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メンタル病んだら、何故か超展開が待っていました。 後編

作者: 蠍座k

 ある日曜日の夕方、自宅でゴロゴロしていると電話がかかって来た。

「もしもし、星川ですが」

「休みの日にすみません、この前お会いした県警生活安全課の浦川です。どうしてもお伺いしたい話があるので、暮野署まで来て頂きたいのですが」

「署まで、ですか……」

「暮野駅まで来て頂ければ、車でお迎えに上がりますので。当然通常のパトカーだと目立ちますので、覆面車で参ります」

「はあ……」

 あのAIはやっぱり何か法律に引っ掛かってる物なんだろうか。別にそんな風のものでは全然無いはずの物だと思うのだが。いや、というかあの人はAIの話は出していないから、その話だと決まった訳では無い。では何の話なのだろうか。元中さんはこの前警察の人が話していた勧誘とか営業の類は自分含めリライズの職員は一切やっていないと言っていた。

(それならやっぱりAIの方の事なのか? あの警察の人、去り際に何か意味深な事言ってたし……)

 色々考えたが、よく分からない。とりあえず呼び出しに応じる事にしよう。行くのはメンドくさいが、これを断ってもっとメンドくさい事になっても困る。

「分かりました。暮野駅ですね。どっち口ですか?」

「星川さんの都合が良い方で構いませんよ」

「じゃあ東口で」

「東口ですね、分かりました。それでは東口のロータリーでお待ちしています。車種は黒のスポーツセダンタイプ、特徴はグレーのミラーとウイングです。それから、ご自身のスマホは持ってこないで下さい」

「えっ? スマホ、ですか? いや、持ち歩いていたいんですけど……」

「すいませんね。機密保持の関係でして」

「でも……」

「今は『お願い』ですが、『命令』に切り替える事も出来ます。それでも持ってくるのでしたら貴方のスマホを押収する事も出来ます」

 録音とかを事前に防ぎたいのだろうか。何か面倒な事になりそうなので、従う事にしよう。

「……分かりました。置いて行きます。それで、今から行けば良いんですね」

「ええ。急いで下さいとは言いませんが。それでは、お待ちしています。失礼します」

「失礼します」

 

(黒のスポーツセダン……覆面車だからしゃーないけどもうちょい目立つ車なら良かったんだが……どこだ? ……グレーのウイング……あ、あれか)

 それと思わしき車に近づいて行き、助手席のドアをノックしようとすると、後部左側のドアが開いた。

「星川さん、わざわざすみませんね。乗って下さい」

 後部右座席から浦川さんの声がした。

「はい」

 俺が乗り込むと、ドアがバタンと閉まり、静かに車が発進した。

「ところで、話っていうのはどういう……」

「まあ、それは署についてからじっくり話しますよ」

「はあ……」


 どうやら車に乗っているうちは何もなさそうなので、特に意味もなく窓から外を見ていた。そろそろ目的地の暮野署、となった時、異変が起こった。

「? あの、暮野署って、今の交差点右じゃなかったでしたっけ?」

「そうですけど」

「じゃあなんで今左に……」

「申し訳無いです。少々事情がありましてね」

 浦川さんがそう言った瞬間、運転席以外の窓と車の前部座席と後部座席の間にシャッターが下り、外が見えなくなってしまった。

「ちょっと、これはどういう!?」

「本当の目的地に着くまでお話し出来ません。その代わり着いたら丁寧に、何もかも説明しますので」

「なっ!?……」

 文句を言おうしたが、浦川さんの目力に押されて言葉が出てこない。さっきまでは普通の目だったが、もの凄い力のこもった目になっている。

「くっ……」

 中学の時の剣道の大会で運悪く市内1、2位を争う強さを誇る人と当たってしまった時の事を思い出した。

(あの時もそうだったが、目に飲まれそうだ……)

 結局固まったまま、何も言葉を発せずどこか分からない場所へ連れて行かれてしまった。

「着きました。降りて下さい」

 時間にして1時間と30分位、どの辺りだろうか。鞄に付けている方位磁石は北を差している事が多かったから、多分北上していたのだろう。そしたら時間的に県境を超えて東新都内だ。

「では、付いて来て下さい」

「はい……」

 促されるまま浦川さんの後について歩いて行く。車が停まった場所はどうやら地下駐車場らしい。エレベーターホールへ行きエレベーターに乗り込み、2階まで上がった。廊下をしばらく歩き、6畳程の広さの一室に案内された。

 まずはここがどこなのか聞こうとすると、先に向こうが口を開いた。

「少々強引な手を使ってしまい、申し訳無い。状況が急変して、急いで星川さんに現状を説明しなければならなくなってしまったんだ。……テロリストが相手の事なので、対応が遅れると大変な事になってしまいますから」

「て、テロリスト?! ……ん? それよりちょっと待って下さい。警察のことは良く知りませんけど、そういうことは生活安全課の管轄では無いんじゃないですか?」

「その通り、生活安全課の管轄ではない。もっと言えば那賀県警の管轄でもない」

「え?!」

 この人は何を言っているのだろうか。テロリストという単語が出て来た事自体も訳が分からないが、この人はこの人で訳の分からない事を言っている。テロリストどうこう言っておいて、その担当は自分の所属先でない事を認めている。どちらも疑問だが、テロリストの事は訳分からな過ぎるので、先に何でじゃあ担当しているのかを聞こう。

「ではなぜ貴方が担当しているんですか? おかしいですよ」

「……少々嘘をついたのは目的地だけでは無くてね。私は国家公安委員会対組織犯罪対策部重点捜査科所属、特務捜査官の天田貴行だからだ。そしてここは、都内の公安の施設だ」

 男が警察手帳を掲げて見せた。金縁で、警察のマークの他に見たことのないマークが刻まれている。

「偽名を名乗っていた……というか身分を偽装していたんですね」

「そうだ。最初から公安だなんて名乗ると、警戒されてその後の捜査に支障が出かねない。常套手段だし、法律でも捜査の為の身分偽装は度を越さない限り認められている」

 目の前にいる男、自分に二度も接触して来た男がまさか公安の人間だったとは。普通の生活を送っていれば一生会う事の無い人種に邂逅してしまった。

(公安の案件ってことは……俺、かなりヤバい事に関わってるのか?)

 テロリストという単語も出て来たし、頭が混乱してしまいそうだ。 

「さて、それでは本題に入ろうかと。貴方が懇意にしている、メンタルケアプラザ・リライズの相談員、元中桜はテロリストだ。」

「えっ!? そんなまさか」

「彼女はテロ組織FELO、極東解放同盟機構の構成員だ」

「そ、そんな組織、聞いた事無いですけど」

「あるんだ。公安委員会のホームぺージにも乗っている。まあ有名な組織では無いから、そういう方面に興味がある人間でなければ名前を知らなくても仕方無い」

 彼がスマホを取り出し、公安のホームぺージを見せる。確かに「テロ組織と認定・監視中及び壊滅作戦実施中の団体一覧」の中に当該の組織の名前がある。

「彼女はこの組織の一員なんだ」

「……そんなことある訳……元中さんが……彼女がテロリストなんかな訳無い! だってあの人は優しくて、僕に寄り添ってくれて! あんな素敵な人がテロリストだなんて! 証拠はあるんですか? あるんなら見せて下さいよ!」

「落ち着いてくれ。君には冷静にこの証拠品を聞いて貰わなければならない。ヒートアップする事は建設的で無い。君を騙して連れて来た上に君が信じたくない事を話しているという事は重々理解している。だがこれを聞いて貰えば分かると思うが、そうでもして急がないと君がテロリストに加担してしまう事になる」

「……どういう、事ですか?」

「聞いて貰えば分かる。おい、再生してくれ」

「はい」

 車を運転していた、浦川さん……いや、天田さんの部下と思わしき人が指示をうけ、タブレット端末を操作する。

「……それで、見つかったのか、次の素材の候補は」

「ええ。星川直道、20歳の大学3年生。3度の失恋を経験」

「負の記憶は全部失恋関連か」

「そうですね。でも丁度良いのでは? これまでの素材には無い種類の記憶ですから」

「そうだな。まあ、ジャンルを早めに揃えたい気もするが発案者は君だし、問題は無いだろうから今回はこれで良い事にしよう。で、負の深さは?」

「かなりの深さです」

「それは都合が良いな。じゃあ、そいつに決定だ」 

「分かりました」

「それで、そいつはもう君のコントロール下にあるのか?」

「ええ。心の掌握は完了しています」

「そうか。ハハ、君は『奴隷』を作るのが上手いな。」

「奴隷というよりは、道具ですがね」

「ハハハ、容赦がないな」

「容赦も何も、私達にとってはAIを育てるための道具に過ぎないではないですか」

「ま、確かにそうだがな。じゃあ、頼んだぞ」

「はい」

「!? これは……」

「元中と組織の上司との会話だ。詳しい事は言えないが、苦労して手に入れた。谷見、次のを頼む」

 谷見と呼ばれた人が、またタブレットを操作する。

「……そうだ。その通りだ。あの人は……負の記憶を、集めている」

「何の為にだ」

「開発中のAIに学習させる為だ」

「AI?」

「そうだ。……『リスタート』って名前の、大規模テロ用のAIだ」

「何!? テロ用のAIだと?」

「ああ、そうだ。その戦力・兵器・条件で可能な最大被害量を演算したり、最適な人員配置を演算したりする為のな。後は、自動的にハッキングしたりも出来るようにするらしい。政府や警察のパソコンをハックして、混乱させてやろうって事だ。それでもって、俺は技術畑じゃ無いから良く分からんが、そのAIの開発に負の記憶がたっぷりいるらしい。まあ、テロっつう負の事に使うには、悲しいとか苦しいとか辛いとか、そういう負の感情を沢山学習させて、人にとってどういう事がキツい事なのかしっかり理解させる事が必要らしい。まあ確かに、そういう事が分かってないと陰惨な事は考えられんからな」

「なるほど……で、そいつは負の記憶をどうやって集めてるんだ」

「Z-Ωを使って、人の記憶をコピーするんだ」

「Z-Ωを? あれにはそんな機能付いてないはずだ」

「フッ……とぼけなさんな。サツがハイスペック過ぎるあれ、特にあれが積んでるナノマシンを疑って探りを入れてるって噂、本当なんだろう?」

「……」

「まあ、どっちだって構わないさ。こっちはそう思ってる訳だしね。でだ、あのZ-Ωのナノマシンにはな、脳の記憶をコピーして持って帰って来る事が出来る。で、そいつを解析すると任意の記憶を抽出する事が出来るって訳さ」

「あのマシンに、そんな事が出来るのか」

「まあ、扱う奴もハイスペックでないと上手くいかんらしいけどな。……アイツには無問題だろうが」

「元中は、そのマシンを使って他人の記憶を奪おうとしている……誰を狙ってるんだ?」

「それは俺は知らん」

「以上です」

「こっちはFELOの公安への内通者とうちの捜査班のメンバーの一人の会話だ。……聞いての通り、元中はFELOの構成員で、君の記憶をテロの道具の材料にしようとしている」

「……そ、そんな……もとなか、さんが……なんで……」

「どういう風に奴が君に近づいて来たかは分からん。だが、君に近づいたのは好意でも何でもない。むしろ悪意だ」

「そんな事……こんな証拠並べられたら……言われなくても分かりますよ……こんな、こんな……どうして……どうして俺は、普通の恋愛が出来ないんだ……今度こそ、今度こそはと思ってたのに……」

 やっと普通の、つまりちゃんと告白する所まで行ける恋になると思っていたのに、今回もダメだった。ダメだったどころか、今までで最悪の終わり方だ。そして初めての、向こうが悪いパターンだ。今までの失恋は全部、好きになった俺が悪いってパターンだった。俺が好きにならなければ失恋する事も無かった、いわば自爆のような終わりだった。

「利用された……俺の状況を、俺の気持ちを……クッ……グッ……ウッ……」

 涙があふれて来た。頬を伝って、床へと落ちて行く。


 どれ位経ったろうか、随分泣いた気がする。ひたすら泣いて、ようやく落ち着いた。どうやら天田さんも、次の話題へ移るのを待ってくれていたようだ。

「……あの、すみません。お待たせしました」

「ところで君は、限られた部分とはいえ自分の記憶という自分だけのものを売る事についてはどう思っているのかね」

「…別になんとも……要らないもので、捨ててしまいたいものですから」

「そうか……まあ良い。……さて、今君が聞いた二つの録音データは機密中の機密だ。絶対に誰にも喋らないように。もし君から情報が誰か・どこかに流出したと分かったら、君には死んで貰わないといけなくなる。いくら公安でも民間人をそうそう殺せないだろうと思うかもしれないが、どうとでも処理出来る」

「分かりました」

「しっかり理解しておいてくれよ。我々も無駄な血は流したくないのでね。それで、君には当分監視が付く。俺が思うに君は演技で我々を騙そうなどとは考えていなそうだが、これは決まりなのでね。私の権限でどうこう出来るものでもないので、まあ我慢してくれ。あ、距離を取っての監視になるから、日常生活に支障は出ないと思うがね。監視解除の日時はまだ未定だから、決定次第速やかに伝えよう」

「分かりました」

「さてと、君には君が知っている事について話して貰わねばならない。でないと、君を『テロリストの情報を隠している人間』として扱わなければいけなくなってしまう。話してくれるね?」

