婚約破棄されるかもしれない婚約者から貰った『魔法の鏡』が、どうも私のことを好きな気がする~魔法の鏡「婚約破棄!?そ、そんなことさせないぞ!」~
――グリール。
自ら軍事国家を名乗るこの国は、昔から武器や兵器の開発を得意としており、それらを輸出することを主な産業としている。
そしてその技術は兵器開発のみにとどまらず、日常生活で使用される様々な品々にも活用されていた。
……むしろ、今となってはこちらのほうが主流と言えるかもしれない。
理由は単純で、今は昔ほど人同士の争いが活発ではなく、対人用の兵器開発があまり重要視されなくなっているからだ。
もちろん、人類共通の敵である魔物や魔族、悪魔といった存在に対する装備開発などは未だに盛んだが、そういった魔の存在に対しては残念ながら人の作る装備はあまり効果的でなく、需要は縮小しつつあった。
魔の存在に有効なのは『魔法』や『呪法』、『魔術』といった魔力を用いる技術なのだが、グリールは地脈の関係かそういった素質に優れた者が生まれにくく、結果的に魔力の研究では他国に劣っているという状況になってしまっている。
軍事国家などと名乗ってはいるが、実際は『呪法』の研究が進んでいるガイエスト帝国の方が戦力的に勝っているのは間違いないだろう。
そんな背景もあり、グリールでは昔から生産力や技術力の方が地位に結びつきやすくなっているのだが、私の一族であるアイスブランド子爵家は中でも異端であり、武勇によって地位を築いた貴族である。
武勇と言っても、それは魔力による戦闘技術の発達していなかった大昔の話で、現在では戦力的価値はほとんど無いに等しい。
アイスブランド家の人間が生身で倒せるのはせいぜいが熊程度で、魔物ともなるとAランクのベアウルフはおろかCランクの魔物すら単騎で倒すのは困難だ。
その程度の戦闘力では、たとえ冒険者になろうとも良くて中堅が限界と思われる。
今は過去の栄光でなんとか子爵に留まれているが、いずれはさらなる降格……、最悪は貴族の資格をはく奪されることとなるだろう。
そんな未来を回避するために、アイスブランド家は重い腰を上げ、最近になってようやく生産関連の事業に手を出し始めた。
これまでは貴族でありながら、身体能力の優れた血筋だけを取り入れるよう政略結婚すら行っていなかったのだが、父の代でそれも変わり積極的に優れた生産技術力を有した家と繋がりを持つよう取り組んでいる。
私にもその繋がりを得る目的として、幼い頃から婚約者が存在していた。
「カ、カレン! ついに、完成したんだ……っ!」
ノックもなしに、モノクルを付けた銀髪の青年が部屋に駆け込んでくる。
「……アッシュ、ノックもしないで女性の部屋に入るのは失礼ですよ」
「ハァ……ッ、ハァ……ッ、す、すまない、一刻も早く君に見せたくて、ね……」
「……まったく、そんなに急がずとも、私は逃げたりしませんのに」
このアッシュ・クロムウェルという青年が、私の幼馴染であり、現時点での婚約者だ。
幼い頃からよく我が家には遊びに来ていたこともあり、今でも突然家に上がり込んできたりする。
アッシュは緩い表情に細身の体付きという見た目通りの優男で、残念ながら運動神経もなければ体力もない。
だというのに、昔から私のこととなると必死になって駆け付けてくれるので……、少し可愛いところがある。
「それで、今日は何の用ですか?」
「これを見てくれ!」
そう言ってアッシュは、脇に抱えていた大きな包みを開く。
「これは……、鏡ですか?」
「その通りなのだけど、厳密には違う。これは『魔法の鏡』さ!」
「魔法の……、鏡?」
「そう! と言っても、美しく見えるとかそんなチャチなものじゃないよ? 簡単に言えば、これは会話ができる鏡さ!」
会話ができる……?
