40 I can’t give you anything -bee #15-
「謝るな。ムカつく」
ずっと考えていた。
あの時言われたこと。
怒らせてしまった理由。
不安な顔の訳。
きっと、いや絶対、私が悪いのだ。それはわかりきったことだった。私が、彼に与えられるのが当たり前で、私は何も与えることができなかったから。
あの時に、少し似ている。
欲しがるばかりで、与えることもできないくせに求めてばかりで。自分が疲れて、先に音を上げてしまった。お互いのためだと綺麗事の目隠しを張り付けて、別れを告げた。
鳴瀬さんは、静かに私の主張を受け入れた。あの人も、疲れてしまっていたんだろう。私がそうさせたのだ。
そういえば、別れ話の電話を終えて泣いていた私を、桐島は涙に気づかないふりをして食事に誘ってくれた。色気より食い気の焼き肉屋へ行って、おなかいっぱい食べて、くだらない話をたくさんして。
今思えば、あの時、私を救ってくれたのは桐島だ。
鳴瀬さんと別れたみたいに、手を離してしまえば、楽になれるのかもしれない。だけど、それじゃだめだとわかっている。
私は気づいてしまったから。桐島を大切にしたいと。
残業を終えたオフィスで、デスクに置いた携帯電話をじっと見つめていた。あれから、桐島とは会社以外で顔を合わせていない。あれ以降、携帯の履歴に彼の名前はない。
私から連絡するのも図々しい気がして、電話できずにいた。だけど、このままでは、ダメだ。
勇気を出して電話を取り上げた瞬間、着信があった。小刻みにバイブする携帯の液晶に表示された名前は、「桐島 雄一郎」。
心臓が跳ね上がり、呼吸が苦しくなる。震える指でコールボタンを押して電話を耳に押し当てる。
「…もしもし?」
「恭子、今どこ?」
思いもよらない第一声に、一瞬ためらってから答える。
「どこって…会社だけど…?」
「残業?」
「もう終わって、帰ろうかと思ってたんだけど」
「ちょっと、そこで待ってて、すぐ行くから!」
「えっ…?」
私の答えを聞かずに電話は切れた。全然意味がわからなくて、暫く呆然と携帯を眺めていた。だけど、再び液晶に桐島の名前が表示されることはなくて、一人だけのオフィスに静寂が残された。
仕方なく携帯をデスクに戻し、机の上を片づけたり、バッグを整理したりして桐島を待った。
バタン、と音がして、オフィスのドアが開いた。自分以外のところは節電のために電気を消しているのでオフィスは暗い。でも、現れた人影が桐島だとすぐにわかった。
「どうしたの、忘れ物でも……っ!」
振り向いて立ちあがった私を、突然桐島が抱き締めた。
走ってきたのだろうか、少し息が上がっている。耳元に吐かれる息に合わせて肩と胸が上下する。きつく腕を背に回された私の体に、桐島の動きが細部まで伝わってくる。
「…桐島? どうしたの?」
尋常ならざる桐島の様子に、何かあったのかと不安になる。
「…ごめん。ごめん、恭子」
謝られて、その意味を受け取りかねる。
どうして桐島が謝るの? 何を謝るの?
「恭子が悪いわけじゃないのに、責めたりして、ごめん」
「…この間のこと? でも、あれは私がちゃんと鳴瀬さんに話をしなかったから、桐島が怒るのも当然で…」
「違う。怖かったんだ。恭子を取られたらどうしようって。恭子が俺のこと好きじゃなくなったら…いや、本当は最初から俺のことなんて好きじゃなくて、俺があんまり執拗に迫るから、仕方なく付き合ってるだけだったらどうしようって。だから、」
すがるように、桐島の腕により一層の力が入る。
「だから、あの人じゃなくて俺を選ぶと言って欲しかった。そう言わせたかったんだ。ごめん…」
「…桐島、苦しい」
「あ、ごめん」
少し力を緩めた桐島の腕に手を掛けて、顔を上げる。不安そうに私を覗き込む顔は、みんなの憧れイケメン桐島くんというよりは、迷子の子どもみたいだ。
…桐島に、こんな顔をさせるのは、私。
以前の私なら、私がいなければ、この人はもっと幸せになれると手を引いてしまっただろう。そうやって身を引けば、自分も楽になれた。
でも……。
手を伸ばして桐島の頬に触れる。びくりと一瞬桐島が緊張した。
「…そんな顔、しないで」
もう一方の手も伸ばして、桐島の顔を両手で包む。
「ごめんね、不安にさせて。でも、選ぶとか、そういうんじゃないの。私には、桐島しかいないの」
そんなに不安な顔をしないで。ごめんね、私がしっかりしないばかりに、はっきりしないばかりに、不安にさせて。私は桐島みたいに愛情表現が上手に出来ないし、意地っぱりで恥ずかしがって、でも、これだけはちゃんと伝えなくちゃ。
「私は桐島のことが、…桐島だけを、好きだよ」
背伸びをして、その唇に自分の唇を合わせる。
驚いたように瞬きをした桐島が、小さく呟く。
「…会社では、こういうことしないって…」
「先に破ったのは、誰?」
桐島がふ、と笑みを漏らす。
「俺でしたね」
桐島の右手が頬に触れ、そのまま髪の間を指が撫でて、後頭部を引き寄せられる。腰に添えられた左手にも引き寄せられて、柔らかく口を塞がれる。
甘く何度も触れて次第に深く重ねられるそれに身を任せながら、やっぱり私はこの人に与えられてばかりなのだと思った。
こうして好きだと伝えられて、不安な心は埋まり、満たされていく。
こうして応えることで、少しでもこの人に何かを与えられるだろうか。
I can’t give you anything――――but my love.
愛よりほかにあなたに与えられるものがあるだろうか。




