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 朝に似た柔らかな白い光が大きな窓から差し込んで、仄かに明るい図書館には、エリカとシスタス以外誰もいなく、閑散としていた。

 この図書館は、夏には程よい冷房がきき、冬には暖房がきいていて、置いてある本の数も多く、厳しいフィルタリングはついているが、インターネットを使えるパソコンもあった。

 そのため、どんな季節であっても、常に誰かしらいる状態で、特に夏休みは小学生から大学生までの様々な学生が勉強しにきたり、単に涼みにきたりで多くの人がここに来ていたはずである。

 そんな状態だから、「静かにしてください」という貼り紙があるにもかかわらず、大きな声で喋り続ける人もなかにはいたりするわけで、そういった輩は図書館の職員の目をつり上がらせる原因となり、夏休みあけは帰りのホームルームで先生から苦情の話をされることが恒例となっていた。

 

 常に静かながらも賑わっていた場所だった。

 大きな声で喋る輩がいないときも、こそこそとした声や本のページをめくる音がしていて、確かにそこに人がいる、人のちょっとした日常という営みがそこにある、そういう場所であった。

 そこに二人以外の人間がいないのはどこかむなしいような、寂しいような気がする。

 全てが通りすぎてしまったような――久しぶりに訪れた公園の、お気に入りだった遊具が跡形もなく消えてしまったような、きっとそもそもそこにあったことすらやがて忘れられてしまいそうな、そんな虚しさがある。

 大きな窓から見える整えられた草木も心なしか、色褪せて見えた。


「エリカ、何か読まないのかい?

 こんなにいっぱい本があるんだから、次の扉にたどり着く前に読んでおかないと、損だよ。」


 物思いから覚まさせるようにシスタスはふっとエリカの横から現れると、何冊か本を差し出す。

 はっとして題名を見ると――

 

『親指姫』

『人魚姫』

『友情』

 

 だった。

 エリカは少しムッとした。


「……子ども扱いしてない?わたし、もう高校生だよ。」


「何を言ってるのさ、童話だってたまには読んでみるといいものだったりするよ。

 親指姫とか、結構描写がきれいだったりするし。君は、そういうのが好きじゃなかったっけ?

 それと……実篤の『友情』は子ども向けじゃないな。」


 シスタスはエリカの表情など意に介さぬ、といった様子でクスクスと笑い、備えつけの机に腰かけて、エリカに差し出した本をすぐ側に置いた。

 そしていつの間にか、童話とも、そういった小説とも思えないようなタイトルの本を既に読みはじめているいるのだった。

 ――こういうのを自由奔放というのだろう。風の吹くまま、赴くままに。そんな言葉が今のシスタスに似合う。


「……なに、それ。」


「これかい?これは……『コロノスのオイディプス』。悲劇を描いた作品だよ。」


「悲劇?あなたは、そういうのを好むの?」


「そうだよ。暗い話が好きなんだ。

 だから、実篤の『友情』は僕の好みだね。『親指姫』も、『人魚姫』も。」


「『人魚姫』はそうだけど……『親指姫』は違うじゃない」


「いいや、あれはね……親指姫を助けたつばめがいただろう?あの子、親指姫のことが好きだったのにさ、親指姫は王子さまと結婚しちゃうんだ。

 その上、ウェディングソングを歌うようにお願いされて……悲しいのを隠して歌うんだよ。

 こう聞くと、なかなか暗い話に見えてこないかい?」


 シスタスは本におとした視線をエリカへと移して、優しく微笑んだ。

 その笑顔は話の内容にかかわらないらしい。

 あたたかみも、懐かしさも初めてみたときのままだ。

 それだからか、暗い話をしているというのに若干楽しそうな、まるで昨晩見た面白いドラマの話を友達としているような様子で話すシスタスが、なんだか周りの空気から浮いて見えるような気がした。

 人の悲劇を楽しむという様子ではないし、指をさして笑っているというわけではない。

 だが、そこに悲劇の物語があれば、迷わずそのページを捲って、どんどん読んでいくような、他人が眉をひそめて読むのをやめてしまうのを、じっくりと集中して読んでいそうな、そういった雰囲気があった。


「……どうして、そういう話が好きなの?

