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次の日、シメオンはレジーヌの家族に直接話をする事にした。昨日レジーヌに話した内容と、彼女との結婚を許して欲しい事を彼らに伝えたのである。
レジーヌの両親は、娘とこの家を宜しくと穏やかで不気味に笑って言った。ルノーは今ひとつ納得がいかないようだったが、シメオンの話を聞いて色々な疑いは晴れたようで、姉が良いならそれで良いと了承してくれた。
こうして二人は婚約することになった。ブロン家には従者に手紙を届けてもらい、シメオンの体調が完全に回復してからレジーヌを伴って挨拶に行くことになった。
レジーヌはブロン家の人々に受け入れてもらえるか心配だった。しかし、とても早く戻ってきた従者が携えていた手紙の返事には、シメオンとレジーヌの結婚の快諾と、二人に早く会いたいとの内容が書かれていた。それを知ってレジーヌはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
それからレジーヌは甲斐甲斐しくシメオンの世話をした。泉の水を自ら汲みに行ったり、庭をゆっくり案内したり、食べ物をシメオンの口に運んで食べさせたりなどして、彼の体調が早くよくなるよう尽くした。
レジーヌはシメオンと一緒にいる時間が凄く幸せだった。泉の水を汲む事は勿論、家族以外の人の看病など、今まではした事がなかったが、彼のためなら何でも出来る気がしていた。
シメオンはレジーヌの世話になる事を情けなく思ったが、レジーヌと長い時間一緒にいられる事をとても嬉しく思っていた。
レジーヌに世話をされると体が密着するので、その度に劣情を抱いては、自分も男だったのだなとしみじみと感じるのだった。それでも結婚するまでは彼女を汚すまいと己を律していた。
こうして二人は出会った時よりも少しずつお互いの距離を縮ませていった。
シメオンの具合もすっかり良くなってきた頃、ルノーの友人のアルマンが突然やってきた。レジーヌの婚約を知って慌てて駆けつけたようだった。
ルノーはアルマンがレジーヌを好いている事を知っているので、何かしら文句を言ってくるに違いないと思い、姉達が結婚するまで教えないでおこうと思っていた。しかし、他の友人が誤って漏らしてしまったために、アルマンも知る事となったのである。
レジーヌはアルマンが苦手だったため、家に彼が来る時は大抵居留守を使っていた。しかし今回の訪問はいきなりだったため、逃げ隠れする暇もなく彼に捕まってしまったのである。
「レジーヌ!貴方ほどの思慮深い女性が出逢ったばかりの男と婚約したとは!何故です?貴方はそんな投げやりな事をする人ではなかった!」
アルマンはその大きな体でレジーヌの前に立ち塞がり、身体全体が楽器であるかのような大声を響かせて言った。話す度にサラサラと揺れる、きっちりと切りそろえられた黒い髪は、彼の正義感に溢れた真っすぐな性格を表しているようだった。
アルマンの後を追いかけてきたルノーは、止められずにすまないと、口ではなく目線でレジーヌに伝えた。レジーヌは弟の申し訳なさそうな視線で全てを察し、大丈夫でないながらも大丈夫だと目線で返した。
「レジーヌ、今すぐそんな婚約は解消してください。貴方に伝えるのはだいぶ遅くなってしまいましたが、貴方が好きです!私が貴方の夫になりたい。ずっと貴方を見てきたんです。貴方をどこの誰とも分からない奴に盗られるのは我慢ならない!」
アルマンはレジーヌの両肩をがっしりと押さえて大声で言った。アルマンの力はとても強く、華奢なレジーヌは肩が壊されてしまうのではないかと思い、怖くて言葉が出てこなかった。
恐怖で固まっている姉を助けようと、ルノーがアルマンの腕に触れようとする前に、背後から出てきた手が先にアルマンの腕を掴んでいた。
「私のレジーヌに触らないでくれないか」
そう言ったのはシメオンだった。レジーヌが部屋になかなか来ないと思っていた彼は、突然大声が聞こえてきたので、心配になって彼女を探しにきたのだった。
シメオンはいつもと同じように声量は多くなかったが、その声色は周りのものを凍らせてしまいそうなほど冷え冷えとしたものだった。
「貴方がブロン家の・・・その容姿でレジーヌを誑かしたつもりでしょうが、無垢な彼女で遊ぶのはやめて頂きたい!」
アルマンはシメオンを頭の上から足元までじっくりと睨みながら言った。
「誑かしてなどいない。私がレジーヌに惚れ込んでいるのだ。レジーヌも私を好いていると言ってくれた」