「はい」

 元中さんに失恋に関する記憶を売らないかと持ち掛けられてそれを了承したこと、そして、コピーが完了した後その記憶を消して貰う事を約束した事を話した。

「記憶を消す? そんな事も出来るのか、あのマシンは……おい谷見、Z-Ω捜査班の城北さんに連絡してくれ。直ぐにだ」

 谷見さんが部屋の隅の机においてある固定電話へ走って行く。

「……あの噂、本当だったんですね」

「まあな。これも機密だから、他言無用にな」

「はい」

「班長、繋がりました」

 谷見さんからワイヤレスの受話器を受け取り、天田さんが話し出す。

「お疲れ様です。重捜科天田です。Z-Ωの件で至急にお伝えしたい事が」

「ええ、あのマシン、記憶のコピーだけでなく、任意の記憶群を消す事が出来るようなんです」

「はい、今います。代わりますね」

 天田さんが目配せをしてくる。

「僕はどうすれば」

「名前を名乗って、質問に答えてくれれば良い」

「はい」

「あ、お電話代わりました、星川直道というものです」

「公安でZ-Ωの捜査を担当している城北だ。あれが任意の記憶群を消せるというのは本当なのか?」

「ええ、僕がそれを聞いた人が、嘘を言っているのでなければ」

「何か実例とかの話はされなかったのか?」

「いや、それは特に無かったです」

「そうか。それで、それ以外に何かあのマシンについて知っている事は無いか?」

「無いです」

「そうか。では、貴重な情報をありがとう。天田に代わってくれ」

「はい」

 天田さんに受話器を渡す。

「……ええ、それでは失礼します」

 しばらく後、天田さんが受話器を置いた。

「それで、君は記憶を実際に売る日時とかももう約束したのか」

「具体的な日にちはまだです。今月末に、という事は決まってますけど」

「そうか……急がないとな。後は何か……そうだ、手術、記憶を売る手術をする場所は? リライズにはそんな場所はないだろう?」

「八ツ塚脳外科です」

「八ツ塚脳外科?」

「最寄り駅は南橋で、駅から徒歩15分位の所にあるみたいです」

「調べてみるか……あ、これだな」

 天田さんがスマホを見せてくる。

「そうです、そこです」

「ありがとう。場所というのは非常に重要な情報だからな。大いに助かるよ」

「ど、どうも」

「他には何か無いか?」

「いえ、無いです」

「そうか、分かった。……さてと、君にはこれからも主に情報提供・及び元中への誘導工作という形で捜査に協力して貰おうと思うんだが」

「協力、ですか。……まあ、難しくない事なら別に構わないですけど」

 面倒くさい気もするが、もう既に巻き込まれてしまった事だ。高度な事で無いなら良いだろう。

「現時点では特別な事をやって貰う予定は無い」

「じゃあ、そういう事で」

「ありがとう、助かるよ。では君には元中から聞いた情報を逐一報告してもらう」

「じゃあ早速だが、これを渡そう」

「スマホ……ですか?」

「そうだ。機能は電話とメールのみだがな」

「それなら別に僕のスマホで事足りるんじゃないですか?」

「機密保持の為だ。こちらとの連絡は全てこのスマホを使って貰う。それ以外のものは私物のスマホも家電も公衆電話も使用禁止だ。このスマホでの電話やメールは、特殊な対策済みの公安用の秘密回線を通して行われる。テロ組織は絶えず警察関連の通信を傍受しようとしているから、それに備えての事だ。更にこの回線は特殊な対策を重ね掛けしてある特別な物だ。だからこのスマホでの通話等に際しての注意事項は特に無い。禁句なども無いし、このスマホを使って連絡するということだけ守ってくれれば良い」

 確かに民間の回線にただのスマホコンボでは、テロ組織にしてみればボーナスステージかもしれない。そしたらそんな物を公安の人との連絡には使えない。

「分かりました」

「このスマホは肌身離さず持っていてくれ。後、元中の前では出さないようにしてくれ」

「はい」

「さてと、今日はこんなもんかな……ああ、今日ここに来た事、城北さんと喋った事も勿論機密だから、誰にも話さないように」

「分かりました」

 そういえば怒涛の展開ですっかり忘れていたが、出がけにスマホを半ば強引に置いていかされた事を思い出した。

「さっきスマホを置いていかせたのも、何か機密保持と関係があるんですか?」

「ああ、あるとも。スマホにブツが仕掛けられているかもしれないから、置いてこさせたのさ」

「ブツって……盗聴器とかですか?」

「いや、GPS発信機だ。盗聴器ってのは、スマホに仕掛けられるサイズの奴だと仕掛けた後回収しないと録音した物を聞けない。スマホ本体の回路に盗聴器の回路を組み込んだりしない限りな。つまり、盗聴器は使い勝手が悪い。それに奴らテロリストは、民間人を抱き込んだ時は盗聴で得られる情報よりもずっと高確率でその人間の位置情報を把握しておこうとする。スマホ本体にもGPS機能はあるが、位置情報をオフにされると追うのが面倒くさくなる。だからだから一度付けておけば壊れるまで現在位置を発信し続けてくれる超小型のGPS発信機をスマホの持ち主が見ていない隙に仕掛けるケースが多い。それで、彼女がGPS発信機仕掛けている可能性がある以上、ここにスマホを持ってこさせる訳に行かなかったんだ」

「……帰ったら、スマホの中を調べた方が良いですか?」

「いや、駄目だ。いじった形跡が残ると君が警察に通じているのがバレかねん」

「じゃあどうしたら……」

「普段は特に気にしないでおいてくれて構わない。君をまたここに呼ぶ事があるかもしれないから、そうういう我々の要請で動く時だけスマホを家に置いておいてくれれば問題無い。仮に実際に仕掛けられていた場合、その他の行動が丸見えになってしまう事になるが、我慢してくれ。真偽はこちらで調べておく」

「……分かりました」

 元中さんに日常の行動記録が筒抜けかもしれないが、致し方ない。

「さて、それじゃ今日はもう帰って良い。途中まで送らせよう」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 谷見さんが運転する車に揺られながら、今日の出来事を振り返った。のんびり休日を過ごしていたと思ったら警察に呼び出されて、しかもそれが一般の警察じゃなくて公安で。それでもって元中さんがテロリストだっていう驚愕の事実を知らされた。おまけにこれからは監視が付くらしい。

(何と言うか……凄い1日だったな、ホント。それにしても、まさか自分の記憶がテロに使われる所だったとは……。捨てたい記憶でも、流石にそれで他人様を傷付ける訳にいかないものな……多少強引だったけど、それを防いでくれた以上、天田さんには感謝しないと、だな……)


「ガチャ」

 暮野駅まで車で帰って来れたとはいえ、出た時間が時間だったのですっかり遅くなってしまった。こんな時はインスタントかレトルトの物で済ませたくなってしまう。とはいうものの、うっかりその類のストックをすっからかんにしてしまっていた。仕方がないが、何かすぐ出来る物を作ることにしよう。

「さて、と。チーズインオムレツでも作るか」

夕飯には多少寂しい気もするが、がっつり食べたい気分でもないので良しとしよう。主食は朝飯用の食パンにしよう。確か3枚程残っているはずだから、今一枚食べても大丈夫なはずだ。

 オムレツは手順が少なく、時間がかからない割に神経を使う料理だ。もとい固焼きになってしまうので良いのであれば適当にやってしまって良いのだが、俺はふわトロの奴が好きなのでそれは出来ない。とはいえいまだに満足出来るふわトロ感を出せた事がない。動画サイトなどを見て試行錯誤してはいるのだが中々どうして上手くいかないのである。

 とりあえず押さえるポイントは、卵焼きとほぼ同じ。フライパンによくよく火を入れておくこと・油をしっかりひいておくこと・火加減に気を付けること・卵をフライパンに流し入れたらよくかき回すこと・バターをケチらないことだ。果たして今日は上手く出来るだろうか。

「勝負!」

 バターが全部溶ける直前、フライパンに溶き卵を流し入れる。そして間髪を入れずにフライパンを前後に揺らしながら卵をかき混ぜる。ふわふわな感じになってきたらかき混ぜるのをやめ、スライスタイプの溶けるチーズを2枚乗せしばし何もせずに待つ。チーズの溶け方、卵の火の通り具合を見て頃合いだと思ったらフライパンを揺らしつつフライ返しを使って両恥を返していき、ラグビーボールの様な形になるようにする。最後にフライパンとフライ返し、それから皿を上手く使ってオモテ面が上に来るように皿に盛りつけて完成だ。

「うーむ。ま、まあまあかな」

 やはりオムレツは難しい。中々綺麗な形にならない。今回も結局ラグビーボールというより半月型になってしまった。

「さてと、頂きます。うん、味と焼き加減は良いな」

それなりにふわトロな感じには出来た。切り口からトロリとした卵の半熟部分が顔を覗かせ、溶けたチーズが伸びている。

「ごちそうさまでした」

 当然それに帰ってくる言葉は無い。いつもと何ら変わらない、当たり前の事だ。でも疲れているからだろうか、何だかこの静粛が寂しく感じた。


「止めろっ!止めっ」

「ズドン‼」

「ウっ……」

「ンっ、フー、ハア、ハア、ハア……何だ、夢か……」

 嫌な夢を見た。銃で殺される夢だ。

「ハア……勘弁してくれよ、ホント……夢の中位、楽しく過ごさせてくれよ……」

 ただでさえ現実が大変なのに、夢の中ですら大変なのは本当に勘弁して欲しい。だが元々見た夢を良く覚えている体質な上現実の出来事がしっかりリンクして来る為、昔っから現実が大変な時であればある程嫌な夢を見てしまうのだ。そして現実の辛さが特に激しくなると、死ぬ夢を見る。現実において好きになった相手がテロリストなんていう驚愕の事態が起こってしまったので、今回も死ぬ夢を見てしまうんだろうなあと予測はしていた。とはいえ嫌な物は嫌だ。

「ハア……苦しかった……」

 とりあえずは動悸が落ち着いた。

「でも……いつも思うけど、しっかり痛いんだよなぁ……」

 夢の中では視覚しかないという人も居るが、俺は聴覚も嗅覚も、痛覚もある。唯一味覚だけは無いが。出来れば味覚こそあって欲しかった。まあこういう体質は変えられないだろうから、きっとこの先も付き合っていかないといけないのだろうが。

「やだな……辛いな……」

 虚空に放った独り言は、静かに消えていった。

2日後、俺はリライズへ赴いて元中さんに会っていた。

「日程が決まったわ。10月25日の日曜日に手術するわ。本当はもう1週間早くやりたかったのだけど、少しZ-Ωの方に不具合があって」

「そうだったんですか」

「ええ。遅くなってしまってごめんね」

「いえ、僕は構いません。あ、時間とかってもう決まってますか?」

「決まってるわ。10時には始めたいから、八ツ塚脳外科に9時半に来て頂戴」

「分かりました。現地集合という事ですね」

「ええ。それから、手術は基本私がやるけど、知り合いに助手として来て貰うことになっているから」

「そうなんですね。そこの病院の人、という事ですか?」

「違うわ。特殊な事をする訳だから、その日は貸し切りというか、そういう形にして貰ったの。だからその上手伝ってくれとは言えないから、他から呼ぶの」

「なるほど、そうですか……」

(さて、このことを天田さんに伝えないとな)

 家に帰った俺は、天田さんに渡されたスマホで彼に電話をかけた。

「もしもし、星川です。ええと、公安の天田さんでしょうか」

「そうだ、何かあったか?」

「記憶をコピーする手術の日程が決まりました」

「おう、そうか。いつになった?」

「今月の25日日曜日です」

「10月25日日曜日か、分かった」

「それと、その日の9時半に八ツ塚脳外科に来てくれと言われました。現地集合で、手術開始は10時だそうです」

「分かった」

「後、元中さんの知り合いが一人、手術の助手として来るらしいです」

「この病院の関係者か?」

「いや、僕も最初そう思ったんですけど、違うみたいです」

「そうか……恐らく、FELOのメンバーを呼んで来るんだろうな」

「八ツ塚脳外科の人達はメンバーでは無い、という事なんでしょうか」

「ああ。こちらで調べた所、院長の八ツ塚健吾以下スタッフ全員は、FELOのメンバーではない。だが、八ツ塚健吾はどうもFELOの協力者らしい。だから今回の手術にあたって、自分は参加しないものの場所を貸し出す事にしたんだろう」

「なるほど……」

「他には何か分かった事は無いか?」

「これで終わりです」

「そうか、ありがとう。ところで……君にはまた、会って話さなければならない事がある。明日、大学が終わった後来て欲しいんだが」

「明日ですか……大丈夫ですよ」

「助かるよ。また駅まで迎えに行くから」

「分かりました」


 星川君からの新情報を獲得した次の日、班員皆を集めて会議を開いた。

「先に通達した通り、昨日星川君から新たな情報の提供があった。記憶をコピーする手術の日程が10月25日日曜日に決まり、併せて午前9時半に八ツ塚脳外科に集合、10時に手術開始という事も決まったそうだ。これを受けて、同日に元中桜逮捕作戦を実施しようと思う」

「遂に、ですね」

「ああ」

「班長」

「何だ? 谷見」

「作戦はアマダ班単独での実行でしょうか?」

「ああ、機動捜査課に応援を頼む事も考えたが、逮捕対象は対象B-a、元中1人だからな」

「助手の方は逮捕しないんですか?」

「ああ、基本方針としてはな。今回はあくまでもZ-Ωを用いた記憶略取の主犯格の元中を挙げるのが最優先だ」

「でも、同じ場所に来るのなら、まとめて……」

「助手の方は、現地に来させない。リスクを下げる為に、奴らは現地までそれぞれ単独で向かうはずだ。その助手が誰か・どこから来るかはこれから捜査せねばならないが、何にせよ当日は追手の存在をチラつかせて現地への到着を断念させる。そして、その後のそいつの動きによっては機捜に応援を要請して逮捕を目指す」

