3-13 誰にも邪魔されずにっ……!
まどろみから意識を取り戻した時、俺はベッドの上にいた。
体は鉛のように重く、喉の奥にどろどろした感覚。……気持ち悪い。
無理矢理に体を起こして辺りを見回すと、小綺麗な部屋に一人で寝ていることに気付く。
デカいソファーに、シャンデリア、枕の二つ並んだベッド。絵画まで飾られている。
ベッドの時計には零時半と表記されている。
……ここ、どこだ?
誰かいないのか? 記憶もうまく引き出すことができない。
黒い球体やラジオ体操は聞こえないので、死んだってことはないだろう。
……遠くから薄っすらと水の流れる音が聞こえる、水道が出しっぱなしなのかもしれない。
もしかすると俺は水道を止めるために、見知らぬ地に派遣されたのかもしれない。
重い体に鞭を打ち、音のする方に向かう。
頭の中は朦朧とし、胸の奥からは突き上げるような寂しさが込みあげてくる。
よぼよぼと歩き、洗面所に到着。
だが蛇口から水は流れておらず、音は浴室から響いてることに気付く。
……シャワーの音か。
しかし不思議な浴室だ。扉はなぜかガラスで出来ていて、中の様子はくっきりと見えている。
あいにくと扉の先は湯気で充満しており、中の様子は窺えない。
だが貴重な水資源が失われるのを黙って見るのは忍びない。ここは止めておいてやるべきだろう。
意を決して、浴室のドアを開ける。
「えっ!?」
すると中から人の声がする、どうやら人がいたらしい。
少しずつ湯気の先にある姿が朧げに見えてくる。その先にいるのは一糸纏わぬ……薫の姿。
「……な、なななに勝手に入ってきてるんですかっ! まだフライングですよっ!?」
薫が胸元を抑えて後ずさりする。
「あ、えと……うわっ、ごめんっ!!
「そーいうプレーがお望みっ!? でも事前申告なしは困りますっ!」
薫はなにを勘違いしたか、そう捲し立てる。
「……いや、そういうわけじゃないけど」
「良かったぁ、和平さんがノーマルで。……ってわかったらさっさと出てってください! もうすぐ上がるからーっ!」
そう言って背中を押されて追い出された。当たり前だ。
濡れた靴下を脱ぎ、俺は改めて室内を見渡す。
……ここ、ホテルか。
ようやく働き始めた記憶を手繰り寄せ、なぜこんなことになっているか思い返す。
俺と薫は飲食店に入り、ホムラの演者だってことを聞かされたんだ。この辺りまではハッキリと覚えている。
だが、その後はなぜか急に気分が良くなって、薫の話を聞いていたら妙に泣けてきてしまって。
そして俺は自分の体験談を薫に話したんだ。
二年前まで俺は夢見降魔だったって。
えっ、それヤバくない!?!?
頭の芯が冷え、全身の血が引いていく。
夢見降魔が記憶喪失になってるのも、普通に出歩けるのも門外不出の情報だ。
そしてなによりもマズいのが……夢見降魔とにこたまブルームに接点があることだ。
世間にはユーグレラの情報が出回っている。
いくら薫がブイチューバーを引退した身だとはいえ、そのくらいの情報は知ってるだろう。
つまり俺がブルーム側の人間だということだが、バレている。
でも、なぜ記憶が曖昧なのだろうか。
おぼろげな記憶の中で、薫に抱き着いてたり……色々とマズいことをしていた気がする。
「あ~、気持ちよかったぁ!」
ご機嫌な声を出し、バスローブ姿の薫が浴室から出てきた。
「お、おかえりなさいませ」
「……和平さん、なぜに正座なんかしてるんですか?」
「いえ、先ほどは失礼を働いたなと思いまして……」
「あ、あ~~~、さっきのは恥ずかしいから忘れてっ! それでチャラにしますから」
気にしてないと言うように手をヒラヒラ振り、ベッドに腰掛ける。
「ていうか正座なんてしてないで、隣に座ってくださいよ?」
「……いいのか?」
「いいに決まってるじゃないですか~?」
そう言われて俺は遠慮がちに、薫の隣りに腰掛ける。
「少しは落ち着きました?」
「ああ。どうしてこんなところにいるのかは覚えてないけど……」
「それは多分、かおるのドリンクを飲んじゃったからだと思いますよ?」