それに何の意味が……と思ったが、そういえば似たような物を御伽噺で見たことある気がする。
「これは古い御伽噺で登場した『魔法の鏡』をデザイン元にしていてね、問いかければ色々なことを答えてくれる機能を持っているんだ。残念ながらオリジナルのように何でもとまではいかないけどね」
「つまり、パクリということね?」
「パクリとは失礼な! あれは空想の中の産物だろう? 僕はそれを実現してみせただけで、現存物を模倣したワケではない!」
この国は、様々な兵器や生活用品の製造を主力としていることもあって、模造品などには厳しい目を向けられる傾向にある。
俗な言い方をすれば、パクリに厳しいのだ。
ゆえに発明家の家系であるアッシュも、パクリという言葉には敏感なのであった。
まあ確かに、アッシュの言い分もわかる。
例えばこの国で製造された兵器の一つである『火炎放射器』も、空想の存在と言われるドラゴンのブレスをデザイン元としているが、それをパクリだなどと言われたことは一度もない。
そういう意味では、恐らくこの鏡も問題となることはないだろう。
「まあ、そんなことはどうでもいいから、早速使ってみてくれ!」
アッシュはそう言いながら、壁の空きスペースに勝手に鏡を取り付けてしまう。
それ自体は別にいいのだけど、どこに設置するかくらいは聞いて欲しかった。
「と言っても、どうやって使うのですか?」
「簡単さ。「鏡よ鏡」という言葉を始めに唱えてから、何か質問するだけだよ」
「成程。そこもパク――再現してるのですね。では早速、鏡よかが――」
「おっと待ってくれ! 質問の内容を僕が聞くのはマズイからね! 外に出ているよ!」
そう言ってアッシュは部屋から出て行ってしまう。
別に私としては聞かれても気にはならないのだけど……
でもまあ、折角なのでアッシュにあまり聞かれたくない内容を質問してみましょうか。
「鏡よ鏡、アッシュが一番好きなモノは何?」
『……アッシュが好きなものは、カレン・アイスブランド子爵令嬢です』
「っ!?」
その回答に私は思わずビクリと反応する。
何故ならば、完全に想定外だったから。
「私は、アッシュの好きな物――例えば食べ物とかを聞きたかったのだけど……」
『アッシュが好きな食べ物は、カレン様が6歳のときに仕留めた猪の丸焼きです』
「えぇっ!?」
確かに私は、6歳のときに初めて自力で仕留めた猪をアッシュにご馳走したことがある。
でも、それは私と両親、それにアッシュ本人しか知らないことだ。
この鏡は、一体どうやってそれを知ったのだろうか。
「……アッシュ! 部屋に戻ってきなさい!」
部屋の外に聞こえるよう大きな声で呼ぶと、少し間を置いてからアッシュが慌てたように部屋に入ってくる。
「ど、ど、ど、どうしたのかな!? 鏡の回答に何か問題が!?」
「いえ、問題というワケではないのですけど、これはどういう仕組みなのですか? なんだか少し、気味が悪いです」
鏡が喋るというだけでも変だというのに、それがまるで意思を持っているかのように質問に回答してくるというのは、はっきり言って異様に思える。
ひょっとしたら、魔物の類という可能性も十分にあるのでは……
「ああ、これはね、今研究者の中で少し流行っている『人工知能』というものが仕込まれているのさ!」
「人工、知能?」
「ああ。その名の通り、人の手で作られた疑似的な知能のことだよ」
「っ!? そんな……、人の手で、知能が作れるのですか?」
「あくまでも疑似的に、だけどね。僕の知識情報を魔学の技術で抽出し、そのデータを元に適した回答をするという仕組みさ! この対話型の『人工知能』は僕が開発したオリジナル作品で、名付けて『キャットロボット』という!」
アッシュはサラッと言ったが、知識情報を抽出するなんて本当に可能なのだろうか?
そんなことができるのであれば、スパイや暗殺者から拷問せずとも情報を引き出せてしまう。
……いや、そもそも『呪法』や『魔術』、『魔法』には精神や記憶を操作する術があると聞くので、そこまで希少な技術ではないのかもしれない。
「仕組みについては私が聞いてもわかりませんが、何故そんな名前に?」
「それは単純に、僕が猫好きだからさ!」
キャットは古代語で猫を意味する言葉だ(ちなみにロボットは機械人形を意味する)。
そういえばアッシュは猫好きで、発明品にも猫をモチーフとしたものが多い。
しかし、名前にまで付けるのはかなり珍しい気がする。
「今回の発明は君のためだけに作り上げた物だから、商品化する気はないんだよ。だから、名前は僕の好みで付けてさせてもらった」
「……そういうことですか。しかし、私のためだけにこんな高度な発明品を作るというのは、かなり問題でなのでは?」
新しい発明をするには、多大な時間とお金がかかる。
だからそれが許されるのは、目的があくまでも多くの消費者に向けたものであり、かかったお金も回収できる見込みがあるからこそだ。
