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02.フィオーラ

 ローグはそれから、三日三晩一度も外へ出てこなかった。もちろん女もだ。

 三日経ってようやく出てきたローグは、ご機嫌伺いに集まってきた手下たちに最上のご馳走を集めて来いとだけ命令し、再び棲家へと引っ込んで行った。戸惑い顔を見合わせた手下たちは、それでも言われたとおりに食材を集めて棲家へと持ってくる。すると出てきたローグに、荷物をそこに置いて失せろと冷たくあしらわれた。

 慌てて散った手下のうちの何人かが物陰から様子を窺えば、なんとローグは自分で荷物を棲家へと運び込んだではないか。いつもなら手下に運び込ませるのに。



 ローグがおかしい。

 何日経っても棲家から出てこない。


 その噂はまたたく間にスラム中に広まった。スラムの住人たちはローグの姿が見えないことに、最初は何事が起こったのか分からず狼狽えるばかりだったが、すぐにローグのいない平穏な日常を楽しむようになっていった。

 あっという間にスラムは平和になった。絶対的支配者であるローグがスラムを闊歩しないのだから、彼の姿に怯える必要もないのだ。

 もちろん中にはローグに従わぬ者、ローグに敵対する者もいたが、彼は別に死んだわけでも何でもなく、ただ棲家から出てこないだけなので、おおっぴらに悪さすることもできなかった。何かあればすぐに奴が出てきて蹴散らされるだけなのが分かっているだけに、迂闊な真似をするわけにもいかなかったのだ。


 ローグはそれからも、数日おきに棲家から出てきては手下を呼び集めて、食材や必要な日用品を集めてくるよう命令してはすぐに引っ込む、ということを繰り返した。そのうちに棲家の窓に美しい女の姿が見えたという話が広まり、ローグが新しい女を囲って溺れている、とあっという間に噂になった。

 それで色めき立ったのはローグに歯向かう数少ない者たちである。ローグは女にうつつを抜かして腑抜けになった、と殊更に吹聴してはローグの支配を切り崩しにかかった。

 ところがそれを手下から聞き及んだらしいローグが現れ、敵対する者たちをたったひとりで、一晩で潰した。


邪魔(・・)すんじゃねェよ、雑魚どもが」


 久々に出てきたローグは、かつてと何ら変わらぬ暴虐の嵐であった。手足を折られ顔面を潰され呻きもがく男たちを睥睨してそう言い放ったローグは、以前にも増して恐ろしかった。

 だが不思議なことに、誰ひとり殺すことなくローグは棲家へと戻って行った。今までであれば見せしめに、グループのリーダーだけは必ず殺していたというのに。




  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




「旦那様、おはようございます。朝ですわよ」


 鈴を転がすような美しい声を聞いて、ローグは目を覚ます。毎晩のように気を失わせるほど抱き潰しているというのに、翌朝になると女は必ずローグより早く起きて朝食の準備を整え、そしてローグを起こしに来る。


「んあ?もう朝かよ……」


 心地よいまどろみを邪魔されたことに腹を立てるでもなく、ローグはのそのそと身を起こす。以前ならたったそれだけで女を殺したことさえあったというのに、怒る様子もない。


「朝食の準備も整っていますよ。さあ、一緒に食べましょう旦那様」


 明るい顔と声で腕を引かれて、全裸のローグはベッドから離れて立ち上がる。女は慣れた手つきで下着を履かせ、ガウンを羽織らせて、そしてローグの腕を取って寝室を連れ出し居間へと促す。ローグはその間されるがままだ。



 女はあの日、棲家に連れ込まれたあと、三日三晩に渡ってローグに抱かれ続けた。逞しい身体に押し倒され、清楚な白い服をはぎ取られ、華奢なその身を蹂躙されながらも彼女は全身でローグの欲望を受け止めた。

 何度も、何度も、何度も。

 お互い疲れ切っては泥に沈むように眠り、目覚めればまた抱き合って睦み合う。それをただひたすらに繰り返した。飯も食わず、湯で身を清めることもせず、ドロドロに混じり合って数え切れないほどに果てた。


