2-10 白なめくじの覚悟
そして翌日、三連休の最終日。
俺たちは再び、速水さんのいるVirtualCreateを訪問した。
「速水さん、夢見先生から正式に出資したいと要請がありました」
「そうか。僕も君たちの感想を聞いて胎が決まったよ、次は全社を挙げてこのゲーム開発に取り組むよ」
「概要は書類にまとめてきました。……事前にお伝えした通り、要望はこちらになります」
「はいはい、承ります」
速水さんはにこやかに書類を受け取り、内容に改めて目を通す。
記載されてる内容については、事前に速水さんとメールで擦り合わせ済みだ。
すべての項目に許可をもらった上で、書類は作っている。
でも、それだけであればメールでいいはずだ。
わざわざ俺たちが雁首揃えて訪問する必要はない。
だがメールだけでは片付かない用事があった。
降魔と速水さんでは、唯一決められないことがあったから。
いまから起きることが、そもそもの目的だ。
両親に白い目を向けられながら、実家で降魔の私物を触ったのも。
これまで出来る限り手をつけなかった、降魔の貯金を使うと決めたのも。
すべてはこの瞬間のため。
「では、夢見先生に提示された条件を元に……一ノ瀬紗々さん、君には”夕暮れ、彼らは”の透香役になって欲しい」
「……えっ?」
紗々は目を丸くして、なにが起こったかわからない、と惚けた顔をしている。
「君の経歴はしっかりとこの目で見させてもらった。すごいじゃないか、数ヶ月であんなにたくさんのファンをつけるなんて」
「えと、あ、ありがとうございます……」
「一ノ瀬さんになら出来る。透香の勇ましく、時におどけて、芯の通った声。いや君しかいないと言ってもいいくらいだ」
速水さんが力強く言う。
「やったじゃん、紗々」
俺はわざとらしく背中を小突く。
だが振り返ったその表情には……不安と困惑が浮かんでいた。
「……いいんでしょうか」
「なにが?」
「わたし、本当に実力で選んでもらえたんでしょうか?」
紗々はゆっくりと視線を三厨さんに移す。
「みくりんが夢見先生に紹介してくれたから、こんなお話をいただけたんじゃないんですか?」
当然の疑問だ。
紗々はブイチューバーの降板が決まっていて、目の前には新しいゲームの新規企画がある。
三厨さんは紗々の降板に負い目があって、夢見降魔にコネもある。
だったらその企画の声優にねじ込むなんて、誰でも簡単に想像ができる。
だから、三厨さんは――
「……紹介だったらなんだって言うの?」
眉を顰め、低い声で紗々を……睨んだ。
「もちろん紹介だよ。声優未経験のさーちゃんに、夢見くんから主役のオファーなんてくるわけないじゃない」
紗々の自惚れた態度を、詰った。
「ライバーと、声優の仕事は全然別物だよ。どれだけブイチューバーとして成功していても、実際の演技、お芝居に役に立つとは限らない。現にさーちゃんは声優の養成所にすら通ってないでしょ?」
急に冷たい言葉を浴びせられ、紗々は狼狽する。
なぜ三厨さんが、味方であるはずの人に、こうして責められているのか理解できないと言わんばかりに。
「声優さんは演劇をされている方、俳優から移ってくる方も多い。それは体全体を使って演技をして、観客に伝える能力を身に着けているからなの。声優は声だけだから俳優より簡単なんて思ってる人もいるけど、それは違う。相手に声だけしか届けられない状況で相手の心に訴える、俳優よりもよっぽど難しい仕事なの」
俳優は相手の目に訴えかけることができる。
見振り手振りをし、小道具を交えて、視覚でその状態を伝達できる。
だが声優は、相手の聴覚にしか訴えられない。
自分の好きな言葉を、好きな歌を歌えばいいだけではない。
「だからね、夢見先生に紹介はしたけど……さーちゃんには難しいと思ってる。経験も浅いし、ライバーと同じ姿勢でやって成功するなんて思えない」
三厨さんは及び腰になった紗々に、容赦なく厳しい言葉をぶつける。
紗々は頭を俯け、潰れそうになりながらも……かろうじてその言葉を正面から受け止めている。
「でもね。ここでビビってチャンスを蹴るようなら、さーちゃんはこれ以上先には進めない。勇気を出して一歩を踏み出せるか踏み出せないか、そこには大きな違いがある」
三厨さん以外は誰も声を発しない、口を出してはいけないのを理解している。
