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5 chocolate for you -apple #3-

バレンタインの頃のお話。

 机の上に山のように積まれた可愛いラッピングのチョコレートに躊躇して手にしたものを渡さずにいると、

「ん?」

 と不思議そうに奴は首を傾げ、

「早くちょうだいよ、それ」

 なんて、自分がもらえることが当たり前のように手を差し出した。

「こんなにあるなら、別に私があげる必要ないじゃない」

 生徒会長に選ばれた時点で奴の人気が上がったのは知っていた。でも、まさかバレンタインにこんなにチョコを貰う男だなんて思わなかった。去年のバレンタインはそんなに貰っていなかったはずだ。

 生徒会室の会長用の机の上にできたチョコレートの山を見つめた。

 『沢村先輩へ』なんて可愛らしい字で書かれたカードを添えられたチョコレートのほとんどは、たぶん、本命だ。

 小さい頃から毎年あげているからという理由で完全なる義理の私のチョコレートとは比べ物にならないくらいに強い気持ちがこもっている。

「茉里絵のは別」

 この言葉に、深い意味はない。そんなこと知っている。知っているのに、心のどこかで山積みのチョコレートの女の子たちに優越感を抱く自分が浅ましいと思う。

「今年は何?」

 甘いものに目がないこの男は、毎年私が作るバレンタインのお菓子を心待ちにしているらしい。その時期に彼氏がいてもいなくても、結局父と兄と秀明にあげるために私はお菓子を作るのだった。

「ショコラシュー」

 ウキウキしているのが隠し切れない顔で見上げられ、仕方なく手にしていたものを渡す。

 ラッピングをガサガサと開けて、「おお!」と奴は嬉しそうに声をあげた。

「いただきまーす」

 会長机に山積みにされたチョコレートには手をつけていないみたいなのに、早速シュークリームに手を伸ばした。

「美味い!」

 本気で嬉しそうに奴は笑った。

 ココア風味のシュー生地には、カリッとした歯ざわりにするためにナッツを振りかけてチョコでコーティングしてある。中のクリームはカスタードとチョコレートホイップと二層になっている。まあ、自分で言うのもなんだけど、自信作だ。

 昔からお菓子作りが好きで、割とマメに作っていた。家族の誕生日ケーキを焼くこともある。秀明にも作ってあげたし、秀明の両親やお姉さんにもあげたことがある。

 私の作ったお菓子を秀明はいつも嬉しそうにペロリと食べる。だから、つい調子に乗ってあれこれ作っては秀明に食べさせていた。



「で、今年はどうするの?」

 一緒に買い物に来ていた友達に訊かれて我に返った。バレンタインを前に店頭に山のように積まれたチョコレートを見て高校生の頃を思い出していた私の顔を覗き込んで友達は「どうする?」ともう一度訊いた。

 会社の人へのバレンタインチョコは友達と一緒に質より量のものを選んだ。美味しいチョコレート一粒よりも普通のチョコレート四粒の方が喜ばれると踏んでのことだ。

 そして友達は本命用にと高いチョコレートを買った。一粒500円もするやつだ。

 私は、というと、これといって買う予定もない。

 毎年彼氏には手作りのものをあげていたけど、今年はいない。実家に離れて暮らす父に、いちいちバレンタインだからと実家に帰ってチョコを渡したりはしない。とうに家を出た兄にも既にチョコをあげる習慣はなくなっていた。

 秀明には、いつもお菓子を持っていくと喜ぶからあげていたけど、それは彼氏にあげるためのものを味見させていたのだった。バレンタイン当日はお互い恋人と過ごすことがあるから、暗黙の了解で数日前にそれ用のお菓子を渡していた。

 今年は、お菓子を作る予定がない。それなら、わざわざ秀明のためだけにお菓子を作るのは、私達は恋人同士じゃないのだし、そんな必要はない気がしていた。

「今年は本命ないし、いいかな」

「作らないの?」

 毎年私のお菓子の試作品を味見していた彼女は残念そうに言った。

「例の幼馴染は? 彼にあげたら?」

「何で秀明に」

「だって、お世話になってるんでしょ?」

 私から話を聞いて秀明の存在を知っている友達は、秀明のことを「奇特なひとだね~」といつも感心していた。

「彼に感謝の気持ちを贈った方がいいよ。彼だって、いつまで茉里絵に付き合ってくれるかわからないんだから」

 ね、絶対贈った方がいい!と友達は何度も言った。

「彼が結婚でもしたら、もう茉里絵になんて構ってられなくなるよ。今のうちにちゃんと感謝してるって言っておいたら?」

「結婚?」

 いきなり唐突に何を言い出すのだ、この友人は。

「秀明にそんな話、ないけど」

「でも、年齢からいけば、もういつ結婚してもおかしくないでしょ。奥さんや子どもがいたら、いくら幼馴染でも、茉里絵にばっかり優しくしてくれなくなると思うよ」


 結婚? 秀明が?