「なるほど……とにかく元中を、という事なんですね」

「そうだ」

「何か他に質問がある者はいないか?」

 一同の顔を見回す。

「よし、無いようだな。では、ここに元中桜逮捕作戦実行決定を宣言する。作戦内容については後日の会議にて素案を出す。それから、通信傍受体制を強化して元中が呼んで来る助手が誰なのかかなるべく早く特定するぞ」

「はっ!」

「それから表崎、例の運び屋に接触してみてくれ。何か知っているかもしれんからな」

「承知しました」

 運び屋というのは実を言ってしまうとある種の隠語で、取引の結果こちらに情報を流してくれるようになったテロ組織等の構成員の事だ。FELOへの捜査が中々進まなかった原因の1つに、奴らが極度に慎重という事に加え、運び屋を作るのに苦戦してしまった事も挙げられる。それだけ組織への忠誠心が高い人間が多いのだろう。

「では、特に何か無ければ、これで解散だ。……それじゃあ、お疲れさん」

「お疲れ様です」

(いよいよだな……)

 皆が出て行った小会議室で、そう思った。


翌日、俺は約束通り公安の施設へ赴いた。 

「……これまでの情報提供には非常に感謝している。その上でもう一つ、君にお願いしたい事がある」

「何ですか」

「私達が立てている作戦に参加して欲しい。具体的に言えば、彼女を逮捕する手助けをして欲しい」

「……そんなの、要らないんじゃないですか? 公安の対テロ部門の人達なら、素人がいたら逆に邪魔なんじゃないですか?」

「そうでもないさ。難しいんだよ、テロリストを逮捕するのは。それに、協力してくれる方が君の為にもなる」

「俺の為にもなる……?」

「ああ、そうだ。彼女を法廷に立たせてやりたいだろう?」

「!? それはどういう……」

「私は、テロリストないしはその恐れが非常に高いと認められる人物が相手である場合に限り、現行犯かどうかに関係無く己の裁量で最高刑を執行して良いという権限を所持している。つまり、私が彼女を逮捕しようとした時にもし彼女が抵抗したり、逃走を図ったりした時、私は無条件で彼女を殺せるという事だ」

「そんな、現行犯で無くてもって……それはいくら何でも」

「それ位せんと犯行を未然に防ぐ事も、テロ組織を潰す事も出来んのだ」

「……」

「君が協力してくれれば、確実に彼女を拘束し、逮捕する事が出来るはずだ」

「……」

「裁判になれば、死刑にならない可能性もある。利用されていたとはいえ、自分が一度は心を許した女性が問答無用で他人に殺されるのはあまり気持ちの良い事では無いだろう」

「それは……そうですが……」

「それに、聞きたいだろう? 彼女の口から、色々と。なぜFELOの一員になったのか、なぜ自分を選んだのか、男としての魅力は無かったのか、見せてくれた表情は何もかも全部紛い物だったのか……」

「それは……確かに聞きたいですけど」

 思った通りだ。ここでもし「もうそんな事どうでも良い」なんて言われたらお終いだったが、やはり彼はまだ戦える。彼は弱ってこそいるが、その目はまだ死んでいないように見えたのは正解だった。彼の目に感じた正義と貫徹の心はまだ生きている。

「だろう? それに、我々としても彼女から色々と情報を聞き出したい。その為には、彼女に生きて捕まって貰わないとならん。勿論、我々もこの道のプロだ。君の助けが無いとそう出来無いという訳では無い。だがより確実に彼女を生きたまま逮捕する為に協力して欲しい。頼む」

「……分かりました。協力します」

「ありがとう。助かるよ」

「今日の用件はこれで終わりだ。あ、そうだ、これを渡さないといけないんだ」

「名刺……ですか?」

「そうだ。その男からそのうち電話がかかって来る。会いに来るよう言われるはずだから、彼の指示に従ってくれ」

「分かりました」 

 名刺には連絡先と共に、友浦翔という名が書かれていた。肩書は次席研究官代行、所属は国家公安委員会心理研究部心理ケア課という所らしい。

「この人はどういう……」

「肩書のままさ。協力してくれる人に、あんな現実を突きつけたままにする訳にはいかないからね。……そう言う割に対応が遅くなってしまった事は悪いと思っている。申し訳無かった。」

「いえ、まあ……」

 メンタルのケアは期待していなかったから、してくれるだけありがたい。

「じゃあ、また駅まで送るから」

 この前と同じく、谷見さんの運転する車で暮野駅まで帰った。


次の日の夜、件の人物から電話が掛かって来た。

「もしもし、星川直道さんですか?」

「はい、そうですけど」

「公安心理研究部心理ケア課の友浦翔です。初めまして」

「は、初めまして」

「まずは僕からも。公安に協力してくれてありがとう」

「い、いえ……」

「ところで、この土日に会いに来て欲しいんだけども、どちらが都合が良いですか?」

「そうですね……土曜日で」

「時間は?」

「出来れば午後で」

「土曜の午後ね……土曜の14時とかで良いですか?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、それでよろしくお願いします。で、こちらへ来る方法なんだけど、暮野駅の東口ロータリーまで来てもらえれば、車で迎えに行きます。待ち合わせ時間は……こっちに14時って事は……13時かな」

「分かりました。13時に東口ロータリーですね」

「黒のゴツメのセダンが2台連なって止まっているはずだから、すぐに分かると思います。もし分からなかったら私に電話して下さい。あの名刺に書いてありますから。あ、当日実際に迎えに行くのは私の部下なのでそれはご容赦を。一応役職付きなんであんまり出られないんですよ」

 そういえば、確か名刺には次席研究官代行と書いてあった。偉さの程は良く分からないが。

「そうなんですか、分かりました」

「それじゃあ、そういう事で。あ、私物のスマホは置いて来て下さいね」

「はい」

「じゃあ、当日お待ちしていますね」

「はい、失礼します」


 土曜日、13時少し前に暮野駅東口ロータリーに行くと、もうそれらしき車が止まっていた。車の横に立っているスーツ姿の男性に声を掛けようとすると、こちらに気付いたその人が声を掛けて来た。

「星川直道さんですね。お迎えに上がりました」

「あ、ありがとうございます」

 2台停まっていたセダンの内後ろの車の後部座席に案内された。


 車は渋滞に捕まる事も無く順調に走っている。そういえば目的地はどこなのだろうか。会う相手が誰かは知っているが、場所は教えて貰っていない。機密条項で教えてくれないかもしれないが、ダメ元で聞いてみる事にしよう。

「あの、すいません。今、どこに向かって走っているんですか?」

「貴方が何度か行っている所とはまた別の、都内にあるとある公安の施設です。それ以上の事はお答え出来ません」

「そうですか、ありがとうございます」

 案の定詳しい事は分からなかった。東新都に入ったあたりからカーテンを引かれてしまったのでどの辺りを走っているのかすら分からない。それにしてもいくら協力者とはいえ1人の民間人に対して迎えが車2台にそれぞれ2人乗って合計4人は何だか豪華というか大仰過ぎる気がする。

「あの、もう1つ良いですか?」

「どうぞ」

「随分こう……何と言うか待遇が豪華というか」

「ああ、それはうちの友浦が用心深いからですよ。公安の協力者になってくれる人はそういない。それに貴方は特務捜査官の方が直々にスカウトした人だ。貴重な人材に何かあっては困りますからね」

「はあ……」

 自分が貴重と言われてもあまり実感は無いが、まあそういう事にしておこう。

 

「着きました。お降り下さい」

 そうこうしているうちに、目的地に着いたようだ。車を降り、建物の中に案内される。しばらく歩き、応接室のような所に通された。

「ここで少々お待ち下さい」

 10分程するとノック音と共に1人の男が入って来た。

「わざわざ来て頂いてありがとうございます。心理研究部心理ケア課次席研究官代行の友浦翔です。今日はよろしくお願いします」

「星川直道です。こちらこそよろしくお願いします」

「あ、もっと楽にしてて良いですよ。まあ、固くなっても仕方無いと思いますけど。所で、今日……というか最近の健康状態はどうですか?」

「悪いです」

「まあ、そうだろうね。好きになった人がテロリストだったんだものな。悲しい失恋の仕方だ」

「ええ。本当にそう思います。……今度こそ、と思っていた所だったのに」

「ん? 今度こそとはどういう事?」

「え? ああ、その……」

 うっかり余計な事を言ってしまった、と思ったがもうこの際全部話してしまおう。

「僕は一度も彼女が出来た事が無いんです。恋をした事もありますが、一度も実りませんでした。悲しい失恋の仕方をした事も、今回が初めてじゃありません。だから今度こそ、今度こそ付き合えると、とうとう俺にも彼女が出来るかもと、やっと今までの苦しみが報われると、やっと幸せになれると、やっと、やっと……クっ、グっ……僕は……ウっ……な……でオレは……」


 初対面の人を前にまた泣いてしまった。まあもうメンタルが限界を優に超えてしまっているのでそんな事を恥ずかしがる余裕なんてどこにもない。泣きながら今までの失恋を全て話した。好きになってきた人達への想いも話した。川辺の事、川瀬さんの事、東村さんの事、そして元中さんの事。楽しい事もあったが、「あの日」以来ずっと苦しみを抱えて生きてきた事。本当に文字通り何もかも話した。


「ありがとう、話してくれて。今まで凄く辛かったな」

「クっ……はい。長々と聞いて下さってこちらこそありがとうございました」

「いやいや。こういう言い方はあれかもだけど、それが仕事だからね」

 俺が話を終える頃には、なんだか友浦さんの話し方がすっかりフランクになっていた。でもそのお陰でこちらも話しやすかった。

「さて、と。……星川君の心がいつ元通りになるかはボクも分からない。でも絶対ちゃんと治るから安心して良いよ。それは保証出来る」

「何故……ですか?」

「君の目が死んでいないからさ」

「君の目は戦っている目だ。それに、事実君は逃げていないじゃないか。まあ、天田さんはココって所ではゴリ押しする人らしいから多少焚きつけられたのかもしれないけど」

 ……そう言われると若干あの人に乗せられた気がしないでもない。でもああ思ったのは、ちゃんと自分で元中さんに色々聞きたいと思ったのは事実だ。

「でも君が立ち直る事を完全に諦めていたら、他人にどう言われようと作戦参加は断ったハズだ。そうしなかった君は逃げて無いし、諦めていない」

「……確かに、そうですね」

「天田さんも、君の目はちゃんと生きていると言っていたよ」

「天田さんが?」

「ああ、彼の目はまだ死んでいない、だから作戦参加を打診したと」

「そうだったんですか」

「そうだ。何も無しに誘った訳じゃ無い。あの人は、人の目を見てその人がどういう人かキッパリ分かる人だ。警官になる前からそうだと言っていたから、天性のものだろうさ。ボクはこの畑に来てしばらく経って、やっと分かるようになったけどね」

「はあ、そうなんですか」

 思い返してみると、天田さんの目は内面までをも覗いていそうな目をした。

「さて、少し検査に付き合って貰うね」

「検査、ですか?」

「うん、まあカウンセリングの続きだと思って貰えば良いよ。それが済んだら、今日はそれでお終い。暮野駅まで行きしの彼らに送らせて貰うよ」

「分かりました」

 その後問診と何かよく分からない機械で脳関係の何らかの測定をされ、軽く会話をした後帰路に就いた。


 数日後、俺は友浦さんにまた呼び出された。場所はこの前と同じ所のようだ。

「やあ、どうも。体調はどう?」

「こんにちわ。そうですね。まあまあです」

「そうかい。悪くないんなら、何よりだ」

「ところで今日は……」

「ああ、今日はボクは特に用は無いんだ」

「え? そうなんですか?」

「ゴメンよ。でも彼の名前は大っぴらに使えないんでね」

「彼?」

「天田さんの事だよ。彼らは彼ら自身が何の任務で動いているかすら秘匿条項だからね。彼の事を知っている人同士での連絡だとしても、彼の名前は出さないべきなんだ」

「機密保持の為……ですか?」

「そうだ。残念ながら君が預かっているその専用電話だって絶対に傍受されないとは限らない。たとえ今まで完全に通信を保護できていても、それが今日も続くとは限らない。それに彼は公安の中でも特に選ばれた存在。可能な限り、彼の存在は直接的でなくとも電波に乗せてはいけない事になっている。まあ、チーム内での連絡は特殊な対策をして不便にならない様にしているらしいけどね。でもその対策を他に広げるとなると、予算を食いつぶしちゃうから」

 そういえば「特殊な対策を重ね掛けしてある」と天田さんが言っていた。2人の話を総合すると、普段の連絡で天田さんの呼称に関する制限をされなかったのは、俺と天田さんの間の通信回線は通常の公安用回線では無く、更に対策を施したチーム内仕様の物だったという事のようだ。

「はあ……なるほど。……天田さんって凄い人なんですね。確か特務何とか、って言ってましたけど」

「そうだよ。……ボクも凄く詳しく知ってるって訳じゃ無いんだけどね。とにかく、今日来て貰ったのは天田さんが君と話したい事があるからなんだ」

 という事は、天田さんはいつも居る

「ガチャ」

「友浦、お使い立てしてしまって申し訳無い」

「いえいえ。では私はこれで」

 友浦さんが行ってしまった。国家公安委員会心理研究部心理ケア科所属・友浦翔次席研究官代行……前線に出なそうな所属とはいえ、立ち居振る舞いが警察官ぽくない。彼に治療をして貰っている時もそう思ったが、どこか飄々としている人だ。

