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7 サクラチル -apple #4-

桜散る季節のお話。

 私を癒してくれていたのは、いつでも決まって温かな掌だった。



 金曜の夜、テレビを見ていたら、桜の開花情報が流れていた。場所によっては、既に散り始めているらしい。

 そういえば、お花見をしていなかったことを思い出して、携帯を手にした。

「もしもし」

 数回のコールで電話に出た相手に用件を告げる。

「お花見行こう、明日」

「お前ってほんと、唐突だよな」

 電話の向こうでどんな表情をしているのかわかる。呆れた顔をしているはずだ。

「どこ行くの?」

 断らないのもわかっている。

「どっか。適当に。お花見できるとこに」

「わかったよ、調べとけばいいんだろ」

 呆れたように苦笑するのが電話越しにわかった。

 誘う相手がいない時、私が電話をする相手なんて、決まっている。

「秀明、何時くらいに来る?」

「9時くらいに迎えに行くよ」

 相変わらず、秀明は私の言うことをよく聞く。良くも悪くも、私の唐突なわがままに付き合いきれるのは、秀明くらいしかいないのだ。



 翌朝、予定通りに秀明は9時ちょっと過ぎにやってきた。マンションの前の駐車場に車を停めて、部屋まで迎えに来る。というのも、

「茉里絵、支度終わった?」

「まだ」

 というのがいつものパターンだからだ。

「終わったら呼んで」

 秀明は怒るでもなく、テレビをつけて私の支度が終わるのを待つ。私に待たされることなど、秀明は既に慣れてしまっていた。

 大学生の時だったか、秀明は友達に訊かれてこう答えていた。

「女って、何で出掛ける時間に合わせて支度ができないんだろ?」

 自分の化粧の時間なんてわかってるんだから、出発時間から逆算して支度を始めればいいのに。というのが秀明の友達の意見だった。

 問われた秀明は、

「愚問だな」

 と一蹴した。

「女は待たせる生き物だよ」

 それが答えだった。

 秀明は人生経験上、女に待たされることに慣れてしまっていた。二人の姉を持つ秀明は、家族で出掛ける時にも、彼氏が迎えに来た時にも、当たり前のように待たせる姉たちで既に抗体ができていた。そして私がいつものように家族や秀明を待たせるのを知って、悟ったらしい。女が時間通りに支度が終わらないのを怒っても仕方がないと。

「ごめん、準備完了」

 慌てて支度を終えて声をかけると秀明は顔を上げた。テレビを消して立ち上がる。

「今日はまあ、早い方か」

 時計を見ながら秀明は呟いた。



 一時間ほど車で走ると、秀明が探してくれていたお花見スポットに着いた。車を降りて、満開の桜並木を歩く。たくさんの観光客が訪れていたけれど、ごった返すというほどではなく、皆それぞれにお花見を楽しんでいた。

