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37 アロマ -bee #13-

 久しぶりに富永さんと一緒に夕食を取ることになり、食事をしながら、彼女の可愛さにより一層磨きをかけているように思える左手の指輪に目を遣った。

「あれ、一本増えてる?」

 思わず口に出すと、嬉しそうに微笑んで彼女は指輪を示した。

「彼にねだったんです。今年もこっちに戻ってこられないって言うんで」

 富永さんの彼は、転勤で東京へ行き、短ければ1年という話だったけど、1年では戻って来られなかったのだという。

 富永さんの細い指にはめられた新しい指輪は、前のよりも石が多めに入っているけれど、華奢な指輪に見合う小さな石が連なって、それを繊細な飾り模様の土台が支えている。ハートとリボンモチーフの指輪も似合っているけれど、それと重ねづけしても嫌味にならないデザインは、やっぱり彼女にピッタリ似合っていた。

「富永さんの彼って、センスいいよね」

 指輪が彼のチョイスだと聞いて、素直な感想を漏らした。

「まあ、私の好みを知りつくしてますからね」

 彼が自分に似合うものを選ぶのが当然とでもいうように、彼女は微笑んだ。その幸せそうな顔に、こちらの心も和む。

「上手くいってるみたいで良かった」

「…なんか、含みがあるように聞こえるんですけど」

 そんなつもりはなかったのだけど、彼女はさすがの勘の良さで私の本音を見抜いたようだ。

「あー、えっと、富永さんがどうとかってことじゃなくて、自分のことなんだけど。昔ね、遠距離になって、ダメになっちゃったことがあって」

 そうなんですか?と興味津々の様子で富永さんが身を乗り出す。

「相手を信用してなかったわけじゃないんだけど、何かね、すれ違っちゃって、結局ダメにしちゃったの」

 思えば、あれは相手に頼りすぎて、相手を思いやれなかった私が悪かったのだと思う。だから、一人でも生きていけるほどの強いひとになりたくて、あれからずっと頑張ってきた。

「なんか意外です。相田さんて、遠距離とかでも上手くやっていけそうなのに」

「そんなに大人じゃないわよ」

 富永さんの過大評価に苦笑する。

「恋愛で、上手く出来たことなんて一度もないわ」

「今はどうなんですか?」

 桐島くんとは上手く行ってるんでしょう?と富永さんが悪戯っぽい笑みを向ける。

「あれは、桐島に救われてるかな、かなり」

 同じ会社の、しかも同じ職場の人との恋愛なんて、もうするつもりはなかった。だって、別れた時に気まずくなるのも嫌だし、仕事と恋愛の両立なんて、そんな器用なこと、私には出来ないと思う。

 今は、先輩と後輩で同僚というスタンスを保つ私に桐島が合わせてくれているし、かといって富永さんには付き合っていることを話しているから完全な秘密ではなくて息苦しさはない。

 そういう、私にとって都合のいい環境を作り出してくれているのは、桐島だ。

 少し彼に頼りすぎて申し訳ない気もするし、このままじゃ、いつか頼りすぎてまたダメにしてしまいそうで怖いけど、今のままの心地よさを手放す勇気がないのも本音だ。



 資料を抱えて廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「ゆっこ、重そうだな、大丈夫か?」

 そう言って資料を持ってくれる。

「あ、ありがとうございます、鳴瀬さん」

「ん。」

 目を細めて微笑むその顔に、心臓が跳ねる。ちがう、もうこの人にときめく権利は自分にはないのだと言い聞かせるのに、そんなことで言うことをきく心臓なら苦労はしない。

 昔と変わらずに優しいなんて、反則だ。

 あれから何年経ったと思ってるの。もう過去のことだ。もう互いに隣を歩く人ではないとわかっているはず。彼が私に優しいのは、大人の男として当然のことで、もし私に少し特別に優しかったとしても、それは昔のよしみでしかない、はずだ。

「あ、鳴瀬さん、もうここでいいです、ありがとうございました」

 自分の課の少し手前で資料を受け取ろうと手を広げる。

「いいよ、席まで持ってくよ。みんなの顔も見たいし」

 鳴瀬さんは私の意図を無視して企画課へと歩いていく。慌てて追いかけて、ドアを開けて彼が中に入るのを手伝った。鳴瀬さんは私の席まで資料を運んで、机の上に資料の山を置いた。すると斜めになった山から何枚か資料が落ちた。

 拾おうとしゃがむと、同時に手を伸ばした鳴瀬さんの匂いがふわりと近づいて、それが昔と変わらなくて、思わず慌てて後ずさる。その拍子に机の引き出しの取っ手に頭をぶつけて悶絶する。

「相変わらず、そそっかしいな、ゆっこは」

 頭を押さえる私を笑って、ゆったりとした動作で資料を拾い上げた鳴瀬さんは、資料の山の上にそれを重ねた。私をそそっかしいなんて言うのは、この人くらいのものだ。

「おう、鳴瀬、調子はどうだ?」

「上々、かな」

 同僚に訊かれて平然と答えるこの人は、やっぱり只者じゃない。

「お前、たまには顔見せろよな。営業に移ったからって冷たいじゃねーかよ」

「挨拶にきただろ、異動してきた時に」

 あっという間に鳴瀬さんの周りには人の輪ができてしまう。

 不思議そうに鳴瀬さんを見つめる後輩たちに説明する。

「鳴瀬さんは、前にこの課にいたのよ。大阪本社の営業に行ってたんだけど、この4月にうちの営業に戻ってきたの」

 4月に挨拶に来たけど、会わなかった?と尋ねると、後輩たちは首を傾げた。

「外回りが多い時期だと、俺たち席にいなかったかもしれませんね」

 桐島が答えて、他の後輩たちも頷いた。確かに4月は忙しくて、後輩たちは外回りに出ていることが多かったかもしれない。

 ひとしきり同僚や上司と話をすると、鳴瀬さんは颯爽と去っていった。彼がいるだけで部屋が華やぐ、不思議な力のある人だ。こっちに異動してきて、5月には営業トップになってしまったなんていう凄い記録の持ち主なのも頷ける。

「…仲、良さそうでしたね、相田さん」

 笑顔で他人には悟られないようにしているけど、桐島の視線が怖い。

「私に仕事の基礎を教えてくれたのは鳴瀬さんだからね」

 尊敬する仕事の先輩なのだとアピールする。

「そうなんですか」

 言葉とは裏腹に全然納得いっていない様子の桐島の眼に耐えられなくなって、用を思い出したふりをして部屋を出た。

 ああ、でも、今日の夜が怖い。

 桐島のことだ、その勘の良さで、何となく気づいているんだろう。私をあんな風に子ども扱いして、「ゆっこ」なんて呼ぶ人は、他にいない。


 どこに逃げ込もうかと思案して歩いていると、休憩室の前で鳴瀬さんに手招きされた。もしかして、私を待っていたのだろうか。不思議に思って彼に従い、休憩室に入った。

 二人きりになると、途端に緊張する。

「本当は、戻ってきたらすぐに言おうと思ってたんだけど」

 そう前置きして鳴瀬さんは私を見つめる。

「俺たち、やり直せないかな?」

 なぜ急にそんなことを言い出したのかと、彼を見つめ返した。いや、彼は前から言おうと思っていたと言うのだから、急ではないのかもしれないけど、どうしてこのタイミングで、と見当違いなことを考えて、答えるのを忘れていたら、不意に目の前が暗くなって、懐かしい匂いが鼻孔を刺激して、それからやっと抱きしめられているのだと気が付いた。

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