「星川君も、わざわざ来てもらってすまないな」

「いえ、別に……今日は何の予定も無かったですし」

「そうか。……早速本題に入ろう。あらかた話は聞いた。色々大変だったらしいな」

「……ええ。とても」

「まあ気を損ねないでくれ。からかいに来た訳じゃ無いんだ。ちょっと話がしたくてね」

「何でしょうか」

「この前聞いた時から少し経ったが、今の君にとっても自分の失恋の記憶、悲しい記憶は捨ててしまいたい物か? 無くなってしまってもいい物か?」

「それは……」

 どうなんだろうか。天田さんや友浦さんと話したからだろうか、以前ほどはほんの少しだけそう思わなくなったような気もする。でもやっぱりそいつらにずっと苦しめられ続けた事を考えると、憎々しいのには変わらない。俺のメンタルをこれまでずっとずっとズタボロにして来たんだ。大きくはそうそう変わらない。

「捨ててしまいたい物です。さんざん苦しめられてきましたから。あんな無価値な物、無くなったってかまわないです」

 うつむいてそう答える。

「そうか……本当にそう思ってるのか?」

「どういう事ですか?」

「君の過去の失恋に意味があり、価値があるからこそ君は苦しんできたんじゃないか? それらが何の価値も無いモノなら苦しまないはずだ。さっさと捨ててしまえるモノのはずだ」

「……」

「本当はそれにキチンと意味がある事が分かってるんじゃないか? だからこそ、君は今まで諦めずに闘ってきたんじゃないか? 苦しいのはな、闘っているからなんだ」

「それは……」

「君の辛さや苦しみは俺には分からない。でも1つ言える事は、どんなに辛い経験も、どんなに辛い記憶も君が生きて来た確かな軌跡だ。君だけの大切な財産だ。どれだけ憎い記憶でも、それは星川直道という人間のかけがえのない人生の大切な一部分だ!」

「人生の、一部分……そうか、だから……だから、僕はそれを捨てられなかったのか……今まで僕は、過去の記憶を捨てたい、忘れてしまいたいとは思っても、いつも何だかんだで考え直して結局そうはしてきませんでした。何でかは分かりませんでしたけど。でも今分かりました。多分、これまでも心のどこかにはどんなに嫌な記憶でもれっきとした大切な自分の財産だという思いがあったんだと思います。凄く、隅っこの方にだと思いますけど。そしてそれを忘れるという事は、つまり自分の人生を否定する事。僕はそんな事はしたくなかった。だからこそ僕は、自分の人生を否定するのが嫌だから、今まで闘って来たんだ……」

「そう、そういう事だ」

「大切な財産、人生の一部……良い言葉ですね。本当にその通りだ……」

 そう思うと、何故だか好きになって来た人達との良い思い出ばかりが蘇って来た。川辺には愛の力の強さを教えて貰った。川瀬さんには燃えるような恋と、好きの別な形を教えて貰った。東村さんにはデートとは言えないかもしれないしバイト終わりではあったが、女の子と2人で出掛けるという初めての経験をさせて貰った。

 天田さんが居る事も忘れ、しばし回想にふけった。

「なんだか悲しみと苦しさに埋もれちまってたけど、良い事もちゃんとあったもんな……それも俺は他人に売りそうになってたのか……危ない所だった」 

「そうだな。でも君は間に合った」

「ええ、すんでのところですけどね。…………皆、ありがと。確かに今まで苦しかったけど、でも、それでも皆に出会えて良かった。皆に出会えたお陰で色んな良い事があった。そして、苦しんだ事で分かった事もあった。皆、ホントにありがとう。そして、さよなら……」

「良い顔になったな」

「そうですか?」

「ああ」

「天田さん」

「何だ?」

「僕、天田さんや友浦さんのお陰でやっと吹っ切れました。最初の失恋から考えたら本当に長い時間がかかりましたけど、やっとありがとうとさよならを言えました。これでやっと、踏ん切りがつきました。高1のあの日以来、後ろばっかり向いていて真正面を向けた事なんて一度も無かったんですけど、これでやっと真正面を向いて生きていけます。悲しい記憶……いや、悲しさも含んだ大切な記憶を糧に頑張っていけます。本当に、ありがとうございました」

「星川くん、礼を言ってくれるのは勿論ありがたいが、俺達はあくまでほんの少しだけアドバイスをしただけさ。君が立ち直れたのは、君が、君自身がそうしたいと願ったからだ。もし君がそう思ってくれなかったとしたら、俺達の言葉はただの雑音になってしまった。人の言葉なんて、結局はそんなものさ。最後に決めるのは本人さ。だから、感謝してくれるのは勿論嬉しいが、君は胸を張って良い。君は、自分の力で成し遂げたんだ。過去の想いや悲しみに踏ん切りをつけるという、誰にだって難しくて、苦しくて大変な事を」

「……ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです。……ところで、作戦に参加すると言っても具体的には僕はどういう感じの事をやるんですか?」

「ずばり、彼女を拘束して貰う」

「……え? こうそ……僕、素人なんですけど……」

「大丈夫だ。星川君と元中桜、君達2人は少なくとも表面上は恋人に近しい存在だ。だから、その関係性を上手く使えばそう難しい事をせずとも拘束出来る。つまり、君に芝居を打って貰うんだ」

「なるほど……具体的には、どういう風に?」

「詳しい台詞回しは任せるが……そうだな……例えば、『もしもの事が起こって貴方の事も忘れてしまったら嫌だ』って言って、抱き着くんだ」

「……そんな単純な感じで、上手く行くんですか?」

「行くさ。……少々言いづらいが、少なくとも君達をマークし始めてからは、君は自分から抱き着いた事は無いはずだし、不意を突けるはずだ」

「……本当に、ガッツリマークしていたんですね……確かにその通りですけど……」

「だろう、だから、彼女は君が抱き着いてくるとは思っていないはずだ。だからこそ、ある程度のフリは必要だが変にこねくり回すより、スッと言った方が効果的だ」

「……まあ、そう言われてみれば意表は突けるかもしれないような……」

「だろう? そして、君に抱き着かれて困惑している所に我々が突入し、彼女を逮捕する。どうだね? 良い作戦だろう?」

「ええ、まあ……でも、彼女はテロリストなんですよね? だったら、異変を察知して拘束を解こうとすると思うんですけど」

「それに関しては大丈夫だ。今度拘束術を教える」

「……分かりました、やってみましょう」

「ありがとう、その言葉を待っていたよ」

「それで、一応1つだけ確認したい事があるんですけど」

「何だい?」

「僕ごとまとめて後ろから撃ったりしませんよね?」

「絶対にしない。君は仲間だ」

 真っ直ぐな目で天田さんがそう言った。絶対に大丈夫だな、そう思える声と目だ。

「安心しました。少し、不安になったもので」

「はは、まあ、確かに不安にもなるわな……ただし、無いとは思うがもしも、もしも君が我々を裏切って元中についたら、その時は容赦無く撃たせて貰う」

「分かりました」

「さてと、それから作戦全体の事だが、まず君には護衛を伴って八ツ塚脳外科まで行って貰う」

「護衛……ですか?」

「そうだ。当日、道中でFELOのメンバーが君を襲撃して拉致し、眠らせるなりなんなりして約束にない部分まで記憶をコピーしたり、消したりしようとする可能性が無いとは言えないからな」

「確かに……」

「そして、そうするなら車で運んで欲しいと思うかもしれんが、そう出来ん事情がある」

「もしかして、僕のスマホ……」

「そうだ。昨日結果が出たんだが、GPS発信機が仕掛けられているとみて間違いない。すまないね、もっと早く分かるかと思っていたのだが、仕掛けられている発信機が出している電波がスマホ固有の電波に酷似していてね、ちょっと捜査に手間取ってしまってね」

「そうだったんですか……というか、やっぱり仕掛けられてたんですね」

「ああ」

「で、仕掛けられている以上、絶えず現在地を把握されてしまっている訳だから、それに留意した行動を選択しなくてはいけない。家に忘れて来た体にすれば追跡を免れるが、相手に疑念を抱かせるのは良くない。なまじ普段持ち歩いている物だし、前々から決まっていた用事だし、もの凄く朝早いとかそういう訳でも無い上、目的地は初めて行く場所だ。スマホを忘れるという事は起こりづらいからな。そういう訳で、徒歩と電車で八ツ塚脳外科まで行って貰う」

「分かりました」

「それでもって、各ポイント……暮野駅、南橋駅、それから八ツ塚脳外科に到着した時点で、私に到着報告の連絡をして貰う。当日は元中やその他FELOのメンバーの動きによって作戦を変更したり、中止する可能性もあるから、各員の現在地を随時把握する必要がある。後は……そうだな、護衛に誰を付けるかはこれから調整する。うちは俺を合わせて平常時4人、今は臨時編成で5人の少人数だから、他に応援を頼む事になると思う」

「分かりました」

「現時点で作戦について話せる事はこれ位だが、何か質問は無いか?」

「いえ、無いです」

「そうか。じゃあ、今日はここまでだな。また後日、全体で作戦について説明する場を作るから、その時にアマダ班のメンバーと顔を合わせて貰おう」

「はい」

「まあ、1人はもう既に会っているがね」

「谷見さんですね」

「ああ、そうだ」

 公安の施設への送り迎えは、いつも谷見さんがしてくれている。今日も、この後彼に暮野駅まで送って貰って帰った。


 

 翌日、アマダ班全員を集めて元中桜逮捕作戦に星川君を参加させる事を発表した。既に賛成してくれている表崎は言わずもがな、如月・谷見両名も特に異論なく賛成してくれた。だが……

「……だってこちらに下ったとはいえ、最近まで敵の手駒みたいな存在だった訳じゃ無いですか」

「とはいえ名草さん、彼が奴らにとって有利になる行動をしたという事実は無いですよ」

「まあ、それはそうですが……」

「それに、班長は騙されたりなんかしませんよ。班長の他人を見抜く力はえげつないですからね。曰く、目を見れば何でも分かるそうです」

「そ、そうなんですか。……いやそうだとしても、表崎さんは先にそれを聞いた時、何かおっしゃらなかったんですか? 彼を作戦に参加させる事について」

「一つ返事で賛成しましたよ。腰巾着だと思われるかもしれませんがね。でもそうできる理由が私にはありますから」

「……と、いうと?」

「班長の人をみる目の正確さには、キッチリ裏付けがあるという事です。勿論班長も人間ですから、完璧ではありません。でも人選で失策を犯して作戦に失敗した事は、少なくとも彼がアマダ班の班長になってからは、一度もありません。全て成功しています。つまり、班長がスカウトした協力者は、一度も裏切っていないという事です。それに過去には、今回と似たようなパターンで協力者をスカウトし作戦に登用していますが、例に漏れず成功しています。」

「そうですか……」

「さらに、このデータをもう一度良く見て下さい」

 表崎が、友浦が作成してくれたデータを示す。

「対象B-aへの心理的従属度:0%・回復済み。現在の心理汚染:無し。心理的従属の復活可能性:無し。……このデータも十分、彼が裏切ったりしないという証拠になります」

「……分かりました。私も彼の作戦参加を認めます」

「ありがとう、名草君」

 渋々ながら、名草も賛成してくれた。……彼が最初反対したのは無理もない。監視課は内通者を作る事はあっても、その人物を何らかの作戦に直接参加させる事はないだろうから。

「では、全員賛成という事で」

「ああ、星川直道を元中桜逮捕作戦に参加させる事を決定する。この前表崎には言ったが、既に上の許可は取ってある。……さて、次に彼を実際にどう作戦に参加させるか、俺が考えたプランを聞いて貰おうと思う」

 この前星川君に話した内容を、ほぼそのまま話した。 

「班長、それで応援要員の件は……」

「すまない。まだ通達していなかったんだが、無事に確保出来た。部長に頼んで、応援要員を手配してもらった。具体的に言うと、警護部から2人出してもらえる事になった。丁度さっきその旨の連絡があってね」

「そうだったんですか。では人員関係は大丈夫ですね」

「ああ」

「となると、後は彼がオドオドせずしっかりやってくれるかどうかですね」

「そうだな、この作戦はいかに彼が落ち着いて臨めるかに掛かっているからな。勿論、彼がそう出来るように、我々も気合いを入れて取り組まなければならないがね」

「ええ」

「よし、それで彼以外の大まかな動きだが……」

 逮捕作戦における、彼以外の当日の動きの概案を説明して、会議を終えた。



 天田さんから連絡が入り、迎えを待つべく暮野駅へと向かった。今日は谷見さんも、その他のアマダ班の皆さんも俺を迎えに行く余裕が無かったらしく、公安の後方支援部・民間折衝課という部署の人が迎えに来てくれた。後方支援部と聞くと何となく穏やかに聞こえるが、同じ部に民間監視課という俺を含む何らかの形で公安と関係を持っている民間人を監視する課があって、彼らは銃火器を携行していて何かあったら独自の判断で即時発砲する権限を持っていると天田さんが言っていたので、存外物騒と言えば物騒な部署かもしれない。

 そういう訳で普段とは別の人に連れていって貰った訳だが、特に問題無くいつもの公安の施設にたどり着いた。天田さんに指定された小会議室へ行くと、天田さんが待っていた。

「やあ、お疲れさん」

「お疲れ様です」

「皆ももう直ぐ来ると思うんだが……」

 そう天田さんが言った直後、足音がいくつか聞こえて来た。

「皆、入って来てくれ。では、ウチのメンバーを紹介しよう。左から順に表崎、如月、谷見、名草だ」

「副長をやっている表崎輝哉だ」

「如月花織よ」

「谷見広樹だ。……わざわざ名乗り直さなくても知ってると思うけど」

「名草康介だ」

 皆さん眼光が鋭いな、と思った。

「じゃ、星川君、軽く挨拶よろしく」

「あ、はい。星川直道です。この度はお世話になります。よろしくお願いします」

「じゃ、改めて作戦の詳細を説明する。まず……」

 天田さんの元、今回の作戦に関する打ち合わせが始まった。これまでも打ち合わせをして来たが、それは個別でのものだったので天田さん以外と顔を合わせるのは今日が初めてだった。

