4-2 胸の鼓動
「舌の根も乾かないうちに五十嵐さんの話ですか。どうやら白なめくじは本格的に舐められているようですね」
「だから違うって! これはブルームのためにもなることだからっ!」
「本当でしょうか。……ブルームは、どう思います?」
「う~ん。これは三次の問題だから、ボクは口を出しにくいなぁ」
紗々に抱きかかえられた、ブルーム(実体化)が答える。
対して俺はひざまずき、地面に頭を擦り付けている。
ジャパニーズ土下座の構えだ。
……俺がこうして頭を下げているのは、薫に会う許可をもらうため。
ひいては薫をユーグレラに勧誘するためだ。
先日、ホムラには協力を断られた。
でもそれは薫をあきらめる理由にはならない。
薫を誘うのは紗々《ブルーム》の立場改善や、小清水に恩を売るという政治的な理由もある。だがそれ以上に薫の助けになりたかった。
もちろん断わられる可能性だって高い。
でも少しでも復帰する気持ちがあるのなら受けて欲しい。
――クリスマスイヴまで、あと五日。
まだ、俺にできることはあるはずだ。
「薫はもうライバーじゃない。競い合う理由がなければ、仲良くすることだってできるはずだ」
「どうでしょう。……いまはひとつのモノを取り合ってますし」
「えっ。なんだよそれ!?」
「わからないならいいです」
紗々は呆れた顔でため息をつき、ブルームが困ったように笑う。
「カズは灯台デモクラシーだな~」
「どういうことだよ、不安要素があるなら話してくれよ!?」
「ぜっったいに、教えてあげません! ブルームも言っちゃダメですよ」
「イエス、マム!」
紗々はつんとした顔でソッポを向く。
……薫の話をすると本当に不機嫌になるな。
とはいえ、無断で会うわけにもいかない。
紗々との約束というのもあるが……薫の参加、それは紗々との共演を意味する。
声優同士でのトラブルはご法度だ。
もし紗々が共演NGというのなら、この話は流すつもりだった。
「……薫と仲良くできそうにないのか?」
「そうは言ってませんけど。……五十嵐さんの話ばかりするカズくんを見てると、モヤモヤのモヤになります」
「それは……ごめん」
「素直に謝らないでくださいよ。ひとりで怒ってるわたしがバカみたいじゃないですか」
紗々はぶすっとした顔で黙り込んだあと、ぼそりと言った。
「……五十嵐さん、誘ってあげてください。もしライバーに復帰してくれたら、わたしも嬉しいですから」
「悪い。恩に着るっ!」
俺は頭を下げ、地面に頭を擦り付ける。
「やめてください、そういうの。他人行儀みたいなのはイヤです」
「あ、ああ。わかった」
「その代わりっ! カズくんには埋め合わせを要求します!」
「……埋め合わせ?」
「はい。だってクリスマスも一緒にいられないって話じゃないですか」
「あ、ああ……どうしても外せない用事でな」
イヴの夜には実家に戻り、数日は戻らないと伝えてある。
詮索を好まない紗々は、それ以上なにも聞いて来なかった。
「だからその分、わたしは先んじて甘やかされるべきだと考えます」
「……なるほど?」
なにやら天才的な提案をいただいた。
「だったらひざまくらでもするか? ほら、おいで」
すると紗々はムッと、不機嫌そうな顔をする。
「……ひざまくらって言っておけば、なんとかなると思ってません?」
「い、いや思ってないけど」
めっちゃ思ってたが。
「甘やかしのバリエーション不足です、カズくんには奉仕に対する敬意というものが見られません!」
「じゃあ紗々がリクエストでもしてくれよ」
「ほらほら、そういうとこです! 相手の欲しいものを考えるのが奉仕の精神なのに、カズくんはそれも人任せにしてっ! ちゃんと自分で考えてこその――」
「ああっ! もう、めんどくせぇ! ブルーム、頼むっ!!」
