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シメオンがレジーヌの家に訪れてから一週間が経った。彼は泉の水を毎日少しずつ取り込み、すり下ろした林檎が食べられるほど体調が良くなっていた。
レジーヌはシメオンを見た時、なんて美しい人なのだと思った。初めて男性に関心を抱いたものの、生来の内気な性格から、シメオンの元へ足を運ぶことはなかった。彼が回復したと聞いて嬉しいと思ったが、どう声をかけて良いか分からず、結局会いに行く事はしなかった。
レジーヌは泉の近くのガゼボで、読書や刺繍をすることを日課としていた。シメオンが来てからも、雨の日以外はそこで刺繍をしていた。シメオンが回復してここから帰る時、餞別としてハンカチでも贈ろうと思い、今はハンカチの刺繍に取り組んでいたのである。今日も同じように刺繍をしていると、誰かが声をかけてきた。
あまりに小さな声だったので、レジーヌは思わず顔を上げて声がした方を向いた。そこにはあのシメオンが立っていた。
「邪魔をしてすまない。君に礼を言いたくて来た」
シメオンは静かに言った。出会った時よりも顔色は良かったが、まだ体調は悪そうだった。
「歩いて大丈夫なのですか?どうぞこちらにお座りになってください」
レジーヌもまた静かに言った。彼女は内心驚いていたが、内気で暗い性格だったため、口調は落ち着いているように聞こえた。
シメオンはゆっくりとレジーヌの隣に座ると、小さな声で話し始めた。
「君がここで何かしているのを部屋からずっと見ていたよ」
「見られていたのですね」
「ああ、ずっと見ていたよ。ベットに寝ていると、窓からちょうどここが見えるんだ」
「そうなのですか」
「ブルーフォンセ家の人々には本当に世話になってしまっている。迷惑をかけてすまない。君のご両親と弟君には挨拶をしたが、君には会えなかったのでこうして会いに来たんだ」
「そうでしたか。こちらからご挨拶に行けず申し訳ありませんでした。貴方の事はずっと気になっておりましたが、内気な性格のためなかなかお見舞いに行けなかったのです」
「私の事を気になっていたのか?」
「そうです」
「そうか」
その後は二人とも口を開かなかった。レジーヌはこの無音の空間が不思議と居心地が良く感じた。社交の場では会話を途切らせてしまうと、何か話さなければという切迫した気分になるのだが、シメオンの隣にいると、何故かそういう気は全く起きなかった。
それからしばらくして風が強くなってきたので、レジーヌはシメオンに部屋に戻るよう促した。シメオンは一人で歩けるようだったが、念のためレジーヌは彼を部屋まで送っていくことにした。
「また、君と話したい」
「私もです」
そう言って二人は別れた。レジーヌは心ががぽかぽかと温かくなっている事を感じながら自分の部屋に戻った。シメオンもまた、心臓がドキドキするのを感じていた。彼女との会話を思い出して、自然と顔がほころんでしまうのだった。
次の日、ガゼボにいるレジーヌのもとにまたシメオンが訪れた。彼は昨日よりも足取りがしっかりとしていた。
「君はレジーヌという名なんだろう?そう呼んでも構わないか?」
「はい。構いません。私もシメオン様とお呼びして良いでしょうか?」
「駄目だ。シメオンと呼び捨てで呼んでくれ」
「わかりました。シメオン」
「ふふふ」
「うふふ」
二人は表情筋をあまり動かさずに笑い合った。彼らは気づいていた。お互いが似ている事を。
シメオンは見た目の派手さに対して、その性格は静かで大人しいものだった。話し方も丁寧で、彼の優しさが伝わるようだった。
二人は声を張り上げて話すことはなく、側にいないと聞き取れないくらいの小さな声でしか話さない。それはお互いにとって、とても心地の良い音量だった。
レジーヌは思った。この様な人と結婚出来たらどんなに幸せだろうか。シメオンもまた思った。彼女と結婚出来たら毎日が幸せに違いないと。
「レジーヌ、君は婚約者や恋人はいるのかい?」
「いいえ、そういった方はおりません」
「レジーヌ、会って間もないが君がとても好きになってしまった。君といると凄く落ち着くし居心地が良い」
「私もシメオンと一緒にいると落ち着きます。貴方といると空気がとても穏やかに感じるのです。」
「そうか。私も同じだ。君と居れば、何も話さずとも心が温かくなる。レジーヌ、君が好きだ。どうか私と結婚して欲しい」
「はい。お受けします。シメオン、私も貴方のことが好きです」
「ふふふ」
「うふふ」
こうしてまともに顔を合わせて話す様になってから2日目で、シメオンはレジーヌに求婚し、レジーヌもまたそれを了承したのだった。
二人は静かに喜び合った。他の人から見れば、ただ普通に喋っている様に見えるが、二人にとっては大喜びで感極まっている状態だった。