「作戦実行日は本年10月25日、場所はEポイントこと南暮野市八ツ塚の八ツ塚脳外科。作戦参加メンバーは天田班5名及び協力者m27番、そして公安警護部警護課橋本将晴・壺ノ宮海正両1等警護官の合計8名。これをレッド・ブルー・グリーン・イエローの4つのチームに分けて運用する。レッドは私と如月、ブルーは表崎・名草、グリーンは谷見、そしてイエローがm27番と警護課の二人だ。」

 協力者m27番とは俺の事だ。公安では民間人を作戦に協力させる場合、その人に番号を付与して扱うのが決まりなのだそうだ。そこは聞かなかったので推測だが、男性(Man)の頭文字でm、27は何かの括りの通し番号なのだろう。

「次に作戦の手順についてだが、まず対象B-aとm27番が接触するまでの所までを。第1にチームレッドは八ツ塚脳外科付近にあるコンビニ、つまりFポイントへ向かい、対象B-aとチームグリーン及びチームイエローがEポイントに到着する直前までその場で待機。チームイエローからの連絡を受けたらただちに出発し、事前に説明したEポイント極付近の突入準備ポイントまで前進し待機。第2にチームブルーはEポイントへ向かう対象Dを尾行。同対象がEポイントへの到着を強行しようとする場合はこれを阻止せよ。第3にチームグリーンは対象B-aを潜伏先からEポイントまで尾行せよ。対象がEポイントに到着し、m27と合流したのを確認した後準備ポイントへ移動し待機せよ。もし対象がEポイントに向かわない場合、尾行を継続しつつ全隊へ報告せよ。第4にチームイエローはm27番の自宅前で編成後、同協力者が対象B-aに事前に指示された道順でEポイントへ移動せよ。Eポイントに到着した後チームイエローは解体、m27番は単独で建物正面玄関前に待機せよ。」

「天田さん、彼らは僕を送り届けたら、速やかに撤収するんですよね」 

「そうだ。彼らはあくまで護衛要員だからな。向こうの部長さんにも現場への突入はさせないようにと重々言われているからな」

「でも班長」

「何だ、如月」

「確か特別捜査官権限の1つに、逮捕作戦時は他部・他課の人員も指揮下に入れ、随時作戦に参加させる事が出来るという物があった気がするのですが……」

「というと?」

「つまり、万一に備えて班長の権限で2人を後詰として残す事も可能なのではないでしょうか」

「まあその通り権限としては出来るが……2人に何かあって部同士の関係が悪くなっても困るからな。今回はその権限は使わない事にする。人手が欲しい事には欲しいのだがな」

「そうですか……分かりました」

 ……何だか縦割り感を感じた。特殊な組織とはいえお役所はお役所、といった所なのだろうか。それとも捜査部と警護部の折り合いが悪いのか……

「……では次に、対象B-aとm27が接触する所以降の手順を説明する。第1にチームブルーはそのまま対象Dを尾行。第2にチーム……いや、ここからは時系列で行こう。まずm27は正面玄関前で対象B-aと接触し、共に建物内に進入。それを確認したチームグリーンは先程言った通り準備ポイントへ移動し待機せよ。次にm27は建物内で機を見て対象を拘束、それをチームレッド・グリーンに知らせよ。また拘束が上手く行かない場合その旨を知らせよ。連絡を受けたチームレッドは、正面玄関より突入。状況に応じてチームグリーンへ応援を要請せよ。チームグリーンは応援要請があるまでその場で待機せよ。……次からいよいよ大詰めだ。チームレッドは建物内へ侵入後、速やかに状況を確認。m27が危険な状態の場合、その保護を最優先。そうでない場合はm27と協同して対象を迅速に逮捕せよ。対象が現場からの逃亡を図った場合は、実弾を使用しての威嚇射撃・脚部への狙撃を実行し、逃亡を阻止せよ。……その他のパターンはまた後程説明するとして、以上で作戦の説明は終了だ」

 天田さんの作戦説明が終わった。事前に個別で説明は受けていたものの俺はかなりの大役を背負っている。俺がミスったら元中さんを生かしたまま逮捕する事が出来なくなってしまうかもしれない本当に重要な役だ。今から身震いしてしまう。

「次に当日の装備品の説明を行う。まあこれはうちの班の面々はいつも通りだ。各自自動拳銃1丁、特殊警棒1本、フラッシュグレネード一発。それから、防弾ベストの着用を忘れないようにな。後、全体の物としてはいつもの突入用工作セットだな。警護課の2人については彼ら自身に任せてある。m27については防弾ベストを着用、後装備品は特殊警棒1本に、公安41式自動特殊電撃銃改1丁だ」

「電撃銃?」

「スタンガンの事だ。正式名称で呼ぶと堅苦しいが市販品とそう変わらない、ごく一般的なスタンガンだ。表崎、実物ってあるよな?」

「あります。ちょっと待って下さい」

 表崎さんが、スタンガンを持って来た。

「これだ」

「確かに、アニメとかドラマで見る様な奴ですね。あと、実物見るのは初めてなんですけど、映像で見るより小さいですね」

「ああ、これは少し小型のタイプなんだ。服のポケットに隠しておけるようにね」

「なるほど」

「当日は、ズボンの利き手側の脇ポケットに入れておいてくれ」

「分かりました。使い方は……」

「このボタンを押しながら、相手に先端を押し当てるだけだ。パワーの調整も出来るが、それはこっちでやっておく」

「分かりました」

「さて、装備に関してはこんなもんかな」

「班長、特殊無線機の説明が」

「ああ、そうだったな」

「今話した物の他に、当日は特殊無線機を持って行って貰う。逮捕作戦とかで使う、特別な物だ。えっと……これだ」

「コンパクトですね。随分薄い。……あれ、何か普通の無線機よりボタンが多いような……」

「無線機、詳しいのか?」

「バイトで使うんですよ。そういえば話してませんでしたけど駅員のバイトをやっていて、連絡用に使うんです」

「そうだったのか。じゃあ基本的な使い方は教えなくて大丈夫だな」

「はい」

「それでこいつが特殊な所以だが、これには事前に音声を登録しておける。そして、音声入力でそれを発信する事が出来る」

「音声入力で送信……そんな事が出来る無線機があるんですね」

「そうだ。手を離せない時にも使えるようにな。で、音声は2パターン収録出来る。今回は電子音声で既に拘束成功・失敗の2パターンを登録済みだ。成功した場合は1番を送信、失敗した場合は2番を送信と言うと、その内容が送信される」

「分かりました。成功時が1番、失敗時が2番ですね」

「ああ、その通りだ。後、何も操作をしなくてもタイマーを作動させてから15分で失敗時の音声が送信されるようになっている。タイマー作動ボタンは底面にある奴だ」

「15分、ですもんね。タイムリミット」

「ああ。この前も話したように、建物に入った所で対象に見つからないようにボタンを押してタイマーを作動させてくれ」

「はい」

「こんなもんかな。表崎、何か抜けあるか?」

「いえ、無いと思います」

「では、本日の全体説明はここまでとする。星川君はもう帰って良いよ。あ、天田班の面々は残ってくれ」

「分かりました。それではお先に失礼します」 

「これを持って帰ってくれ。今さっき説明したモノが入っている」

 差し出された紙袋から中に入っているバッグを取り出し、バッグのチャックを開けると防弾ベストとスタンガン、それから無線機が入っていた。

「分かっていると思うが、外で開けないように。後自宅でも押し入れとか、一目につかない場所に置いておくように。あとこれが鍵だ」

「鍵?」

「そうだ、ここに鍵穴があるだろう? このバッグは鍵がかかるんだ」

「あ、ホントだ」

「作戦当日まで鍵をかけておいてくれ。その鍵にはセンサーがついていて、無断で開けるとこちらにそれが通報されるようになっている。あとバッグ自体にはGPSが積んである」

「防犯対策バッチリですね」

「そうだ。だからまあ無いとは思うが、無断使用なんてしないでくれよ」

「勿論しません」

 渡された鍵でバッグに鍵をかけ、紙袋の中に戻した。

「じゃあ、帰りも行きしと同じ人が送ってくれるから」

「はい。今日はありがとうございました。お疲れ様です」

「お疲れさん」

 部屋を出ると、行きしにもここまで案内してくれた民間折衝課の人が待っていてくれた。多分この後天田さん達は俺抜きで打ち合わせの続きをやるのだろう。逮捕した後の事とか、俺が失敗した場合の事とか、後は俺が裏切った場合の事とか……


 星川君が帰った後、天田班だけの打ち合わせを行った。その最中に、名草が彼の事について質問して来た。 

「天田さん、彼を本当に信頼して大丈夫なんですか? もしも彼が土壇場で寝返ったりしたらどうするんですか?」

「名草さん、大丈夫ですって。班長はそんな可能性のある人間に、大役は任せませんから」

「ああ、谷見の言う通りだ。ヤツはキッチリやってくれる」

「し、しかし……」

「名草さん、心配する事はありません。彼は裏切りませんよ。それに……もしそうなったら、班長が彼を撃ちますから。班長、その事はもう彼に言っているんですよね?」

「ああ、勿論伝えてある。もし裏切ったら容赦無く撃ち抜く、とね。名草、彼を警戒するのは分かるが、この前話した通り俺の直感だけじゃなく友浦翔次席研究官代行のお墨付きもある。何かあったら全責任は俺が取る」

「……分かりました。彼を信じましょう。……ですが……」

「どうした?」

「彼は何故、協力を承認したのでしょうか? 早く事件との関わりを断つ方が普通だと思いますが……」

「さあ、何でだろうな。彼女に仕返し出来るからってとこじゃないか? まあ、でも彼が協力してくれた方がやりやすいんだ。理由は何だって良いだろう」

「まあ、それはそうですが……」

「他に何か質問がある者は? ……よし、じゃあ解散!」

 三々五々、皆帰っていった。

「……彼が協力を承認した理由、正確に言ったって良かったがまああれで良かっただろう。キッチリ話すとなるとどうしてもそうしたい理由があったとはいえ、俺が彼を少々焚きつけた事も話さなきゃならんくなるしな……」

 数日後、俺はまた天田さんに会っていた。今日は建物こそおなじだが階が違う、体育館のような場所に来ている。今日は拘束術を教えて貰うのだ。前回教えて欲しかったのだが、あの後別の会議もあったりして、時間が無かったそうだ。

「では早速始めよう。本番の相手は女性だから、今日は如月にも協力して貰う」

「よろしく」

「よろしくお願いします」

「じゃあまず口頭で説明する。まずは対象に接近する。その際の言葉はまあ任せる。で、対象に抱き着く訳だが、ただ抱き着けば良い訳じゃ無い。相手の両手をキッチリ巻き込んで抱き着くんだ。そうしないで相手が自由に手を使えるようにしてしまうと、撃たれたり切られたりする可能性があるからな。逆にしっかり両手を巻き込んでおけば、相手の動きを完全に封じる事が出来る」

「なるほど……」

「で、更に詳しくホールドの仕方を説明すると、腕を回すのは相手の肘のすぐ下だ。肘より上だと相手が肘から下を動かせてしまうし、あまり下すぎても相手が腕を抜きやすくなってしまう。次に相手の背後に回した手の組み方だが、右手で左手の手首付近を、左手で右手の手首付近を逆手でガッチリ握る。相手を掴んだりすると、意外に振りほどかれやすい。後抱き着く際の足だが、相手より足幅を広くとって抱き着くんだ。その方が足技を掛けられづらいからな……まあざっとこんな感じだ」

「分かりました」

「そうだ、ホールドした後の事も先に言っておこう。ホールドした後は絶対に気を抜いてはいけない。相手は何とかして拘束を解こうとしてくるはずだ。足を掛けて転ばそうとしてくるのは勿論の事、噛みついてくる可能性だってある。そういう場合には相手を絞め上げる。手をほどく訳にはいかないから、どちらかの脇を締める感じで横に絞め上げる。以上だ」

「説明ありがとうございます」

「どうも。じゃあ早速やってみて」

「えっ?!」

 てっきり天田さんが見本を見せてくれるものと思っていたが、どうもそうではないらしい。まあそんなに特殊な事はしない感じなので、とりあえず動作自体は問題無く出来るだろう。だが……それとは別に問題があった。

(俺、女性に抱き着いた事無いんだよな……それに、如月さんメッチャ美人さんだし……いかんいかん、これはあくまで拘束の練習なんだから……駄目だ、やっぱり緊張する……)

 美人な女性に抱き着かないといけないという事態にすっかり緊張してしまった。とはいえやらない事にはどうにもならないので、やるしかない。

「じゃ、じゃあお願いします」

「いつでもどうぞ」

 左足の踵で床を3回踏み鳴らし、1つ息を吐いた。これは俺が剣道をやっていた頃、試合の前などにやっていたルーティンだ。剣道をやらなくなってからも気合いを入れたい時なんかにたまにやっていた。