それを個人に対してプレゼントなどしていては、待っているのは確実な破産である。
「元々この『キャットロボット』に使われている素材は貴重過ぎて量産化は不可能なんだ。だから、親しい人にプレゼントするのが一番良い使い方なんだよ」
「でも、貴重品ならやはり価値が……」
「貴重品だからこそ、婚約者であるカレンにプレゼントするんだよ!」
「…………」
真っ直ぐな愛情を向けられ嬉しく思うものの、心がズキリと痛んだ。
「まあ、技術に関しては色々と応用できるから、決して損はしていないよ。だから、そんなに不安そうな顔をしないでおくれ」
「……ええ、わかったわアッシュ。この鏡は、大切に使わせていただくわね」
「ああ! 僕だと思って、毎日話しかけてくれると嬉しいな!」
◇
それからは、毎日『キャットロボット』と会話するのが私の日課になった。
落ち目のアイスブランド家には客人は滅多に来ず、鍛錬以外の時間は特にすることもなかったため、正直かなり良い暇つぶしになった。
何よりこの『キャットロボット』は、アッシュの知能を引き継いでいるせいか凄く私を立ててくれるため、とても気分が良くなるのだ。
「鏡よ鏡、この世で最も美しいのは誰?」
『美醜の基準は個人差があるため、優劣をつけることは極めて困難です。しかし、私の主観としてはカレン様が最も美しいと思っています』
「お世辞が上手いのね」
『私には世辞を言う機能はありません』
ある程度使ってみてわかったことは、この『キャットロボット』は考えながら喋っているワケではなく、あくまでもデータから適した回答を導き出しているに過ぎないということだ。
だから、人間のような情緒を期待することはできない。
でも、世辞や気遣いがないからこそ、嘘偽りなく真実味があるので心地よく感じることも多い。
「鏡よ鏡、それは、アッシュも同じ考えということで間違いない?」
『……ま、間違いありません』
ただ、少し気になることとして、こういう質問をすると時々どもったり、無言になったりすることがある。
私が飽きもせず毎日会話を続けているのは、こうした人間味に親しみを感じているからと言えなくもない。
「そう……。正直嬉しいわ。……でも、それが少し悲しくもあるの」
『……どういうことでしょうか?』
時折だが、キーワードを唱えずとも会話が続くことがある。
どういう条件かは不明だけど、なんとなくお得感のある仕様だ。
「……実は、私に、婚約の申し出が来ているのです」
『っ!? しかし、カレン様にはアッシュが――』
「ええ、その通りです。普通ならあり得ないことと言えるでしょう。ですが、そのお相手が、カーライル伯爵家の長男なのですよ」
『そ、それは……』
カーライル家は、かつてアイスブランド家と同様に武勇で力を示した貴族である。
しかし、当時の記録としては格下として扱われていたようで、二家には明確な差があったそうだ。
それがここ数十年の間に、立場は完全に逆転してしまった。
理由は簡単で、カーライル家は魔力戦が主流となる兆候を感じ取るや否や、武勇を捨て真っ先に生産技術に手を出したからである。
なまじ武勇に誇りを持っていた我が家は、フットワークの重さゆえに参入が遅れ、今のような惨状となってしまった。
「過去に因縁のある相手とはいえ、あちらから歩み寄りを見せたことでお父様の気持ちは大きく揺らいでいます。いくらクロムウェル家と懇意にしているとはいえ、男爵家と伯爵家では力に大きな差がありますからね」
クロムウェル家がいくら優秀な生産技術を有した一族とはいえ、家格で言えばカーライル家には遠く及ばない。
一族の未来を考えれば、たとえ婚約破棄をしてでも……
「ねぇ、鏡よ鏡、私はどうすればいいのかしら?」
『……それは、私に答えられる範疇を超えています。ただ、一族の未来だけを考えるのであれば、答えは出ているでしょう』
「そう、そうよね……」
この鏡はデータから最適解を導き出し答えるのだから、結果は聞くまでもなくわかることだった。
『……しかし』
「え?」
『最も重要なのは、カレン様の気持ちだと私は考えます。……カレン様は、アッシュのことを、愛していますか?』
「っ!?」
その問いに、私の心臓は早鐘を打つように高鳴り始める。
幼い頃からずっと一緒だったアッシュ。
アッシュは弱虫で、泣き虫で、屈強な男ばかりのアイスブランド家の人間と比べると、いつまでも赤子のような存在だった。
そんなアッシュのことを私は弟のように可愛がりつつも、いつしか立派な男になるよう鍛えたりもした。
結局アッシュが逞しく育つことはなかったけど、だからと言って彼を情けないと感じたことは一度もない。
だってアッシュは、体が弱いくせに、いつも私のことを大事にしようとしてくれたし、ずっと、ずっと私のことを、好きでいてくれた。
そんなアッシュのことを、私は……
「……愛しているに、決まっています! 私は、誰よりも、何よりも、アッシュのことを――」