 読むと気分が暗くなるじゃない」


「それがいいんだよ。自分のこころの暗い場所を、覗かれているような気分になれるんだ。」


「……それって気持ち悪くない?」


「いいや。そんなことはない。

 だって――」


 シスタスは本を閉じて、一度目を閉じると、ゆっくりと目を開けて、放たれた矢のような、真っ直ぐで鋭い視線をエリカへ向けた。

 一変し、色合いを変えたその瞳は、急にあたりを暗くさせてしまったと言っていいほどだ。瞳以外の景色の光を奪ったそれは、エリカの視線を強い引力でひきつけて離さない。

 ――蜂蜜色の瞳が光っているように見える。

 まるで夜中に見かけた猫の瞳のような、目を留めてしまうような力は、そこにいるのが本当にシスタスなのかどうなのか分からなくさせた。

 エリカは胸が射貫かれたような衝撃と、背中が粟立つのを同時に感じ、思わず一歩後退りする。


「……誰も寄り添えやしなかった、自分のこころの暗い場所に、寄り添ってくれているような気がするからね。

 目を抉るような痛みも、叶わなかった痛みも、まるで自分の言葉にならなかった痛みを代弁してくれているような気もするよ。

 これを、共感っていうのだろうね。」


 優しかった微笑みはどこか寂しげで、顔にかかった影の色が濃くなったように見えた。

 声も、いつもと変わらないように思えるが、どこか暗く、地に落ちて沈んでいくような重さを孕んでいる。


「……まあ、人間誰にだって、その人にしか分からない苦しみがあるものさ。

 そう言うと、皆孤独を抱えて生きているみたいだけど、分からないなりに支えあったり、寄り添いあったりすることはできるからね。

 ……エリカ、君もそんなものだろう?」


 エリカが瞬きをすれば、先ほどの暗い表情が幻だったと思うほど、自然で柔らかな表情をしたシスタスがそこにいた。

 声もふわりとしていて、鳥の羽のような心地で、重さなど微塵も感じさせない。

 気づけば、あたりの明るさは元に戻って、窓から差し込む光は何事もなかったように、仄かな明るさを部屋の隅まで広げている。

 急に暗い表情になったと思ったらいつの間にかいつもの表情に戻っていて、何もかもが嘘だったようで……

 そんな、つかみどころのないような――分かりやすいような体なのに、なかを覗こうとしてみると、濃霧で一切見えないような、シスタスの態度にエリカは少々ムッとしながらも懐かしさを感じていた。

 目の前の男が何者なのか、教えてももらえず、推測もできない苛立ちが確かにここにあるはずなのに、それがなんだか安心するような、こころのどこかにぴったりはまるような。

 エリカは自分の胸に渦巻く正体不明の感情に少し眉をひそめながらも、とりあえずシスタスの問いかけに頷いた。

 よく分からないのはあまり気持ちのいいものではないが、シスタスの問いかけについては何となく共感できたので。


「ふふ……そうだろう、そうだろう……

 君と僕は似た者同士だったんだ。

 色も形も違うけれど、既視感を感じさせるような、ね。」


 シスタスがそう言うと、突如、彼の背後でゆっくりと四角が描かれて扉となり、二人を導くような微かな音をたてて開いた。

 そこからは、相変わらず真っ白で強い光が漏れており、仄かに明るい図書館の床でもはっきりわかる光の筋がエリカの足元まで伸びていた。


「おや、扉の方はせっかちみたいだ。僕はまだ、全然読めてないっていうのにな。

 まあ、図書館だし、借りていったっていいだろう……」


 シスタスは本を脇に抱えてると、軽々とした動きで机から立ち上がり、背後の扉を開けてエリカへ手招きした。

 エリカは机に置きっぱなしになった三冊の本を一瞥すると、ぎこちない足どりで扉へと歩いていった。



 

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