43 ピリオド -apple #18-
バレンタインとホワイトデーの間くらいの話
その電話の声に、驚いた。
「私、彼氏できたから」
混乱する頭で、あれ確かこの電話は友達(男)から掛かってきたはずなのにと画面を見直すと、やはり見知った名前が表示されていて、けれどもその声は女で。
「…相原? なんで?」
なぜ友達の電話から相原の声がして、そして俺にそんな報告をするのかと、疑問ばかりが浮かぶ。
「電話は借りたのよ。私、沢村くんの電話番号知らないし」
同じ高校の仲間の飲み会があったのだという。前に俺も忘年会に行ったことがあるが、東京に来ている奴らの集まりだ。そこで俺の友達と会って、電話を借りたという。
「あんなこと言ったままでいたら、沢村くん余計な心配するでしょ。だから、一応報告」
相原の言う「あんなこと」というのは、前に相原に会った忘年会の時のことだろう。
「安心した?」
「うん。おめでとう。良かったな」
俺がこんなことを言える立場ではないかもしれないが、本当に彼女の幸せを喜んでいる。
「ありがとう」
電話の向こうで、彼女が笑った。昔、俺が彼女にしてしまったことの罪は消えないかもしれないが、わだかまりは解けた気がした。
電話を切ろうと携帯を耳から離しかけた時、ためらいがちに電話の向こうで「…ああ、沢村くん」と相原が言った。
「言おうかどうしようか迷ったんだけど、たぶんこれが最後だから言っておくね」
再び電話を耳に当てて続きを待つ。
「真理子ちゃんて、沢村くんのこと好きなんじゃないの?」
「…は?」
予想外のことを言われて、思わず問い返した。
「バレンタインチョコ、もらったでしょ?」
「もらったけど…」
でも、あれは、
「義理チョコじゃないわ、たぶん。前からずっとね」
前からって、高校生の頃からって意味?
「…でも、真理子にそんなこと言われたことないし、そんな素振り、全然…」
「あの子が私に憧れたのは、沢村くんの彼女だったからよ。茉里絵ちゃんと仲良くしたのは、沢村くんに嫌われたくないから」
まるで、すべてを知っているみたいに相原は言い切った。
「沢村くんて、時々ビックリするくらい鈍いから、気付いてなかったかもしれないけど」
鈍いのは、度々茉里絵にも指摘されていたから、一応自覚はしていたけど、どうにかなるものでもない。
「どうせあの子の想いに応えられないなら、もう終わらせてあげないと可哀想よ」
相原の声は、どこか切実だ。
「もう、終わりにしてあげて」
そうは言われても、向こうから何のアクションもないのに、こっちから断りを入れるのは変だ。
バレンタインチョコを渡される時だって、いつもと変わらぬ様子で「沢村先輩、はいどうぞ」と渡されて、「ありがとう。相変わらず律儀だなあ」と、義理だと疑わずに受け取った。手紙やカードが添えられていたわけでもないし、それに対してするリアクションといえば、ホワイトデーにお返しをするくらいだ。
「…どうしろって言うんだよ」
最後に難題を残して電話を切った相原を恨めしく思った。
残業を終えて会社を出ると、前方に見覚えのある背中が見えた。あんなことを言われた後で、一方的に気まずい感はあるが、どうせ帰る方向は一緒だ。
「真理子、お疲れ」声を掛けて横に並ぶ。「お疲れさまです」俺を見上げて真理子が返した。そのまま他愛のないことを話題にしながら並んで歩く。会社から数駅電車に揺られたところに、会社が借り上げてくれているマンションがいくつかある。住んでいるマンションは異なるが、俺も真理子も最寄り駅は一緒だ。
電車を降りて駅を出ると、少し歩いたところで真理子が「じゃあ、お疲れさまでした」と頭を下げた。
「こんな時間だし、家の前まで送るよ」
相原のせいで妙な意識をしてしまうのは否めないが、女の子をこんな時間に一人で歩かせるわけにもいかない。
「そんな、いいです。大丈夫ですから」