『であれば、何も問題はありません』
「でも、私が嫁がなければ、アイスブランド家は……」
『ですから、問題ありません。要するにクロムウェル家の家格が高ければ良いということでしょう?』
「でも、クロムウェル家は男爵家で……」
『それは現時点では、という話です。断言しますが、アッシュは必ずクロムウェル家を大きくします。それだけの才覚が、彼にはあります。カレン様はそう思いませんか?』
「……いいえ、アッシュは天才だもの。いつか必ず、世界が彼を注目する日が来ると、信じているわ」
『良か……オホン! え~、きっとカレン様の想いは、アッシュに伝わるでしょう。そして必ず、その想いに応えてくれるハズです』
一瞬、『キャットロボット』の鏡面が乱れたような気がしたが、その声は無機質でありながらいつも以上に自信が溢れているように感じた。
それに突き動かされるように、私は覚悟を決める。
「お父様と、話をしてきます」
◇
その数日後、カーライル家がアイスブランド家に招かれた。
これは以前から予定されていた会合で、私とカーライル家の長男であるミルコ様との婚約について取り決めを行う予定になっていた。
「久しぶりだなぁ、アイスブランド子爵」
「遥々ようこそ、カーライル伯爵。どうぞこちらへ」
お父様は自らカーライル伯爵を迎え入れ、屋敷を案内する。
その後ろには、ミルコ様と思われる20代後半くらいの男性が続く。
(……醜い)
カーライル伯爵もミルコ様も、ともに激しく肥え太っていた。
かつては武勇で名を轟かせていた一族と聞いていたので、それなりに逞しい姿を想像していたのだけど、悪い意味で予想を裏切られた気がする。
恐らくは生産改革の成功で得た財産で贅を尽くし、自らの肉体を鍛えることをやめたのだろう。
アイスブランド家も今後は生産、製造面で成長していくことになるだろうが、ああはなりたくないものである。
……ただ、その傍らを歩く者達は、カーライル親子とは違い引き締まった体つきをしている。
恐らくは護衛なのだろうが、何となく雰囲気が異質な気がする。
少なくとも、貴族の纏う空気ではない。雇われの護衛か何かだろうか……
本来であれば客室に通すところだが、今回は大人数の来客ということもあり大広間へと案内する。
カーライル伯爵は席を勧める前から勝手に中央付近に陣取り、息子とともに着席する。
「さて、早速ですが息子のミルコとカレン嬢の婚約についてですが――」
「その前にお伝えすることが。私の娘、カレンには幼少より婚約を結んでいる者がいまして……」
「もちろん存じていますとも。クロムウェル家の長男……、確かアッシュといったかな? ……で、それが何か問題なのかね?」
「問題はありますとも。そちらのミルコ君と婚約するということであれば、当然だがアッシュ君とは婚約破棄……、つまりクロムウェル家とは縁を切ることになる」
「だから、それに何の問題があるかと聞いている。我がカーライル家と縁を結ぶのであれば、クロムウェル家ごとき弱小貴族と縁を切ることなど些事に等しいだろう」
カーライル伯爵は傲慢な態度で、クロムウェル家との絶縁を些事と言い切る。
上位貴族の態度としてはわからなくもないが、不愉快な気持ちは抑えられない。
「カーライル伯爵にとっては、我がアイスブランド家もクロムウェル家も、等しく弱小貴族に見えて当然でしょうな。しかし、我が家から見ればクロムウェル家は対等以上の関係だと思っているのです」
「では何か? 婚約破棄はしないと?」
「そうは言っていません。ですが、この件は娘の意思に委ねようと考えています」
「……ほぅ」
カーライル伯爵の濁った眼差しが私に向けられる。
迫力はないが、値踏みするようなネットリとした嫌悪感を覚える視線に、思わず身震いしてしまった。
「ふむ、聡明そうなお嬢さんだ。貴族としての立場も理解しているようだし、この様子だと血迷った選択はしますまい」
カーライル伯爵は私の反応を見て怯えたと感じたのか、笑みを深める。
「それに、万が一そんな選択をしたとすれば、クロムウェル家に悲劇が起こるかもしれませんからなぁ。そんな不幸な結果は、誰も望まないでしょう。クッハッハ!」
勝ち誇るように笑い声を漏らすカーライル伯爵。
恐らくこれは脅してもなんでもなく、私の選択次第では本当に起こり得る未来なのだ。
それだけの力を、カーライル家は持っている。
本当に悔しくて堪らない。
でも、ここで私が何も答えなければ、私に全てを委ねてくれたお父様達の誇りをも傷つけることになる。
「私は……、アッシュとの婚約を――」
唇の端を、犬歯で噛みしめる。
「破棄しません! 私はアッシュとともに生きます!」
「…………」
カーライル伯爵は、私の宣言を無表情に受け止めた。
対照的に、息子のミルコ様は顔を真っ赤にして青筋を立てている。
「ということですカーライル伯爵。大変ありがたい話ではありますが、私は娘の気持ちを尊重したい。残念ながら今回は――」