「行きます」

 久々のルーティンで気合いを入れ、如月さんに近づいて行った。


「こんな感じですか?」

 如月さんに密着してドキドキを爆増させながら天田さんに伺いを立てた。

「大体はOKだ。だがもっとしっかりくっつかないと逃げられるぞ」

「いやでも、結構くっついてると思うんですけど」

「いいや駄目だ。それでは確実に拘束を解かれる。如月、振りほどいてみろ。星川君もしっかり抵抗するんだ」

「はい、班長」

「えっ? あ、はい」

 早速実戦練習らしい。全身に力を込めて備える。

「フッ!」

「なっ!?」

 流石公安の捜査官、ガッチリホールドしていたつもりが一瞬で振りほどかれそうになる。

「クッ!」

 必死に抵抗するも、もうもちそうにない。とにかく力を込めるのだが、完全に圧倒されてしまっている。

「あっ……」

 もうダメだと思った瞬間、振りほどかれてしまった。

「言ったろう? それじゃあ逃げられるって。如月、そのまま制圧だ」

「はい」

「なっ!? うわあ!」

 如月さんに一瞬のうちに組み伏せられてしまった。

「うぅ……」

「星川君、本番でこうなったらどうする?」

「……」

「だろ? 拘束したつもりが一瞬で大ピンチだ。だからキッチリホールドしないとダメなんだ。相手と密着している時は、相手にもこっちを拘束するチャンスがある訳だ。それを覚えておくように」

「はい……」

「じゃあ、もう一度だ」

「はい」

 ダメ出しをされながら、しばらく拘束の練習を繰り返した。


「グググ……」

「よし、それまで」

 何度も失敗した後、やっと拘束しきる事に成功した。

「本番でも今の感じでやれれば、問題無く拘束出来るはずだ。しっかり頼むぞ」

「はい。頑張ります」

「プロロロ」

「ちょっと失礼。重捜科天田です。はい、お疲れ様です……」

 天田さんに誰かから電話がかかって来た。

「お待たせ」

「いえいえ」

「無線機についての話だった。今な、この前ニュースでもやっていたから知っているかもしれんが公安と警察庁が共同で一部思念操作式の無線機を開発しているんだ」

「それは初耳です」

「そうか。まあチラッとやってただけだからな。それでその無線機は、この前渡した無線機の音声入力で操作する部分を思念操作式に置き換えた物なんだが、そいつの実戦型評価試験にうちの班を貸してくれって内容だった」

「……それって機密なんじゃ……」

「君がうちの班に関しての事を他人に話さないでくれればそれで良い。無論開発状況を秘匿しているものならもっと厳重に扱うんだが、この無線機が制式採用間近なのはもう公表してあるからね。そう機密度は高くない。まあ、うちの班の貸し出しの是非は一応機密だがな」

「分かりました」

「じゃあ、次は被弾体験訓練だ」

「あ、そういえばそれもするんでしたね……」

 被弾体験訓練とは実際に撃たれるとどういう感触がするのか、どんな気持ちになるのかを体験する訓練の事で、実銃を使用しての訓練だ。流石に弾は本物では無く専用の訓練弾らしいが、どう考えても痛いに決まっている。正直嫌なので何とか回避出来ないかと願っていた。天田さんは「時間があれば」と言っていたのでさっきの電話に救われたかと思っていたのだが、どうやら時間はたっぷり用意してあったようだ。

「じゃあ早速この防弾ベストを着てくれ」

「はい……」

「どうした、乗り気じゃ無いみたいだな。怖いのか」

「ええ、怖いですよ」

「安心しろ。弾は偽もんなんだ。それにこの公安特製の防弾ベストは拳銃弾の貫通事例ゼロだ」

「ライフル弾とかマグナム弾はあるんですか?」

「……まあな。でも対象が銃器を携行しているとすれば通常の拳銃だろう。他の弾の事はとりあえず考えるな」

「……分かりました」

「よし、じゃあやるぞ。射撃ブースへ行こう」

「はい……」

 天田さんに促されて、壁で仕切られている場所へ向かう。

「よし、じゃあそこに立ってくれ。足跡マークが付いてる所。でもってそこの横の棒を掴んでくれ」

「はい。ここに立って……で、これですね」

「そうだ。じゃあ動かないでとまっていてくれよ」

「も、もう撃つんですか?」

「いや、まだだ。まだ準備が終わって無い」

「如月、スイッチを押してやってくれ」

「はい」

「ウオーン」

 駆動音を鳴らし、何だか台のような物が上から降りて来た。中央が下に凹んだ台の端に、アクリル板が垂直に付いている。

「何ですか? これ」

「頭用の保護台だ。そのくぼみに顎を乗せてくれ。それが頭と首を守ってくれる」

「なるほど」

「よし、これで準備完了だ。絶対に動くなよ」

「はい」

「じゃあまず、みぞおちを撃つぞ」

「は、はい……」

 怖さで足がすくむ。いくら防弾ベストを着ていて更に弾は実弾じゃ無いとはいえ、もの凄い速さで撃ち出された飛翔体が自分に向かって一直線に飛んで来るのだ、怖くない訳が無い。

「行くぞ、腹に力込めろ!」

「はい」

「バァーン!」

「グっ!」

 返事をした瞬間、みぞおちに衝撃を感じた。 

「ゲホっ……痛っ……」

「どうだ? 思ったより痛く無いだろ?」

「いや、十分痛いですよ」

「そうか? 俺達も毎年被弾訓練やってるけど、みぞおちの方は全然痛く無いけどなぁ」

「それは慣れじゃないですか?」

「そうかもな。……まあ良い。次は心臓だ」

「し、心臓ですか?」

「そうだ。心臓だ。狙ってくる可能性が高い場所だから、キッチリ体験しておかないと」

「わ、分かりました……」

 みぞおちであれ程痛かったのだから、心臓はもっと痛いのだろう。正直やりたくは無いが、相手が殺すつもりなら狙ってくる可能性が高い場所なのは確かだ。

「準備は良いか?」

「はい」

「よし、撃つぞ」

「どうぞ」

「バァーン!」

「グフッ!」

「大丈夫か?」

「……何とか……一瞬息止まりましたし、メッチャ痛いですけど……」

「ま、でも気を失ってないだけ上出来だな。顔ひきつってたから気絶するかと思ったよ」

「……あ、僕顔ひきつってたんですか?」

「そうだ」

「だって怖かったですもん」

「まあ最初は誰でも怖いさ。でも傷1つ付いてないだろう? この防弾ベスト」

「ほんとだ……これなら大丈夫ですね。実弾の衝撃はもっと痛いんでしょうけど。……でも何というか確かに実際に撃たれた上で大丈夫なんだって思う方が信頼が湧きますね」

「だろう? そう思ってくれたら、訓練をやった甲斐があるよ。あ、これで訓練は終わりだから、もう楽にして良いよ」

「はい」

 掴んでいた棒を放し、後ろに下がって頭を台からどける。

「はぁ、疲れた……あ、この台は……」

「如月、ボタン押してやってくれ」

 自動拳銃から弾倉を抜きながら天田さんが如月さんに声を掛ける。

「ウオーン」

 駆動音を鳴らし、台が上方へと戻って行く。

「天田さん」

「何だ?」

「さっき僕に『顔ひきつってたから気絶するかと思った』って仰ってたじゃないですか。天田さんが知っている限りでこの訓練で気絶した事がある人って居るんですか?」

「ああ、居るよ。例えば俺のとある同期とか。いくら公安でも、だれでも最初からこういうのに耐性がある訳じゃ無いからな。だから怖がってこそいたが初めてでしっかり意識を保ってられた星川君は凄いと思うよ」

「あ、ありがとうございます」

「さてと。じゃ、如月はもう外して良いぞ」

「お先に失礼します。お疲れ様です」

「お疲れ」

「お疲れ様です。如月さん、訓練にお付き合い頂きありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして。本番でも頼むわよ」

「はい」

 如月さんが訓練場から去って行き、俺と天田さんの2人が残った。

「……あれ、でも今日はもうやる事終わったんじゃ……」

「ちょっと2人で話そうと思ってな。今日が終われば作戦当日まで会わないしな」

「はあ……」

「まだ色々教えられて無いしな。FELOの事とか」

「そういえば、そうでしたね」

「勿論知らないでいる事も出来る。君にとっては対象B-a……元中桜の事は重要でも、彼女が所属しているFELOそのものの事については、さほど重要じゃ無いだろう。君にその事について知る権利こそあれ知らなければならない義務は無いし、こちらも君にその事を教える義務は無い。つまり言わばそんな『余計な事』を知らずに作戦当日を迎えるのも、君が持っている選択肢の1つだ」

「……」

 確かに、俺はFELOについては「元中桜が属しているテロ組織」位の知識しか無い。彼女について知りたい事は山ほどあるが、FELOそのものの事に関しては正直どうでも良いと言えばどうでも良い。それに天田さんがわざわざああいう事を言ったという事は、知るとビビるような事があるのかもしれない。だが話を振ったという事は、FELOがどんな組織なのかという事を知った上で作戦に臨んで欲しいという気持ちがあるのだろう。その気持ちには応えたい。それに、俺としてもこれまでそこん所まで考える余裕は無かったが、今考えるとFELOの事についてはしっかりと知った上で当日を迎えたい。

「天田さん、天田さんは僕にはそれを知る義務は無いと仰いましたが、僕としては作戦に参加する者として奴らの事を知っておく義務があると思います。FELOについて教えて頂けませんか?」

「言っておいてなんだが機密で喋れん事もある。それでも良いか?」

「ええ、構いません」

「じゃあまず成り立ちからだな。FELOは2つの組織が合併して出来た組織だ」

「そうなんですか。だから『同盟』なんですかね」

「ああ、恐らくな。で、FELOの元になった組織が2つある訳なんだが、1つはNFEL、新極東解放隊だ。そしてもう1つがJIDO、日本新機軸開発機構だ。どちらもに設立は2000年代前半だ。そして両組織時代は特に大きな活動が無いまま2010年代後半に合併。合併後の主義主張や活動方針は合併時の人員及び資金面の規模での優劣からどちらかというとJIDO寄りのようだ。次に人員だが現在の構成員は合併後に加入したと思わわれる者が大多数を占めている。男女比は約8:2だ。年齢層に関しては詳しいデータは機密だが、20代から50代までの構成員が確認されている、とだけ言っておこう」

「詳しい年齢分布は機密なんですね」

「ああ。それで次にFELOの主義主張だが、『我らの神聖なる手で、この世界の再構築を。不条理からの解放を。そして新たなる秩序の元に集らん事を』がそれだ。まあ、不公平なこの世の支配体制やら何やらを一旦ぶち壊して、新しい秩序を作ろうって事らしい。」

「はあ、何だかありふれた感じですね」

「確かにそうだな。でもって次に奴らの活動方針だが……いや、まあこれは奴らが掲げていると言うよりか、我々公安が抱いている印象になってしまうんだが、それはずばり『慎重かつ慎重かつさらに慎重に、だ』」

「そんなに慎重なんですか?」

「ああ、恐ろしい程に。公安がマークしているテロ組織や危険団体の中でもFELOは群を抜いて慎重だ。そのおかげで随分と辛酸をなめさせられてしまった。慎重というのは実に恐ろしい。そして奴らがこれまでにやってきた事だが……発生日時も場所も機密になっている、デカい事を1つやっている」

「デカい事?」

「そうだ。約20年前、他のテロ組織との共同でとある警察関連施設への襲撃事件を起こしている」

「襲撃事件? そんな事起こしていたら、ニュースになったりして世間に名前が知られているはずじゃあ……」

「確かに普通ならそうなる。だがこのケースは“普通じゃない”ケースだったから、事件やテロ組織のことが明るみに出なかったんだ。奴らに襲われたのは、一般人はおろか警察官ですらその詳細を知っている者の方が少ない、極秘施設だったんだ。その施設が高度に秘匿されているが故に、また秘匿し続けなければならない故に、殉職者が出たのにも拘わらずこの事件は遺族含め一切公にされなかった」

「殉職した方が……」

「ああ、場所が場所だから民間人の死者は出なかったが、迎撃した公安の部隊から多数の死者が出てしまった。生還者の証言によれば、奴らの練度はかなりのものだったらしい」

「そう、だったんですか」

「それで、殉職者が出てしまった以上事件を公表すべきだという意見も特に現場サイドから多く出たんだが、上層部は『施設の重要性を鑑みて事件を公表する事は出来ない』の一点張りで聞く耳を持たず、結局今に至るまで公開されていない。事件を公表しないという事は、彼らの死を無かった事にするのと同義。本人達や遺族の方々がいたたまれない事この上無いのだが……」

「何というか……お役所的というか……」

「まあ、お役所だからな。そんな事言ったら身も蓋も無いがね」

「天田さんは事件当時その極秘施設の存在を知っていたんですか?」

「名前だけはな。場所や人員配置は全く知らなかった。今は知っているが、それもFELOの捜査担当になっているからだ。そうでなければ今も知らんだろうよ」

「そうなんですか。……所で天田さん、1つ聞きたい事があるのですが」

「何だ?」

「彼女は……元中桜は、その……」

「ん?」

「……人を、殺した事があるのでしょうか」

「……うーん」

「天田さんの様な公安の人なら、長年の経験で分かるんじゃないでしょうか。顔を見た事しか無くても」

「……顔を見た事があるとはいえ近くで見たのは画像や映像でだし、直接見たのは遠目だからなぁ……分からんな。流石に」

「そうですか。てっきり分かるんじゃないかと思っていたのですが……」

「人を殺した事がある奴はな、2種類に分ける事が出来る。1つ目は常日頃そういうものを顔に滲み出させている奴だ。意識的にか無意識にかは関係無く、自分はそんな事だって出来てしまう恐ろしい奴なんだという事を周りの人間に誇示している奴だ。変わって2つ目はそういう物を一切出そうとせずに日々人畜無害を装って生活している奴だ。俺に分かるのは、彼女は少なくとも1つ目の奴では無さそうだ、というところまでだ。そこから先は分からない。2つ目の奴なのか、それとも人を殺した事が無い奴なのか……」

「そうですか」

「ああ。一度でも直接至近距離で目を合わせる事が出来れば分かると思うんだがね。まあ、彼女もテロリストだ。誰かに銃口を向け、引き金に指を掛けた事位、きっとあるだろう。」