「綺麗」

 満開の桜からヒラヒラと花びらが舞い落ちて、風が吹くたび桜の雨が降った。

 手を広げれば降り注ぐ花びらが掌に舞い降りた。

 散る花びらを地面に落ちる前に拾うと、いいことがあると聞いたことがある。その花びらを5枚集めれば願いが叶うという噂が学生時代にはあった。

「よし、一枚」

 私が落ちてくる花びらを苦労して取っているのを見て秀明が首を傾げた。

「何やってんの?」

 5枚集めれば願いが叶うという学生時代の噂を話して聞かせると、秀明は笑った。

「それなら、誰でも願いが叶うだろ」

「いいの」

 迷信だなんてことはわかっている。それでも、集めるのが楽しいのだ。

 ふうん、と返事をした秀明は、目の前に落ちてきた花びらを掌で受け止めると私に差し出した。

「はい、2枚目」

 ありがとう、と受け取ると、秀明は差し出した手をそのまま私の髪にもっていった。髪に触れた秀明の手には、桜の花びらがあった。どうやら私の髪についていたらしい。

「あ、それもちょうだい」

 捨てようとしていたのでそれももらった。3枚目と喜ぶ私に秀明は訊いた。

「拾ってないけど、いいのか?」

「いいのよ、地面に落ちなければ」

「適当だな」

 苦笑する。その秀明の髪にも桜の花びらが舞い落ちた。

 その花びらを取ろうと秀明にジェスチャーでかがむように言い、腰をかがめた秀明の髪に手を伸ばした。

「よし、4枚目」

 あと一枚、と喜んでいたら、突然吹いた風が掌に載せていた花びらをすべて奪っていった。

「あっ!」

 舞い上がる花びらを茫然と見送った。

 見遣ると、秀明は笑っていた。だせーとかトロくせーとか言いながら笑い続けている。

 むくれると、秀明の手がポンポンと軽く頭を叩いた。

「また取ってやるから」

 これだけ散ってるんだから、すぐに集まるだろうと秀明は言った。

「あ、あれ食べたい」

 秀明の肘をつついて指し示した。指差した先は「さくらソフト」と書かれた看板だ。淡いピンク色のソフトクリームの絵が描かれていた。

「はいはい、買ってきますよ」

 秀明は私にベンチに座って待っているように言い、さくらソフトを買いに行った。ま、半分は私の機嫌取り、半分は自分が食べたいのだろう。

 言われた通り、ベンチに座っていると、よちよち歩きの小さな男の子が近付いてきた。どこに行くのだろう、親はどこだろうと見ていると、母親らしき女の人が追いかけてきた。

「こら、綾真りょうま、待ちなさい」

 男の子を捕まえた女の人は、ふと顔を上げ、視線があった。

「…茉里絵ちゃん?」

 彼女は私の顔を見て訊いた。誰だろうと一瞬考えてから、思い当たる人を思い出した。

「マキちゃん」

 高校生の時に同じクラスだった女の子だ。確か、秀明のことを好きな時期もあったと思う。

「久しぶり。結婚したの?」

「そう、もう一児の母よ」

 そう言ってマキちゃんは自分の子どもを紹介した。

「茉里絵ちゃんは?」

「私は…」

 言いかけたところへ秀明が戻ってきた。マキちゃんの顔を見て、あ、という顔をする。

「蒔田?」

「沢村くん!」

 マキちゃんは私と秀明の顔を交互に見て、ははあ、と笑った。

「あんたたち、結局今も一緒にいるわけね」

 何か誤解しているようだったので「違う」と弁解しようとしたのに、マキちゃんはニヤリと笑ったまま「いいのよ」と話を聞いてくれなかった。

「二人は一緒にいるのが当たり前みたいに思えるし」

 マキちゃんは旦那さんらしき人に名前を呼ばれて振り向き、じゃあね、と手を振って戻っていってしまった。


 ざあっと風が桜の木を揺らし、花びらが一斉に舞った。


 その光景に、高校生の頃を思い出した。



 生徒会室の近くには桜の木が植わっていて、開けた窓からは桜の花びらがいつも舞い込んでいた。

 私は生徒会役員ではなかったけれど、二年の秋に生徒会顧問と前生徒会長の強力な後押しにより生徒会長に就任した秀明のもとを訪れてちょくちょく生徒会室に顔を出していた。

「秀明」

 その日も、生徒会室に秀明を訪ねた。ドアから中を覗くと一人生徒会の仕事をしている秀明が会長机に座っていた。

「どうした?」

 書類から顔を上げた秀明は、その勘の良さで私の用件を見抜いた。手招きして私を中に入れる。

「またフラれたか」

 こくりと頷いた。

「卒業してまだ一週間だよ? なのに遠恋は無理ってどういうことだと思う?」

 卒業式に告白した先輩とは、春休みの間は上手くいっていた。けれど、先輩は4月から地元を離れて大学に進学し、遠距離恋愛になった。4月になって一週間もした頃、先輩から別れようと言われた。やっぱり遠距離は無理だと。

「そりゃ、向こうに彼女ができたんじゃねえの」

 あっさり考えたくない可能性を示唆されて思わず涙目になる。

「何でそういうこと言うの?」

「いや、だって、他に可能性ないし」

 クールでシビアな答えが返ってきた。その当時、秀明にはバレンタインに告白してくれた彼女がいて、彼女がいるくせに何て酷いことを平気で言う男だろうと思った。

「私、魅力ないのかな。離れたら、やっぱり駄目なのかな」

 考えれば考えるほど涙が込み上げてきた。

 椅子から立ち上がった秀明が私の頭をポンポンと軽く叩いた。それを合図にするように、涙がこぼれた。

「ひであきぃ…」

 秀明の胸に顔をうずめた。

「ほんと、しょうがねえな、お前」

 髪を優しく撫でる耳元で言葉とは裏腹な優しい声がする。

 背中に添えられた手がポンポンと背中に触れて優しく慰める。小さい頃からそうだった。泣く私を秀明は抱き締めて慰めてくれる。転んで泣いた時も、お母さんに叱られた時も、友達と喧嘩した時も、失恋した時も。ふわりと優しく抱きしめて、温かな掌で慰めてくれる。