「ああ、こうなることは予測していた。むしろ、それを望んでいたと言ってもいい」
「? それはどういう――っ!?」
お父様が尋ねようとした瞬間、カーライル伯爵の傍らに立っていた男が凄まじい勢いで蹴りを放ってくる。
虚を突かれたとはいえ、お父様はしっかりと防御してみせた――が、勢いは殺せず壁際まで弾き飛ばされてしまう。
「クッ……、なんの、つもりだ……!」
「この状況で説明の必要はないでしょう。元々婚約が成ろうと成るまいと、我がカーライル家の目的はただ一つでした。忌まわしきアイスブランド家を屈服させること、それこそが我が一族の本懐」
「……そういうことか。百年近く前の確執を、未だ根に持っているとはな」
いくら格下とはいえ、貴族相手に手を出すことは王家から厳密に禁止されている。
もしこれが明るみに出れば、たとえカーライル家でもただでは済まないというのに……
過去に因縁があるとは聞いていたが、まさかそこまで恨みを買っていたとは思わなかった。
「フン! 貴様らにとっては過去のことだろうが、我々にとっては違う。屈辱は血とともに脈々と受け継がれているのだ! だからこそ! 過去に刻まれた屈辱は、必ず清算しなければならないなのである! そうして初めて、我々は真の勝者となるのだ!」
カーライル家にどのように過去の恨みが伝えられてきたかはわからないが、少なくとも私が伝え聞いた過去とは内容が異なるようにしか思えない。
確かに立場が違えば印象も異なるし、伝えられた記録も違う可能性はある。
どちらが真実かはわからない。
しかし、少なくともカーライル家にとってはそれが真実なのだろう。
「婚約が成れば、娘を廃人にし、徹底的に追い込んでアイスブランド家を取り潰すくらいで済ませようと思っていたが、こうなっては仕方がない。一族全員洗脳したうえで、一生奴隷として扱ってやろう」
「そんなことをさせると思うか!」
後ろで待機していた兄のレイモンドとザシルが、カーライル伯爵に飛びかかる。
しかし、それに立ちはだかるように護衛達が前に出て手をかざす。
兄二人はそれを無視して強引に踏み込もうとするが、不可視の壁に阻まれてそれ以上前に出ることができなかった。
「これは……! 呪法の障壁か!」
「フン! 魔力はなくとも、知識くらいは付けているようだな!」
アイスブランド家とて、魔力に対して対策を講じなかったワケではない。
少しでも可能性を求め、色々な知識を学び、実験を繰り返した。
それでも、結果として魔力に対抗する術がなかったため、ここまで落ちぶれてしまったのである。
「この日のために、ガイエスト帝国から呪法を扱える冒険者を雇っておいたのだ。それも、A級やB級の手練れをな。魔力の乏しい貴様らには、万に一つも勝ち目はないぞ!」
それを聞いて、明らかに兄二人が怯むのがわかった。
二人とも、魔力に対する絶望感は散々味わっているため、事実と認めざるを得なかったのだろう。
最大戦力である兄二人が戦意を失ってしまっては、最早勝ち目はない。
まさか、こんなことになるなんて……
「クックック! いい表情だ! その顔が見たかった! アイスブランド家の人間の絶望する顔が!」
カーライル伯爵が高らかに笑う。
耳障りな笑い声だが、今はその悪意に精神力がガリガリと削られていく。
「んだよ、簡単な仕事とは聞いてたが、まさかここまでとはな。これが過去の英雄の子孫だっつーんだから笑わせるぜ」
そう言いながら、お父様を蹴り上げた男が私に近づいてくる。
「お、おい! お前何する気だ!」
それまでニヤニヤ笑っているだけだったミルコが、男の動きに焦ったような声を上げる。
「んなの決まってんだろ。こんな退屈な状況、女くらいしか楽しみがねぇだろうが」
「ふ、ふざけるな! それは僕のだぞ!」
「あん?」
「ひぃ!?」
男が立ち止まって振り返ると、その眼光に気圧されたのかミルコが椅子から転げ落ちた。
「ヘッ」
男はその光景を見て失笑を漏らす。
そしてその瞬間を狙ったかのように、大広間の扉を開け放って何者かが勢いよく私の目の前を駆け抜けていった。
「っ!? アッシュ!?」
それは私の幼馴染であり、婚約者であり、最愛の人でもあるアッシュだった。
アッシュはいつものモノクロを外し、銀色の長髪をたなびかせながら男に向かって突撃していく。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
「あぁ? なんだぁ?」
普段聞いたことのない雄たけびを上げて拳を振りかぶるアッシュ。
それに反応して、男は手をかざし掌に魔法陣を出現させる。
恐らくは先程と同じ、呪法による障壁。
アッシュの突進はむなしくも阻まれる――と思われた。
しかし意外にも、そうはならなかった。
「何ぃ!?」
アッシュは障壁などないかのように間合いを詰める。
……不発した?
