2-4 次元兄弟
「だってさぁ? 久しぶりに帰ったのに和平いねえんだもん」
「いや電話するとか色々あるだろ」
「だってお前いつも電話に出んわじゃん」
「……そりゃ、あいにぃがどうでもいい話ばっかしてするから」
「バカ。話してーと思うヤツにかける電話なんて、どうでもいい話に決まってるだろ。それがわかんねーから、お前はいつまでたってもコミュ障なんだよ」
「う、うるせーな」
薄暗いリビングに、あぐらをかいて向き合う次元兄弟。
小腹が減ったなんて言い出したあいにぃに、紗々が「なにか用意します」と言って冷凍庫を漁っている。確かチャーハンとかパスタくらいはあったはずだ。
赤に染まった長い前髪、筋肉の少ない細い体。
手入れのされた切れ長の眉に、自然と場の中心になってしまうようなオーラを発する人物。
それが次元和平の兄、次元愛だ。
定職には着かず、路上で演奏をしては日銭を稼いでいる。
「どうしてこの場所がわかったんだよ」
「そりゃーお前のスマホにはGPSと盗聴器がついてるからな」
「は? 盗聴機!?」
「そ、スマホケースの裏についてる」
言われてケースを外すと、裏側には怪しげな板状の機械が取りついていた。俺はその機器を剥がし、問答無用でへし折る。
「あー、もったいねー」
「もったいねえじゃない、なんでこんなもん取り付けてんだよ!」
「オレは和平の保護者だからな。ほら、お子様ケータイにだってGPSとかついてるだろ? 常識的に考えろよな」
「人ん家の風呂に勝手に入るヤツが常識を語るな、むしろ騙るな」
「そんなこと言うなよ~?」
下卑た笑みを浮かべて、肩を組んでくる。
「……あのコ、どしたの? どこで知り合ったん、マジかわいーじゃん」
「色々あって。あいにぃには関係ないだろ」
「つめてーこと言うなよ、血をわけた兄弟じゃんか?」
「本当にそう思ってるんか怪しいもんだけどな」
「ったく、そういうサガること言うなよ」
俺の肩をバシバシ叩き、ひとこと付け加える。
「お前は確かに本当の和平じゃないかもしれねーけど、そのナリをしてる以上は俺の弟だ。生涯わたってそれは変わんねえよ」
あいにぃは、受け入れている。
いまも記憶が戻ることを願う、両親と違って。
降魔の死を受け入れた上で、新しい人格を次元和平だと認めてくれている。
「元々、弟とはダチみたいな関係だったしな」
なんて言いながら、生まれて以降しつこく絡んでくる。
最初の頃は話しかけてもらえるのが嬉しくて、真面目に相手をしていたが……その内イジって遊ばれているだけだと気付いてからは、少し距離をあけていた。
「だから弟に女ができたってんなら興味くらい湧くんだよ」
「……別に付き合ってるわけじゃないし」
「は?」
あいにぃが急に低い声で眉を顰める。
「お前、オレの弟だろ? こんなオイシイ環境にいて……その、なんもないの?」
「なんも、ねえよ」
……なんだろう。
自身の潔白を証明してるだけなのに、なぜか情けない気持ちになってくる。
「はー、終わってんなぁ、呆れて物も言えねえ。俺だったら当日中にはなぁ」
「あいにぃの話は聞いてない」
自慢話は始まる前にシャットアウト。
どうしてこんな男を、世間の女は好むのだろうか?
