6 パズル -bee #3-
はっきり言って、戸惑っている。
どうしていいか、わからない。
仕事で新しいプロジェクトチームに選ばれた。手柄を求めて対立しがちな異部署との合同企画という画期的なプロジェクトだ。
今回のプロジェクトは、企画部と広報部の合同企画ということになる。プロジェクトメンバーはそれぞれの部署から二人ずつの計四人。実行段階になればもっと人員が補充されるだろうけど、まだ企画段階の今は少数精鋭態勢だ。
「広報部の西村 孝紀です。よろしく」
「企画部の相田 恭子です。こちらこそよろしく」
プロジェクトメンバーの顔合わせで会ったのは、同期の西村くんだった。
「で、彼女が広報部のもう一人のメンバー」
西村くんに視線を送られて、隣の彼女が会釈する。
「富永 茉里絵です。よろしくお願いします」
「可愛いだろ?」
何故か自慢げに西村くんが言う。西村くんは彼女が何人もいるとか噂される色男だ。富永さんまで狙っているのだろうか。
「相変わらずのスケコマシっぷりね」
「博愛主義だと言ってくれ」
呆れ顔で「はいはい」と受け流す。新採研修で会った時からこんな感じだった西村くんを、私は、まあ仲のいい男友達と認識していた。西村くんにとって私は女ではないらしいので、彼の毒牙に気をつける必要はなさそうだ。
「企画部のもう一人のメンバーよ」
西村くんの弁明を無視して紹介する。
「桐島 雄一郎です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて桐島が挨拶をした。
どういうわけか、桐島と同じプロジェクトメンバーに選ばれたのだ。
メンバーを選んだのは上司だから、単に仕事っぷりや年齢を見て選んだのだろうけど、どうだろう、この嫌がらせのような人選は。
桐島は私を好きだと言った。
私はまだそれに答えていない。
嫌いでは、ない。けれど、嫌いでないことと好きであることは違う。好きかと問われたら、うん、とは答えられない。でも、「好き」以外は「嫌い」という感情に分類されるわけでもない。
人へ抱く感情は、「好き」か「嫌い」かの二者択一ではない。二者択一で「好き」だと答えても、おそらくそれは桐島の望む答えではない。
それなら、さっさと彼を振って自由にしてあげるべきなのかもしれない。
けれど、あの時、腕に残った桐島の熱が、心を迷わせていた。
桐島は、私の答えを急かさない。
でも、待っている。
そんな気まずい状況の桐島と同じチームなんて、どうしていいのか戸惑ってしまう。
しかも広報部は、仕事はできるが女癖は悪い西村くんに、桐島にアプローチしているという噂の富永さん。なんて濃いメンバーだ。
ところが、私の戸惑いとは関係なく、仕事は順調に進んでいた。みんな仕事はきちんとこなすメンバーだ。私は個人的な感情は仕事に持ち込むべきではないと思っているから、仕事中に桐島を意識することはないようにしているし、桐島の方もそれがわかっているようだった。
資料をまとめるために残業していたある日のこと。夕食時になり、男性陣が買い出しに行ってくれた。プロジェクトチームの仕事部屋として使用している会議室には、私と富永さんが残された。
「あの、ね、富永さん」
いい機会だったので意を決した。
「はい?」
顔を上げて富永さんがこちらを見た。
「西村くんに誘われたりした?」
「何度か食事や飲みに誘われましたが、お断りしています」
「あ、そう」
ちょっと安心した。
「西村くんて、ほら、あんまりいい噂ないでしょ。富永さんのこと気に入ってるみたいだから、気をつけた方がいいと思って」
何度か目をパチクリさせた富永さんが口を開いた。
「意外です。相田さんがそんなこと言ってくれるなんて。噂とか、あまり気にしない人だと思ってたから」
確かに、私は噂に疎い。さすがに同期の間で噂になっていた西村くんの噂を知らなかったわけではないけど、だからといって人に忠告したりとかいうキャラではないのだ。
「こういうのは、まあ大人だし、本人が気をつければいいと思うんだけど、真央が、あ、同期の…」
「藤岡さんですか?」
「そう。彼女が言っておいてあげた方がいいって言うから」
真央もあまり人のことに口出しをするような子ではないのだけど、真央の部署の子が西村くんと付き合っているらしいので、念のため言っておいた方がいいのでは、と私に話したのだった。
「そうですか。気をつけます」
富永さんは素直に頷いた。
「ところで、ちょっとお訊きしてもいいですか?」
「何?」
コーヒーに手を伸ばして質問を促す。
「桐島くんに告白されて、まだ返事してないんですか?」
ぶっ、と口に含んだコーヒーを吹きそうになって慌てて飲み込んだ。コーヒーが変なところに入ってむせる。
