49 Hold my Hand -bee #19-
「はぐれるといけないから」と言い訳して、その手を取れば、ためらうことなくギュッと握り返された。伝わる体温に、思わず顔がニヤけそうになるのをこらえる。
たまには遠出して正解だった。
最初は、あまりの人の数に、どこからこんなに人が湧いてくるのかと驚き、行列の多さに辟易もしたが、やはりここは夢の国。普段とは違う魔法でも掛かっているらしい。
いつもなら、恥ずかしがって人前で手を繋いだりしない相田さんが、今はごく自然に俺の手を握り返している。
地元だと、会社の奴らに見られる可能性もあるから、人前でのそういうスキンシップを避ける傾向がある。俺たちは独身同士だから関係を隠す必要もないし、必要以上に隠しているわけではないけど、付き合っていることを言わないほうが仕事はしやすいので、あえて公言はしていない。
「次、あれ乗ろう」
俺のほうを向いて、相田さんがアトラクションを指差す。寒いからと、売店で買ったイヤーマフが尋常じゃないくらい可愛さを激増させている。ここが人前じゃなかったら(いや、俺は衆人環視だって構わないんだけど、そんなことしたら張っ倒されるからしないけど)、ぎゅーっとして撫でくり回したいくらいだ。
俺の手を引いてアトラクションへ向かう相田さんは、仕事の時とは全然違う。仕事以外で会う時は、仕事の時の凛とした感じよりもずっと可愛らしいのだけど、それとはまた様子が違う。嬉々としてというのだろうか、童心に帰っているようだ。
「恭子はほんと、絶叫系が好きだね」
「あんなの、絶叫系とは言わないわよ」
恐るべし、夢の国。意外な素顔見ちゃったよ。
女の子は割と絶叫マシーンが大丈夫な、ていうかむしろ好きって言う子が多いけど、相田さんもそのクチのようだ。急降下するアトラクションも、ジェットコースター系も楽しそうにしている。俺だって苦手なほうじゃないけど、まさか相田さんがこんなに絶叫好きとは。普段の落ち着いた雰囲気からは想像できなかった。
俺にいろんな顔を見せてくれることが、たまらなく嬉しくて、思わず繋ぐ手に力を込める。
「なに? もしかして、嫌だった? 他のにする?」
「嫌じゃないよ、行こう」
俺が手を引いたので、行きたくないのかと心配してくれたようだ。俺は笑って相田さんを促す。
…付き合う前は、彼女に、俺を知ってもらいたいと思っていた。仕事の時じゃない俺を見て、俺という人間を知って、付き合うに足る人物かどうかを判断してもらいたいと思っていた。
今でも俺を知って欲しいと思う気持ちはある。けれど、それ以上に、彼女を知りたいと思う気持ちが強くなった。付き合う前は、俺は彼女のことが好きだから、まるで彼女のすべてを知っているような気になっていた。だけど、彼女とデートを重ねる度に思う。まだ、すべてじゃない。俺の知らない彼女がいる。
「待ち時間、45分だって」
目的のアトラクションの行列の最後尾について、相田さんが言う。普通の店で45分待ちなんて言われたら、別の店に行こうってなるけど、ここだと、それくらい待てるから不思議だ。さすがに世界一有名なネズミのテーマパークの魔法は半端じゃない。人の心まで広くしてくれる。
まあ、相田さんとなら、どこでだって退屈しないから、45分なんてあっという間に過ぎてしまうだろうけど。
パーク内での今後の予定だとか、何を食べるかとか、そういう話をして、それが終わると、昨日のテレビの話とか、会社での出来事とか、そういう他愛のない話をして過ごした。
「やぁだ、まーくん」
「いいじゃん、平気だよ」
つづら折り状態になって並ぶ行列の、ちょうどロープを隔てた向こうのカップルが、くすくすと笑い合いながらイチャつき出した。男が女を背後から抱き締めて、女が男を振り向くと軽いキスを交わす。