「分かりました。ありがとうございます」

 しばらく沈黙が続いた。

「天田さん、もう一つお聞きしても良いですか?」

「何だ?」

「僕を協力させる事にした理由、です。この前の理由だけだとなんというか足りない気がするというか……わざわざ裏切る可能性のある私に協力させるのは、リスクが高すぎるというか……」

「ま、それはそうかもしれん。元中桜の逮捕が失敗するかもしれないし、その上俺は民間人を殺さなければならないかもしれない。君に至っては死ぬかもしれないものな」

「ええ」

「だが君が協力してくれた方が、彼女をよりスムーズに逮捕出来る可能性が高い。それに……それにな、確かにこれは俺達公安とヤツらFELOとの闘いだ。でもな、この闘いはそれと同時に男と女の闘い、星川君と元中個人の闘いでもあると俺は思っている」

「!? そ、捜査にそんな物を挟んでは……」

「ああ、当然やっちゃいかん。警察官が捜査に私情を挟むなんてのはもってのほか。御法度も良いところ

だ。」

「じゃあ何で……」

「公安の特別捜査官・天田貴行では無くあくまで一人のおっさんとしての思いさ」

「……」

「嫌だろ? 自分の色恋沙汰のケツ、他人に拭かれるのなんて」

「それは勿論そうです。当たり前です」

「残念ながら相手が相手だから、全部君に任す訳にはいかん。でも、俺としては……」

「つけられるカタは、自分でつけて欲しい?」

「フッ、その通りだ。おっさんとしてはな。今の君にならその覚悟が……いや失礼、その覚悟が出来ているから、今ここにいるんだな」

「はい、勿論」

「改めて、頼んだぞ」

「はい!」

「……さてと、話したい事が話せた。ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

「……いよいよ明日だな」

「……はい」

 明日は作戦決行日、今日は帰ったら早く寝よう。


 遂に作戦当日を迎えた。出発前、俺は高校の卒業アルバムを見ていた。

「川辺、今どうしてんのかな……きっと元気にやってるだろうけど。……フッ、まあアイツのしょげてる所は見たくねーもんな」

 ページをめくり、次は川瀬さんが写っている所を開く。

「川瀬さんも、どうしてるかな。彼氏君と仲良くやってるんかな」

 卒アルを閉じ、本棚に戻す。

「東村さんの写真は、と……何かあったっけ? あ、この前の……つってももうだいぶ前だけどバイトのお疲れ様会の時のがあるか」

 うちの管区では3月にその年度でやめて行くバイトの人達の労をねぎらってお疲れ様会を開くのだが、その時に皆で撮った集合写真があったはずだ。スマホの画像フォルダを開いて画面をスクロールする。

「あったあった。ま、東村さんにはしばらくはこれからも会えるけどな。でもあの一件以来あんまり話して無いな……」

 更に画面をスクロールして、元中桜とデートをした時の写真を見る。

「どのデートも楽しかったな……今日は、色々と聞かせて貰いますよ。……それにしても、まさかこんな事になるとはな……ホント、人生ってのは何が起こるか分からない。そういやあ倉橋に『オモチャにされるなよ』なんて言われた事があったけど、ある意味そうなっちまったな」

 そんな事を思い出しながらフォルダを閉じた。そしていったんスマホを置き、壁のポスター群を見回した。俺の部屋の壁の一角には好きなゲームのキャラクターや、好きな声優さんのポスターがいくつも飾ってあるのだ。

「皆、ありがとう。皆に出会えなかったら、俺はここまでこれなかったよ。そして、これからもよろしくね。今日、俺頑張って来るから」

 ある時期から彼女達から貰えるパワーが少なくなってしまっていたのは事実だ。でもそれは彼女達の所為じゃない。俺が疲弊しすぎて心の中のプラス方向のエネルギーを感じる部分が弱りまくっていただけだ。でも今は、彼女達と出会った頃のように彼女達から沢山の元気を貰えている。 

 各ポスターをじっくりと目に焼き付け終えた頃、電話が掛かって来た。

「もしもし、星川です」

「警護科の橋本だ。君の自宅付近に到着した。出発されたい」

「分かりました。出発します」

 電話を切り、荷物を持って玄関へ行く。

「あ、そうだ」

 せっかくだからあのルーティンをやろうと思い、一旦荷物を置く。

「タン、タン、タン」

「よし、じゃあ行くか。行ってきます」

 玄関を開けて見上げた空は、作戦の成功を後押ししてくれそうな、綺麗な青い空だった。

 家を出た所で警護課の二人と合流する。とはいえ万が一の事を考えて手筈通り距離を3人の間は距離をとって俺が単身現場へ向かっているように見えるようにしている。素人には本当にこれで護衛出来るのかよく分からないのだが、これでもしっかり俺をカバー出来るらしい。天田さんが話していたが、公安の警護部警護課の警護官は日本どころか世界でもトップクラスの警護能力があるらしい。

 予定時間ピッタリに暮野駅に着いた。ここで一度天田さんにメールで連絡を入れる。 

「こちらチームイエロー・m27です。予定通り暮野駅に到着しました。これより、8時22分暮野発の列車でHポイントへ向かいます」

 Hポイントとは、八ツ塚脳外科の最寄り駅である南橋駅の事だ。改札を通り、ホームで駅を待っていると返信が来た。

「了解。引き続き気を付けて任務を続行せよ」

 護衛の2人にその旨の返信が来た事を知らせるべく、右手で頭を3回かいた。見張られている可能性があるので2人とは直接話したりする事が出来ないので、ジェスチャーで知らせたのだ。警護課の2人にそういう指摘を受け、事前に3人でいくつかジェスチャーを考えておいたのだ。……といってもジェスチャーそのものの案は2人に任せ、俺は提案された中から選んだだけなのだが。さっきのがそのまま任務遂行、鞄を右から左へ持ち替えて右の靴紐を結び直したら指示があるまで現在地点で待機、などだ。

 列車がやって来たので乗り込む。30分程列車に揺られ、南橋駅に着いた。ここでも一度天田さんに連絡を入れ、予定通り続行せよとの指示が出たので2人にまたジェスチャーで伝えた。

「よし」

 小さくそう呟いて、八ツ塚脳外科へ向かって歩いて行く。


 時折スマホの地図アプリで道順を確認しつつ、15分程歩いて八ツ塚脳外科へ到着した。

「さあ、いよいよだな……」

 まずは元中桜にBeehiveで連絡する。

「えっと……今着きました。玄関の前で待っています、と。これで良し。次は天田さんにメールを、と。予定通りポイントE・玄関前に到着。対象B-aの当地点到達まで待機します、と。こっちも完了。よし」

 先に天田さんから返信があった。

「了解した。いよいよ対象の逮捕実行段階だ。作戦に変更無し。一層注意して任務を続行せよ」

(ここまで俺も順調に来れたし、作戦変更無しという事は他のチームも上手くやれてるって訳だ。……と言っても俺以外は全員プロだから当たり前といえば当たり前か。……まあなんにせよ、気合い入れて行こう)

 そう思いつつ、警護科の2人にさっきと同じように天田さんからの指示を伝える。

(お2人はここまでか……お疲れ様でした。ありがとうございました)

「ブー」

 少し経って、スマホのバイブ音が鳴った。  

「あの人からかな」

 スマホを開き、確認する

「やっぱりそうだ」

「私ももうすぐ着きます。少し待っていてね」

 返信を読み、ふと空を見上げた。青い空が広がっている。

(ほんと、凄い良い空だな……雲一つなく、とはいかないけど)


「あの後ろのシルバーのセダン……チッ、サツだな。マズいな……さっきからケツにピッタリだからな。雰囲気的にも間違いねえな」

(迂回するしかないか。しかしどこでバレたんだ。あそこに潜伏してる事は勿論、この車に乗ってる事だって誰にも知られてないはずなのに。少なくとも直行は出来んな。このまま直行したら八ツ塚医院との関係性を肯定する事になってしまう。ここに来て捕まる訳にはいかんから奴らに証拠を積み上げさせる訳にはいかん。車両放棄も視野に入れて何とかするしかないな。とにかくまずは気を伺いつつ迂回しよう)

 そう考えつつ、舌打ちをしながら元中さんに電話を掛ける。


 場合によっては最後まで一人でやって貰う事になるな、と思いつつ車を走らせる。


「音声通信の電波をキャッチ。解析しますか?」

「頼みます、名草さん」

「分かりました。解析開始。15秒程度で完了します」 

「了解」

「……解析完了。再生します」

「サイセイカイシ……赤柳です。サツにつけられてます。なので直行は無理そうです。そっちは大丈夫ですか? ……私は大丈夫よ。間もなく着くわ。……そうですか。では先に始めていて下さい。以上です。……分かりました。失礼します…………サイセイシュウリョウ」

「キッチリ気付いてくれましたね」

「ええ。まあこんだけ張り付いてますからね。じゃあ、キャップへの連絡をお願いします」

「はい。……こちらチームブルー・名草です」

「チームレッド・天田だ」

「作戦通りこちらの存在を認識させる事に成功。このまま追尾を継続します」

「了解した。気を付けて任務を続行してくれ」

「はい。ところでそちらの動きはどのようになっていますでしょうか」

「現在対象B-aはEポイントに向かって移動中。チームレッドは予定通りFポイントに待機中。その他のチームも問題無く作戦遂行中だ」

「分かりました。ありがとうございます。それでは、また後程」

「ああ」

「向こうも順調のようです」

「そうみたいですね。後は彼がしっかりやってくれるかどうかですね」

「そうですね」



「ごめん、お待たせ」

 程無くして、元中桜が姿を見せた。

「いえいえ、僕も今来た所ですから。これ位待ったうちに入りませんよ」

「ありがとう。じゃあ、開けるわね」

 彼女が鍵を回し、ドアを開ける。彼女に続いて中へ入りつつ、ズボンの左側の脇ポケットに手を伸ばし、無線機のタイマーを作動させる。

(いよいよだな。……大丈夫、上手くやれるさ……)

 そう思いつつ、彼女の後について歩いて行く。玄関ホールと待合室を抜け、治療室へと到着した。

「荷物はそこに入れて頂戴」

「はい」

 言われた通り、鞄を差し出された網カゴに入れる。

「あ、ちょっと待っててね」

「はい」

 元中が玄関の方へ戻って行く。多分玄関のドアに鍵を掛けるのだろう。

「お待たせ」

 足早に元中が治療室に戻って来た。

「じゃあ、早速だけどそこに座って貰える?」

 彼女の視線の先には、歯医者さんでよく見る完全に水平になるタイプのリクライニングシートがあった。同じ物が治療室にいくつか並んでいる。

「分かりました。あ、でもその前に、1つ良いですか?」

「良いわよ。何かしら?」

「今日の手術、失恋の事以外は消されないんですよね?」

「ええ。それは勿論。この前も説明した通り、絶対に大丈夫よ」

「ですよね。でも……やっぱり心配で……もしもの事があって他の事も忘れてしまったらどうしようと……」

 そう言いつつ、元中さんとの距離を少し詰める。

(よし、これで後2歩で行けるな……)

「心配しないで、この機械と私の腕なら100%成功するわ」

(その腕を、悪の為で無く世の為に使って欲しかったな……)

 ふと、そう思った。

「でも……」

 そう言いつつ、元中さんに抱き着く。

「きゃっ!? ちょっと星川君?」

「万が一の事があって元中さんの事を忘れてしまう前に……この気持ちを忘れてしまう前に、こうしたかったんです」

 困惑顔の元中桜を見つつ、事前に考えておいた台詞を放つ。そして、腕の締め付けを強め、より体を密着させる。

「ちょっと、離して?」  

「嫌です」

 言葉と共に、更に締め付けを強める。

「貴方の気持ち、受け取ったから離して?」

「絶対に離しません。絶対に」

「離してくれないと手術出来無いじゃな……まさか、貴方?!」

 どうやら元中が異変に気付いたようだ。だが少し気付くのが遅かった。ここまでガッチリホールド出来れば、そうそう逃げられまい。

「離して! 離しなさい!」

 元中が必死に拘束を振りほどこうとする。だが上手く不意を突いた甲斐があり、形勢が不利になる事はなさそうだ。

「離せ!」

 そう言った元中が、自身のズボンの脇ポケットに手を伸ばそうとする。拳銃は流石に入っていなそうだから、スタンガンかナイフ辺りを取り出そうとしているのだろうか。更に締め付けを強くして、それを防ぐ。天田さんが言っていた通り、この拘束の仕方は相手の腕もキッチリと封じる事が出来る。

「諦めて下さい」

「嫌よ、こんな、素人なんかにっ……クッ……」

 元中が苦悶の表情を浮かべる。息を付き、口を開く。

「諦めて、下さい。1番を送信」

「ドガッ!」

 その瞬間、何かが壊される音が聞こえた。恐らく、天田さん達が玄関のドアの蝶番を破壊したのだろう。当然の事ながら彼らは破壊せずともドアを開ける事位出来るのだが、何だかんだ言って蝶番を破壊して強引にドアを開けるのが一番手っ取り早く出来て良いのだそうだ。

「ダダダダダッ!」

そして破壊音の次に聞こえた足音と共に、拳銃を携えた天田さん達が一気に治療室まで駆け込んで来た。

「元中桜、テロ等準備罪の容疑で貴方に逮捕状が出ている」

 元中に拳銃を向け、天田さんがそう言い放った。

「公安か」

「そうだ」

「チッ……ここまでか……匂いを嗅ぎまわっていた事は知っていたけど、まだ猶予があるし、ここの事はあんた達に知られていないはずだから今日やられるなら赤柳だけだと思っていた私が馬鹿だったわ。組織の幹部でも無い私達に、2部隊も公安が差し向けるなんて考えないし」

