4-6 信じられる人、信じたい言葉
「ただいま」
「おかえり、ママ~!」
真っ暗な玄関から、ブルームの声。
下駄箱の横にかかったカレンダーに向け、笑みを作る。
声はすれども姿は見えず。
ということはカズ君はまだ戻っていないのでしょう。
「カズくんは、まだお出かけですか?」
「多分ね。カズのヤツ、ボクのキーホルダー全然持ち歩かないからさあ、どこでなにしてるかわかりゃしないよ」
「あはは。今日はみくりんと一緒だから大丈夫ですよ」
コートを脱いで洗面所の前に立つと、鏡には覇気のない真っ白な女が立っています。
まるでオバケのような生き物。
灯りを点けると、偽物の赤みが頬に乗っていたことを思い出す。
……少し前から、お化粧を始めてみました。
鏡の横にあるクレンジング剤も、言ってしまえばカズくんがわたしに買わせたものです。全然、気づいてもらえた様子はありませんが。
「カズくんの、バ~カ」
ひとりごちて洗顔を始める。
その間、浴室のシャワーは出しっぱなし。
室温をあげないでお風呂入ると、氷なめくじになってしまいます。白なめくじはとても寒さに弱いのです。
顔を拭いてからパジャマとタオルを用意し、洗濯機に下着を放り込む。
裸になった自分の胸元に、視線を降ろす。
――大佐。
相変わらず成長の兆しは見られないようです。
――ばかもの、あきらめるな。我が国の勝利を信じろ。
そうだ、わたしはあきらめない。
お母さんだって胸は小さくても、お父さんと結婚できた。
ないほうが好きな人だっている、だから希望を捨てる必要はない。
って、おかしいな。
それじゃ遠回しに負けを認めているような?
……考えるのをやめ、シャワーの下に体を潜らせる。
気持ちいい。
頭の芯からお湯を浴びてると、優しいものに包まれるような安心感が胸を満たします。
こうして落ち着いた時間を過ごしていると、とめどない考えが溢れては消えていきます。
収録の進み具合、声優さんとの世間話、リテイクで注意されたこと。
……そして、カズくんのこと。
今日はみくりんと、五十嵐さんに会いに行くというお話です。
最近、カズくんは出歩くことが少しだけ多くなりました。
……特に五十嵐さんと会ってからです。
五十嵐さんと出会った経緯や、外泊の話は聞きました。
その話にウソがあるとは思いません。
もしウソをつくつもりなら、自分から話すはずもありませんから。
カズくんのことは、信じています。
でも、人を信じるって……どういうことなのでしょうか?
先日、カズくんが口にした言葉を思い出す。
『紗々に嫌われるのが怖い』
……その言葉を思い出すと、自然と胸が熱くなる。
わたしがカズくんに嫌われるのを恐れているように、カズくんもそう思ってくれてると言うのです。
人と同じ気持ちを共有している。
私のことを必要としてくれている。そう思うと無限の勇気が湧いてくるような錯覚をします。
けれど、心のどこかでその言葉を信じていないのです。
本当はわたしを喜ばせてくれるために、甘やかすための言葉じゃないかって思う自分がいます。
そのくせ不安になった時は、都合よくその言葉をよりどころにするんです。
カズくんが同じ想いを抱えていたことに安心し、胸をくすぐらせて気持ちよくなるのです。
つじつまが合っていません。
カズくんを信じられない理由は、どこにあるのでしょうか?
ずっと陰キャのぼっちを続けたばかりに、知らない間に人間不信に陥っているのでしょうか?
カズ君のことは、信じています。
でもわたしはもっとカズくんを信じられる人になりたいと願っています。
……人を信じるとは、本当にどういうことなのでしょう。
お風呂から上がり、パソコンの電源を入れる。
今日はホライゾン所属の、八木メイメイさんがイカ配信をする日です。
お世辞にもプレーはあまり上手じゃないけど、独特のオーバーリアクションはついつい笑ってしまいます。
演者さんとは、ほとんどお話をしたことがありません。
でも機会が訪れた時に、彼女を知っているのと知らないのは大違いです。
だからメイメイさんのこと、その他の演者さんの配信は出来る限り見ておきます。
いつの日か、仲良くできる日が来ると信じて。
とはいえ今日の配信は二十一時、まだ三時間も先の話。
仕方ないので、空いた時間で洗濯をすることにしました。
……さすがに下着は自分で洗っています。カズくんがいない今は、狙い目です。
けれど、洗濯機を開けてびっくり。
洗った後の洗濯物がそのまま入っていました。
「干すの、忘れちゃったんですかね……?」
カズくんにしてはめずらしい、普段なら絶対にこんなミスしないはずです。
生乾きになったお洋服を取り出し、そのまま部屋干しにする。
もし、ニオイが気になったら洗い直しましょう。
文句なんて言いません。
本来なら自分でやるべきことをお任せしているのですから。
「……ジーパンって、思ったより長くて重いんですね」
そもそも足がこんなに長いなんて信じられない、インチキです、嘘松です。
手持ち無沙汰にチャックを上下させて遊んでみます。
思ったよりチャックの上下には力が必要でした。
おいそれと登場させるわけにはいかないので、硬めに作られているのでしょう。
生地を伸ばし、頑丈なハンガーにかけておきます。
するとポケットが膨らんでいることに気付きました。
手を入れてみると、そこには見慣れないものが入っていました。
――洗濯機を回し始めると、またヒマな時間が白なめくじを襲います。
お夕飯はカレーで、お鍋を温めればすぐに食べられると聞いています。
もしかすると、遅くなるかもしれないからと。
……先に食べてしまうか、帰るまで待ついいコを演じようか。
そんなことを考えてパソコンを操作していると、誤ってひとつのファイルを開いてしまいました。
それは先日、インストールした……盗聴アプリ。
プロデューサーのお話を聞くために使った、よくないモノ。
スマホケースに取りつけられた盗聴器は、いまもお兄さんが持っているはずです。
当然、ずっと身に着けたままとは思えません。
でも几帳面な人ではないので、もしかしたらつけっぱなしかも……?
ふと、お兄さんが路上ライブしているお話を思い出す。
もしかしたらアプリを開くと……演奏が聴けるかもしれない。
「ちょっと聞いてみたい、かも」
プライベートな瞬間や、無音だったら消せばいい。
わたしはそんな出来心で、アプリを起動する。
すると本当に演奏中だったのか、遠い喧騒とフォークギターの音がスピーカーから流れ始めた。
「……本当につけたままだったんですね」
哀し気でゆったりとした暖かい音が、湯上りの体に染み込んでいく。
目を閉じると街灯りと通行人に囲まれた、物憂げなお兄さんの横顔が浮かんでくるようだった。
わたしは演奏をBGMに、ソーシャルゲームやSNSの巡回で時間を潰すことにした。
――それからしばらく経った頃。
演奏は終わり、お兄さんはどこかに電話をし始めました。
「おい和平~、そろそろ行ってもいいか? もうヒマでヒマでしょうがなくてさぁ」
「十分くらいでいける、ウタヒロでいいんだっけ?」
……これからカズくんと会うのでしょうか?
わたしはいけないと思いつつ――盗聴器を最後まで切ることは、できませんでした。




