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エスパス国の首都から少し離れたところに、フォレノワールと呼ばれる鬱蒼とした森がある。その森の中には、人々から崇められている聖なる泉がある。それは冷たい水が湧く小さな鉱泉だった。
その鉱泉は200年ほど前に、ブルーフォンセ家の女性が妖精に導かれて土を掘ったところ湧いたものだという。その鉱泉は病を癒す力があり、様々な人が癒しを求めて泉を訪れた。エスパス国の王もその地を訪れて療養し、持病が完治したことから、感謝の意を表してブルーフォンセ家に子爵位を授けた。それ以来、ブルーフォンセ家は聖なる泉を守護する役目を負ってきた。
ブルーフォンセ家は、妖精に導かれて鉱泉を掘った女性のように、超自然的な力を持つ者が多く生まれている。しかしその不思議な力は女性にしか現れず、女系の家として今まで続いてきた。今年20になるレジーヌも不思議な力を持っている。妖精の声を聞く事ができる彼女は、ブルーフォンセ家の後継者として育ってきた。
レジーヌは青白い肌に艶のある黒髪という、ブルーフォンセ家の女性らしい特徴を受け継いでおり、美人ではあるが不気味だと人々から噂されている。
彼女を不気味たらしめる理由は、その不健康そうな容姿の他にも、内向的で暗い性格のためである。彼女の一族は、良く言えば落ち着いた、悪く言えば陰気な性格の人が多かった。
レジーヌはもう20歳だ。女性ならば結婚していてもおかしくはない年齢である。しかし彼女には婚約者も恋人もいない。
現在の当主であるレジーヌの母親は、隣町の商人の息子と結婚した。彼もまた控えめで暗い性格だった。二人共暗く消極的な性格をしているため、レジーヌへ結婚を強く勧めることはできないでいた。同じ性格をしているので、婚約者を勝手に見繕ったり、結婚を急かしたりしては辛いだろうという考えからである。
一方で結婚しなければと焦っているのはレジーヌ本人だった。ブルーフォンセ家の後継者だとわきまえている彼女は、その消極的な性格ながらも、苦手な社交に参加して結婚相手を探そうと頑張っていた。それでも気になる男性ですら見つけられないでいたので、もともと暗かった彼女は更に落ち込んで暗く見えた。
「姉さん、そんなドレスを着ているから暗い気持ちになるんだよ。叔母さんから明るい色のドレスを沢山もらっただろう?どうしてそれを着ないんだ。そのヘドロ沼みたいな色じゃなくて、ライラックの花のような淡い紫色の方が映えるよ。姉さんは美人なんだからさあ、もうちょっとこう、なんとかならないの?」
そう言うのはレジーヌの弟のルノーである。ルノーと、王都の男爵の家に嫁いで行った彼の叔母は、この家の者にしては珍しく活発で明るい性格だった。姉や両親が渋って参加しない社交の場には大抵ルノーが出ている。
ルノーはブルーフォンセ家の特徴を受け継いで色白で中性的な容貌をしており、女性からの人気は高く、彼自身も女好きだったので、結婚や婚約はしていないものの様々な女性と親しくしていた。
割と奔放なルノーであるが、家族思いの彼はなにかと家のために尽くしている。特に姉の事は心配で、早く結婚相手を見つけて欲しいと思いつつ、優しく内気な彼女が悪い男にだけは引っかからないよう目を光らせてきた。
「私あんな明るい色のドレス着れないわ。私なんかが着たらドレスに申し訳ないと思ってしまうの。私にはこの深緑色がいいのよ。どこまでも深い森みたいな色で落ち着つかない?」
「うーん、落ち着くかもしれないけどさあ。姉さん、本当に結婚相手を探すつもりあるの?20になったんだから、もう少し攻めていかなきゃ。早くしないと僕が見繕った男と結婚してもらうことになるよ」
「それはやめて。私頑張るから。本当よ。・・・でも今日の夜会はやっぱり出ない事にするわ。あの明るいドレスを着るにはとても勇気がいるもの」
レジーヌはそう言って夜会に参加する事を辞めて暗い自室へと帰っていった。彼女がこの様に社交の場に出る事を諦めてしまうのはこれまでに何度もあったので、ルノーはため息を吐きながらもそれを承知した。
レジーヌはルノーから紹介された男性は生理的に無理だった。明るい弟の友人は同じ様に明るい人達ばかりなのだ。
今まで何人か友人を紹介されてきたが、その中でもアルマンという男は特にレジーヌの苦手とするタイプだった。
騎士団に所属している彼は、明るく正義感に溢れており、暗いレジーヌを気にかけてなにかと社交の場に引っ張り出そうとしてきた。彼は騎士団で上位の強さを誇っている事もあり、素晴らしい筋肉質の身体をしている。それもレジーヌが彼を苦手とする一つの要素だった。
レジーヌは、自分とは異なる華やかで生き生きとしている人たちが苦手だった。悪い事をしていないのに、彼らを見ると自分が責められるのではないかと考えてしまうからである。自分という存在が彼らに溶かされそうで恐ろしく感じていた。
それでもルノーだけは幼い頃から面倒を見てきたので、彼が明るく快活であっても嫌だとは思った事はない。ただ彼を眩しく感じるだけだった。
結婚相手を見つけることに苦労しているレジーヌの元に、ある晩妖精がやって来て囁いた。
『来るよ。来るよ。貴女の運命。明日の夕方やって来る』
レジーヌは妖精の姿こそ見えないものの、彼らの声を聞く事ができる。妖精達はレジーヌのことを気にいっており、彼女が幼い頃から花を贈ったり、歌を聞かせてあげたりしていた。
妖精はたまに予言めいたことをレジーヌに言ってきた。それは嵐が来る知らせだったり、誰かが身篭った事だったり、危険や吉事を伝えてきたのである。今回は運命という曖昧な言葉だったので、レジーヌは良い事か悪い事か分からないまま明日を迎えた。
予言されたその日の夕方、ブルーフォンセ家に二人の男がやって来た。ブロン伯爵の長男であるシメオンと、その従者である。シメオンは金髪に青い瞳という派手な外見をしていたが、その顔は苦痛に歪んでとても具合が悪そうだった。
従者によると彼は毒を盛られたのだという。解毒剤は飲んだが、あまり回復せず手足の痺れがあるので、聖なる泉で療養をしたいとの事だった。
聖なる泉は誰にでも開放されており、泉がある森の近くには宿屋が何軒もあって小さな街として栄えている。
一般人は療養のためにその宿屋に泊まって、泉の水を飲んだり、運んできた水を風呂に溜め、それを沸かして入浴したりする。
しかし身分が高い者は、泉の近くにあるブルーフォンセ家の敷地内の別邸で療養できることになっている。普通ならば事前に連絡をしてから療養に行くのだが、シメオン達は連絡もなくいきなりの訪れだった。
レジーヌ達は驚いたものの、その尋常でない様子から一刻を争うものだと考え、すぐ部屋に案内して泉の水を与えたのだった。