 そんなこと、考えもしなかった。


 秀明が私の話を聞いてくれるのは当たり前のことで、呼び出したら文句を言いながらでも駆けつけてくれるのは当然のことで。

 それがいつか当たり前じゃなくなるなんて。


 当たり前のことなのに。

 私達は恋人同士じゃない。どこまでいっても幼馴染とも言えないような関係で、ちかしくても何も繋がりはない。

 だから、秀明が私よりほかを優先するのは当然のことなのだ。そんなこと、ずっと前から知っていた。



 知っていた、はずだった。



 チョコレートの焦げる甘い香りを嗅ぎながら、なぜ自分はこんなことをしているのだろうと考え込んだ。

 友達にああ言われたからって、単純すぎる。

 確かに、秀明には感謝しているけど。

 でもそれを、わざわざバレンタインなんてややこしい時に伝える必要はないんじゃない? でもこんな時でもなければ、改まって感謝の気持ちなんて伝えられっこない。

 オーブンレンジの中には、ガトーショコラ。

 もうすぐ焼きあがるいい香りを部屋中に漂わせていた。

 高校生の頃よりも味覚が大人になった秀明は、チョコレートはビターを好む。だから甘さ控えめのガトーショコラにした。

 ガトーショコラはまだ歴代の彼氏に贈ったことはない。

 ああ、これじゃあ、まるで秀明のために作ったみたいじゃない。いや実際そうなんだけど、でも秀明のためだけに作ったりしてそれを恋心と勘違いなんかされたら面倒だし。秀明に限ってそんな勘違いはしないだろうけど、彼女のいない寂しいバレンタインに贈られたら気の迷いとか…。