いま紗々が立たされているのは、自分の人生を決める大きな岐路。
それを外野が邪魔をすることはできない。
「もちろんブイチューバーだって立派な仕事だよ。さーちゃんはそれを立派にこなしてるし、それに専念したいと言っても責めたりしない。でも、さーちゃんに少しでも変わりたい、進みたいと思う気持ちがあるなら……私は受けるべきだと思う」
三厨さんは紗々の肩に手を乗せ、真剣な表情で向かい合う。
「……夢なんてのはね、いつまでたっても恥ずかしいし、何度も心を折られるものよ。私だってホライゾンのディレクターが第一志望だったわけじゃない。この経験はいつかマンガに役立つ、そう思って毎日割り切ってる」
誰もが満足してそこに立っているわけではない。
学校も、仕事も、人付き合いも、その時その時にそうせざるを得ないから、そうしているに過ぎない。
自分自身が本当に望んだことをしている人なんて、この世にひとりもいないのかもしれない。
でも、いくら苦しくて、手が届かないとわかっていたとしても、手を伸ばすことをやめられないとしたら……それを止める権利は誰にだってないのだ。
「……やらせてください」
紗々はぼろぼろに涙をこぼしながら、言った。
「わたしに、ゲームの主役を、やらせてください。さっきは、生意気なことを言って……申し訳ありませんでした」
そう言って三厨さんと速水さんに頭を下げる。
「いいや、VirtualCreateの代表として心からお礼を言うよ。ありがとう」
速水さんは変わらぬ人のいい笑顔で、そう言った。
「さーちゃんっ!」
三厨さんは目の前にいる紗々を抱きしめる。
「ごめんね、きついこと言って……」
「わたしこそ、ごめんなさいっ。全然子供で、ごめんなさいっ」
「ううん、試すようなことして、わたしこそごめんね……」
俺も思わず鼻をすする。
そしてその傍らに立つのは――ブルームの虚像だった。
『カズ、ありがとね』
俺は返事をしない。
ここで声を出したら、俺はなにもない空間に話しかける頭のおかしいヤツだから。
『ママをボクからあきらめさせてくれて、本当にありがとう……』
ブルームは安らかな顔を浮かべて、三厨さんと抱き合う紗々を眺める。
だが、ブルームの虚像に気付いた紗々が……俺の方に寄ってくる。
「……カズくん、どうしましょう」
泣きじゃっくりの収まらぬ声で、苦しそうに言う。
「わたしっ、声優の仕事、やってみたいです。でもブルームのことだって、あきらめるなんてできなくて……どうしたら、どうしたらっ……」
そう、紗々が声優になるということは、ブルームを続けることと両立しない。
ホライゾンのライバーには専属契約がある。
ブイチューバーは実在する存在、別の名前を持って仕事をするなんて許されない。
「わたし、声優もやってみたい。みくりんも夢見先生もチャンス、くれてっ……でもブルームとお別れだってしたくありませんっ」
紗々は頭を振り乱して、ぐしゃぐしゃの顔をさらに汚しながら言う。
ブルームはその顔さえ愛おしそうな様子で、紗々の背に回って腕を回す。
紗々は迫りくる別れの予感に一層心を痛め、ブルームは少しでもそれを少しでも和らげようと優しく紗々に触れる。
――そんな胸を締め付ける光景は、俺が許せない。
「なあ、紗々。これから一生ブルームで居続ける覚悟はあるか?」
目の前にいるふたりの少女が……不思議そうな顔をする。
「お前が望むなら、ブルームを引退することなく、声優にもなれる方法がある」
『……そんな、バカな』
ブルームの顔には信じられない、と書いてある。
そんなブルームに俺は笑みを返す。
「その代わり、紗々は一生表舞台に出ることはできない。望んだってちゃらちゃらしたことはできないし、人に声優だって自己紹介することもできない。お前は自分がブルームの器である事実は、墓まで持っていくことになる。それでも――」
「やります」
そう言って紗々は強く頷いた。
「さっきのみくりんの質問に比べたら、考えるまでもないです」
「……そっか」
「はい、白なめくじは日の当たらないジメジメしたところで十分なんです。ちゃらちゃらしたことは、演者NGなんです」
「わかった、それじゃあ」
三厨さんに目配せをし、ニヤリと笑いながら頷く。
「俺に、良い考えがあるんだ」