 そうしてさすがに四日目の朝に、「腹ァ、減ったな」と呟いたローグが棲家を出て手下たちに食い物を持ってこさせて、それでふたりで初めて食卓を共にしたのだ。


「おい、おめェ名前なんてんだ」


 食いきれないほどに持ってこさせた果物や肉を食い散らかしながら、ローグは女に訊ねた。


「名前……ですか?」

「あァ」


 抱いた女の名前を聞いたのなんて初めてのことだった。女を呼ぶ時はいつだって「オイ」か「お前」で済ませていたローグである。

 だが、この女の名前は知りたいと思った。ローグはその理由を考えもしなかったが、後になって思えば、もう手放すつもりがなくなっていたということなのだろう。


「名前……そうですね。貴方が付けてくださる?」

「なんだ、名前、教えられねェってのか」

「いいえ。名前がない(・・・・・)のです」


 そんなバカなことがあるものか。手下の雑魚どもだって、歯向かうクズどもだって全員名前を持ってるんだ。この女にそれが無いわけがない。

 そう言いかけて、あァ、そうかとローグは得心した。この女は、名前を捨てた(・・・・・・)のだ。


 これだけの美女だ。髪も肌も輝くように美しく、スラムや下町で育ったようには思えない。着ている服も良いものだったし、肌艶も良くて言葉遣いも上品だ。

 つまりワケあり(・・・・)なのだ。おそらくはどこぞの貴族か豪商の娘といったところだろうか。捨てられたか、逃げたか、おそらくはそういった理由で名前を捨てるとともに過去と訣別したのだろう。


「俺が決めていいのかよ」

「はい。旦那様に名付けて頂きたいのです」


 微笑みを浮かべながらそう言われたが、ローグには名付けてやれるような教養がない。さてどうしたもんかとしばし思案したが、ひとつ閃いた。


「フィオーラ、ってのどうだ」

(フィオーラ)、ですか」

「あァ。一番高くて、一番きれいな金貨だそうだ」


 フィオーラ。それは幼児(おさなご)の手のひら大の大きく美しい白金貨のことである。この世界は国を問わず貨幣が統一されていて、白金貨(フィオーラ)は中でももっとも価値が高い。それ一枚で金貨百枚に相当する。

 ローグはたった一度だけ、その白金貨を見たことがある。何年か前、まだ若かった頃にどこぞの貴族に雇われて政敵とやらを始末しろと依頼され、その時に成功したらこれをくれてやる、とわざわざ見せられたのだ。


 金貨百枚分だと言われてローグはその仕事を請けた。暗殺は首尾よく成功させたものの、貴族は約束を違えて、麾下の私設騎士たちに袋叩きにされローグは追い払われた。

 ローグは怒り、そしてほくそ笑んだ。約束を守るつもりがないのなら後腐れのないよう殺しておくべきだったのに、貴族は脅しのつもりか、痛めつけるだけで放り出してくれたのだ。

 だからローグは仲間を集めて下調べをして機会を窺い、暗殺と約束の反故からおよそ1年後に、都市間の移動中を狙って襲撃して貴族もその護衛も全員をなぶり殺した。本当は邸に乗り込んで夫人と娘も攫って行きたかったが、あまり派手にやらかすと国に追われるようになるので本人への復讐のみに(とど)めた。


 殺したのはよその街の領主で、だからローグは根城である地元のこの街まで逃げ戻って、それで平気な顔をしてスラムを闊歩している。約束を反故にした貴族が暗殺を露見しないように秘密裏に他の街のローグに依頼したおかげで、ローグとその貴族に接点がなく、だからどちらの貴族殺しもローグの仕業だと露見することもなかった。


「ふふ。ありがとうございます旦那様。嬉しいですわ」


 女がはにかんで微笑(わら)い、その日から彼女の名前は『フィオーラ』になった。







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