「記憶喪失でもさ、オレと同じ血が流れてたら、こう……あるだろ? 本能が呼び起こされる、みたいなヤツ?」
「アンタ見てたら本能のままに生きようとなんて思わねーよ。……あと、その話はあまりしないでくれ」
「あん? どの話だよ、ハッキリ言え」
横目に紗々の姿を探すと、まだレンジの前に立っていた。
それを確認してからあいにぃの耳に顔を寄せる。
「……記憶喪失、というかマンガ家だった話。紗々にはまだ言ってないからさ」
「なんで言わないんだよ?」
心底、不思議と言った顔で言う。
「あいつ降魔の大ファンだったんだよ、だから、その……言いづらい」
「え、逆にめっちゃ運命的やん。つーかカミングアウトしたら、わたしを抱いてからの即ハボだろ?」
「俺が言いたくないんだからいいだろ。あと即ハボは古い」
自分でもうまく説明できなかった。
記憶喪失はだったことは打ち明けられたのに、降魔だった事実だけはどうしても教えたくなかった。
降魔がもういないと知れば、紗々は傷つくだろう。
……でもそれだけじゃない気がする。どうしてブレーキを踏むのか、自分でも上手く言語化できなかった。
「あ、わかった。手を出さないのはそういうことか。だったらいいことを教えてやる」
「なんだよ、いいことって」
イヤな予感がしつつも聞いてみる。
「寝る前に自分のナニに切手を巻いとけ、ミシン目は切るなよ? で、起きた時にミシン目が切れてたらお前は不能じゃない」
「不能じゃねーから! ちゃんと立つよ!」
俺はなにが悲しくて、兄にこんな説明をしなければならないんだ。
するとあいにぃは考えた素振りを見せ、少し真面目な顔で聞く。
「じゃー和平はともかくさ、あのコはお前のことラヴいんじゃねーの?」
「そんなの……知るか」
俺が言い淀むのを見て、あいにぃは鼻で笑う。
「ああ、お前にそういう機微はわかんねえか」
「余計なお世話だ」
いい加減こういう話は終わりにしたい。
だがあいにぃはそれでもしつこく食い下がる。
「でも、あのコは和平を家に置いてもいいと思ったんだよな?」
「まあ、こうしてる以上はそうなんだろ」
紗々は普通の人と少し感覚がズレている。
人との繋がりが少なくて寂しいだけかもしれないし、俺がいなければブルームを立体視することも出来ない。俺を近くに置きたい気持ちは理解できる。
「じゃあ少なくとも彼女にとって、お前がラヴに一番近い男なんじゃないか」
「なんでそんなことわかるんだよ」
「だって好きなヤツがいたら、家に男なんて泊めねーよ」
「……」
「お待たせしました」
ちょうど口を閉ざしたタイミングで、紗々がお盆を抱えて戻ってきた。
「お、待ってましたー!」
あいにぃがテンションを切り替え、明るい声を出す。
「冷凍のチャーハンに……卵を被せただけ、ですけど」
「いや、めちゃくちゃ嬉しいよ。ありがとね」
話し込んでいる間に紗々はフライパンの上に溶き卵を敷いたようだ。
紗々が自分からキッチンに立つなんてめずらしい。
「ごめんね、急に来ちゃったのにゴハンまでご馳走になっちゃって」
「いえ、深夜に来客が来るのは初めてじゃありませんから」
そう言って紗々が恨めしそうにこちらを見る。
……そういえば、俺も人のことは言えなかったな。
あいにぃは余所行きの仮面をつけ、紗々に笑顔で話しかける。
「サーシャちゃんって外国の人?」
「母は北欧生まれですが、わたしの国籍はこっちです」
「へえ、髪はお母さん譲り?」
「はい、この国だとちょっと目立っちゃいますけど」
「そっかぁ、でも自慢の髪なんだね」
「……そう、思いますか?」
「じゃなきゃ伸ばさないだろうし、手入れもきちんとしてるし。アタリでしょ?」
あいにぃがまたウインクなんて決めると、紗々は少し頬を染める。
「そ、そんなことは」
「言わなくていいよ、勝手にそう思っとくからさ」
続けてそう言われた紗々は、頬を赤らめて口を噤む。
……なにやらその仕草に、言いようのない苛立ちを感じる。
俺の足は自然と動き、二人の間を遮る位置に座る。
「紗々、眠くないか?」
「……大丈夫ですよ? なんか目が覚めちゃいましたし」
「でも、昨日も寝るの遅かっただろ」
「それはそうですけど、まだお兄さんがご飯食べてますし」
「いいんだよ、あいにぃなんて放っとけば。それに寝不足だと……肌に、良くないぞ」
「ぷっ」
あいにぃが噴き出す。
「……なに笑ってんだよ」
「いや、なんかやさしーこと言ってんなって思って」
それのなにが可笑しいんだよ。
なんだろう、無性に腹の虫が収まらない。
「本当に大丈夫です、それにわたし夜行性ですから」
「でも……」
「つーかサーシャ、いい声してるよね?」
また会話に割り込むあいにぃ。
「ありがとうございます。そういう仕事してますので」
「え、サーシャって学生じゃないの!?」
「一応は社会人です。こういう見た目ですけど、カズくんと同い年なんですよ」
「へえ~ってかカズくんって呼んでんだ。かわいー」
「あいにぃこそ、なにもう紗々のこと呼び捨てにしてんだよ」
「カズくんも会って数分で呼び捨てでしたけど」
あ、はい。そうでした……
「サーシャ、歌とかめっちゃ上手そうだよね~! 今度オレのギターに合わせて歌って欲しいなー」
「あ、ちょっとやってみたいです。路上ライブとかやってるって聞いたんですけど、ホントですか?」
「あんなのライブって言わないよ、ただの練習だって」
「でも、すごいです。知らない人の前で演奏するなんて、尊敬です」
「今度、見に来る? 和平と一緒に」
「ぜひ、行きたいです!」
紗々が目を輝かせ、こちらを向く。
その向けられた視線に――俺は無性に腹が立った。
「行かないから」
「えっ?」
反射的に答える。
「行きたいなら、お前だけで行け」
俺は談笑する二人に背を向け、そう言った。