理由はわからないが、アッシュの突撃が阻まれることはなかった。
しかし、いくら障壁がなかったとしても、アッシュの攻撃が男に通じるとは思えない。
それどころか、反撃であっさりと殺されてしまうかもしれない。
「ダメェ! アッシュ!」
私は絞り出すように声を上げる。
しかしその瞬間、見えるハズがないのに、アッシュが笑った気がした。
「よくわからんが、そんな情けない攻撃は俺に当たらんぞ!」
「それは、どうかな!」
男の声にアッシュが反応したと同時に、アッシュの拳から煙のようなものが噴き出す。
よく見れば、手には何か手甲のようなものが装着されており、次の瞬間その拳に引っ張られるようにアッシュが飛んだ。
「なっ!? グェッ!?」
その突進力は凄まじく、アッシュの拳は瞬く間に男の顔面に炸裂していた。
男は蹴られたボールのような勢いで、壁を突き破って隣の部屋まで吹き飛んでいった。
そしてアッシュは殴った衝撃で失速したのか、そのまま床に墜落する。
「アッシュ!」
私は慌てて駆け寄り、うつ伏せでピクピクしていたアッシュを抱き起す。
「アッシュ、大丈夫!?」
「あ、ああ、大丈夫だとも。いや~、本当に、間に合って、良かった……」
「アッシュ……、アナタ今、どうやって……?」
「ああコレかい? これは『キャットナックル』っていって、蒸気の力で爆発的なパンチ力を――」
「それも凄いけど、それよりどうやって呪法の障壁を?」
「それなら、これさ」
そう言ってアッシュは、左手に輝く虹色の宝石が散りばめられた指輪を見せる。
「これは?」
「これは、抗魔結晶という特殊な石に、まあ色々と複雑な処理と細工を施した、僕の人生における最高傑作さ。その性能は、至近距離限定なのだけど、魔力を中和するというものでね。要するに、これがあれば……、魔力を無効化することができる」
「っ!?」
一瞬、アッシュが何を言っているか理解できなかった。
しかし頭の中で、先ほどアッシュが呪法の障壁を通過してみせた瞬間が再生され、言葉の意味とイメージが合致する。
「これは僕が、最愛の君と、君の一族の未来のために作ったものだ。受け取って、くれるかな?」
「っ! アッシュ……! アナタって人は本当に、どこまでも……」
こんなにも自分のことを愛し、考えてくれている人がいたというのに……、私は、なんて下らないことで悩んでいたのだろうか。
嬉しくて悲しくて、悔しくて、止め処なく涙がこぼれてくる。
「アッシュ、改めて言うわ。私は貴方のことを、愛しています」
「改めて? ……っ!? こ、これは、恥ずかしいな。まさか、バレていたなんて……」
「恥ずかしくなんかないわ。貴方は強くて優しくて、頭が良くて……、そして何よりも愛おしい人よ」
「……そう言ってくれて嬉しいよ。でも、君は強いと言ってくれるが、やっぱり僕はどうしようもなく弱い。だから……、あとは君に任せるよ」
そう言ってアッシュは、私の左手の薬指にエンゲージリングをはめる。
そこに込められた思いが、私を強くしてくれる気がした。
「……行ってくるわ」
指輪をはめた直後にアッシュは気を失ってしまったため、恐らく私の声は届いていないだろう。
それでも、私を応援する声が聞こえた気がした。
「ど、どういうことだ! 何がおきた!」
突然の乱入者により冒険者の一人が吹き飛ばされて、カーライル伯爵は明らかに動揺している。
他の冒険者5人も、リーダー格と思われる男がやられたことにより動揺したのか、状況判断が上手くできていないようだ。
もし冷静であれば、私とアッシュのやり取りをまたずに攻撃するなり、家族を人質に取るくらいの機転は利かせられただろうに。
「見ての通りですよ、カーライル伯爵。私の窮地に婚約者であるアッシュが駆けつけ、見事救ってみせたというだけの話です」
「バ、バカな! ヤツがあのクロムウェル家の長男だと!? 軟弱なことで有名なあの男が、こんな真似できるハズがない!」
「いいえ、彼は間違いなくアッシュです。カーライル伯爵、アナタは見下していたクロムウェル家の男一人に、敗北したのですよ」
「は、敗北だとっ!? わ、私はまだ負けてなどいない! おい冒険者達! あの小娘を黙らせろ! 殺しても構わん!」
行動できず固まっていた冒険者達が、カーライル伯爵の言葉で我に返ったように動き出す。
依頼主の命令はシンプルな行動基準となるため、恐らくは深く考えての行動ではないだろう。
冒険者達は私を取り囲むように動き出すが、黙ってそれを待つ気はない。
「なっ!?」
後ろに回り込もうとした男に対し、特殊な歩法で一気に距離を詰める。