確か薫が頼んでいたのは、スクリュードライバーという飲み物だ。
オレンジジュースにウォッカを混ぜて作るカクテルらしい。
つまりは、そういうことか……
「和平さん、あのあと潰れちゃったので薫が肩担いできたんです。……隣の建物までが限界でしたけど」
つまり、隣にあったのがそういう建物だったと。
「……かおるが気をつければよかったですね。隣に座ってから食器が誰のかもわかんなくなっちゃったし」
「いや、俺が悪いんだ。ごめん」
「謝らないでくださいよ」
「いやっ、色々と謝らないと! 勝手に潰れたのもそうだけど、変なこと話したし……」
「変なことって、記憶喪失とか、マンガ家だった話とかですか~?」
ああ、最悪。
やっぱり話してたんだな。
「お酒って怖えぇ……」
「体質ですからね~、かおるにはほとんど効きませんけどっ」
そういって薫がまたも腕に抱き着いてくる。
やわらかいものが腕にふよふよと当たり、はからずとも視線が引き寄せられる。
「かおる、いまノーブラですよ?」
「そんなの、聞いてねぇし」
「そうですか? 目は口ほどに物を言うんですよ?」
「……教えてくれてありがとうございます」
「素直でよろしい」
軽くデコピンの仕草をして楽しそうに笑う。
いつもと変わらない薫を、俺は不思議に思った。
「薫は、怒ってないのか?」
「怒るって、なにをですか?」
「だって俺は夢見降魔で、ブルーム側の人間なんだぞ?」
「……? どうしてかおるがそれで怒らなきゃいけないんですか?」
「だってブルームはホムラを辞めることになった原因じゃないか。……いい気、しないだろ」
「はあ……。和平さん、あなたはとんでもない勘違いをしてますよっ?」
薫はおどけた口調で、頬に指を押し当ててくる。
「かおるがホムラを辞めたのは誰のせいでもありません。ただ負けてしまった自分を許せない、かおるの弱さが原因なんです。そのことでかおるは一ノ瀬さんを恨んだりなんてしてませんよ?」
あっけらかんと、そう言い切る。
「むしろ申し訳ないなーって思ってます。だってかおるが辞めたせいで、事務所のみんながイジワルしてるみたいですし」
……そんなことまで、知ってたのか。
「プロデューサーの言うこともおかしいんです。信じられます? 一ノ瀬さんを追い出して、かおるにブルームやらせようとしてたんですよ? さすがにブチギレちゃいました」
やっぱりあれは小清水の独断か。
……まあ、普通に考えれば薫からブルームをやりたい、なんて言うとは思えない。
「だからかおるは怒ったりしません。一ノ瀬さんには頑張って欲しいと思ってます、元事務所の先輩として心からそう思います」
薫の表情にウソは見当たらない。
決していい顔を見せようだとか、そんな打算だとは思えない。
違う、俺は信じているのだ。
薫がそんなことをする人じゃないと。
「よかった。お前が優しいヤツで」
「てれてれ、優しいって言われてしまいました」
「でもいいのか? ホムラとしては上手くいかなかったかもしれないけど、声優は続けたいんじゃないのか?」
すると薫は頬を掻いて、困ったように笑った。
「どう、なんでしょうかね……。炎上なんかもしちゃいましたし、そんな経緯知ってたら誰にも使ってもらえない気がします」
そうか。
炎上したことがある、というのは使う側にとってのリスクにもなるのか。
「一度の失敗でお先真っ暗なんて、そんなことないだろ?」
「それがなくもないんですよ。女声優なんてアイドルみたいなもんです。処女性や潔癖さみたいなものが求められちゃうんですよ」
「なんだそれ、そんな業界一度ぶっ壊した方がいい」
「ははっ、薫もさんせーです! でも、そんなファンがあってこそ、ってところもありますから難しいんですよね……」
そう言われてしまうと、なんとも言えない。
「って、そんなことどうでもいいじゃないですか。それよりかおるは……二人っきりで出来る話がしたいです」
妖しい笑みを浮かべ、顔をずいと近づけてくる。
「お、おい」
「逃がしませんよっ」
薫に手首を掴まれ――俺はそのままベッドに押し倒された。




