42 バレンタイン症候群 -bee #16-
続バレンタイン
家を訪れた彼女に、早速用意していたものを差し出した。はい、と目の前に現れたそれに、相田さんは目を丸くした。
「ハッピーバレンタイン、って、そんなクリスマスみたいなノリ…」
少し呆れたように笑って、俺を見上げる。
本当は、逆チョコとかも考えたけど、チョコがもらえないから自分で買う可哀想な人だと思われるのはさすがに恥ずかしくてやめた。貴金属も、こういう場合にはちょっと高価すぎて相田さんは受け取るのを渋りそうだから、綺麗でそれほど高価ではなく、でももらったら嬉しいものをと考えた。
「ありがとう」
そう言ってガーベラの花束を受け取り、微笑む彼女は、やっぱり可愛い。
「でも、今日バレンタインよ? 私があげるほうじゃない?」
「欧米じゃ、お互い大切な人にプレゼントを贈るって聞いたから」
別に俺は欧米に憧れているわけでも、日本のバレンタインを批判しているわけでもない。ただ、日本のバレンタインが女の子だけに気持ちを伝える権利が与えられる日だというのが、少し不公平な気がしただけだ。
日本の男にはホワイトデーという権利が与えられるわけだけど、あれは、どうしてもバレンタインのお返しの意味合いが強く、気持ちを伝えるとしても受動的だ。
バレンタインには、俺にだって、気持ちを伝える権利が与えられてもいいはずだ。
日本では、男は恋や愛を口にしないのが美徳みたいに言われることもある。けれど、言葉にしなくても察して欲しいとか、口にしなくても伝わるだろうとか、そんなのは、男の甘えや言い訳に過ぎない。
だから、俺は、あえて行動や言葉といった形にすることにした。
「じゃあ、はい、桐島、ハッピーバレンタイン」
俺が渡した花束を抱えたまま、笑いながら相田さんがチョコレートをくれた。
「ありがとう」
綺麗にラッピングされた箱を受け取る。開けていい?と尋ねると、相田さんは頷いた。リボンを外して蓋を開ける。箱の中に並ぶ光沢のあるチョコレートは、まるで宝石のようだ。
「手作り?」
「だとしたら、私は今頃ショコラティエールになってるわ」
なるほど、確かにチョコレート職人の手によるものだろう。俺だって本当に手作りだと思って言ったわけじゃない。
でも、手作りをくれたらそれも嬉しいな、という気持ちもある。
「手作りもね、考えなかったわけじゃないんだけど、茉里絵ちゃんみたいに上手に作れるならともかく、私が作るより、ちゃんとしたやつ買ったほうが美味しいかなって」
もちろん、彼女が俺のことを思ってした選択だとはわかっている。愛情はこもっていても不味いチョコレートよりは、俺を想って選ばれた市販のチョコレートのほうが美味いだろう。だた、好きな子となれば話は別だ。下手くそでも、俺のために彼女が手間暇かけて作ってくれたチョコレートなら、美味いに決まっている。
男なら誰でも憧れるんじゃないだろうか、好きな子からの(ここ重要。)手作りチョコレート。
「茉里絵ちゃんと味見して買ったの」
相田さんは富永と一緒に買いに行ったらしい。相田さんの話では、富永は彼氏には手作りのものを贈るのだが、自分や友達用に市販のものを買ったのだという。
「すっごく美味しいんだよ。中にクリームが入ってて」
ああ、結局、自分も食べたいわけね。目を輝かせてチョコレートの説明をする相田さんに頬が緩む。二人で一緒に美味しさを分かち合えるものを彼女はチョイスしたのだろう。
じゃあ、一緒に食べようと誘おうとして、ふと、いたずら心が芽生えた。
「ねえ、恭子、俺に言う言葉は?」
「え?」
「今日、バレンタインなんだけど」
「……」
俺の意図がわかったらしく、相田さんは沈黙した。バレンタインにチョコレートに添える言葉といえば、決まっている。
「俺のこと、好きって言って?」
耳元で囁くと、相田さんが俺を突き飛ばそうかという勢いで体を離した。
「…言わないわよっ」
そっぽを向いていても、赤く染まった耳で赤面しているのがわかる。
「だって、バレンタインでしょ。女の子が男に気持ちを伝える日」
こんな時ばかり、日本のバレンタイン特有の風習を持ち出す。
「言わない!」
「ふうん。じゃ、代わりにこのチョコ、口移しで食べさせて?」
「ばっ……なに言って……!」
「二者択一。どっち?」
「~~~好きよ! 文句ある?」
怒ったように相田さんはチョコレートを掴み、俺の口に押し込んだ。どうせなら、手じゃなくて口のほうがよかったんだけど。
押し込められたチョコレートを舌の上で転がせば、甘く溶ける。歯を立てると中から柔らかなものが溢れてくる。口の中に絡みつくように甘みが広がる。
「バレンタインにチョコを贈るってさぁ、ちょっと意味深だよね」
「何でよ?」
相田さんが俺を見上げて首を傾げた。日本ではそれが普通なんじゃないの、と言いたげな表情だ。
「その昔チョコレートがまだ貴重で高価だった頃、ヨーロッパの王侯貴族の間では、薬として飲まれてたんだって」
大航海時代、アメリカ大陸で発見されたカカオはスペインに持ち帰られ、アステカの王がチョコレートドリンクにしていたのに倣って、当時カカオと同様に高価だった香辛料を加えて飲まれたらしい。そしてスペインからヨーロッパに広まり、チョコレートは嗜好品としてだけでなく、薬としても貴族たちに好まれたそうだ。
「滋養強壮の。媚薬効果も期待されてたらしいよ」
これは本当。アステカの王は媚薬として用いていたという。
「恋人たちの日のバレンタインに、滋養強壮の薬を女から男に贈るって、ねえ?」
ニヤリと笑って、相田さんの両手を拘束して顔を近づけると、相田さんは顔を赤くして狼狽した。
「桐島のスケベ! 変態!」
「知らなかった? 俺はむっつりスケベだよ。ていうか、男なんて多かれ少なかれ、みんなスケベで変態だって」
人は、それを開き直りという。
「俺のこと、好きなんだよね?」
両手を掴んだまま、にっこりと微笑みかける。
「そ…それとこれとは…」
ぐいと手を引っ張って体を引き寄せ、彼女の耳に甘い息を吹きかける。
「俺も恭子が好きだよ」
ビクリと彼女の肩が揺れる。
手を少し緩めて拘束を解けば、もう逃げられない位置にいる彼女は、赤い頬のまま潤んだ瞳で俺を見つめた。
「チョコ、食べさせてあげようか」
もう一度耳元で囁いて、傍らに置いた箱からチョコレートを一つ摘み上げる。ゆっくりとそれを唇に近づけ、ぐい、と彼女の口に押し込んだ。
俺の指に支えられたチョコレートを口の中に放り込まれて、彼女は目を瞬いた。
「口移しのほうがよかった?」
手に付いたチョコレートをぺろりと舐めて尋ねると、相田さんは無言で近くにあったクッションを思い切り俺に投げつけた。