男は咄嗟に反撃しようと手を出すが、その手を捻り上げて背後に回り、膝裏を蹴る。
そして、膝が崩れて程よい高さになった後頭部の付け根辺りを、指を立てた拳で突く。
「まず一人」
冒険者達の表情が急激に引き締まる。
先程までは、警戒しつつも所詮は小娘相手という侮りがあったハズだ。
しかし私の動きを見て瞬時に気を引き締めたことからも、それなりの場数を潜っていることが窺える。
流石はA~B級の冒険者といったところか。
しかしそうは言っても、冒険者の獲物はあくまでも魔物や猛獣だ。
実際に人を相手にしたことはほとんどないということが、動きを見ればハッキリとわかった。
「二人目」
二人目の顎を打ち抜いて昏倒させ、即座に三人目に接近する。
「何故だ!? 何故呪法が起動しない!?」
厳密に言えば、呪法は一瞬起動しかけていた。
しかし、私が近付くことで魔力が中和され、術が強制的に中断されたのである。
今のでわかったが、この指輪が魔力を中和してくれるのは、私の歩幅で丁度三歩程度のようだ。
広くはないが、狭くもない絶妙な範囲に思える。
そして……
「障壁だけじゃない! 常時起動している強化も機能していないぞ!」
そう、この魔力の中和は、身体能力の強化を行う術式すらも打ち消してくれているようなのだ。
……かつて、アイスブランド家を特別な存在でなくしてしまったのが、この身体強化の術式だ。
これは呪法だけにとどまらず、魔術や魔法でも同系統の術が存在するほどポピュラーな術式であり、今となってはこの国以外の冒険者や戦士であれば、必ず習得していると言っても過言ではないほど普及してしまった。
そんな誰もが簡単に超人に匹敵する身体能力を手に入れることができる身体強化術式が、この指輪の前では一切機能しなくなる。
もちろんはめている本人も魔力は使えないが、元々魔力量の少ないアイスブランド家にとっては全くと言っていいほど関係ない話であり、むしろ純粋な身体能力で勝負ができるようになるため恐ろしく有用な効果だ。
アッシュはこれを、私と、私の一族の未来のため作り上げたと言っていた。
それはまさにその通りで、この指輪があれば、アイスブランド家は再びかつての武勇を取り戻すことができるかもしれない。
「これで最後、ですね」
最後の一人となった冒険者の意識を刈り取り、私は再びカーライル伯爵に向き直る。
「そんな……、そんな、バカな……」
膝をついて茫然とその光景を見ていたカーライル伯爵は、ついには頭を抱え床に突っ伏してしまった。
息子のミルコは、小便を垂れ流しながら白目を剥いている。
……こうして、カーライル家によるアイスブランド家襲撃事件は幕を閉じたのでした。
◇
あれから二か月ほどの時が経ちました。
伯爵家の起こした前代未聞の事件ということで、裁判はもめにもめましたが、最終的にカーライル家は男爵まで降格という処分が下りました。
もっと重い罪になってもおかしくないという話でしたが、グリールの経済に大きく貢献しているカーライル家を取り潰すと色々問題があるらしく、妥当な落としどころだということです。
それに、不可解な点もありました。
というのも、今回の事件はカーライル家全体の総意ということではなく、あくまでもカーライル伯爵による独断だったそうです。
なんでも、実際のところカーライル家全体としても、そこまでアイスブランド家に恨みを抱いている者はほとんどいないのだとか……
「一体何故、カーライル伯爵はアイスブランド家をあんなにも憎んでいたのでしょうね……」
「そのことについても色々調べられているようだが、調査は難航しているようだよ。何せ、とうの本人があの状態だからね」
あの日、カーライル伯爵の精神は完全に崩壊してしまった。
王家に引き渡されたあとは拷問に近い尋問が行われたようだが、結局何も喋ることはなかったらしい。
「まあ、あんな状態であろうと犯した罪が消えることはない。極刑は免れないだろうな」
「……正直、複雑な心境ですね。本当にそれでいいのでしょうか?」
「なんだ、カレンは極刑はやり過ぎだとでも言うつもりかい?」
「いえ、精神が壊れた状態では、悔い改めることもないと思いまして。それに、もし世界に10人しかいないという大聖女の力を借りることができるのであれば、回復させたうえで自白をさせることも可能なのでは?」
「あ~、まあそう言われると、それが理想かもしれないね。でも、大聖女を派遣させるには莫大な金がかかるって話だし、そもそも必ず治るって保証はないから難しいだろう。しかし、我が妹ながら怖い発想をするねぇ……」
レイモンド兄さまは少し引き気味ですが、私はそこまで怖いことを言ったでしょうか?