「な…なんで知って…?」
「桐島くんから聞きました」
少し挑戦的な大きな目がこちらを見つめていた。
桐島が彼女にそんなことまで話していると聞いて、胸がざわついた。
意外にも桐島と富永さんは仲が良さそうで、気にならないと言ったら嘘になる。でも、親しいのはいいことだし、同期の二人が仲が良くても、それについて私がどうこう言うことではない。
「ま、半ば偶然というか、無理やり聞いたんですけど」
私の反応を愉しむように富永さんはにこりと笑った。
「どうして返事してあげないんですか? 桐島くん、待ってますよ」
「…簡単に答えが出るなら、こんなに待たせたりしないわよ」
あの時、桐島の瞳は真剣だった。
だからこそ、私はまだ答えを出せないでいる。
「でもそれって、生殺しっていうか、真綿で首を絞めるっていうか。残酷ですよ」
「やっぱりそう思う?」
自分でもそれは思っていた。いつまでも答えを出さずにいるなんて、相手に失礼だし、気の毒だ。NOと決めることさえできない私は、たぶん、ずるい。
「興味がないなら、さっさと振ってください。じゃないと、いつまで経っても桐島くん、ほかに目を向けてくれないじゃないですか」
ドキリとした。彼女が桐島を好きだという噂は、本当なのだろうか。本当なのかもしれない。だから彼女はこんなことを言うのかもしれない。
だとしたら、私はずいぶん酷いことをしている。
桐島を不安なまま待たせて、ほかを見ることも許さず、桐島の目が向くのを待っている彼女まで待たせている。自分の戸惑いに答えが出せないというだけで。
軽い夕食の後、黙々と作業をしていたら、意外に早く残業が終わった。
送ります、と言う桐島に頷いた。暫らく仕事の話や他愛のない話をしていたけれど、不意に会話が途切れた。
「…桐島」
隣で桐島が私を見つめているのがわかる。私の発する言葉を一語も聞き漏らすまいと神経を集中させている。
「返事、待たせてごめんね」
「いえ」
声に緊張が混じる。桐島に向き直って見上げると、桐島が身構えるのがわかった。
「ごめん。私、桐島の気持ちには応えられない」
桐島の表情が凍りつく。こんな顔をさせるくらいなら、返事なんてしなければよかった。いっそ先送りにして、桐島が私のことなんてどうでもよくなるまで待てばよかった。
「…それは、俺のことが嫌いってことですか?」
桐島の声が震えている気がする。慌てて首を横に振る。嫌ってなどいない。
「誰か好きな人がいるんですか?」
更に首を振って否定する。好きな人がいるなら、最初からきちんと断っている。
「じゃあ、どういうことですか?」
桐島の視線が突き刺さる。まるで怒っているみたいだ。
「…嫌いじゃないけど、好きかっていうと、それもちょっと違う気がするし、よくわからなくて…」
出来損ないのジグソーパズルだと思った。パチリとピッタリはまるピースがない。私の中で桐島にピッタリはまる感情が見つからない。
怖くて桐島の顔が見られなかった。桐島に言われて、すごく考えた。だけど未だに答えは出なくて、真剣に言ってくれる人に失礼だと思った。「答えが出ない」なんて、返事にはならない。
「でも、このままじゃ、桐島を待たせるだけで、いつ答えが出るかなんてわからないし、私のことなんか見限って他の人を見た方が…」
「冗談じゃないですよ」
桐島の硬い声がした。
「俺が欲しいのは、相田さんの気持ちです。他なんてどうでもいい」
鋭い視線が突き刺さる。身動きが取れない。
私は、ずるい。
この視線を、桐島が私以外の人に向けるのは嫌だと、どこかで思っている。なのに、この眼に向き合えるほど、心の準備ができていない。
「相田さん、まだ俺のこと、何も見てないじゃないですか。もっと俺を見て、もっと考えてください」
肩を掴まれて、思わず桐島を見上げた。真剣な眼が目の前に寄せられる。
「可能性がゼロじゃないなら、簡単に答えを出さないでください」
肩から伝わる桐島の熱に、息苦しくなる。
「そうだ、デートしましょう!」
「え?」
名案だと言わんばかりに桐島は目を輝かせた。
「仕事の時だけを見て俺を判断しないでください。仕事じゃない時の俺も見て、俺をもっと知って、それから答えを出してください」
ね?と同意を求められて思わず頷くと、じゃあ、いつにしましょうかと桐島が満面の笑みで訊いた。成り行きでデートすることが確定してしまい、今さらながら、自分のダメさを思い知る。
受け入れることも、突き放すこともできずに、このまま鎖に繋いでおくみたいなことが、許されるのだろうか。
時間をかけて、彼を知ったら、ピッタリはまる感情が見つかるのだろうか。それが、桐島の望む答えになるのだろうか。