごめんね、うっちー」
と言いながらパンツを穿く。そして、
「勃たなくて、ごめん」
そう続けられた船橋の言葉に、俺は絶句した。謝るべきところは、そこではないはずだ。
アラームの音で目を覚ます。目の前に目を閉じた船橋の顔があった。改めてよく見ると、睫毛も髪の毛と同じ色をしている。これ地毛だったのか、と思いながら長い睫毛を見つめ、船橋の髪の毛に手を突っ込んでみた。
「ん」
船橋が唸る。
「ん、ん、ん」
唸りながら、船橋の眉間にどんどんしわが寄っていく。何かいやな夢でも見ているのだろうか。
「船橋」
身体を揺すると、船橋はあっさりと目を開けた。
「うっちー」
船橋は少し笑って、「おはよう」と言う。
「おはよう」
そう返して、俺は立ち上がり、服を着がえる。布団に胡坐をかき、こちらを見ている船橋の眉間に再びしわが寄った。
「どうかしましたか」
尋ねると、
「それ」
船橋が俺の胸元を指差した。
「誰がつけたの」
低い声で問われ、俺はじっと船橋を見返した。
「うっちー、彼女とかいたんだっけ」
なぜか怒ったような口調で言われ、こいつは何をほざいているのだ、と呆れる。俺の胸には、赤い痣のような痕がいくつかついていた。昨晩、船橋がつけたものだ。
「船橋」
俺は船橋を呼ぶ。
「なにを怒ってるんですか?」
自分でつけたくせに。そう思って尋ねると、
「別に」
と返ってきた。
「そうですか」
頷いて、俺は服を着がえ、授業へ行く準備をする。もしかしたら、船橋は覚えていないのかもしれない。それならそれでいい。あんな面倒くさいこと、なかったことにできるなら、それに越したことはない。
「うっちーも昨日、怒ってただろ」
船橋が、ぼそりと言う。
「なんで怒ってたの」
それは覚えているのか。
「船橋、女の子に目のこと言われても怒らなかったでしょう。俺の時には怒ったのに」
不公平だ、と言うと、
「だって」
船橋は困ったような顔をする。
「おれはこれこれこういう理由で不機嫌になってしまうから目のことは言わないでねって説明を、あの子にはしてないし」
そう言われ、納得する。船橋は、かなり素直な性格らしい。新しい発見を内心でおもしろがっていると、
「うっちー」
追いすがるように腕を掴まれ、座らされた。
「なあ、本当に、か、彼女とか、いるの? 胸のあれ、そのひとがつけたの? そういうことするひとが、うっちーにはいるの?」
立て続けに質問されて、俺は少し身を引いた。船橋の記憶は、どうやら、中途半端に消えてしまっているようだ。
「いません」
素直な船橋につられるように、俺も素直に答える。
「これをつけたのは、船橋です」
面倒くさいことを蒸し返してしまうかもしれない。でも、まあいいかと思う。
「俺に、そういうことをしようとしたのも、船橋です」
その言葉を聞いた船橋の顔から血の気が引く。
「船橋は、自分で勝手にやっといて、自分で勝手に怒ってる」
今度は反対に血が上ってしまったようで、船橋は顔を真っ赤にして俺を見た。
「俺、もう授業行かなきゃいけないんで、帰ってください」
そう言うと、
「そんな。うっちー……」
船橋は情けない声を出す。座ったまま、その場を動こうとしない船橋に焦れてしまう。こいつが出て行ってくれないと、俺が出かけられない。イライラしていると、
「未遂……?」
船橋が口を開いた。一瞬、なんのことだかわからなかったが、すぐに昨晩のことだと気付き、
「未遂です。勃たなかったんで」
と返す。
「ああ、まあ、おれ相手になんか勃たないよな」
船橋がどことなく悲しそうに言うので、また何か勘違いをしているようだ、と俺は補足をする。
「勃たなかったのは船橋です」
ぎょっとしたように船橋が俺を見る。そして、
「そんなわけない」
と呆けたようにゆるゆると首を振る。
「おれが、うっちー相手に勃たないなんて、そんなわけ……」
「でも実際、勃たなかったんだから」
もういいでしょ、と俺は立ち上がる。船橋は、やはり立ち上がろうとしない。
「どうしたら帰ってくれるんですか」
困って尋ねると、
「キスしてくれたら帰る」
拗ねたように言うものだから、俺はしゃがみ込む。そして、船橋の茶色い髪の毛に指を差し込むようにして後頭部を支え、船橋の唇に自分の唇を押し付けた。昨晩、船橋が俺にしたように、唇を舌でなぞってやると、布団の上にころりと転がされた。