周りは大人な対応というか。まあ、こういう場合は見て見ぬふりをするのが常だ。子どもも大勢いる場だから、そういう行動は控えたほうがいいとは、個人的には思うが。
相田さんを見やると、やはり呆れた目を向けていた。
「俺たちもやってみる?」
ふといたずら心が働いて尋ねてみる。
「そうしたら、頭突く」
予想以上に厳しい言葉が返ってきた。後ろから抱き締めて、女に顎を頭突かれる男…悲しすぎる。そんな残念な光景を想像して、「冗談だよ」と言えば「当然でしょ」と返された。恥ずかしがり屋の彼女が、人前でそんなことをされて平気でいられるとは思っていないので、もちろんする気はないが。
さすがに俺だって、大人として、あれほどバカップルするつもりはないけど、ここは割と他人に寛容になれる場所だし、そもそも、自分たちの話や世界に夢中になっている人が多いので、この待ち時間にちょっとくらい楽しんでも許されるよな、と思ったりもする。
で、バカップルな会話を目指してみたりとかする。
「ところで、恭子、いつになったら、俺のこと名前で呼んでくれるの?」
「…は?」
唐突な話題に、相田さんは眉根を寄せた。
「そもそも、俺の名前、覚えてる?」
「覚えてるわよ」
「じゃ、言ってみて」
にっこり笑って催促すると、相田さんが思いっきり眉間に皺を寄せた。
「…なに、その、新手の嫌がらせ…」
「名前を呼ぶのが嫌がらせ? 酷いな」
と、傷ついたふりをする。
「…だから、覚えてるって言ってるじゃない。………雄一郎」
小さく付け足された名前にニヤリとする。
そもそも、付き合うことになった時に、彼女は俺に名前で呼んで欲しいと言った。俺はそれを了承し、俺のことも名前で呼んで欲しいと言ったのだ。だけど、結局、その後も彼女は今までと同じように俺のことを「桐島」と呼んでいた。それは呼ばれ慣れた名前だし、ただの姓でも、彼女が呼べば特別にはなる。
だけど、いつか彼女がこの姓になってくれるとしたら、そのまま呼び続けるのは不自然だろう? なんて、まだ何の約束もないのに、勝手に心配してみる。
「もう一回言って?」
「……だから、何なのよ、その嫌がらせ?」
「嫌がらせじゃなくて、切実な思い。伝わらない?」
「伝わらない。っていうか、絶対楽しんでるでしょ」
「そんなことないよ」
「ニヤけた顔で言われても、説得力ゼロだから」
いっそ白々しいくらいの台詞に、相田さんは俺を睨む。まあ、この表情じゃね。からかう俺に反発する相田さんは、たまらなく可愛い。そりゃ、自然とニヤけた笑顔にもなるよね。
「大体何で名前呼びたくないの? 呼んで恥ずかしい名前でもないのに」
「名前自体に非はないわよ。ただ、急に呼び方変えるのが恥ずかしいってだけで」
こんな時でも真面目に答える相田さんは、やっぱり可愛い。その可愛らしさが、嗜虐心を煽るとは、本人は知らないこと。
「じゃあ、恭子は俺に恥ずかしいことをさせたんだね」
「なにそれ?」
「だって、名前で呼んでって」
「………呼べばいいんでしょ。でも、それだと、今までより長くなるのよね」
確かに“桐島”のほうが“雄一郎”よりも短い。
「呼びやすいように略してくれればいいよ」
「………じゃあ、“ゆうちん”って呼ぶから」
…微妙に略されてる…のか?
「呼べるものなら」
「…嫌」
そうだろう。恥ずかしいだろう。普通に名前呼ぶのだって恥ずかしがるのに。
不意に列が動き出して、空いた間を詰めようと相田さんが歩き出す。
「行くわよ、桐島」
結局いつもの呼び方に戻っているけれど、まあ、いいか。差し出した手を取ってくれるのなら。ためらうことなく繋がれた手に、今は満足することにした。