「でも、この先結構暗いだろ。心配だし、送っていくよ」
東京とはいえ、住宅の多いこの地域では、夜遅くなればやはり灯りが減る。俺と別れた後で何かあれば後味が悪いのが本音で、半ば強引にマンションの前まで送って行った。
「すみません、ありがとうございました」
真理子は頭を下げてお礼を言った。
「いいよ、大した距離じゃないし」
踵を返そうとする俺の腕を掴んで真理子は引きとめた。
「あの、お礼にお茶でも入れますから、上がっていってください」
俺を見つめる真理子の強い視線に、一瞬言葉を失う。こんな時に、相原に言われた言葉を思い出して、慌てて腕を引き抜いた。
「有り難いけど、やめておくよ。一人暮らしの女の子の家に上がるなんて、誤解されたらまずいし」
「…茉里絵先輩にですか?」
「うん。そのつもりがなくても、離れている分、不安にさせてしまうから」
真理子は、俺の腕を離した手を胸の前で合わせて握った。
「…私は、そのつもりで言ったんですよ」
「え?」
「好きでもない男の人を、家に上げたりしません」
顔を上げた真理子の目に睨まれている気がする。
「あんまり優しくしないでください。期待しちゃうから」
沢村くんの優しさは、時々残酷だよ、と、昔誰かに言われたことがある。これが、そういうことなのだろうか。
「…私、茉里絵先輩って、大嫌いでした。いつでも沢村先輩を独占して、結局、今も、沢村先輩、茉里絵先輩のものじゃないですか」
もし、俺の思い上がりでないのだとしたら、相原と俺が会ったことを、わざわざ俺たちが抱き合っているように見える写真を添付して、茉里絵に知らせたのは、彼女の想いがその背後にあったからなのだろう。
俺は、あの後も真理子の想いに気付かないままでいた。いや、本当は、気付かぬように蓋をして、時と共に消えてしまえばいいと思っていたのかもしれない。
「──ごめん。でも、俺は、茉里絵が好きなんだ。大切に、したい」
こんなことしか言えない自分が情けなかった。彼女が俺を想っていてくれたというのなら、その想いを気付かずに踏みにじってきたことになる。でも、俺に出来ることは、正直な気持ちを話すことだけだ。ここで俺が彼女の想いを一瞬でも受け入れたとしても、誰も幸せになれない。
目を伏せた真理子は、泣いているのかと思ったけど、彼女の頬に涙はなかった。
「ホワイトデーにお返しは要りません。その代わり、沢村先輩にチョコをあげるのは、今年が最後です」
俺の心配をよそに、彼女はにこりと笑ってみせた。
「もう、終わりにします」
意外なほどに晴れやかな笑顔に、掛ける言葉は見つからない。
「私ももういい年だし、いつまでも実りのない想いに執着してもしょうがないし。だから、さっさと茉里絵先輩と結婚でもしちゃってくださいよ」
彼女は彼女なりに、自分の心に終止符を打ったのだろう。だから俺に出来ることは、無駄に優しくしないことだ。
「ありがとう。今まで気付いてやれなくて、ごめん」
笑顔を作って、踵を返して歩き出す。ちらりと振り向けば、真理子は俺の背中をじっと見つめていた。
「早く家入れよ。風邪引くぞ」
顔だけ振り返ってそう言い置いて、歩く速度を速めた。彼女の気持ちを知った今、不用意に距離を詰めれば、傷つけるだけだ。
「この中に絶対本命もあるから」
俺がもらったバレンタインチョコを眺めながら茉里絵が言ったことを思い出す。でも俺にそれを判別する能力はなく、もしかしたら、他の誰かもこんな風に傷つけているのかもしれない。
だから、俺に出来ることはひとつ。
「ああ、茉里絵」
携帯電話を通して聞こえる声が「なに?」と尋ねる。
「うん、なんか、声が聞きたくなった」
「…なに、急に。何かあった?」
「いや、ただ…茉里絵が好きだと思った」
「知ってる」
電話の向こうで可愛く微笑んでいるはずの、彼女を大事にすることだけ。




