4 熱視線 -bee #2-
はっきり言って、俺は不満だ。
相田さんは相変わらずだ。
俺が好きだと告白して、相田さんは確かに驚いて、でも「ちゃんと考える」と女の顔を見せた。その時は、俺を男として見たはずだ。
はずなのに、あれから相田さんの態度は全然変わらない。
いつでもテキパキと仕事をこなす相田さんは、俺に対して先輩の顔しか見せず、間違った書類を渡せば容赦なくやり直しを言い渡され、ミスすればフォローしてくれて、企画が通れば笑顔で褒められバックアップをしてくれた。
いつもと同じ、誰にでも同じ、相田さんだった。
たまに目が合っても、露骨にそらされることもなければ視線を返されることもない。ごく自然に視線を外されて、俺が告白したと思ったのは、俺が夢でも見たんじゃないかとたまに自分の記憶を疑う。
ああ、どうしてこうも面倒な女を好きになんかなったんだろう?
仕事はできるけど、その分クールで淡々としていて、表情から感情を読み取るのに苦労するくらい大人で、辛口だけど人望は厚くて。
もっと単純でわかりやすくて可愛い女なんて、いくらでもいるはずだ。
なのに、何でこの人しか可愛いと思えないんだろう?
相田さんの態度からは、俺のことをどう思っているのかは読み取れない。ちゃんと考えると彼女は言った。その答えがいつ出るのか、まだ知らされていない。いつまで待てば答えが出るのだろう。待てば、望んだ答えが出るのだろうか。
そんなことを考えながら、相田さんから視線を外して席を立ち、仕事の資料を探しに資料室へ向かった。
「あ、桐島くん」
資料室で、同期の富永と鉢合わせた。
以前に俺にフタマタかけたと詰め寄ったお騒がせな女だ。あれ以来顔を合わせておらず、その話もあやふやになっていた。
「あのさ、訊いてもいい?」
「なに?」
富永は、同期の中で一番可愛いと言われている。まあ、それは間違いじゃないと思う。でも、何となく彼女向きの女ではないと、俺は思っている。
「フタマタって何だよ?」
身に覚えのない言いがかりだった。
「前に見ちゃったの。桐島くんが可愛い女の子と歩いてるとこ」
聞けば、どうやら田舎から従妹が出てきた時のことらしかった。大学受験のために下見に来た高3の従妹だ。叔母夫婦から従妹の面倒を頼まれた俺が、従妹のリクエストに従って夕飯を食わせてやった時のようだ。
でも、何でそれがフタマタになるんだ。俺がどんな女と歩こうが、富永には関係のないことじゃないか。富永に責められる謂れはない。
「それで何でフタマタなわけ? 俺たち、付き合ってなんかないよね?」
念のため確認した。誤解されるようなことはしていないはずだ。軽はずみにそういう関係になったことはないし、キスもデートもしたことがない。
富永とは、一度二人で飯を食いに行った程度の仲だ。それも、二人で申し合わせて出掛けたわけではなく、同期みんなで食事に行く予定が、他の同期が仕事などでドタキャンした結果、二人になってしまっただけのことだ。その時の会話も色っぽい内容は一切出なかったし、富永が俺と付き合っていると思うような要素は何一つないはずだ。
「うん」
意外にあっさりと肯定の返事がきた。
俺と富永は付き合っていない。それは二人一致の認識だ。
「じゃあ、何で俺がフタマタしたことになるわけ?」
「だって、桐島くんは相田さんが好きなのに、何で他の女の子と出掛けるのかなって思って」
驚いた。
本人以外には誰にも打ち明けたことのない俺の気持ちを、いとも簡単に富永に見抜かれていたなんて。
課も違う富永が、どうしてそれを知ったのだろう?
俺が正直に驚きを顔に出していると、それを見て取ったらしい富永が答えをくれた。
「見てればわかる。桐島くんが誰を好きかなんて。だって桐島くんの目、わかりやすいくらいに熱かったから」
俺の視線だけで、富永は俺の思いを見抜いたって言うのか?