「祐一郎」
船橋が熱に浮かされたみたいに俺をそう呼んだ。なんで急に下の名前なんだ、と疑問に思っていると、今度は船橋のほうからキスを仕掛けてくる。俺の舌を絡め取るように動く船橋の舌に申し訳程度に付き合いながら、これは長引くのだろうか、と心配になる。キスしてくれたら帰ると言った船橋は、キスをしてやったにも関わらず全く帰る気配がない。それどころか、このまま俺を手籠めにする気満々な感じだ。
「祐一郎」
船橋が俺を呼び、俺の手を掴んで自分の股間に持っていく。そのままべたっとさわらされたそこは、布越しでもわかるくらいに固くなっていた。
「ほら、勃ってる」
船橋は言う。
「はあ」
俺は曖昧に頷いた。
「よかったですね」
一応言う。
「あの。キスしたのに、どうして帰ってくれないんですか」
帰ってくれないと困る。授業に出られない。心底困ってそう言うと、船橋はなんとも悲しそうな顔をする。
「なんでそんなに帰らそうとすんの?」
船橋が言う。
「授業に出たいので」
俺は答える。
「サボればいいじゃん」
言い終わらないうちに、またキスをされる。
「しよ。祐一郎」
俺はちらりと壁の時計を見る。もうすぐ授業が始まってしまう。いまからここを出ても、完全に遅刻だ。こうなったら一コマくらい、サボってもいいか。そう思い、俺は頷いた。
この時、俺は船橋の「サボればいいじゃん」に頷いたつもりだったのだが、その後に続いた言葉を完全にスルーしてしまっていたために悲劇は起こった。船橋にしてみたら、その後の「しよ」に俺が頷いたように見えたはずだ。キスをしながら股間をねっとりと揉まれて、やっとそのことに思い当った。
「祐一郎も勃ってるね」
船橋は、俺の股間をふにふにと揉みながらうれしそうに言った。そんなふうに刺激されたらそりゃ勃つよ、と思わないでもなかったが、俺は、
「うん」
と頷くだけにする。船橋のうれしそうな顔を見て、そうか、と気付いたのだ。船橋は、俺のことが好きなのか。昨晩も聞いたが、こういう好きだとは思っていなかった。こういうふうに、俺は好かれているのか。だからこんなことをしたがるのか。そう思ったら、途端に船橋のことがかわいく思えた。現金なものだ。
船橋の茶色の髪の毛に指を差し込んで、青緑色の目を見る。きれいだ。舐めてみたい。そう思ったが、それはさすがに変なことだとわかっているので、その代わりに、俺は船橋のまぶたに口づけた。
「祐一郎」
船橋が、うれしそうに笑い、甘えたような声で俺を呼ぶ。
「うん」
俺は頷いてされるがままになる。そして、ふと思う。これだけ好きにさせてやっているのだから、俺も船橋に何かしてもらわないとなんだか不公平だ。そのままの言葉を船橋に言うと、
「え」
船橋は困ったような声を上げた。
「こういうのって、見返りを求めるもんじゃないじゃん」
「でも、俺は見返りがほしい」
船橋は少し悲しそうに俺を見る。
「好きだけじゃだめなの」
そう聞かれ、そもそも俺は船橋を好きなのだろうか、と悩んでしまう。黙っていると、
「じゃあ、祐一郎がしてほしいこと言ってみて」
諦めたように船橋が言った。
「日曜日の深夜」
俺はさっきから考えていたことを口にする。
「うん?」
「日曜日の深夜、また壁を叩いてください」
「そんなんでいいの?」
「はい。ここにいるよって感じで叩いてくれたら、それで」
「そっか。わかった」
船橋は何がそんなにうれしかったのか、満面の笑みで頷いて、俺の眼鏡を取ると脇に置く。キスをしながら、俺の股間に船橋の股間がぎゅうぎゅうと押し付けられているのを感じ、ああ、もう戻れないんだ、と思った。ここを越えてしまったら、定期的にこういうことをしないといけなくなるかもしれない。面倒くさいな、と思ったが、まあいいかと思い直す。日曜日の深夜、船橋が俺に消息を知らせてくれるなら、まあいいか。
擦れ合う熱を感じながら俺は船橋の背中に腕を回した。
日曜日の深夜、隣の部屋の壁をどむどむと叩く音がする。船橋が、いるのだ。隣にいるのだ。そう思うと、死にたい気持ちが消えていく。壁を叩き返して、俺は安心して眠りにつく。
了
ありがとうございました。