 その変わらない優しさや掌の温もりに、涙は溢れて、私は秀明にしがみついて泣いた。

 私が泣いている間、秀明はずっと抱き締めてくれていた。その心地好さに、涙が止まったあとも暫らく泣いているふりをしていた。

 生徒会室に舞い込んだ桜の花びらが机の上に舞っていた。



 秀明が彼女と別れたと聞いたのは、それから少しした頃だった。


 その話を私に教えたのはマキちゃんだった。

「別れた? なんで?」

 二人は上手くいっていると思っていた。彼女はすごく大人っぽくて素敵だったし、秀明も彼女を大切にしていたはずだ。

「彼女が沢村くんを振ったんだって。言いにくいんだけど、原因は…」

 マキちゃんは一拍置いて言った。

「茉里絵らしいよ」

「私? え、なんで?」

 別れたばかりとはいえ私には彼氏がいたし、私が原因というのがわからなかった。

「沢村くんの彼女がね、見ちゃったんだって。茉里絵と沢村くんが抱き合ってるところ」

「え…?」

 抱き合った覚えなどなかった私は首を傾げた。

「生徒会室で二人が抱き合ってたって」

 …思い当たった。

 正確には抱き合っていたのではなく、私が秀明に泣きついて秀明がそれを慰めていただけなのだけど。はたから見れば、そう見えてもおかしくない。

「茉里絵、彼氏いるんでしょ? 彼女いる沢村くんにそういうことするって、どういうこと?」

 責める口調でマキちゃんは訊いた。

「彼氏とは、別れたよ。それに、そういうことって、誤解だよ。ただ、フラれちゃって話を聞いてもらってて…」

 事情を説明すると、マキちゃんは深い溜め息をついた。

「茉里絵は沢村くんに頼りすぎだよ。依存しすぎ。すぐに沢村くんを頼って、そんなことしてたら、沢村くんだって迷惑だよ」

 彼女でもないマキちゃんにそんな風に責められることに不満はあったけど、確かにマキちゃんの言う通りだった。私のせいで彼女が不快な思いをして、それが原因で秀明が彼女に振られたなら、私が秀明の恋愛を駄目にしたことになる。


 今考えれば、マキちゃんは当時秀明に好意を抱いていて、秀明に頼ってばかりの私を疎ましく思っていたのだろう。だからあんな風にキツイことを言ったのだろう。

 でも、確かにマキちゃんの言っていることは間違いではなかった。


 秀明が私を責めることはなかった。

 それどころか、彼女と別れたという話もしなかった。だから結局、二人が別れた原因が私なのかどうかは確かめられなかった。

 けれど私は、それから秀明の前で泣くのをやめた。

 泣けば、秀明は私を慰めてしまう。彼女に誤解を与えるほどの優しさで。

 秀明を頼らずに生きるのは、まだ難しい。何かあれば秀明に聞いて欲しいと思うし、私の愚痴を受け止められるのは今のところ秀明しかいなくて、だから秀明を頼ってしまう。だけど、せめて、秀明の前で慰めて欲しいといわんばかりに泣くのはやめた。



「茉里絵?」

 目の前でひらひらと手を振られた。

「どうした? ボーッとして。アイス溶けるぞ」

 ソフトクリームを差し出して秀明は顔を覗き込んだ。

「あ、何でもない。ありがと」

 ソフトクリームを受け取って口をつけた。

 甘いソフトクリームに少し桜の塩漬けのようなしょっぱい味が混ざっていた。


 私の隣でソフトクリームを食べる秀明にも、私にも、周りにいる人たちにも同じように桜の花が降り注いだ。

 掌を広げた秀明が花びらを掴み、私に差し出した。

「はい、とりあえず一枚」

 

 辺りには桜の花びらが、ひらひらと舞い、はらはらと散っていた。

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