 妄想にも近いことをもんもんと考えてテーブルに顔を突っ伏した。部屋にはガトーショコラの甘い香りが満ちていて、思考能力を鈍らせた。



 結局、うだうだと考え込んでいるうちにバレンタイン当日になってしまった。仕事を終えて家に帰り、キッチンに保存したままのガトーショコラを見つめて考え込んだ。

 夕食を終えても決心はつかず、別に告白するわけでもないのにまだ迷っていた。

「あーもー、いっか」

 考えるのが面倒になったのと、もう作ってしまったものをなしにはできないし、自分では食べきれそうにないので秀明に渡すことにした。

 携帯を取り出して秀明に電話する。数回のコールで秀明が出た。

「秀明、今日ヒマ?」

 と訊いたら、

「嫌味か」

 と返された。

「会わない?」

「何だ、突然?」

「ちょっとね。一人で過ごすのも気が滅入りそうだから」

「ああ、なるほど。いいよ、別に。ヒマだし」

 念を押されるようにヒマだと付け加えられて、言葉のチョイスを誤ったと思った。でも一応了承は得られたので、秀明の家に行くことにした。


 インターホンを押すと、秀明が出てきた。

「おう」

 素っ気ない言葉で出迎えた秀明は中に入るよう促した。秀明について家に入る。秀明の家に来るのは初めてじゃないし、緊張するようなことでもない。

 会社から帰ってきたばかりのようで、秀明はまだスーツのシャツを着ていた。

「ごめんね、突然」

「いいよ、いつものことだろ」

 秀明は私をリビングのソファへと促した。そして自分はキッチンへ行き、紅茶を淹れる。

 リビングのソファには脱いだスーツの上着とネクタイが掛けられ、テーブルの脇には会社に持っていっているカバンと紙袋が置かれていた。

 紙袋の中を覗くと、綺麗にラッピングされた箱がいくつも見えた。紙袋を逆さにして中身をテーブルに広げる。明らかにバレンタインのチョコとわかるものが出てきた。

「人のものを断りもなしに」

 紅茶を持ってきた秀明が呆れたように言った。でも怒りはしない。私が秀明のものを勝手に見るのはいつものことだ。

「秀明の会社、わざわざ女の人が一人ずつチョコくれるの?」

 私の会社は同じ課内の男性社員に課の女子社員一同であげている。買出し係は若い社員の仕事だけど、お金は割り勘だ。

「いや、課ではおやつにどうぞってたくさん入ったやつをもらっただけ。これは、朝机の上に置いてあったりとか」

 まるで高校生みたいだと思った。高校生の時も、秀明の机にはチョコが置かれていた。生徒会長になった後は数がだいぶ増えた。

「あとは課の女の子が個別にくれたり、他の課の子にもらったり」

「それって…」

 告白チョコってこと?

「お世話になってるからって。みんな義理堅いよなあ」

 鈍感。思わず心の中で吐き捨てた。確かに、義理堅くお世話になった人に個々にチョコをあげる人もいるだろうけど、でも、

「この中の何個かは本命チョコだと思うよ」

「え?」

 心底意外だという顔をして秀明が私を見た。

「これなんか結構高いもん。義理でこんなの渡さないよ」

 友達が本命用に買ったのと同じ店のチョコを指差した。

「でもそれ、机に置いてあったけど名前がなくて。これじゃあ、返事どころかお返しもできないよなぁ」

 本命はもちろん義理チョコにも律儀にホワイトデーにお返しをする秀明は困ったように言った。

「告白するなら直接くれた方が嬉しいのに」


 そういえば秀明は、高校生の時、直接チョコを渡して告白してくれた女の子と付き合ったんだっけ。

 その彼女と別れた原因は、たぶん、私だった。


「茉里絵、飯食った?」

 唐突に秀明が話題を変えた。

「うん」

「じゃ、俺、自分の作ってくるから」

 話題を変えた深い意味はなく、単にお腹が空いただけみたいだった。

「あ、私作るよ」

 席を立ちかける秀明を止めた。秀明は会社から帰ってきたばかりみたいだった。私が突然押しかけたから夕食を食べそびれていたのだろう。

 キッチンを借りて簡単なものを作ることにした。


 残っていたご飯と冷蔵庫にあった豚肉でしょうが焼き丼を作り、味噌汁とサラダと一緒にお盆に載せてリビングに戻ると、秀明の目の前には見覚えのあるものが置かれていた。

「あっ、ちょっと勝手に…」

 言いかけて、自分もさっき勝手に秀明のを見たのだと思い出した。

「美味そう」

 秀明が見ているのは私が持ってきたガトーショコラだった。勝手に箱の蓋を開けている。けど、文句を言う権利は私にはない。

「それはデザートに食べてね」

 今にもかぶりつきそうだったので念を押した。せっかく作ったのだからご飯を先にちゃんと食べて欲しい。

 テーブルにお盆を置くと、秀明がじっとこちらを見遣った。

「くれるの? 俺に?」

 大きく頷いた。

「何ていうか、献上品?」

「何だ、それ?」

 秀明が苦笑する。

「あの、変な意味じゃなくてね、なんていうか、その、日頃の感謝っていうか、えと、わがまま言ってごめんねっていうのと、わがまま聞いてくれてありがとって意味で」

 秀明の視線を受けて言い訳がましく説明する。決して本命チョコなんかではないから。でも、感謝の気持ちは入っている。

「…私、迷惑ばっかかけてるし、わがままもいっぱい言うし、だから、こういう時くらい、何かあげた方がいいかなって思って」

「あ、一応自覚はあるんだ」

 秀明の失礼な言葉にムッと口を尖らせると秀明は表情を緩めた。

「サンキュ」

 秀明が誤解せずに素直に受け取ってくれて安心した。

「いつも、ありがと」

「何か気持ち悪いな、茉里絵にそんなこと言われると。明日嵐でも来るんじゃないのか」

「もう! 人がちゃんと言ってるのに」

 口を尖らせてそっぽを向いた。秀明は笑って「ごめんごめん」と謝った。私はソファを立ってキッチンからナイフを持ってきた。そして、お皿とフォークを二つ。

 秀明が夕食を食べている間に自分の分だけ切って食べ始めた。

「おいおい、俺にくれるんじゃないのかよ」

 呆れたように秀明は言い、私は知らん顔してガトーショコラを食べ続けた。

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