正直自覚がないのですが、そのせいでアッシュに引かれるのは嫌なので、なるべく持論は語らないようにしましょう。
「それにしても、本当にあのアッシュ君とカレンが結婚することになるとはなぁ……」
「なんですか? まだレイモンド兄さまはアッシュのことを認めていないんですか?」
レイモンド兄さまは、昔から事あるごとにアッシュに対して難癖をつけていた。
あんなひ弱そうな男でいいのかとか、カレンの相手を務めるのは難しいだろうとか……、思い出すだけで腹立たしい。
「怖い怖い! そう睨むなって! アッシュ君のことはちゃんと認めているからさ! 何と言っても彼は最愛の妹が唯一認めた男だし、それになによりアイスブランド家にとっては救世主だ。文句なんかあるハズないだろ?」
「それならいいのですが」
「……なんかカレン、強くなったよな」
「ええ。今の私は、たとえレイモンド兄さま相手でも負けない自信があります。試してみますか?」
「いや、やめておくよ。もし本当に負けたら、魔力以上のトラウマになりそうだ……」
少し残念ですが、実の兄の自信をこれ以上奪ってしまうのは流石に可哀そうなので、我慢します。
でも、負けない自信があるというのは本当のことなので、今度お父様あたりに手合わせをお願いしようかしら?
「それよりさ、結婚式が終わったら、ちょっとその指輪を貸してくれたりは――」
「駄目です。これは私がアッシュから貰った、言わば愛そのものです。決して誰にも貸したりはしません」
「はぁ……、まあそうだよね。これは早いところ、アッシュ君に量産をしてもらわないと」
「ふふっ、大丈夫ですよ。アッシュは天才ですから♪」
「はいはい、ごちそうさま」
「おーい! カレン! そろそろ入場の準備しておけよー!」
ザシル兄さまが声をかけてきたということは、アッシュの方の準備も整ったということだ。
いよいよ私は、アッシュと……
「……本当に良かったね、カレン。今のカレンは、これまで見たことがないくらい幸せそうだ」
ええ、レイモンド兄さま。
カレンは今、とても幸せです。
ですが、これが最高だと思ったら大間違いですよ?
だって私は、これからもっともっと、幸せになるのだから……
~Fin~
・魔法の鏡『キャットロボット』
最近少し元気のなさそうなカレンのためにアッシュが発明し、プレゼントした。
対話式の人工知能を搭載した魔法の鏡……というのは半分本当で半分嘘。
ある程度自動的に回答できるようにはなっているものの、判断基準が曖昧なものに対しては答えを濁す。
その場合、ダイレクトにアッシュに対して情報が伝わるようになっており、回答はアッシュが行っていた。
この通信機能が実は物凄い発明であり、これによりクロムウェル家はさらなる発展をすることになる。
>蛇足的なお話
・アッシュは何故タイミングよく現れたのか
カーライル家が訪れた際、気が気じゃなかったアッシュはコッソリ屋敷に潜入し様子を伺っていた。結果あのような流れになり、タイミングを見計らってアッシュは部屋に突入した。
・雇われた冒険者達のその後
アッシュに殴られた男も、他の五人も、全員命に別状はなかった。
と言っても殺しはしない程度の手加減しかされていないため、後遺症が残っている者もいる。
ただ、雇われただけとは言っても貴族に手を出せば重罪となるため、極刑は免れない。
本来罪人は自国の法律で裁かれることになっているが、国境を自由に超えられる権利をもつ冒険者は例外で、罪を犯せばその地の法律で裁かれることになっている。