シメオンはアルマンの腕を掴んだまま言った。アルマンは掴まれた腕の痛みを感じていた。細くて弱そうな体つきをしているシメオンが、こんなに強い力を持っていることに驚きつつもアルマンは言い返した。
「レジーヌは貴方に脅されて言ったんでしょう。そんな風に恐ろしい口調で話されては、か弱いレジーヌは嫌とは言えないでしょうからね」
「違います」
ここでレジーヌの小さな声が割入ってきた。レジーヌはアルマンを恐ろしく思う気持ちに抗いながら話し出した。
「シメオンに惚れ込んでいるのは私のほうです。シメオンの優しく静かな空気が好きなのです。シメオンを愛しているのです。ずっとずっと一緒にいたいのです」
レジーヌは震えた小さな声で必死になって喋った。それを聞いたアルマンは、初めてレジーヌが自分に逆らおうとしている事に気づき、急に心が冷たくなっていくのを感じた。
アルマンはレジーヌと初めて出会った時、彼女の纏う暗い空気を心から心配していた。この様に気分が沈んでいては、いつか綺麗なその体を壊してしまうのではないかと不安に思っていた。だから彼女と会うたびに体調を気遣い、性格が少しでも明るくなれるように様々な方法を試そうとしたのである。
その結果、レジーヌにはすっかり嫌われてしまっていた。勿論彼女に嫌われているとは知らずに、アルマンは自分の気持ちが恋心だと自覚していくようになった。
レジーヌに自分の気持ちを伝える前に、知らない男に先を越された事を知り、そして彼女もまたその男を愛していると分かり、アルマンは心が砕かれたようにボロボロになっていくのを感じた。しかし諦めきれなかったのか、口だけが言葉を紡ごうとした。
「だが、私は」
「アルマン、気持ちは分かるけどけどシメオン様は病み上がりだからさ。ほら、あっちでお前の好きな牛乳でも飲もうよ」
ルノーはそう言ってアルマンを遮り、彼を連れて行こうとした。アルマンは放心しているようであっさりとルノーに引きずられていった。彼らが部屋から出ようとしたその時、レジーヌの耳元で妖精が囁いた。
『泉が、泉が、穢される。今日の夜。二人の罪人、毒放つ』
レジーヌは泉に危機が迫っていると察知し、すぐさまルノー達を呼び止めて妖精の言葉を伝えた。シメオンはレジーヌが妖精の言葉が聞こえる事を彼女に教えられていたが、実際その場に立ち会う事は初めてだったのでとても驚いた。
3人はレジーヌの事を信じて、彼女から伝えられた妖精の言葉を解釈し、どうすれば泉が穢されるのを防げるのか考えた。
アルマンは未だに心が落ち着かないようだったが、騎士団員である事を誇りに思っている彼は、弱さを見せてはならないと、泉を守るために心を奮い立たせようとした。
皆が黙って考えている中、1番先に発言したのがシメオンだった。
「古典的だが地面近くに紐を張って、引っ掛かれば音が鳴る罠を仕掛けるのはどうだろうか。あらかじめ騎士団に応援を頼み、奴らが罠に引っ掛かった所を取り押さえてもらえば現行犯として捕らえてもらうことができる。それと万が一のことを考えて、泉近くに毒を塗った釘を逆さに埋めておくのも良いかもしれない。毒を塗っていれば、刺さりが甘くても犯人は簡単に泉に近づく事は出来ず足止めになるだろう」
シメオンは抑揚を付けずに淡々と話した。
「・・・貴方は虫も殺さないような顔をして意外と悪辣なんですね」
アルマンは敵対心を出す事はせず、素直に感心して言ったようだった。
「レジーヌが、ブルーフォンセ家が大事にしてきた泉を守るためなら最善の事をすべきだと思う。他に良い案はないだろうか」
シメオンは冷静に言った。
アルマンはそう言われて息を飲んだ。華やかな見た目に対し、根は真面目で思慮深い奴だとシメオンについて感じた。そして自分には他に策など思いつきもしなかったので、首を振る事で返事とした。
レジーヌもルノーもシメオンの策に賛成だったが、まずは父と母に話を伝えたいと考え、両親にこの件を話しにいく事となった。
レジーヌの両親は概ねシメオンのやり方に同意し、使用人を集めて事のあらましと作戦を伝えた。泉には夕方以降人が訪れる事はないので、日が落ちてくる頃から準備に取り掛かる事になった。
アルマンには騎士団へ話を伝えて協力を要請してもらい、レジーヌとシメオンは音が鳴る罠を、ルノーは毒の塗った釘を使用人達と協力して設置することになった。しかし毒など家にはなかったので、チリペッパーをすり潰した汁を塗るというシメオンの案が採用された。