「オッケー、カズ!」
ブルームがそう叫ぶと、紗々が雷にでも打たれたように体をビクっと震わせる。
すると紗々はにっ、と満面の笑みを浮かべ「突撃~!」と言って、俺の腕に飛び込んできた。
「お~、よしよし。素直な紗々はかわいいな~?」
「だろ~? ほらほら、もっとママをたくさんなでまわせ~!」
紗々《ブルーム》は人懐っこい大型犬のように、俺の体に抱き着いて来る。
「ちょ、ちょっとブルーム!? 恥ずかしいからやめてください!」
「や~だよ! 本当はママだってこうしたかったくせに~」
「そ、そんなこと思ってません! そんな軽率にベタベタしては、白なめくじのありがたみが薄れてしまいます!」
「どうでもいいじゃん、そんなこと~。ほらほらぁ? カズに抱かれたママのムネ、とっても早く動いてるよ~?」
「ネタバレっ! それはネタバレです!」
「ほら、カズも聞いてみる? 直接、耳を当てて聞いてごら~ん?」
「ウ、ウソですよねっ!?」
体の操縦桿はいまもブルームが掌握しているのか、体に抵抗の様子はない。
だが顔は羞恥に染まり、狼狽と困惑で涙目になり始めている。
なんか、えっちぃな……
「カ、カズくん……顔、ちょっと怖いです」
「あ、ああ、ごめん」
紗々は顔を真っ赤にしたまま、潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
腕に収まってしまうくらいの、小さな体。
初めて出会った日、寝落ちた紗々をベッドに運んだ時のことを思い出す。
銀色の透き通った髪に、病的なまでに細い体。
簡単に壊れてしまいそうな、冷たいガラス細工……そんな印象を持っていた。
けど、目の前にいる紗々は違う。
やわらかで暖かな熱を持ち、彩りのある表情を見せ、俺の視線を真正面から受け止めてくれている。
そしてなによりも変わったのは俺だ。
目の前にいる女の子をなによりも大きく、尊く感じてしまっているのだから。
「胸の音、きいてみたいですか?」
熱に浮かされたような目で、そんなことを聞いて来る。
俺はその誘いに……黙って頷く。
すると紗々は薄く笑って言った。
「……先にきかせてくれたら、いいですよ。ちゃんとカズくんが生きてるって確認できたら、いいです」
そう言って紗々は体をずらし、俺の胸元に耳を近づけていく。
……なんだか俺まで緊張してきた。
心なしか心臓の音は大きくなり、自分の耳元にまで響いてくる。
紗々は小さな耳を胸に当て、いま同じ音を聞いている。
俺がいまここに生きている証、そして――
もうすぐ降魔に、還る物。
「すっごい早く動いてました。……まさかカズくんも緊張してるんですか?」
照れた様子で、笑いかける紗々。
でも俺には、もう数秒前のような気持ちは残っていない。
「あ、ああ……そうだな、女の子にそんなことされたら、誰だって緊張するよ……」
紗々の体を腕で押し返し、俺はその場に立ち上がる。
「カズ、くん?」
「ごめん、風呂に入ってくる。このままだと……煩悩に負けそうだからさ、はは……」
返事も聞かず、紗々に背を向ける。
逃げるように脱衣所に駆け込むと……抑えていた震えが一気に襲ってくる。
――危なかった。
もう少しのところで、感情を爆発させるところだった。
ダメだ。
こんなことじゃ最後まで紗々を支えるなんて無理だ。
もっと平静を保たないと。
手の震えを抑え、頭から熱いシャワーを浴びる。
大丈夫だ、できる。
俺ならできる、あと数日の辛抱だ。
「はあっ、クソ……クソっ……!」
様々な感情が浮かんでは消える。
だが、そのどれもが正面から見据えてはいけない感情だ。
もし、その感情に向き合ったらきっと飲み込まれる。
すべてから目を逸らし、ただ日常だけを過ごす。
そうでもしなければ、一歩も動けなくなってしまうから。




