4-8 和平の絶望
「……ずっとそんな悲しいことを考えてきたんですか?」
紗々は、力無くそう訊ねた。
「カズくんはなにも悪くないじゃないですか。それなのに生まれたのが間違いみたいなこと言ったら……カズくんがかわいそうです」
「……ありがとな」
でも他人の体には、やっぱり生まれるべきじゃなかった。
人の命の誕生には、オリジナルの器は、絶対必要なんだ。
そんなことを言っても、どうしようもない。
子供が親を選べないのと同じように、俺は既存の器に生を得た。
隣の芝生はいつだって青い。
きっとオリジナルの体を持って生まれても、別の不満を持っただろう。
だから、これでいいと思ってる。
二年で閉じる人生だったとしても、俺には納得するしか術がないんだ。
「顔を……上げてくれませんか」
俺の視界には、紗々のひざこぞうが映っていた。
ずっと背けていた体を、こちらに向けてくれたのだろう。
だが、俺は首を横に振ることしかできない。
こちらを向いた紗々の瞳に――降魔が映っていることが恐ろしくて。
「怯えないでください、わたしはカズくんの味方です」
気付けば体は痙攣でもしたように震えていた。
その震えを抑えるため、紗々が俺の手を握りしめてくれている。
……なにやってるんだろうな、俺は。
本当は怒りたいのは紗々だったはずだ。
それなのに気付けば同情され、励まされてしまっている。あまりの情けなさに……もう消えてしまいたい。
「……もう、構わないでくれ」
「イヤです。顔を上げてくれるまでは、絶対に」
顔なんてあげられない。
もし顔を上げ、そこに俺の恐れている光景があれば……決定的な終わりを迎えるとわかっていたから。
だが、紗々は食い下がってくれなかった。
「カズくん、信じてください。わたしの目を……見てください、ちゃんとカズくんだけを見てますから」
「……無理だよ」
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
目が、怖い。
向けられる瞳が怖い。
紗々の蒼い瞳が、怖い。
その瞳に映っているのが、夢見降魔であることに気付くのが怖い。
俺にはわかる。
人の目に映る俺は、薄っすらと嗤っているんだ。
そこに映っているのは俺ではなく、夢見降魔。
早く体を返せ、お前のものじゃない、早く戻れるときが楽しみだ。
そう言ってずっと、嗤っている。
なんの才能もない俺を、嘲笑っているんだ!!
「カズくん、お願いですから……」
「うるさいなっ!」
反射的に、大声を出してしまった。
それと同時――水が弾け飛ぶような音が聞こえる。
紗々が嘔吐したのだ。
おそらく、過度のストレスで。
咳むせた後、箱ティッシュを引く音が聞こえる。
……それなのに俺は、駆け寄ることもできず、自分の震えを抑えることでいっぱいだった。
……終わりだ。
いますぐ、人の記憶から消えてしまいたい。
これで本物がどうとか言ってるんだから……笑わせるよな。
俺はふらりと立ち上がり――紗々に背を向ける。
「けほっ……どこに、行くんですか」
「出ていくんだよ、ここから」
「……どうして」
「これ以上、側にいたら迷惑かける」
「そんな、迷惑だなんて……」
「かけてるだろ!」
また声を張り上げてしまう。
紗々を傷つけてしまうと、わかっているのに。
でも、それでも紗々は……あきらめてくれなかった。
「お願いだから、出ていくなんて言わないでくださいっ!」
背中から、腕を回される。
そして――
「ごめんなさいっ!」
俺に負けじと、大声で謝罪の言葉を口にする。
「……なに、謝ってるんだよ」
「だって、カズくん。こんなに怖がってるのに、しつこくしちゃったからぁっ!」
「じゃあ、いますぐ離せよ」
「無理ですっ! このままだと二度とカズくんに会えなくなってしまいます!」
「もう、会わないほうが良いだろ。こんなヤツ……」
「イヤです! カズくんがいなくなったら、どうやってかたつむりになればいいんですかっ!」
「なに、わけわかんないこと……」
「わからないのはカズくんがバカだからです!」
紗々の腕から逃れようと、体を捩る。
だがどこにそんな力があるのか、俺は紗々の腕を振りほどくことができない。
「もう、放っといてくれよ……」
しがみつく紗々が、いやいやをするように体を揺する。
「紗々を、傷つけたくないんだ」
「治る傷ならいくらでもつけてください。……このままカズくんを失うくらいなら、大怪我でもしたほうがましです」
「……そんなの、ダメだろ」
「ダメじゃありません、出ていく方がダメです」
「もう最低なところ、見せたくないんだ。紗々にまで見損なわれたくないんだ……」
涙が、頬を伝い落ちる。
もう人に見損なわれたくない。
ただでさえ、なにもできない俺なのに。誰にも期待されず、いつだって見下げられて生きてきたのに。
紗々だけは、くすぐったいほどまっすぐ見つめてくれた。
その、綺麗な蒼い瞳で。
それなのにお前にまで見損なわれたら、俺はもう自分を庇えねえよ……
その時。
テーブルの上に置かれている、あるものに気付いた。
あれは……石だ。
綺麗に折りたたまれたハンカチに乗せられた、なんの変哲もない小石。
だが、どこかで見覚えのある物――
「……なんだよ、あの石」
「ジーパンのポケットに、入ったままでした」
そうだ。
あれは俺が蹴飛ばして側溝に落とし、手を汚して拾った石だ。
あの日は色々あって、拾ったこと自体覚えていなかった。
「なんで、捨てなかったんだよ。……ただの、石じゃないか。」
「捨てるわけ、ないじゃないですか。大事なものかもしれないのに」
あの石が、大事な物?
……はは、そんなまさか。
あんなの、どこにでもある路傍の小石じゃないか。
それがどうして、あんな丁寧に置かれているんだよ。
あの石のどこに、それほど価値があるように見えるんだよ。
……でも紗々は、見つけてくれるんだな。
俺が放っておくことの出来なかったモノ……大事に、してくれるんだな。
そんなことを考えた途端、体に力が入らなくなってしまった。
まるで腰でも抜かすように、その場にずるずるとへたり込む。
「――捕まえました、もう逃がしません」
紗々の腕が、俺の頭を包み込んだ。