「ま、ぶっちゃけ、それがわかったのは、私が桐島くんを見てたからなんだけど」
ドキリとする。
富永の大きな目が上目遣いにこちらを見た。
「で、相田さんの反応は?」
「え?」
富永の思いがけない問いに戸惑う。
「私が桐島くんにフタマタかけたって言ったら、まるで私と桐島くんが付き合ってるみたいに聞こえるでしょ」
どうやら、わざとあんな誤解される言い方をしたらしい。
「それ聞いて、相田さん何か言ってた?」
「いや、何も…。というか、俺がそのこと誤解だって言っても、興味ないって言われた」
「あー…やっぱり」
納得したように富永は頷いた。
俺には訳がわからない。富永は俺が相田さんを好きなことを知っている。でもそれを知っているのは、俺のことを見ていたからだと言った。それはつまり…?
「…富永は、俺のこと、どう思ってるの?」
大きな目を向けて、富永は答えた。
「カッコイイし、こういう彼氏がいたらいいなと思ったことはあるけど、恋愛感情じゃないかな。見てたらわかっちゃったからね、桐島くんが誰を見てるのか」
俺に恋愛感情を抱いていないなら、何故あんな面倒臭いことを言ったのだろう? 相田さんに誤解を招くような余計なことを。
「じゃあ、なんであんなこと…」
それを訊こうとすると、富永は思いがけない答えを寄越した。
「相田さんがどういう反応するのか、見てみたかったの」
「え?」
「桐島くんの熱い視線を涼しい顔で受け流すあの人が、どういう顔するのか」
案の定、無反応だったけどね、と富永は俺には笑えない話を笑ってした。
「…なんだ、それ。興味本位かよ」
「うん」
あっさり頷く。何て女だ。
思わず俺は深い溜め息をついてその場に座り込んだ。
お前があんな面倒なことを言うから、勢い余って告白しちゃっただろ。なのに興味本位かよ。しかも俺じゃなく相田さんに。俺の勇気を返せ。
「なに? コクっちゃったの?」
大きな目をパチクリさせて富永は訊いた。
「え?」
顔を上げれば、興味津々のキラキラした目が俺を見つめていた。不覚にも、心の中で呟いたつもりの愚痴を口に出していたらしい。
「それで、相田さんは何て?」
完全に興味本位の反応だった。女子高生が噂話をする時みたいな目をしている。
「……考えるから、時間をくれって」
仕方なく、小さな声で答えた。胸を張って答えられるような内容ではない。
「つまりそれは、相田さんは初めて桐島くんの気持ちを知ったと?」
こくりと頷く。
「それで考えさせて欲しいと?」
うん、と無言で頷く。
「あー、そう…」
少し考えてから、富永は「良かったね」と言った。
「気持ちを知ってもらえただけでも、一歩前進じゃない」
確かに、そうなんだけど…。
「でもさぁ、考えさせてって女が言った時は、あんまり期待しない方がいいよね」
喜ばせておいて、あっさり突き落とす女だ。想像したくない答えを、いとも簡単に口にする。
「…富永、面白がってる?」
「ちょっとね」
悪い女の顔を見せて富永は笑った。いつも上司たちに可愛がられている姿からは想像もつかないほど、こいつは悪い女なのかもしれない。
「でも、応援してあげるから」
今までの会話がなかったら騙されてしまいそうな愛らしい笑顔で富永は言った。
ちょっと苦手だと思っていたけど、結構いい奴なのかもしれない。
「私のお陰で告白する勇気が出たんだから、頑張ってよね」
おーい、お前が余計なこと言ったから、こんなことに今なってるんですけど?
がっくりと俺はうなだれて、実は俺って女に振り回されやすいタイプなんじゃないかと考えた。
「相田さんてさぁ、クールだけど、押しに弱いって気がするんだよね。好きだって気持ちを前面に出して攻めたら、意外と簡単に堕ちるかも?」
ちらりと視線を上げると、にこりと微笑んだ富永がそうアドバイスを残して資料を手に資料室のドアを開けた。
ドアが閉まったのを見送って立ち上がり、「そうだといいけど」と心の中で独りごちて、資料を探しに俺は戸棚の奥に歩き出した。
俺が彼女を好きだということを理由に、あのひとが、俺に熱い視線を返してくれるようになるのだろうか。