「残念だったな。組織の売りの慎重さを出さなかった貴方の負けだ」

……どうも2部隊動いていると勘違いしているらしい。 

「……そうね。でもまさか……星川君にハメられるとはね。貴方、いつから繋がっていたの?」

「今月に入ってからです」

「ガチャッ」

「元中桜、10月25日午前9時44分、テロ等準備罪の容疑で逮捕する」

 俺が答えるのとほぼ同時に、如月さんがそう言って元中の片手に手錠をかけた。そのままではもう一方の手にそれをかけられないので、拘束を解きつつまだ手錠がかかっていない方の手を掴んで逃げられないようにする。

「星川君、もう良いわ」

 如月さんがそちらの手にも手錠をかけ終え、そう言った。それを受け、元中から手を離す。手錠をかけられ、床に座り込んだ元中が再び口を開く。 

「……そう、でも本当にこれで良かったの? これじゃあ、貴方の忌々しい記憶は残ったまま。これからもその記憶と共に生きて行かなければならないのよ。この先もまた、記憶に苦しめられるのよ。それで良かった訳?」

「はい。良いんです」

 彼女の目を見て、堂々と答える。

「どうして? 意味が分からないわ。自分から大変な道を選ぶなんて」

「僕にとって、失恋の記憶は確かに辛いもの、悲しいものです。それはきっと、これからも変わりません。でも、それでも持っていないといけないものです」

「何故?」

「どんなに辛くて悲しい記憶でも、それは自分の生きてきた証であり、大切な自分の人生の一部だからです。だからそれを消してしまったら、忘れてしまったら、自分の人生を否定する事になってしまう。僕はそうしたくない。そして、自分の人生の一部だからこそ、みすみす人に渡したりしてはいけない」

「……」

「それに、失恋は独立した何かではなく、恋の一部です。確かに僕は、失恋の記憶に苦しめられるあまり、その事ばかりを考えていました。でも、今はもうそうじゃ無い。それぞれの恋で得た大切な色々を、思い出せましたから。そして、いつかきっと失恋に終わらない恋が出来ると、信じています」

「貴方みたいな暗闇の中で苦しんだ人には、絶対にまた暗闇がやってくるわ。そして、原因はどうであれまた苦しむ事になるのよ」

「暗闇に好かれている、という事ですか。……絶対にそうなるとは、僕は思いません。それに、もしもそうなったとしても、僕は暗闇から帰って来られる自信があります」

「どうかしらね。せいぜいあの時やっぱり記憶を消しておけばと、後悔すればいいわ」

「ガチャッ」

 負け惜しみのような嫌味に、何だか呆れてしまっていたところ、元中の監視を班長と代わり、一旦部屋から出ていた如月さんが戻って来た。

「班長、護送車が到着しました」

「おう、ありがとう」

 逮捕した容疑者は、今回のように当該部隊が小規模な編成の場合、逮捕した部隊では無く後方支援部・庶務課の人が公安の施設まで護送する事になっているらしい。

「元中、移動するぞ。立て」

 元中が立ち上がる。

「あ、すみません。天田さん、最後に1つ良いですか?」

「ん? ああ、構わんが」

「元中さん、何故僕をターゲットに選んだんですか?」

「……そうね、簡単に篭絡出来そうで、且つ良質な負の記憶を持っていたからよ。それ以外の要素は全く無いわ」

「……そうですか。はは、ちょっと期待もしていたんですけど、まあそうですよね。……デートとか、楽しかったですよ。僕は。そして……貴方の事が好きでした」

「良いかい、星川君」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ行くぞ、元中」

 天田さんと如月さんに連れられて、元中桜が部屋から出て行く。


「こちらチームレッド・天田だ。対象B-aの確保・逮捕に成功した」

「チームブルー・名草です。天田さん、お疲れ様でした」

「ああ。ありがとう」

「ところで、赤柳はどうしますか。奴は現在踵を返す形で逃走中」

「……ひとまず今日は良いだろう。現時点をもって追跡を中止せよ」

「分かりました」

「よって、これをもって元中桜逮捕作戦及び付随作戦を終了する。皆、お疲れさん。ありがとう」  

「お疲れ様でした!」

 電話口から2人の、そして生の声で4人の、労いの言葉が聞こえてくる。  

「よし、全員帰還するぞ。星川君も、すまんがとりあえずついて来てくれ」

「はい」

 アマダ班の面々と共に車に乗り込み、いつもの施設へと向かった。


 施設に帰り着きひと休みした後、ミーティングが開かれた。

「皆、御苦労だった。各員がしっかりと役目を果たしてくれたお陰で、元中桜を逮捕する事が出来た。改めて礼を言う。ありがとう。そして、星川君。今回は君の活躍が特に大きかった。決して簡単で無い任務に勇敢に取り組み、見事完遂してくれた。本当にありがとう」

「いえ、こちらこそ作戦に参加させて頂き、ありがとうございました。お陰様で自らの手で失恋のとりあえずの後始末が出来ました。本当に、ありがとうございました。皆さんにも、お世話になりました」

 天田さんに頭を下げ、次にアマダ班のその他の皆さんに順々に頭を下げていく。

「どういたしまして。……さてと、星川君が我々と顔を合わせるのもこれで最後かな。元中の取り調べは事後捜査課の仕事だし、今日以降元中との面会や取り調べの協力に来る時の送迎やら案内は、民間折衝課の仕事だしな」

「何だか寂しい気もしますね」

「俺もだ。作戦を共に成功させた中だし、それに今月はしょっちゅう会っていたしな」

「そうですね」

「……っと、感慨にふけっている場合じゃ無かった。伝達事項が残っていた。この後民間折衝課が君の家に行って元中が君のスマホに仕込んだGPS発信機を取り除いてくれる。それから、元中に今まで監視されていたGPSデータだが、さっき本人に聞いたところデータは彼女だけで管理していて他にそのデータを知っている人間はいないらしい。早急にデータを削除させるから、安心してくれ」

「ありがとうございます」

「後、君に対する民間監視課による監視も、今日をもって解除だ」

「ありがとうございます。ひょっとして裁判開始まで延長とかになるかもなあと思っていたので、素直に嬉しいです。何だかんだ、やっぱり気になりますから」

「いやあ、すまなかった。私としてはもっと早く解除して欲しかったのだが……」

「いえいえ、仕方無いですよ」

「そう言ってくれると助かるよ。さてと、伝達事項はこんなもんかな……あ、そうだった、まだスマホを返して貰って無かったな」

「あ、ホントだ、返してない。今返しますね」

 ポケットからスマホを取り出し、天田さんに渡す。

「このスマホとも、今日でお別れか……」

「はは、そうだな。あ、あと1つ。元中の取り調べには勿論協力して貰う訳だが、それが終わった後も、もしかしたらまた「m27」としてFELO関連の捜査に協力して貰う事があるかもしれない。その時はよろしく頼む」

「はい。いつでも呼んで下さい。その時は喜んで協力します」

「ありがとう。後は……特に無いよな、表崎」

「ええ。伝達事項はこれで以上かと」

「よし、じゃあとりあえずミーティングは一旦ここでお終いとする。次のホシについての事等は、また後で行う事とする。皆、お疲れ様」

「お疲れ様でした」

「谷見、いつものごとく送って行ってくれ」

「分かりました。班長もいらっしゃいますか?」

「そうだな、行こう。星川君、構わないかい?」

「はい」 

「ありがとう、じゃあ、行こうか」

「はい。皆さん、ありがとうございました」

 表崎さん達、送りには来ず公安の施設に残る人達に頭を下げる。

「いえいえ」

 皆さんがそう返し、表崎さんがこう付け加えた。

「もう警察が、ましてや公安が動くような事に巻き込まれないようにな」

「はい。気をつけます。それでは」

 こうして公安の施設を後にし、谷見さんが運転する車に乗って帰路に就いた。途中、ドアの窓のシャッターが開いて見えてきた空は、夕焼けに染まってとても綺麗だった。……結局今日に至るまでずっと道中でシャッターを下ろされてしまっていたので、公安の施設の場所は分からず仕舞いだった。折角なのでどこにあるのか知りたいと思っていたので、少々残念だ。まあ、分からなくたって困りはしないのだが。

 そんな事を思ったり、天田さん・谷見さんと他愛も無い雑談などをしているうちに暮野駅が見えて来た。

「そろそろ着くな」

「はい」

「星川君、健康に気を付けてな」

「はい。天田さんも、谷見さんも」

「ああ。それから表崎も言っていたが、また変な事に巻き込まれたりするなよ」

「そうだよ、ちょっとでも怪しいと思ったらちゃんと引くんだよ」

「はい。気を付けます……」

 何だか念を押されてしまった。

「それから、何かあったらいつでも相談に乗るからな。はい、これ」

 天田さんがメモ用紙を渡して来た。

「連絡先……ですか?」

「そうだ。俺個人のな」

「わざわざ、ありがとうございます」

「いやいや、良いのさ」

 車が駅のロータリーに停車した。

「着いたよ」

「谷見さん、毎回の送り迎え、ありがとうございました」

「どういたしまして。ドライブ好きだから、良い息抜きになって良かったよ」

「僕も、色々なお話が出来て、楽しかったです」

 最初の頃こそほとんど話さなかったが、俺の元中桜逮捕作戦への参加が決まった頃位から、行き帰りの車中で世間話等をするようになっていたのだ。そういう事ももう無くなるのだと思うと感慨深い。 

「よいしょと」

 車のドアを開け、歩道に降り立つ。思えば警察署へ来てくれと言われてこの場所からこの車に乗り込んだら強引に公安の施設に連れていかれ、そこで驚愕の事実を告げられてからまだ1ヵ月経っていない。もっと経っている気もするが、それだけ短期間に色々あったという事だ。

「それでは、本当にお世話になりました。あ、友浦さんによろしくお伝え下さい」

「ああ、分かった。伝えておく。じゃあ、元気でな」

「はい! お二方も、お元気で」

 夕闇が迫る中、去って行く車が見えなくなるまで車を降りた場所に佇んでいた。

(ホント、凄い展開だったな……)

 ひとり自宅への道を歩きながら、そう思った。


「ピンポーン」

「はーい」

「携帯修理に参りました」

「ん? あ、はい」

(なるほど、確かに目的はそうだものな……)

 帰りの車の中で、天田さんが民間折衝課の人が家に来る時、周りに正体を悟られぬようインターホンでそうとは名乗らず、全く別かつ自分には分かるような名乗りをするはずだと聞いていたので、一瞬戸惑ったものの直ぐにドアの向こうに居る人の正体が分かった。

「ふーー。あー終わった終わった」

 深夜1時。ゼミの課題がやっと終わった。そこそこ面倒だったので、片付けるのに手間取ってしまった。

「明日は休みだし、何か食べて寝るか。」

 西岡食品のカップラーメン「激辛塩豚骨・改」を食品棚から取り出した。夜食には色々あるが、個人的にはその他のありとあらゆる食べ物に圧倒的大差を付けてカップラーメンがその座において1位だと思っている。

 ポットのお湯を注いで4分後、ラーメンが出来上がった。

「じゃ、食うとするか。……いや、夜飯ん時飲まなかったし、飲むか」

 一旦腰を落としたもののもう一度立ち上がり、冷蔵庫を開けた。

「ビールビール……あれ、ビール切らしてたのか。じゃあこっちにしよう」

 あいにくビールは無かったので、代わり缶のにハイボールを取り出した。

「ラーメンと酒……最高の夜食献立だな」

 独り呟き、ハイボールの蓋を開ける。

「プシュッ!」

「フッ、良い音だな」

 誰だったか俺の友達でビールやらハイボールやら炭酸が入っている酒はこの音が一番旨い、なんてぬかしている奴がいたが、そいつの言っている事も全く分からんでもないな、と思う。

「よし、頂きます」

 ハイボールを傾け、麺をすする。

「うん、旨い……」

 別にどちらも特別な物では無いし、初見でも無いのだが、何だかいつも以上に旨く感じられる。

「何でだろうな……やっと、色々落ち着いたからかな」

 正確に言えば巻き込まれた事件はこれから裁判があるから、俺も多分何か証言とか、そういう事をしなければならないので全部終わった訳では無いが、一段落着いたのには間違いない。元中桜にも、まだ聞けていない事が色々ある。でも一方で、正真正銘キッチリ終わった物もある。それは……高1のあの日から始まった、失恋の苦しみや悲しみだ。今回の事件でまた大変な目に合ってしまったが、結果的にこの事件のお陰……というか、この事件に巻き込まれて、天田さんや友浦さんと出会ったお陰で、今まで好きになって来た人達への想いを、完全に過去の「思い出」として、心の引き出しにしまう事が出来た。その結果ようやく、俺は彼の手助けのお陰……いや、天田さんが言った

「星川くん、俺や友浦はあくまでほんの少しだけアドバイスをしただけさ。君が立ち直れたのは、君が、君自身がそうしたいと願ったからだ。もし君がそう思ってくれなかったとしたら、俺達の言葉はただの雑音になってしまった。人の言葉なんて、結局はそんなものさ。最後に決めるのは本人さ。だから、感謝してくれるのは勿論嬉しいが、君は胸を張って良い。君は、自分の力で成し遂げたんだ。過去の想いや悲しみに踏ん切りをつけるという、誰にだって難しくて、苦しくて大変な事を」

 という言葉に甘えるのなら、俺は自分を自分自身の力で今までの失恋に起因する悲しみや苦しみが渦巻く沼から救い出す事が出来た。

 これから先の人生、きっとまだまだ大変な事がたくさん待っているのだろう。でもきっと大丈夫。こうやって乗り越えられたのだから。俺ならきっと大丈夫。今の俺は、そう胸を張って言える。


                                              END  


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