プロローグ
松嶋晋にとって、その男は天敵だった。
いま。角田小十郎は、テーブルを挟んで向こう側から怒りに燃えさかる眼差しを松嶋に向けてきている。
ギリギリと音がするほど奥歯を噛みしめつつ、両手で握り締めているのは、昨日松嶋が提出したベガルト仙台のDF永木洋の大型移籍案件に対する「意見書」である。
「この意見書はどういうことだ?」
角田から煮えたぎった吐き出されると思うと、手の中の書類が力任せにテーブルに叩きつけられた。「どういうことだと言っている」
廊下にまで聞こえそうな大声で、角田が吠える。角田の役職は、強化育成統括本部長。この宮城県仙台市をホームタウンに置くプロサッカークラブベガルト仙台の強化担当であり、クラブの選手獲得などチーム編成の責任者である。
「確かに、永木は主力選手の中では、今シーズン一番の活躍をしたことぐらいわかっている。しかしこのクラブには予算が少ない、永木には横浜、鹿島からオファー来ている。永木もAFCL、アジアフットボールチャンピオンズリーグの出場クラブへの移籍を希望している。そこを敢えて分かってくれっていってるんだ。」
「永木今シーズン何アシストしたか知っていますか?今シーズンのリーグトップの10アシストでアシスト王にも選ばれたんですよ、角田さん。今のベガルトに無くてはならない選手です」
松嶋はあくまで冷静な口調だ。「たとえ横浜や鹿島が破格の移籍金を提示してきたとしてもうちのクラブは永木と契約更新すべきだと思います。それだけ永木はこのクラブにとって大切な選手です」
移籍金とは、プロスポーツ選手が所属するスポーツクラブチームとの契約期間中に所属クラブを変更するにあたり、新しい移籍先から元の所属クラブに対して支払う金額のことである。選手が契約期間中に所属クラブを移籍するので、違約金と同じである。原則として、契約期間外の移籍や、戦力外通告された選手が移籍しても、移籍金は発生しない。
永木の場合、大卒で今シーズンは4年契約の3年目、他のクラブに移籍するとなると、移籍金が発生するからだ。松嶋が率いるベガルト仙台は今季リーグ11位でジャパンプレミアリーグ残留を決めていた。シーズン初めは昨シーズンの主力の選手多くが移籍し、ゼロからのチーム作りを強いられた。本来、松嶋が目指したボールを保持して攻める戦術を諦め、守備重視の堅守速攻に変更し、立て直しに成功、何とかジャパンプレミアリーグ残留を決めたのだった。その中でも左サイドバックの永木はプレミアリーグ最多の10アシストを記録、チームのなくてはならない選手であった。