44 プリンセスと近衛騎士 -citrus #10-
電話を切った私に、高校の同級生だった井出くんが、何か言いたげに視線を向けていた。私は借りていた電話を返して、彼の視線に答えた。
「最後の気遣いと嫌がらせよ」
わざわざ彼氏ができたことを報告したのは、彼にこれ以上私を心配させないため。彼は私を傷つけたことを深く後悔している。だから、それはもう許してあげることにした。
その代わり、優しくて鈍感なあの男に、最後に嫌がらせの一つもしてやりたかった。真理子ちゃんの想いに気付いて、少しくらい悩むといい。
あの人は、あれでいて、鈍い。
体調が悪いだとか、疲れているとか、悩み事があるとか、嫌なことがあったとか、相談したいことがあるとか、そういうのはいとも簡単に見抜いて、「どうした?」と声をかけてくれて、こちらの安心を引き出してくれるような人なのに。
こと恋心には鈍い。私の気持ちだって、私が言うまで知らなかったのだ。
あの男は、いつだってあの子のことばかり。
再会して、あの時茉里絵ちゃんにしたみたいに、彼氏に振られた私を慰めてみせて、と迫った私に、彼は動じなかった。
「相原、やめよう、こういうことは。不毛だよ」
私の両肩に手を置いて自分から引き離す。
「俺は、相原を慰めてやることはできないし、それをしたとしても、実りがない。そんなこと、相原ならわかってるだろ」
優しく諭す声が冷酷なまでに静かに響く。
「俺を困らせたいの? それとも、茉里絵に自分と同じ思いをさせたいの?」
その声は、いつもと変わらず優しくて、穏やかだけど、有無を言わせぬ迫力がある。
「あの時、相原に辛い思いをさせたことは、悪いと思ってるし、反省もしてる。でも、だからこそ、茉里絵に同じ思いはさせたくない」
思わず、ふ、と笑いが漏れた。
「やっぱり沢村くん、あの子が一番なのね」
全然変わってないんだと思ったら、おかしくて、ばかばかしくなった。
彼の第一義は、いつだって彼女。
まるで、プリンセスとその近衛騎士だ。
高校生の頃──。
教室で机を並べて二人で話している時、クラスメイトの井出くんが慌てたようにドアを開けて入って来た。
「沢村、大変たいへん! 茉里絵ちゃんが2組の女子に校舎裏に連れてかれたって」
弾んでいたはずの会話はピタリと止んで、沢村くんは無言で立ち上がった。もはや隣にいる私のことなど目に入らない様子で、沢村くんは大股で教室の出口に向かう。
「えっ、ちょっと…!」
私の心の叫びを無視して、沢村くんは廊下に出た瞬間にダッシュしていた。
「…ちょっと、井出くん!」
立ち上がって机に手を置き、もう一方の手を腰に当てる。
「何でいちいち沢村くんに報告するのよ!?」
振り向いたクラスメイトを睨みつける。
「え、だって、茉里絵ちゃんのことは、あいつに任せといたほうが…」
でもね、その人は私の彼氏なの! 何で幼馴染の面倒をいつまでも彼が見続けなきゃいけないの! ていうか、行く沢村くんも沢村くんよ。そんなだから、いつまでも幼馴染のお守りを押し付けられんじゃない。
「そんなに気になるなら、見に行けば?」
無責任に井出くんは勧めた。しかも、ご丁寧に「こっち」と案内までしてくれる。校舎裏が見える二階のバルコニーの影から下を覗いた。眼下には、2組の女子五人と、彼女たちに囲まれた茉里絵ちゃんが見えた。言い募る五人組に、困ったように茉里絵ちゃんが後ずさる。
そこへ、沢村くん登場。プリンセスを守る近衛騎士よろしく、五人組との間に入って茉里絵ちゃんを背後にかばう位置に立つ。
無言のまま沢村くんは五人を睥睨した。これが他の男子なら「あんたには関係ないでしょ、引っこんでな」などと言われかねないけど、目力のある沢村くんに睨まれて怯まない生徒はいない。
「…言い分を、聞こうか」
低い声がよく通る。
「……あ、あの…その子が、この子が彼のことを好きなの知ってるくせに誘惑して、それで…」
「彼のこと盗られたのが、許せなくて…」
口を閉ざしていた女子たちも、沢村くんに注視されて沈黙を貫き通せなくなった。
「と、言ってるけど?」
振り向いて沢村くんが茉里絵ちゃんに質す。
「違うわよ。確かに彼女が彼のこと好きなのは知ってたけど、誘惑なんてしてない」
茉里絵ちゃんの主張に、女子たちが「嘘言わないでよ!」と声を上げる。「私この前教室に二人でいるの見たんだから」などと茉里絵ちゃんの主張を覆そうとする。
「たまたま帰りが一緒になったことはあるけど、ちょっとしか話したことない男子よ。それに、告白されたけど断ったわ」
茉里絵ちゃんの言い分を聞くと、沢村くんは女子たちに向き直った。
「俺には逆恨みにしか思えないけど?」
はっきりと図星を指されて、女子たちは狼狽した。
「確かに、茉里絵は口がいいほうじゃないし、友達は選り好みするし、気に入らないところもあるかもしれない。だけど、君が好きな男が茉里絵を好きだと言ったからって、それが、寄ってたかって茉里絵を責める理由になるのかな」
声はいつもと同じように穏やかだけど、その分静かな圧力と迫力がある。腕を組んだ沢村くんに見下ろされて、明らかに女子たちは逃げ腰だ。天下の生徒会長に睨まれれば平和な学校生活は危うい。わざわざ逆らうような生徒はいない。しかも、徒党を組まなきゃ一人を責めることもできないような人たちが太刀打ちできる相手じゃない。
女子たちは、悔しそうに、けれども小さな声で「悪かったわよ」と言い残して去って行った。
残された二人が向き合う。
「大丈夫か?」
「うん。ありがと、秀明。絶対来てくれると思ってた」
彼を見上げる彼女の眼差しは、一片の曇りもない絶対的な信頼。
「…お前なぁ…」
呆れたように呟いた沢村くんは、それでも優しく微笑んだ。
「あんまり心配させんな」
彼女の髪にふわりと掌を乗せる。それはまるで、絶対的な忠誠の証。
近衛騎士の第一義は、絶対的にプリンセス。
思えば、私はあんな風になりたかったのかもしれない。彼の絶対的な特別に。彼は、私にだって他の人より一番と思えるくらいには優しかったけど、彼が特別に大事にしているのは、やっぱり彼女だった。
「せいぜい茉里絵ちゃんとお幸せに」
電話を切る時に、皮肉も込めて言ってやった。
「ありがとう。相原の幸せを祈ってるよ」
なのに、どうだろう、この返答。彼は、別れた後でさえ、私にも他の人に対するのと同じように優しかった。
「まるで優等生の生徒会長みたい」
そういうところが、大好きで、──大嫌いに、なった。
想いを通い合わせたプリンセスと近衛騎士は、その後ずっと幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。




